狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

「あの馬鹿女」

2017-10-28 22:31:51 | Weblog
道を歩いていて髪の長いドライバーが運転する車に出くわした。 動きはスムーズなのだがぱっと見、なんかヤバい。 その車は広い通りからわき道に入っていった。 しばらく歩くと前方から、先ほどの車が出てきた。 なんか嫌な感じなので少し離れて待つ、歩道が塞がれていた、が、通りが混んでいたわけではないのだが微妙に空きがなかったのだろう、なかなか動かない。 もう少し待つかどうか迷ったが、その車の後ろの隙間、自転車なら通りづらいかもなくらいの幅、を通り抜ける事にした。
さてその「嫌な感じ」だが、「通常これくらい待てば車が通りに出ていく」という呼吸、2回か3回分くらいか、だとするとおそらく10秒から20秒、もっと長かったかもしれないが、その間。 周辺確認をしていなかった。
安全運転する人って頭を動かす。 狭い道やそこから出る時は特に。 ピラーを避けて確認した方が良いというのもあるし、バックミラーで見える範囲も変化する。 左右及び後方を広く確認しようとすれば自然と動く。 これ実は日常生活にも当てはまる。 極論すると、ヘアスタイルを重視する人間イコール安全確認軽視。 それと、歩行者や周囲のドライバーとのアイコンタクト。 顔を見れば何がしたいかが判るわけではないが、なんらかの異常を察知する助けにはなる。 これも日常生活に当てはまる。 身内重視、マナー重視(マナーは危険性ではなく感情)の人は、他人、情報軽視。

なんでも厚生労働省の方で、整形手術前後の写真比較、before afterってやつ、の表示を禁止するって動きがあるらしい。 私は反対である。 写真加工の規制には賛成だが、普通にある情報の開示を規制する事には反対する。 実際だ、QOL、クウォリティ・オブ・ライフってやつか、が強く関係する医療分野では治療前・後の比較は重要だ。 だが「比較写真を禁止する」という方針だとそれすら禁止対象となる。 「宣伝への使用だけ禁止」とするのも一つの手かもしれないが、ネットならURL参照、あるいはもっと簡単に「検索してね」で誘導できる。 「医療関係者の情報交換を規制対象とする」とするならば整形加熱抑制ための規制が十分意味のあるものになるかもしれないが、私が反対するのがそれ。 また「医療関係者のみアクセス可能とすべし」といった規制にも反対、まさに愚民化政策だ。
発想がおかしいんだよ。 「規制すりゃいいんだろ」式の投げやりな無責任仕事、「これなら各方面から文句が出ないだろう」といったおもねり型ヒラメ作業、「各人何が必要か判断できるようにする」ではなく「俺に都合よく動くよう誘導する」型の管理志向。 関係者の人間性が劣悪だからこんな結果を出す事になるんだよ。
厚生労働省ってあれか? ゴミ溜めか?

さて前回、メルケル氏を馬鹿と書いた。 正直最近の動きは「そこまででもないかな」と思わなくもない、ただし、相変わらずふらついているように見えるし、日本の醜聞に喜んで飛びつきそうだなという気もする。 ぼろくそに書くのとコケたまま放置するのとどっちがマシかと聞かれれば、まあ放置しない方だろうなといった次第。 それでドイツが助かるかというと、「いや大分遅いからなあ」としか言いようがなく。 「ドイツっぽい何かをアルゼンチンに興す」なら簡単そうだが。 いや、どうだろう?

高速道路。 「一般道よりも高速の方が安全だ」といった話がある。 こう書くと「高速の方が大事故が起きやすい」といった反論があるだろう、ではこう変えてみよう。 高速道路の速度制限を80kmにし、走る車すべてに厳守させる。 これなら時間当たりでも面積当たりでも車両当たりでも大事故が、例えば60km制限の一般道よりも少なくなるだろうと想像がつく。 80kmと60kmで速い方が安全になっている。
「いやそんなの当然だろう高速道路は事故が起きにくいように出来ているのだから」とするのが答えで、まあ当然だが、何故そうなのか。 何がどうなっていて事故が起きにくいのか。 一言で書くと「単純さ」である。
あらゆる物事につき事故を少なくするに、単純であればあるほど良い。 情報が必要な分のみまとまった形である方が考えやすく当面の目的物以外のものに気付きやすい。 また想定外、イレギュラーが頻発する状況では事故は多発する。
知恵のある人、事故を少なくしようとする人、自他関係なく人の死を避けようとする人ほど「目的が明確である方が」「情報が正確である方が」「状況が単純である方が」良い、とする。 その逆が、ファッション傾向である。
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「いじめ」と「いじめられていると言っているだけ」の違い

2017-10-28 02:09:51 | Weblog
日本だとヤクザ筋の人間がヤクザ行為に対する法規制を「迫害だ」だの「人権侵害だ」だとの騒いでいたりする。 まあ実際、犯罪行為の規制ではなく犯罪性人種の属人判断は人権侵害なのだが、彼らが騒ぐ理由は必ずしもそういったケースばかりではなく。
「禁煙ファシズム」なんてー単語もある。 「嫌煙ファシズム」だっただろうか。 いや迷惑行為、火災火傷等の危険のある習慣、ゴミ問題、薬物依存はどれも規制が検討されて然るべき代物なのだからこれらの規制が「ファシズム」として避けるべきだとするのは法秩序の否定に近い。 そもそも「ファシズム」の定義が「とりあえず気に入らない秩序をそう呼ぼう」程度のものでしかなく。 そういう意味では「ファシズム」であっているのかな。

