縄張りについて

2010-02-08 05:33:53 | Weblog
不可侵を
勝手に決めて
侵されて
地を踏む足に
周囲あきれる

日本仏教のルーツについて調べていたら面白い文章を見つけた。
ヴィローチャナ氏が創造神に「本当の自我とは何か」と聞いたところ、
「鏡に映る着飾った自分」との答えだったそうな。

アッバス氏訪日。
http://www3.nhk.or.jp/news/t10015501761000.html
VIPでしょうから一人で市街散策とかは無理なのでしょうけれども
これが60年前の敗戦国の、今の姿です。

イエメンの合法麻薬のニュース。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100207-OYT1T00436.htm

さて縄張りについて。
何故ゴキブリは嫌われるのか、という問いがある。
私はこれを、人の領域に勝手に入ってくるからだと見る。
まあそれ以外にも衛生害虫であることから来る嫌悪感とかがあるわけだが。

人には縄張りがある。
当然私にもあって、そこに進入される、侵略されると怒る。
ところがこの認識、これといった根拠がない。

レストランに行く。
席があると。
カウンター席や長いテーブルだと見ず知らずの他人が隣に来る。
このとき大ざっぱに、ここまでが自分の、そこから先が隣人の領域、
として認識する。
領域を越えて肘が当たったりすると不快に感じるわけだ。
そこで互いに遠慮があり、それによって良好な隣人関係が構築される。

縄張りとは社会性である。
自分がいて、他人があって、それで初めて縄張りを意識する。
他が人であるとは限らないが。
混んだ店で隣の席にカバンや上着を置いたままにしている人や
昼飯時食事が終わっているのにいつまも席を立たない人もいる。
こっちは社会性の欠如だろう。

社会における縄張りとはどういった状況にあるのか。
一番小さい縄張りは、自分の身体だろう。
内蔵、目玉、口の中なども含むか。
次が着ている服であり手に持っている物であり、接触範囲。
その次がやや広くなって私室だろう。
家の中の個室、割り当てられた会社の机やロッカー、あるいは使用中の便所。
さらに広くなって家や仕事場の建物。
町や区画、外回りの仕事をしている人なら営業範囲、政治家なら地盤、
ヤクザなら地元、農家なら水利や畑まわりの山林なども含むか。
範囲が大きくなると国家。
さらには帝国や、広域多国共同体、世界宗教の圏域。

地球規模を縄張りとする人は異常者だろう。
何故なら地球外人を認識する機会が無い。

身体や持ち物の感覚はかなり動物的、個として基本的な認識のはずなのだが、
この段階からすでに文化差があったりする。
高級ホテルに入ると荷物を取られる。
高級レストランに行くとコートを取られる。
親が子供の口の中に手や棒を突っ込んだりする。
同意無しに怪我人の内蔵を切ったり張ったりする。
そしてそれは、それぞれの社会において「常識」とされていたりも。

書き忘れた。
一番小さい縄張りは、心の中だ。
良心の自由、悪魔崇拝の自由。
これですら不可侵なのかどうか定かではないが。

人は縄張りを意識する。
そしてそれは、頻繁に侵略される。
快ならば問題視されず、問題になるのはそれが不快なときだけでその時人は
物を投げたり「俺の縄張りだあ」と吠えたり、目を合わせ眉をひそめてみたり
「ご両親の教育方針を是非教えていただきたい」と問いかけたりするわけだ。
社会摩擦。
そうしたトラブルを回避するために法律があったりするのだが
そうするとまた法律に合わせてヘンテコな縄張り意識が出てきたりと。

さて問題。
男にとって結婚は人生の墓場。
じゃあ離婚はなーんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする