しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「一六銀行って、知っている?」

2022年04月29日 | 昭和41年~50年
中学校のクラスにも、高校のクラスにも質屋の息子がいたが(息子と書くのは、女生徒の親までは知らないので)、
その質屋のことを「しちや」・「ひちや」と呼ぶ人はいたが、
「いちろく銀行」と言う人はいなかったような気がする・・・けど。




「家計簿の中の昭和」 澤地久枝 文芸春秋 2007年発行 


若い人に「一六銀行(いちろくぎんこう)って、知っている?」
とたずねると、みんな首を横にふる。
質屋(しちや)のことである。
江戸時代から質屋はあり、日本だけでなくアメリカにもある。
庶民の銀行が質屋だった。


質草は、3ヶ月ごとの利上げをつづけていれば、流されない(所有権の移転はない)。
元本と利息を払えば、もとの姿で手許にもどってくる。


質屋の蔵は堅牢にできていて、預かった衣類に虫がつくこともないし、少々の火事にはビクともしない。
客の秘密を守るのが質屋の歴史的な鉄則である。


その日必要な現金の手当てに,人びとがかけこんでいったのは質屋であり、質草はつつましい。


・・・


いま、「街の金融」は全盛のように見える。
見まわせば、広告が溢れかえり、24時間営業の店舗が目につく。
その現在も、借金が独走する「消費者金融」などより、「質草」という自前の担保で「自由」を守れるという理由から質屋の利用者はたえない。
昨今の質草の主流は、貴金属という。



・・・・・・・・・・


大学生になって、夏休みの前に布団を質屋にいれて帰省のお金を借りる人がいた。
夏休みが終わると質屋に行って、お金を払い蒲団を戻してもらっていた。
それ以前は、学生服をそうした人もいたようだ。


私は中学校3年の時の時計をしていたが、型が古く、質屋に行って質流れを買った。
二度目はテープレコーダーが欲しくなったが電気店では高いので、質流れを買いに行った。その時、1.500円で買ったのを覚えている。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 楠池のほとり | トップ | 五平太(ごへいだ)の煙 »

コメントを投稿

昭和41年~50年」カテゴリの最新記事