加害の有る広義のいじめ的状況と加害はあるがいじめではない状況、当事者たちの意識を分けてみる。
1. いじめに分類される状況下にある
2. いじめの状況ではない

A. 加害者が加害性を認識している
B. 加害者が加害性を認識していない

a. 被害者が加害者による加害を認識している
b. 被害者が加害者による加害を認識していない

1Aa。 当事者たちも周囲も納得のいじめ。
1Ab。 幼児虐待など被害者側が上下関係を「そういうものだ」と認識している場合。
1Ba。 いわゆるハラスメント。 広義には関西人の言う「いじり」も含まれる。
1Bb。 カルト集団内部の「指導」に物理ないし精神的加害行為が伴うもの。
2Aa。 双方武装した戦闘行為や法で定められた刑罰など。 捕食被食関係もこれか。
2Ab。 詐欺的関係全般。 指導、利用、酷使に上位者の側に意識が伴うもの。
2Ba。 法的ないし習慣的に容認された継続的迷惑行為で、加害者側が当然視しているもの。
2Bb。 子供同士の遊び、じゃれ合いに加害が内在するもの。

なるほど。 加害者側自覚の有無には固定化された上下関係が、被害者側の認識の有無には詐欺性が関係しているわけだ。
私が今回テーマにしたいものは、広義のいじめに該当しないが被害者側(局所的なそれ、被加害者)が「いじめのようなものだ」と主張するそれが、どういじめと違うか、である。

一般に「いじめではない」とされる、意識された加害行為の代表が刑罰だわな。 習慣的行為に対する法的規制もか。 これらはいじめとどう違うのか。
1. 加害者側が必ずしも加害行為を目的としていない
2. 加害基準(規制基準)の決定者が直接の加害者(規制実行者)と異なっている
3. 加害者側加害行為習慣性の有無
4. 第三者視点者による公益性・被害最小化判断

傍から見て判断するに本来は、2番あたりがキモである。 ルールがあって、ルールに則って規制や処罰がなされる。 だが詐欺的搾取的関係のおそらく過半が、一般には合法、適法な活動に分類されるはず。
前におもしろい指摘をネットで見た。 マフィアに因縁付けられている人間のところに「マフィアのいう事を聞け」と言う人がやってきたとしたらソイツは恫喝の加担者で、朝日新聞の言う「中国に従え」がそれと同じだ、といった趣旨の文章。 まったくもってその通りだと思う。 この中国・朝日新聞のケースだと「直接の加害者が(報道権力を用いる)朝日新聞」だが意思決定者(加害指示)は中国(中国筋国連、外交関係者、海外左派報道)だったり朝日新聞系独断の嫌がらせだったり、中国筋の侵略・破壊活動・マフィア行為に朝日新聞筋が「彼らが正しいのだ」とお墨付きを与えるものだったりとパターンがあるが、これ加害者と加害決定者が別になっている。 両者にあるのは便宜供与、共益関係で、公的には直接指示を受けているわけではない。 金銭の授受くらいありそうだが。 これだって中国旅行と地下送金がセットになっていたら当局にはほぼお手上げ、盗聴に近い事をやって尻尾を掴めるかどうか、といったくらいだろう。
他のも見ていこう、1の、加害行為目的かどうか。 言行から判断できる事もあるだろうが、多くは加害者側の自己申告となる。 「やりたくないけれども」と言われたらそれまでだ。 4の公益性。 これもなあ、誰が判断するの?って話になってくる。 一応民主主義国家なら議会でルールを作って裁判所が判断する、という事になるが、国連も人権団体もご覧の通りだ。 「アフリカから便所掃除をする人間を連れてくるやり方が永続するはずがない」という事を誰も彼もが知っているにもかかわらず、これを続けようとする主張が主流化しちゃう。 そういうシステムの方が多方面でウケるからな、アフリカを減らす日本のやり方が叩かれる。 プーチン氏とオバマ氏は個人では避けたみたいだがメルケル氏はこけた。 馬鹿だったとは思わなかった。
さて1は自己申告、2は「筋的には同じ」と言う事は出来るが印象論、4は大勢が別個に「自分こそが公益判断が出来る人間だ」と言うだろう、残るは3の、習慣性。 意外に思うのだが、これなら外部から判断できそうだ。 ただしだ。 自然界の被食関係全般がこれに該当する。 だが人間に限定するならこれ、加害に習慣性がある事、を広義のいじめ的行為かどうかの判断とするのもいいかもしれない。 もっとも、これだと「今回から始めました」的ケースが該当しない。

1から4を書き直してみる。
1. 加害者側に加害を目的とする言行があった、ないし、複数の手段から加害を含むものを選び取った
2. ルール作成に何らかの形で被害者側が参加していてかつ詐欺的状況にない
3. 加害行為に習慣性が認められた場合はいじめである可能性が高い
4. 加害行為が更生措置に該当するかどうかを過去の被害側状況破綻例より判断

これらを広義のいじめ的状況かどうかの判断基準とする、といったところか。
もう少し基準を増やしたい、というか探す考える思いつく方が良い気もするが、とりあえずは。
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「老害言うは負け」「これでいい」

