マイナスイオンについて

2010-02-19 10:19:37 | Weblog
目が痒く
花がむずむず
する季節
今年少ない
杉花粉かな

政治思想を学ぶことが政治家になることだと考えている人は多そうだ。
だが私は逆とみる。
政治思想と言われる物は政治を実現する為の一手段に過ぎないと。
他の手段で実現可能ならば、必要の無い物。

さてマイナスイオンについて。
十年前の日本ではこれは、生活環境の良し悪しを決定づける物とされていた。
今日の日本では詐欺の代名詞である。
イオンには、プラスとマイナスがある。
水中あるいは空気中を漂う分子の、電子が多いとマイナス、少ないとプラス。
まったく意味のない概念ではないが、漠然としすぎていて何がどう作用しているかが
一般人には判らない。 私にも判らない。

このネタが一般化した理由の一つにテレビモニターがあるのではないかと推測する。
CRTモニターからは電子が放射されていて、周囲の微粒子が帯電する。
敏感な人が耐電粒子の増加を感じ取り健康状態の変化という形で表面化し、
どっかのエライ科学者がそれを仮説として発表し、
それを拾った営業の人達が売り込むためのネタとして使用した。
それが世間一般でマイナスイオンと言われ、定着した。

この現象、マイナスイオンという単語が一般化することに問題があるとするならば、
当初の過敏な人達に起きた健康のズレと売られている商品との間に関連性が
あるのかないのか判らない所でしょう。
意味があるかも知れない、無いかも知れない。
それでもマイナスイオンは流行となり、社会は動いた。

二十世紀に流行したマルクス主義は今日では、実験だったと言われたりする。
そこで問題。
実験とはどの様な結果を前提に行われる物でしょうか。
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沖縄について

2010-02-19 09:58:06 | Weblog
海の外
南の島の
楽園も
人住むところ
対立があり

沖縄はかつて琉球、琉球王国と呼ばれていた。
戦争を繰り返した末に王国が建ったわけだ。
それがどうなったかというと、しばらくして薩摩に支配されるようになった。
薩摩は今の鹿児島県、九州南部にあった藩。
琉球を通して行われた中国、清との交易が薩摩を豊かにし、
それが日本の近代史となっていたりするのだが。

さて、では何故琉球は薩摩に支配されたのか。
薩摩が強かったから、というのが通説となっているようだ。
今の国際情勢に例えるならこれはカリフォルニア州一州、
あるいは広東省一省で日本支配を確立するような話。
なるほど、逆に言うと近代日本の始まりはカリフォルニア人あるいは広東人が
それぞれの中央政府を一新するような事件だったのか。

現在の沖縄は左傾化している。
少なくとも当地の新聞はそうなっている。
私はこれを、不満を呟く人には媚びる人がすり寄っていく構図
と見るわけだが。

さて問題。
1980年代の北海道、都市部周辺では雪が黒かったらしい。
この原因とされるものを一つ挙げよ。
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物理について

2010-02-18 11:06:23 | Weblog
目の前に
黒くて丸い
物があり
ぱっと消えたら
謎の物体

さて前回のエントリーで書いた私が自然番組に怒ったこと、
その理由が判らないという人も多いのではと思う。
少し書き足す。
薔薇の木があったとする。
花を咲かせるわけだ。
それを綺麗だと感じると。
薔薇の価値は綺麗な花を咲かせることにあるわけだ。
あらゆるものの価値はそのようにして量られる。
めでたいですな。

さて物理学について。
物理とは何か。
熱いお湯、ぬるま湯、冷たい水が入った水槽がある。
熱いお湯に手を入れたまましばらく我慢し、
次にその手をぬるま湯に移す。
冷たく感じるわけだ。
冷たい水に手を入れたまましばらく我慢し、
次にその手をぬるま湯に移す。
熱く感じるわけだ。
これが物理である。

感覚を否定しているわけではない。
実際、ドップラーシフトは音楽家の耳で確認された。
今でも「一瞬光った」というような感覚の記憶は観測結果として扱われる。

電気や光、原子核や重力といったもの、時代を変える発見が数式になったりする
その様子が注目を浴びるためか物理学は華やかなものであるといった認識が
あったりするが、本来のそれは退屈な物である。
なんせ生まれた時からある当たり前の世界を何時でも何処でも、誰にとっても当たり前
なのだと改めて認識する、ただそれだけのことなのだから。

物がある。 だから物理。
物理とは外部の、世界の肯定である。
では何故に複雑怪奇なのか。
AとBは同じ。 AとBは違う。
これは当たり前ではない。
AとBの何が同じか、何処が違うのか。
それを調べた結果判明し、当たり前となる。
そのやり方が物理学。 科学と言っても良い。
まあ当たり前ではないことが当たり前になることを判明すると言うのだが。

空を飛ぶ鳥を見上げる。
鳥の周りに空気がある。 当たり前だ。
鳥に光が当たっている。 当たり前だ。
鳥に反射した光が目に届いている。 当たり前だ。
鳥に重力が作用している。 当たり前だ。
鳥が羽毛に覆われている。 当たり前。
鳥に骨がある。 当たり前。
鳥が筋肉を使って飛行している。 当たり前だ。
これらの要素を再構築すると、こうなったりする。
鳥と観測者との間に障害物が無いため鳥に反射した太陽光が網膜上に鳥の像を作る。
鳥の形、角度、タンパク質などの構成から翼の上面が緑色に、影になっている
下面胴体の羽毛は暗い灰色に見えるが光が当たると白色に映ると思われる。
鳥の羽ばたきによる進行方向と地上から見る移動方向が一致していないが
これは風が斜め前方から吹いているためと思われる。
粘性抵抗により強く注目する人もいたり骨格や代謝を考える人もいるだろう、
あるいは鳥側から見た視界や移動効率を計算する人も。
いずれにせよ分解し再構築する。

軽く羽を動かす水平飛行は自転車に乗るくらいなのだろうとか
羽ばたいて上昇するのは階段を駆け上がる感覚に近いのかなとかと
想像するのは私にとって再構築の延長線上にあるものだが、
それは物理からは離れるわけだ。

さて問題。
ネットのスラングに変態新聞というのがある。
これは何処の新聞社を指すものか。
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不快について

2010-02-17 14:21:06 | Weblog
番組を
出す人達の
約束は
一貫性と
放送時間

バビロン人の自然観とはどのようなものなのか疑問に思ったので
そっちの系統の自然番組をビデオ屋で借りてきた。
なんらかの形で良い物があるのではないかと期待して。
見始めてすぐにEXCITEMENTとの単語が出てきた。
私はそれを不快なものに分類し、
しばらく早送りしてみたりした後リモコンの停止ボタンを押した。

さて不快について。
尻の穴に野菜を入れたが出せなくなり病院に運ばれた男のニュースがあった。
何時何処の国の事件だったか忘れたが多分去年、西の方だったと記憶している。
世界中の人が彼を不快に思ったとする。 仮定の話。
彼は悪だろうか?
私はそうではないと見る。
せいぜい、医者の手を煩わせたくらいの迷惑だ。
彼の行動の結果、アパート内が異臭に満ちたとする。 仮定の話。
彼は悪だろうか。
彼は悪ではないだろうが、彼の行動はこの場合は悪と言えなくもないとみる。
彼の行動がアパートの廊下に汚物と野菜片をまき散らすことで近隣住人に
嫌がらせをし野菜を作っている農家を侮辱することにあったとしたらどうだろう。
私はこの場合は、彼を悪の人と見る。

善悪の判断は精神、行動の目的に置くべきだろう(とはいっても善は不明だが)し、
秩序の判断は迷惑、他者の生活の侵害に置くべきだろうと見る。
だが社会は不快で動いている。
不快なものこそが悪であり秩序を乱すものであり、
ルールとはそれを正当化するものでなければならないとの理念に充ち満ちている。
それで社会が上手く行くはずがない、と思うのだが。

さて問題です。
線とはどのくらいの太さのものを指すのか。
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強者について

2010-02-17 06:59:16 | Weblog
従うと
いうことはこれ
行動を
選ぶ自由を
明け渡すこと

私はこれまで自分を弱者である側に置き、そこから書いていた。
王様がいてそれに対して「王様は裸だ」と言う。
肉塊としての子供は無能であり、そこにどれだけの真実が含まれていようとも
その声は数ある声の内の一つでしかない。
では、たまたまその場に居た大国の王子が裸の王様に
「服を着るべきだ」と言ったらどうなるか。
それは命令に近い意味を持つことになる。
ある面で脅し。 従わなかった場合は対立に発展しうる。

強者から出た声は、暴力になってしまう。
そこに真実があろうとなかろうと。

では強者とは、どうあるべきなのか。
弱者の代弁というのは詭弁だ。
数いる弱者から自分にとって都合がよい者だけを集めることは容易であり
また弱者の多くも積極的に強者にすり寄る。 結局、暴力になる。

歪みが強者よりも大きければいいのか?
強者が自分自身が歪みになることを避けようとするならば正すべき歪みを
量れなければならない、ということになるのだろうか。

別の可能性もある。
声を聞く側がそれを量れるようになればいい。
この考えは媚に価値を置く人達のそれの対極に位置しているな。

さて問題。
日本人は日頃、水と安全はタダだと思って生きている。
では何故これらは有料なのだろうか。
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スパゲッティについて

2010-02-16 10:20:22 | Weblog
茹で炒め
皿に長々
芳ばしく
乾くと絡み
一塊りに

彼らは「スパゲッティ」と呼んでも良いではないかと言う。
ならば私が彼らを「淫婦の僕」と呼ぶのを止めさせる理を彼らは持たないわけだ。
実はおもしろがっているのではないかとも疑ってたりもするのだが。

このように始めてみたが今回のテーマは宗教問題ではなくパスタの方の話。
イタリア人のパスタやピッツァに対する言行を端から見るに、
彼らはチーズを主役として食べているように思える。
だが日本人にはチーズの味が判らないわけだ。
ここで言う判らないというのは判る人があるチーズを食べた時
その中に十種類の味を認識する所を判らない人が食べた時ハッキリと
識別出来るのが三、四種、判別出来なくとも存在していることを感じるのが
三、四種、残りの数種類については有っても無くても判らない、そういう状態と。

チーズの判らない日本人にスパゲッティが広まった結果何が起きたか。
和風スパゲッティの誕生である。
タラコをかけてみた。 鰹節をかけてみた。 納豆を合わせてみた。
醤油味にした。 ジャコの乾物を合わせてみた。 スープに入れてみた。
チーズはにおいのアクセントを楽しむ物と割り切ることにした。
カルボナーラは食感を楽しむ方向に変化した。

チーズについては相変わらずの味覚音痴である。
スパゲッティは日本中に広まったがそこはあまり変化していない。
だがその結果、レシピが増えた。
私はここに豊かさを見る。
味覚の欠落、「無い」「少ない」という多様性が新しい領域を作った。

無いという形で人と違うことを嘆く人達がいる。
彼らを私は貧しいと見る。
彼らが持っていないから貧しいと見なすのではない。
人と同じであろうとするその精神を貧しいと見るのだ。
彼らが何かを新しくすることは無いだろう。

寿司の新しいスタイルがカリフォルニアなどから始まった。
西洋人は魚の味が判らないのだと思う。
一般に日本人はイタリア食文化への敬意を時々思い起こすわけだが
彼らはどうだろう?

「弱者の兵法」だそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20100214-OYT1T00908.htm
日本野球史上有数の強者がそれを獲得した。
そしてそれが、社会に伝えられている。

さて問題。
武器をもって友好を示す方法もある。
それはなんでしょう?
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対立について

2010-02-15 07:28:29 | Weblog
解消を
したふりならば
簡単も
攻める道具か
平和の正義

おとといのgif動画のファイル名はhostile.gifである。
hostとhospitalityの単語イメージが合成されてそうなったのだが
その時の私の状態を現していたように思えたのでそのままにした。

私に進むべき方向が示されていて、私はそちらに進めていないわけだ。
私は未熟者なのだろう。
ふすまが一段とボロくなり、拳の皮がめくれた。
多分私は示された方向を不満に思ったのだろうつまり、
私は不信心者なわけだ。

久しぶりにあった旧友の私の評価は「厳しい」だった。
それに対して私は「たまに人を斬らないと鈍る」と嘯いた。
当時の私は十代だったはずだが私は言葉を
「斬るもの」として認識していたということになる。

判らない。
判らないときに私がすることは続けるか、何もしないかだ。
私は続けることを選んだ。
昨日もう一本エントリーを書いたが、出来上がったのはやはり「殺す言葉」だった。
間違っているとの指摘がありそれは没になった。

優れた言葉は人を癒すという。
だが世に溢れている言葉は「媚びる言葉」ではあっても「癒す言葉」ではない。

パレスチナ人のユダヤ人に対する、ユダヤ人のパレスチナ人に対するものが
これなのだろうと思う。
インドとパキスタン、トルコとクルド。
出来ない彼らを馬鹿にしていのたが私にも出来ていない。
どうすれば出来るのだ?

日本でもっとも親しまれたコメディアンの一人である、いかりや長介氏の晩年を
芸聖だと感じているのだが、彼も荒井注氏との間に対立があったらしい。

私の対立というと、一人思いつく。
思いついたのだからあとは行動なのだが、なにをすればいいのだろう?
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介護について

2010-02-14 06:40:18 | Weblog
人は死ぬ
努力しようが
逃げようが
誰も彼もが
終わり迎える

介護とはなんなのだろうか。
解らないので辞書でひいてみた。

・介護 nurse, care for
 病人などを世話すること。
 介護者 carer

・看護 nurse, attend, look after
 傷病人などの手当てや世話。

・保護 protect, care
 かばい守ること。
 生活機能が低下した者、未熟者などについて安全の確保、援助の付与をすること。
・困窮者に文化的な生活を保障すること。

・監護
 監督し保護すること。

・擁護
 危害を加えようとするものから守ること。

・介助
 付き添い起居動作の手助けをすること。

・介抱
 病人やけが人の世話をすること。

・介添え
 人に付き添って世話をすること。

日本語には近い単語がいっぱいあるが、老人に使われる漢字は介護、
それと介助である。
介護的意味での看護はもっぱら入院している病人に、保護は乳幼児に対する単語。
監護は青少年の犯罪傾向について使われる。
老人の世話という社会行動を介護と、行動の具体的一部分を介助と言うらしい。

・care
 世話、看護、 監督、保護、管理、配慮、責任、面倒見。

・carer
 付添人、介護人、ベビーシッター。

・attend
 世話、接待。

・attendant
 付き添いの、随行の、付添人、案内係、出席者。

・nurse
 乳母、保母、看護人、擁護者。

・nursery
 保育所、託児所、子供部屋。

・protect
 守る、防ぐ、保護貿易、保険による保障。

なるほど。
うっすらと価値観の違いが見えてきた。
私は社会を相互保障、分業、共同作業などのように捉えている。
保護や援助といったものは特殊な状態を除き本来一時的なものであるべきだと。
サヨク系、朝日新聞系人種のとらえ方はおそらく、共依存だ。
だから私の目には彼らと彼らの支持者のの言動がまるで、
亡者か何かが蠢いているように写りそして彼らが
社会に亡者が増えることに喜びを見出しているかのように思えるわけだ。

同盟相手に対する考え方の違いもそこら辺に根がありそうだ。
事実関係や方針を問われると「優しくない」と言って反発し、
接待されるとそちらになびく。
共依存の相手をアメリカに見るか中国に見るか。
もっともこの違い、日本だけに特異な現象ではないとみる。
規模の差こそあれ何処の地域にもあると。

多少見えてきたところで介護の具体例を思い出してみる。
幼い頃、寝たきりになった父方の祖母を母が介護していたはず。
私には彼女と会話した記憶がない。 上の兄弟はあるらしいのだが、
私が物心付いた頃には言語障害が出ていた。
当時の私は老人とはそういうものだと思っていた。
何年か病院を転々とし、私達が海外に移住し彼女が他の親戚に任され日本に残り、
そしてそれから一年近くして葬式となった。

数年前まで実家にネコがいた。
メスの老猫で最後の一年は立って歩けなくなっていた。
やはり母が介護していた。
海外に行っていた上の兄弟は安楽死を主張し、
それに対し私はそれなら私が包丁で首を刎ねると主張した。
そのネコはその兄弟の海外生活が終わり旅行から帰ってきた後
たしか二ヶ月ほどして去った。
私は「長生きした結果看取られた」と捉えているのだが。

豚インフルエンザワクチンに余剰が出だしているらしい。
対策開始からワクチンが出だすまで半年、行き渡るまでそこからさらに三ヶ月。
感染対策も人口移動の調査も「パニックを避ける」といった名目で
あるんだか無いんだか判断出来ない状態。
この分だと次の新型流行時にはハイチ地震なんて比べものにならない規模の
犠牲者が出るのでしょうな。

さて問題。
日本には葬式ビジネスがある。
宗教である。
それに関する話の一つに棺桶の大小がある(当然大きい方が高価)のだが、
遺族が小さい方の棺桶を選ぼうとするとなんと言われるだろうか。
コメント (2)
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老人福祉について

2010-02-13 21:15:37 | Weblog
出生は
笑う周りに
泣く赤子
早くおわれの
老人介護

状況を逆用して下を革新してしまおうというのが趣旨だと思っていた
のだがなにやら上も拾えとの要望が来た、ような気がする。
予定なんだか拡張なんだか。

五輪開幕だそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2010/news/topic/news/20100213-OYT1T00888.htm

