股関節痛は怖くない!~変形性股関節症の新しい考え方

変形性股関節症の常識には間違いが多く、怖さを抱えている人が多い。
常識の間違いを理解して人生を楽しみましょう!

体験談  DOLPHINさん ①

2008-02-08 12:15:38 | 体験談
 はじめまして、dolphinと申します
私の歴史もひょっとすると「ああ、私と同じような人がいるんだ」と誰かの参考になるかも、そして自分を見直すことにより私自身にとっても今後の指針になるかもしれないと思い、私の足の人生(?)を振り返ってみることにしました。
多分、長くなりそうなので 覚悟のある方だけ読んでみてくださいね。

 私の父は27年前、母は18年前に他界しているので 幼少時のことは私が見聞きした記憶だけが頼りなのですが、左足が先天性股関節脱臼とのことで生後6ヶ月から半年間ギプス治療をし、その後母が毎日マッサージに通ってくれたと聞いています。

 私の微かな記憶の中に 跛行状態で畳の上をヨチヨチ歩き両親に「上手に歩けたねぇ」と手をたたいてもらっているシーンがあります。(2歳くらい?) 

何故跛行だとわかるのかというと・・・。 私が歩くたびに 手を前に出して私を受け止めようと待ってくれている笑顔の両親が 左右に大きく揺れて見えていた画面がはっきりと残っていることから 後にそう解釈したのです。

そして、悪い左足は足の裏ではなく、指を折り曲げて(爪先立ちの逆)指の背側だけで着地していたような気がするのです。
これが私の最も幼い頃の映像として残っている足の記憶です。

それからどれくらい経過したのかは不明ですが、母に手を引かれて外を歩いてる時、近所の方から「あらぁ、dolphinちゃん歩けるようになったんだねぇ。良かったねえ」と言われたことも覚えています。
 
この二つの記憶は子供の頃は忘れていて 後にこの病気に苦しみだしてから そう言えば・・・と思い出したものです。

小学校1年生の運動会は、走りながら「走るってどうするんだろう・・・???」
「どうして足が速く動かないんだろう?」と思ってたことを覚えています。
ゴールがすごく遠く、走っても走っても到着せず、一緒にスタートした筈の友の姿も見当たりませんでした。

それがどうしたことか、2年生になったある日突然、遊んでいて「何だ。腕を速く振ればいいんだ」と開眼したのです。
その時の「何だぁ。こんなに簡単に走れるんだ」と思った快感も覚えています。

2年生の運動会ではリレーの選手になっていました。
走ってる時に「dolphin、ガンバレー!」と父の声が聞こえたこと、そしてその夜の、「速く走れるようになったなあ。良かったなあ・・・」と、日頃見聞きしたことが無いような嬉しそうな父の表情と声も覚えています。 
その時、子供心に「ただ走っただけなのに どうしてそんなに大喜びをするんだろう・・・」と不思議に思ったこと、さらに布団に入り眠る直前に隣の部屋から「あの時思い切って手術して良かったなあ・・・」と話す両親の声を聞いたことも はっきりと覚えています。

 今こうして書いてみると、何だかドラマの一シーンみたいだなあ・・・と人事のような気分ですが、本当に残っているのです。
子供時代には完全に忘れ去っていることでも、何かの機会にフッと蘇るものなのですね。

 そのまま6年生までずっとリレーの選手を続け、運動が得意であらゆるスポーツが大好きになっていましたが、お転婆ではなく恥ずかしがりの大人しい子でした。(勿論今でもそうです。松本先生、そうですよね。ネ!)
 
 その頃には、「赤ちゃんの頃足が悪かったんだ」ということは忘れていましたが、「何でだろう・・・」と納得できないことがありました。
『片足けんけん』が右足はいくらでも出来るのに、左足は3・4回しかできないことに気が付いたのです。 「どうして???」・・・。
でも即自分勝手に解決しました。
「そうかぁ、私は右利きだから左足は苦手なんだな」と。 
「他の皆もどちらかの足はできないんだろう・・」と。
そう信じていました。

 もう一つありました。
走る・跳躍・立ち幅跳び・走り幅跳び・跳び箱などは得意なのに、走り高跳びだけが上手く跳び上がれないのです。 
もっと跳べる気がするのに・・・。
走り幅跳びは気持ちよく跳べるのに・・・???。 
これは自分の中で解決できないままでしたが、後に「そうか、右利きの場合走り幅跳びは右足で踏み切るけど、走り高跳びは左足で踏み切るんだ。  
『けんけん』ができない方の足で踏み切るんだ。しょうがないか・・・」と自分なりに納得したのです。


つづく