2017-10-22 18:40:21 | Weblog
「これでいい」なのね。 何って、安倍政権。
最近、朝日新聞や毎日新聞筋に「若者が自分たちになびかない」といった文句が並ぶようになった。 「20代の安倍政権支持傾向は間違っている」といった論調だった気もする。 で、若年者層の政権支持率高止まりの理由が、就業率高止まりにあると。 これでいいんだよ。 「職無しで落ちぶれる恐怖」と「栄華栄達の未来像」とかで老人たちが若者を支配構造に組み込む構図が古来続いてきたのが終わりを迎えつつあるのだが、これに「アフリカ人に欧米の便所掃除をさせよう」といった勢力が妄動続けていると。 これでいい。

先日、主に氷河期世代を対象にしたものだろう文章、「老害と言うのが負け」というものを目にしたと。 放置か反論っぽい文章起こすかで、ここで後者を選択。 あのな、「老害」云々は勝ち負け目指したものじゃあないんだよ。 「これじゃ駄目だ」なの。

何年か前、結構前だったかな、に面白いテレビCMがあった。 最初老人が、ロボットに介護される場面があり、その介護されている老人が嫌そうな顔をする。 次の場面ではホステスもとい看護婦っぽい女に笑顔で介護されていて、その老人が、安心し支持している事を見せびらかすようなわざとらしい笑顔をする、というもの。 介護の会社の宣伝か何かだったと思う。
先日、都合の良い例が出た。 乙武氏の行状である。 なんでもモラハラ常習犯だったとか。 コイツ2002年ワールドカップの時に韓国側を支持しててな、「癒着優先で公正さが無いぞ」と思ってたのだが、さもありなん。

自分たちは失業世代になった。 自分たちの下は就職できる世代になった。 これでいい、というのが前提にあり、老人たちがまた失業世代を作り出そうとしているのを目の当たりにしているからこそ「老害」と言っている。 労働移民は入れない、出鱈目なやり方は指摘される、犯罪者はぶち込まれる、何かに怯えて悪徳企業にしがみつかなくとも生活できる、そこからこれでいい、という見解があり、精神依存に搦めとられる世界に戻そうとする動きを見、それは駄目だ、と指摘する。
従軍慰安婦問題なんかと引き換えに中国韓国からお墨付きをもらってタバコをポイ捨てしたり酒飲んで車のアクセル踏み込んだり東南アジア買春ツアーに繰り出したりとそういうのはいらないんだよ。
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「忠誠を試される」「轡を並べる」

2017-10-22 17:42:26 | Weblog
主人たちと同じ方向を見ている立ち位置を、「轡を並べる」と言う、はず。 先日ネットでありがちな間違い表現に「すべからく」がある、といった指摘を読み「やっちまった」と思って不安になっている昨今。 間違いは間違いだ、だが間違える。 しょうがない。 間違えそうだからといって何も書かないわけにもいかない。

「忠誠を試される」などといった話がある。 これ色々と状態が間違ってるのね。 まず目的を共有しているような場合は、正面からの声なり一瞬のアイコンタクトなりで「何故そうするんだ?」といった疑問をぶつける形になるのが普通だ。 こうならない場合に「忠誠試し」といった発想になる。
まずおかしいのが上下関係だな。 疑問を挟む事が許されず、さらに下が上の、悪意を疑っている。 「実力試し」じゃあない。 「忠誠試し」だ。 下から上に対して「裏切りを疑われているはずだ」といった常識があってこうなっている。 もっと言うと、普通の人間関係なら嫌なら去ればいいだけの事だがこれが無い。

さて一応、信頼関係があっての「忠誠試し」のようなケースも、思いつかないでもない。 組織性も目的共有もかけらもない有象無象たちになにかをやらせようとする中で、彼らに示す模範的組織人の在り方が求められる、そういった状況。 方便としてはあるのかもしれないが私はこれ、正直馬鹿らしいと思っている。 一から十まで説明すればいいだけじゃん、と。 これに「馬鹿たちには説明しても無駄だ」と言われると、不承不承従うより他なかったりもするが、私なら説明しようとするな。 そんなこんなで物書きの真似事を続けていると、ヌトヌトと。

さて宗教方面、一神教界隈に「信仰を試される」といった話があったりする。 正直、「ゴミ共が」と思ってたりする。
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名古屋走り

2017-10-21 18:11:43 | Weblog
「馬鹿と馬鹿が出会うと事故になる」という。
先ほど「高速道路での左(右)ウインカーは追い越していいよの古き良きジェスチャー」「失われるのが嘆かわしい」とした記事への反応のページがあり、「ねーよ」といったものが大半だった。 左はともかく右(日本は左側通行で右が追い越しレーン)ウインカーでそれは事故起きるだろう、と。 さらにだ。 ジェスチャーは地域によって逆の意味になっている場合が多々あり、「流れをスムーズにする知恵だ」なんて思っているのは勝手ルールの中にいる当人たちだけだ、といった指摘が。 これでいい。
近年こうした、著名人の発言、文筆業者の発信よりもそれらへの駄目出しの方が主流化する傾向にあるが、これでいい。 馬鹿たちが糞みたいなネタ話を鵜呑みにする事で起こる事故を、多少なりとも減らせるだろう。
「勝手ルールへのツッコミ、駄目出し」で事故は減るのかどうか。 個々のルールやマナーの誤認が確認される事もあるがそれ以上に重要だろうとするが、事故や迷惑行為のメカニズムが示されている点。 車とは別の例を書こう。 クック〇ッドの糞レシピを鵜呑みにする女は減るかどうか、と。 駄目出しに反発する女は居るだろうな。 ああ面倒くさい。