アフガンでタリバン攻撃。
http://english.aljazeera.net/news/asia/2010/02/201021222455527806.html

さて老人福祉について。
これ私の人生観とどこかが根本的に違っている概念のような気がする。
人は老いたら後は死ぬだけだろうと。
この国の選挙の動向などを見るに生きたいから、というより現実逃避から
老醜をさらし続けている愚物ばかりのように思えるが、まあ80で悟ることも
無くも無かろう点で、老害集団の存続にも多少の意味はあるのかもしれない。

老人福祉。
財政破綻した夕張市でも利用して国営老人タウンを作れば良いだけではないのか?
衣類。 全国から適当に古着を募ればいい。
食料。 これは食堂を作って食券を配ればいい。
住居。 これも団地か何か、低コスト住居を国営で。
医療。 適当に低コストで。
介護。 ここが理解出来ない。
先のない人生のために奴隷制度を作るのだろうか?

介護に関する朝日新聞の記事。
http://www.asahi.com/health/news/TKY201001150257.html
老人のエゴが最大の社会問題である中、
そのの増加を「改善」と言っている。
日本の民主党高支持はここにあったのか。

転売権訴訟とか。
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-13849420100211
投機主義者の国なんですな。

恒例のなぞなぞ。
人生には一点だけ平等なところがあります。
それはなんでしょう?
コメント (1)
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退屈について

2010-02-12 12:07:05 | Weblog
去る冬に
次の時代の
足音を
近く遠くに
耳そばだてて

今朝方雪が降っていました。
空を見上げると粒がヒゲに当たって跳ねるのが面白かったり。

日本のサービス水準は高い。
高い状態にある理由はいろいろあるわけだが、その一つとして
一人の従業員が多数の業務経験を持つ、ということが挙げられる。
簡単に言うと配置換えがあるわけだ。
全体を知り、その中で技術を伸ばすと優秀な職人になると。
ただしこの方式にはデメリットもあって、仕事に慣れるということが全体で減ることや
不慣れな人が各所に存在することから権限分担の明確さが減ることなどがあるらしい。
日本のホワイトカラーが先進国水準と比較して極端に非効率的なのは有名な話。
理由はそれだけではないだろうけど。

欧米は違うらしい。
やるべき事だけをやり、それ以外はしない。
その結果としてバカンスが必要になるのだとか。
一部分しか知らない、やらないというのは退屈だから。

日本のやり方でも時間が経てば飽きるわな。
でも長期休暇の習慣は出現しなかった。
どうなっているかというとこの国、季節の変化が激しい。
誇張して書くと月ごとに別の気候になる。
言ってみれば旅行先の方から日本にやってくるわけだ。
極端な例が桜の季節だがクリスマスには西洋のようになり、お盆の頃には昭和時代、
正月には江戸時代になる、それが日本の例年行事。

それでも人は退屈するわけだ。
多くを学び多くを任される人になるなら仕事も面白いだろうけれども
大半の人は志を持たず学ばず、結果としてさほど任されない立場に収まる。
そういった人の退屈がどこに向かうと見るか。
酒だったり賭博だったり、「政府が悪い」式のグチをまき散らすことだったり。

人は刺激を求めて良識を手放すらしい。
退屈という状態は、厄介だ。

漁船銃撃はロシアの法とのこと。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100211/erp1002112230002-n1.htm
この件に関する日本のネットの反応がおもしろい。
まあ北方領土が国境未確定地域なのは事実としてもロシア側はロシアとしての
遵法行動を取っているのだから非人道的という抗議はおかしい、との声が大多数。

注目する所は紛争地での紛争相手国国民への武器使用殺傷を明言した点か。
日本側の正しい対応は北方領土に自衛隊を送り込むなりして
そこにいるロシア人を全員拘束、抵抗するなら射殺することなわけです。
それをすることを想定している日本人は今のところいたとしても極少数のようですが。

昨日がイランの革命記念日だったとか。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100211-OYT1T00976.htm

さて問題です。
昨年夏、日本の国政選挙で民主党が勝利し与党となったわけですが
この時マスコミ業界人が推奨したのが「自民党にお灸を据える」行動。
彼らがそれを推奨した理由の裏に、自民党の政策と民主党の政策があった
とネットで囁かれています。
それらを挙げなさい。
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