梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

居酒屋

2011-10-22 11:57:51 | 雑記
小料理と言うより、「居酒屋」と言う様な店が有った、未だ川崎に居た頃だからOちゃんの店より少し前になる、20代の後半入り浸っていた喫茶店が有って30代になったばかりの夫婦がやっている店で昼夜となく行っていたのだがウェイトレスの娘さんは居るのだがカウンターに入るアルバイトが居ないと言うので無給で其の替わり飲食は無料という条件で入る事になった、
此処で珈琲の入れ方からハンバーグサンドの作り方などを覚えたのだがその頃やはり常連だったちょっとやくざっぽい客と親しくなった、やくざに見えるだけで堅気では有ったが其れなりに繁華街ではぶいぶい言わせていた人なのだが性格はお人好しで笑い顔が実に可愛い男である、
彼が飲み屋をやりたいと色々探していたらちょっと小ぶりで新築の物件が川崎に有ったと言って来た、「Iちゃん(私の渾名)は確か川崎だったよな」と言うので話を聞いてみたらなんと自分のアパートから10分程度の所だった、立地条件を教えて一度その付近二人で飲み歩いた結果其処で回転する事になる、棲家の近くでありそう言う知り合いなので結局この店が10年弱でラーメン店に衣替えするまで毎日通ったのである、
此処ではかなり我儘を聞いてくれて飲む物は勝手に買って来て買った金額と同額でキープさせてくれた、ウィスキーからジン、ウォッカ、山梨の一升瓶のワイン(山梨ではワインでは無く酒と言う)など随分楽しませてくれた、
常連の魚好きを捕まえて「良い鯛が有ったから」と電話が来て仕入れてくるがそのままの原価で振る舞ってくれる、包丁代は彼が一緒に少し食べるだけと言う様な塩梅だから儲かる訳もない
付近にはこの手の居酒屋と言う様な店が無いので結構上客が付いて暫くは繁盛したのだが徐々に廻りに店が増えたのと毎日半分位席を埋めていたある会社が引っ越してしまい彼らも其れにつれて付近から居なくなってしまい、彼の性格で仕入れた物が少し古くなると全て捨ててしまうと言う歩留まりの悪さも影響して遂には「居酒屋」を諦めてラーメン屋になった、
ママさんが北海道だったので面を札幌の西山ラーメンから直接仕入れて親父の拘りの海産物も直送してつくる「海賊ラーメン」は評判が良くリピーターも増えて此れでと思った矢先、直ぐ近くの国道にチェーン店の「車屋ラーメン」が開店し車の置けない彼の店はファン以外が入らなくなってしまった、結局ラーメン店も5~6年でたたんで職人になって持病の糖尿が悪化し、67歳で一昨年他界してしまったがやはりああいう店はもう無くなったな
チェーンの居酒屋は其れなりに安くて美味しいのだが雰囲気がなじめない事も多い