夜に車でスーパーに行く。 頼まれて運転するのだが、駐車場で待っていると、駐車場内の逆走が目に付く。 で、近年話題になっているのが、高速道路を逆走する老人ドライバー。 その原因がだいたい一般道への高速の出口から入ってきてしまうものと、高速道路からパーキングエリアへ入っていく道から出ていってしまうもの、との事。 これ、高速逆走老人、を防ぐ事、減らす工夫としては高速出口、高速パーキングエリア入口の駐車場側道路を色分けする、高速道路占用のデコボコ(事故になりにくいようなもの)をつける等が考えられるが、ドライバーの側の問題として普段のいい加減さが疲れている時や齢を取った時に出てきているんじゃないかと。
夜のスーパー駐車場逆走だがドライバーの側として
・常に矢印表示に従う
・極端に車が少ない場合で逆走近道をする
・ぱっと見行けそうならする
・常にルール違反を狙う

の四通りがあると見る。 「安全の判断が出来ているのならいいだろう」と思っている人が多数なのだろう、だが、だ。 スピードを出すんだよ。 多くの場合、通常の、駐車場内の移動速度よりも、逆走時の方が速い。 だいたい、確認、状況判断、加速(逆走)、減速、となる。 その間はドライバーにつき「駐車場内は安全のためこのくらいまでスピードを落とした方が良い」という判断が、無視されているのが見て取れる。

トヨタって言うと「愛知ね」となり、愛知って言うと「名古屋ね」となり、名古屋っていうと「名古屋ね」となる。 名古屋走りと言うそうな。 これトヨタと無関係か、というと、否だろう。 トヨタゆえの名古屋走りか、というとそうではないと思われるが、トヨタゆえに緩いのか、ならばそうなのだろう。
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「性欲が邪悪であり女は善良だ」などと言われていたりするが、実は逆なんじゃないかと考える

2017-10-20 19:25:07 | Weblog
宗教の側。 霊とか創造とかそっちの話になる。
「知恵ある霊たち」は世界の中で、免疫細胞のような働きがある。 対する有象無象は、癌化しうる細胞。
このまま放っておくと「知恵ある霊たち」は自分たちだけでかたまる。 自分たちだけで居る状態の方が、安定するし、快適だ。 だがそうすると世界のあちこちで癌化が進む。 これを阻止するために導入されたのが、性欲。 男の側の性欲だな。
女の言う「女らしさ」というのは多分に癌化傾向になっている。 こういう指摘に対し「男の暴力傾向こそが癌だ」といった反論もあろう。 おとなしかった子供が急に暴力を振るうようになる理由がどこにあるのか、はどこか痛むようになったのか、あるいは騙されたと気付いたかだ。 逆に言うとこの「騙されたままで居ればいい」という発想、文化圏が、摂理上の、世界の癌化した部分。 癌細胞が動脈を引き込むよう周囲を騙し続ける。 そして騙されていたと気付いて暴力的になるのは、ミクロには是正傾向。
さてこの「騙されたままで居ればいい」というものは、男女関係ないのではないか、といった指摘もあると思う。 そうではない例を示す。 教育である。 母親は娘に、「騙す人間になれ」と教え育てる。 この部分を女たちは「女らしさだ」とするが、私は書く。 それが邪悪である。
「騙すよう教えるのが邪悪なのであって女が邪悪なのではないではないか」と言われる人も居るだろう。 それは真実だ。 だが現状、女たちが「これが女らしさだ」とするものとそうした教え方、共感要求、同調圧と、はたして不可分なのか。 その霊にとっての「女であり続ける理由」と騙しが不可分であるならば、それは同じ事。
「人間社会のすべてがそれで出来ているのだから邪悪も糞もない、文化活動の全否定だ」と考える人も居るかもしれない。 どっこい騙しではない文章というものもある。 「これはフィクションです」の一文である。 「これはフィクションです」の伝達が常に前面に出ている文化は騙しではない一方、そうなっていないものが騙し。 アニメ絵と実写の違いでもある。
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獣人害

2017-10-16 15:29:11 | Weblog
小ネタ。 先日、スズメバチを見た、というか、道を歩いていた?のを拾った。 近くに落ちていた木切れに掴まらせて公園の茂みに放した。 でっかくて濃いオレンジ色の胴体だったからオオスズメバチだったかもしれない。 「公園の茂みに放したら危険だろう」と思われる人が多いと思う。 私もそう思わなくもなかったが、パターンとして
1. 女王バチ
2. 働きバチ
a. 低温で飛べない
b. 寿命で死にかけ

の組み合わせが考えられ、日没前の時間帯であった事からいずれにせよ被害が出る可能性はほぼ無い、と判断したと。

神戸製鋼のデータ改ざんで揉めているらしい。 なんでも該当範囲がデカいとからしいが、ぶっちゃけどうでもいい。 不正者が不正者として処罰されるならば私の出る幕ではない。
こうした事件で思い浮かぶのが、アメリカのドラマのXファイル、インテリジェンス・ビルの回で出てきたAI開発者のセリフ、who is in neat, who is in scruffyというもの。 日本語にすると「スッキリ」と「ぼさぼさ」、あるいは単純に、清潔と不潔か。

・vector:感染症の媒介者
だそうな。
平昌冬季五輪の公式サイトに使われている世界地図で日本が消されているという問題があってな。 韓国では広くこうした地図が用いられていたりするようなのだが、これに日本側が抗議したところ韓国側が修正に応じた、というのが第一幕。 で、最近指摘されたのが、修正されたのが日本語版のページのみ、他の言語のそれは継続使用されていると。 ネットウヨクたちが「な、韓国だろ?」という場面が第二幕。 「ソフトバンク」配下の素材サイトが

先日、「自慢してて後進国に抜かれるネットウヨク」といった誹謗を紹介し、これをwin-win関係を嫌う人間たちとした。 さらに、そうした彼ら、誹謗者らは、中国韓国への横流しじみた工業技術の供与を礼賛していた側だった、としたと。
この、後進国の先進国化を喜ぶ人たちと、喜ぶ人たちを非難する人たち、また非難する人たちの側の過去の行状、これらがなんとなくわかる人たちも居れば、先進国化支援と工業技術横流しとの間にどういった違いがあるのかよく判らない人たちが居ると思う。 カードゲームに例える事にした。
後進国に対する欧米諸国のしている事(の一部)は例えるなら、ルールを知らない、ゲームを熟知しない人たちからむしり取るやり方。 日本のネットウヨクたちが自慢する日本社会その自慢部分の中心は自動化されたゲーム卓のようなもので、ようは皆が簡便に清潔に対等に楽しめる環境がある事。 公共性の高くはない個々の工業技術は手札のようなもので晒す必要はなく、誹謗者たちの行状は中国韓国をパートナーとした八百長行為。 こんな感じ。

本題の。
高速道路のパーキング・エリアで不正駐車を指摘した夫婦が絡まれて結果事故死
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22182330S7A011C1CC1000/

未確認情報だが容疑者は福岡県在住の建築作業員なのだそうな。 こうした事例で思い出すのが、メガソーラー堤防破壊建築。 「一口に建築作業員といっても、建てる人と建てるフリして壊す人と二種類いるんだな」と思っているのだがこれはこれ。
でだ。 この事件、あるいはこの手の事件への反応に「「ならず者に絡む側が馬鹿」というものを目にしたりする。 むしろ「ならず者よりもならず者の不正を指摘する人間の方が社会の調和を乱している」といった方向への批難の仕方をする人間。 私はこうした立場にない。 不正はガンガン指摘されるべきであり、こうした「ならず者を暗に歓迎する人間たち」もまた彼らの側とする。
こうした状況、今日まで続いてきた人間社会の「旧来の姿」、「常識的な人間たちの場所」を獣人支配とするわけだ。 私はこれが終わりを迎えている昨今を歓迎している。 そして、獣人支配の終焉に、フラストレーションを感じている人間たちの多さに、悪い意味で、困惑している。
彼らのフラストレーションを見ても正直、「もっと進めよう」としか思わない。

こうした状況に冒頭の、neat,scruffyの話を併せると、「不浄な獣ほど着飾ろうとするが、着飾っても不浄なまま」となる。 ベクトルが二つあるんだな。 着飾る⇔着飾らない、といった軸と、(社会的地位を)気にする⇔気にしない、といった軸。
現状の人間を分けるとこう。
1. 無為で無知な状態
2. 着飾ろうとして失敗した状態
3. 着飾る事に成功した状態
4. 着飾りにさほどの価値を見出していないが周囲に合わせている状態
5. 知っていて、気にしない方を優先している状態

1が子供じみている、とも動物じみている、とも取れる人間。 2がもっぱらならず者視される人たちだな。 3と4に社会的地位が高い人間が多いが、3はどこか精神が下品で中身は獣人、一方で、4が獣人支配状況の典型。 5が科学者などにあったりするscruffy。 もっとも、性人ガンジーのようなコスプレ、「ファッションとしてのオーソドックス外し」もある。

さてこの東名高速事件、すでに同じ解を見出している人たちをちらほら見かけるが、道交法状況である。 獣人たちは高確率で道交法を外してくるのだ。 「人を死なせる事を喜ぶ人たちが道交法違反の側に傾く」であると同時に、「意図して他人の事故を招きかねない運転をする人間を処理すれば処理するほど社会が公正化する」という話でもあると。 まあ仮定だが。 煽るヤツ無理な割込みを頻発するヤツスピード出し過ぎなヤツわざと道を塞いで駐車するヤツ頻繁にクラクション鳴らすヤツらを檻の中に入れれば入れるほど、社会の様々な場面で安全で無駄が少なく趣味も多いようになる、といった次第と。
さて着飾る獣人たちは結局更生しないのだろうか。
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強欲と難民

2017-10-12 18:25:51 | Weblog
国連事務総長、死刑廃止を
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017101100589&g=int

また余計な事を。 
私は死刑反対運動に社会的意義を見出していない。 死刑は刑罰の例外でもないし、警察による犯罪対処のそれでもない。 犯罪者が現場で射殺されるのを、死刑反対派も「仕方ないね」で済ますだろう、「自分は殺されても殺さない」とするのは高潔かもしれないが、それは趣味だ。 結局のところ良心に欠陥を抱えた人、瑕疵を感じ続けている人が他人に同様のものを探そうとして安直正義に引っかかった、それだけの事。
もちろん、刑罰の全面撤去を前提にそれを主張しているというのならば矛盾はない。 だが実際やったら野蛮に返るだけ。
今欧米諸国がやらなきゃならないのは、「アラブの春」を仕掛けたのは間違いだったと認める事。 あのな、「悪い事なんだよ」と指摘された時の正しい態度は「はい、止めます」しかない。 お前たちは「自分たちが善なんだ」と強弁してそのままの状態を続けようとしている。

さて何やら、中国、イラン、イラク、サウジと国名が挙げられた、らしい。 
順にいこう、まずイラク。 ここはこの間まで米軍が統治していた場所のはずだな。 イラク国民は欧米式を選ばなかった。 それだけだ。
次にイラン。 私はこれを「イスラム革命の結果、失敗国家となった」と見るわけだ。 少なくともホメイニー氏はロクデナシでわな。 直接害になるわけでもない人間に対する殺人ファトワーを何度か出している。 と同時に、この「殺人ファトワー」も筋なんだよ。 「リベラルな人たち」がトランプ氏に対してやってるだろ。 イランは批判されるが彼らは批判されない。
サウジ。 後進国だな。 「どうしたらサウジは変わるか」という問いが一つの筋となるわけだが「隣に先進国を置いてみたらどうだろうか」というのが答えの一つ。 現状、隣接国にイスラエルがあると。 これでサウジが変わったか、というと、人心の先進国化という意味ではノーだ。 これ、後進国人の後進国状態にに対し欧米人はもっぱら、自分たちの国を捨てて先進国に労働移民すればいい、とし、日本人は、自分たちの国を少しずつ先進国化していけばいい、とする。
中国。 現状、周辺国すべてへの侵略行為を繰り返す「悪の帝国」と言い切ってしまっても問題がなさそうな国だがさてこれがやり玉に上がる。 これは進歩か。 私の知る限り1970年代あたりから欧米諸国、当時は西側諸国か、にこうした動きはあり、利益が配られる度にトーンダウンした。 「チャイナマネーの時代」だな。 中国人もその事を十分に承知しておりこうした構図、進歩的なのかもしれないが進歩は無い。 「青竜刀事件の国」で死刑を廃止したら青竜刀裁判が100%になるだろう、

「本気で日本化を考えよう」とする記事への反応の一部に、「日本化への反発」みたいなものを読む。 これな。 1970年代までは「邪悪な国だ」と教えてきていて80年代では「狡く強欲なだけの国だ」とし、90年代に入ってからは「金融テクノロジーに対応できない遅れた国」、2000年代では「労働移民の善を認めない頑迷な人間たちの停滞国家」としたと。 その場その場の取り繕い、プロパガンダ垂れ流しのまま放置してきた。 それらを信じてしまった人たちが「何を指標とするべきなのか」といった思考が出来ないような状態になってしまっている。 私は「まだ続けるのかい?」とあきれている状態。 私を「不見識だ」と笑うかね? 「決め付けた」とでも怒るかね?

さて難民問題。 難民問題と並行して労働移民問題がある。 労働移民の輸入ってどんな状態?ってのをミクロに書くと、自分の家の便所の掃除をする人間を遠くの国から呼び寄せる、という事になる。 その遠くの国がよほど貧乏な国か、あるいは人々が逃げ出すくらい政情不安定な国でもない限りはそんなものが続くはずがない。 つまり「賢い輸入国」というのは遠方の国を貧乏な状態、政情不安定な状態に適宜止めておく事に優れた国だ、となる。 これと並行して難民問題があるわけだ。
さてこうした「賢い国々」の世界に一つ、貧乏な国をそこそこ収入の有る国に、不安定な国のシステムを安定したそれに変えてしまう集団を投入したらどうなるか。 「賢い国々」の移民たちを使っている人たちは、最初のころはいい顔をするかもしれない。 だが労働移民の流入が滞りだしたらどうか。 フラストレーションを溜めるようになり、その体のいいはけ口を探すようになるだろう。
こうした「賢い国々」の「賢い人たち」は架空の存在である。 現実の世界、さてウォール街に注目してみよう。 うん、いろいろやってるね。 ジャーナリスト、弁護士、経済学者らが彼らを飾っている。 そして「仕方ない」は保守派に押し付けられる。 上手くできたもんだ。 感心するよ。

「難民問題」での海外の反応翻訳で「日本は昨年(?)6人しか難民を認定しなかった」などといった文章を目にする。 いや、いいんじゃね? まず日本に来る難民は、「安全な国から飛行機でやってきた人たち」なわけで、その時点で生命の危機が生じているわけではない。 次に、実は「難民支援」はやっているんだな。 シリア情勢だとトルコの難民キャンプを金銭支援しようとしたりといった形で。 「シリア情勢の本当の難民はシリアとその周辺国に居て、欧米に来るのは実際には経済移民だ」なんて話があるが、どういうわけだか欧米の「難民支援したい人たち」はこうした話を知らないようだ。 さらにだ。 日本は実は、難民大国でもある。 朝鮮戦争難民の数万だか数十万だか、数え方によって変わるだろうが、とその子孫が日本に永住している。 そして国内で毎年のように、一桁多い数の自然災害難民が発生する。 多くが日本国内で吸収出来、また被災地も即座に復旧され短期で帰宅可能になる事が多いので問題視されないが、実際には「浸水で避難した」みたいのも難民なんだな。 もう一つある。 日本はほぼ全土が、被災危険地域だ。 先進国である上に柔軟で頑強な建築文化があるから無視されがちだが本来難民受け入れに適した地域ではない、というか、「再度の難民化」が起きかねない土地なのである。

イギリス系の人間が「ロヒンギャ受け入れろ」みたいな事を言ったりするらしい、無視して良かろう。 ありゃミャンマーの近隣国、英連邦だかで吸収すべき人間たちだ。 世界中でろくでもない事をすると大変だな、と同情するに留めるがよろし。 一方の、朝鮮戦争難民。 武装難民は殺しても良い、そういう人間たちは実質テロリストの類だ、が非武装ならなんらかの形で、難民として扱わなければならない。 隣国の義務といったところだ。 だからといって彼らの言いなりになるべきか、というと当然そんなワケなく、「従軍慰安婦問題の真実」といった教育を施すもよし。
一旦は受け入れる。 これは義務。 程度にもよるが。 ただしだ。 受け入れたからといって日本が過密国家、自然災害多発国家である事が変わるわけでもない。 彼らが日本式が気に入らないのならば、好きに出て行ってもらっても構わない。 その場合は難民になるのかな? 移民になるのかな? 地震や台風が来た後ならば難民なのかもな。
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食肉を考えてみる

2017-10-09 21:35:35 | Weblog
一般的なカイコの一生を、カイコの側から見るとどんな感じになるだろうか。
1 動ける
 (孵化前から一令幼虫時代のどこか)
2 食べる
 (幼虫時代)
3 むず痒い
 (脱皮)
4 葉っぱだ
 (幼虫時代)
5 いっぱい食べる
 (幼虫時代)
6 なんかむずむずする
 (蛹化)
7 寝る
 (蛹)

といったところだろうか。 そしてこのどこかに、「手だ」「人間だ」「自分たちは愛されている」が入るか入らないか、といった次第。
さて、こうした事を書くと「昆虫は愛など感じない」「人を物体としか認識しない」などと思われる方も多いと見る。 それを言ったら人の言う「愛」もはたして真実なのやら、といった話になるわけで。
話を戻そう、大半のカイコは蛹で最後である。 仮にもし生糸を取られたカイコにその後「最後どうだった?」と聞く事が出来たとしたら、なんと答えるだろうか。 私は「いや、気が付いたらこうなってた」か「寝てたらめちゃくちゃ熱くなった」だと思う。

釣り、魚釣りや漁は悪だろうか。 殺生、生物が傷つく形の娯楽を悪だとするならばこれらは悪だわな。 ただしこの「殺生悪」理論を突き詰めると生物すべてが悪であるとなりまた逆に、殺生は悪からの解放なのだ、となる。 何が悪なのか、というと個人では、自身の良心に反する事であり社会では、社会の健康な状態を損ねる事であり人間関係では、他社の状態悪化を願いそれを行動に移す事である、となる。 こうした「悪の基準」を成立順に書くと、個々人の健康、個人集合体としての社会の健康、前者のいずれかを害そうとする行動、である。 これを漁業に当てはめるに二種類の考え方がある。 一つは魚個体を人間個人のようなものだと類推するもの、もう一つは漁業社会の健康、といったもの。 殺生云々の倫理は前者だが、そこから出る結論は生物は皆悪、といったもので、突き詰めると大した意味は無い。 頭を掻けばシラミが死に、寝返りを打てばダニが死ぬ。 植物の生にもそうした面が多々あり、ヴィーガンは偽善でしかない。
食べるための殺生は悪ではない、といった基準もある。 人間社会の基準としてはこちらの方がより健康的と思われる。 妥協点でしかないようにも見えるが、現実の社会と矛盾が少ない。
「好きだから殺さない、殺させない」といった、倫理観のようなものもある。 私はこれを子供のたわごととする。 全てを好き、というのでなければ嫌いなものは死なせて良いとする価値観と同等であり、こうしたものを社会の基準としたならばそこは遠からず破綻するだろうよって、「たわごと」と断じる。 「誰かしら好きになるだろうその人が」と思うかもしれないがそうなってしまった社会にあって私は、ミミズの守護者でありヘビの守護者であり、ハエ、カ、ゴキブリの守護者であるとなるだろう、好きでそうするわけではないがそうするより他無く、そして私が真っ先に破綻するだろう。 どうにもならん。
釣り、魚釣りは悪かどうか。 魚を殺す事を悪とするならば食料採集を目的とした釣りは悪である、となり、生き物を害する、生き物で遊ぶ事を悪とするならばすべての魚釣りは悪である、となる。 一方、「食の殺生は悪ではない」とする倫理ならば食のための釣りは悪ではなく、同様に、自然界のあり様の多くが悪ではないとなるが、スポーツフィッシングは悪である、となる、というのも、そうした行為で魚を死なせる危険はゼロにはならない。

魚にとっての幸せとはどのようなものだろうか、といった話は自然と、霊の話につながっていく。 というのも、意思を確認できないモノに対してそれを仮定したものが霊の概念なのだから。 まあ魚の場合は、対話は無理だとしても脊椎動物なのだからなんらかの意思、自意識くらいあるだろうというのが一般論であり、ペットオーナーの観察報告や動物学者の研究例も多々と。 魚の健康は獣医の専門分野として成立しうるし、不幸な魚は不健康になるだろう。 こうした話の一方で、不健康な魚が不幸とは限らない。
健康不健康を目安としよう、魚に幸不幸があるとするならばその判断基準は
・健康で居続ける条件が整っているにも関わらず不健康な状態へと移行する魚は不幸を感じているのだ
・不健康な状態へと移行しないならばその魚は、当面は自身を不幸だとはしていない

こんな感じ。
こうした基準に、「自然界でのありふれた魚の最期」といったものを比較対象とすると、釣られた魚がそれよりも不幸でなければ善悪の観点からその釣り行為は許容範囲である、とする結論を出す事が可能になる。 これを一言で言い表すなら、魚に対する敬意、といったものになる。 同一ではないが、釣る側の人の精神の在り様としては近いものがある。

釣りは悪かどうか、をまとめてみる。
1. 釣り人に、魚の生に対する尊重がある
2. 釣り人の行為がある程度、生態系に配慮したものとなっている
3. 釣りが他の人の社会活動を過度に圧迫する形になっていない

表現を変えると「魚に対する敬意」、「自然を荒らさない」、「社会秩序が保たれていて尊重されている」となる。 これらが守られている場合の魚釣りは、悪ではない、とする社会の方が、そうではない社会よりも、より健康だろうと推測する。

近年気になっている事がある。 私が「駄目な側」とする社会の側の人たちの多くが、どういうわけだか食べ物を無駄にする行為を好んでするようなのだ。 日本の例で最近話題になったものだと一部の女が、寿司屋に行って寿司ネタ、上に載っている刺身などだな、だけ食べて、シャリ、下の酢飯だな、を残す事を周囲にアピールしているらしいのだ。 彼らに食に対する敬意があるかというと当然、ノーだわな。 彼らがそうした行為を好んでする理由、広めようと喧伝するワケはどこにあるのだろうかと。 なんとなく、倫理的な社会に対する復讐心、それとなにかこう、踏み外す人を増やそうとする道連れ心理のようなもので動いているんじゃないかなと見る。

さて食肉全般に話を拡大する。
少し前に、「カイコ蛾が不幸に見えない」と書いた。 ある種の幸せの、一つの形なのではないかと。 今回の冒頭の考察もその発展形。 愚にもつかないと取る人も居るだろうそれはそれ。 乳牛や肉牛は幸せか、なら多くの人が考えた事があるだろうテーマであり、動物愛護云々を考える上での基本でもある。 ひょっとしたら動物の幸不幸と無関係に動物愛護活動をしている人も少なくないかもしれず、それはそれで分析テーマになるかもしれないがとりあえず、「この人はそういう人かもな」といった実例が思いつかない都合扱わない。
肉食は善か悪か、といったといった問いかけには、食の殺生は悪ではないとする方が自然界との矛盾が少ない、とするのが答えとなり、畜肉産業は悪か、といった問いかけには、その社会の畜産関係者の家畜に対する敬意、生態系及びその社会を圧迫していない事、といった基準、それと個々には家畜自体の健康状態から察するその個体の幸不幸、といった判断で悪質ではない、となるならば悪ではない、とする方がその社会がより健康的だろう、となる。
ただこうすると、「ブロイラー肥育には経緯が感じられない」といった私見となる。 これについては、その社会の健康状態を追って観察する、私見を文章にして反応を見る、といった対応になると思う。
ただ、「ブロイラーは不味い」といった感覚も無いんだな。 スーパーの肉自体からは「美味しいよ」といった、アピールを感じると。
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南京ポリコレ慰安婦スエズ

2017-10-09 14:28:13 | Weblog
「日本の中国侵略」ってのが長く続いているテーマの一つなんだわな。 まずこれ年代、世代によって筋、世界観動機背景というのかな?が違うと見ている。
江戸時代、19世紀前半までだな、の日本知識人たちにとってのアヘン戦争後中国は言うなれば、「拝金主義に屈したローマカトリック」のようなもの。 アイルランド人あたりが中東の奴隷商人勢力あたりの走狗と化したローマを「武力でもってこれを正さん」としたとしよう、これが悪かどうかは西洋人でも意見が分かれるんじゃないかと思う。
こうした倫理背景が変化するのが大正時代に入ってから。 だいたい日露戦争から所謂第一次世界大戦終結までの間だな、これを表しているのが所謂大正デモクラシー、私はこれを無責任主義の台頭としている。 日本国内では儒教型の「目上・目下関係」が消滅していったが代わりの何かが育っていったわけではなかったと。 ではこの時期、戦間期の日本の中国侵略には倫理背景が無かったのかというとそうでもない。 当時あったのは日本の近代化、台湾統治の成功と、当時の大陸中国・朝鮮半島の惨状との比較から来る自信。 元々の台湾は「シミターで互いの首を跳ね合う社会」で近代化勢力が敗退した中国朝鮮は「乞食の縄張り争いだらけの社会」だったのだと。 そういう意味では中国朝鮮をクズ扱いし日本化が進むことが正しいとしている点は二つの時代で共通だが、その日本化の内容、東洋社会のあるべき姿が変化していた、となる。 前の、江戸時代知識人たちが残っていた時代では日本国外の状況と社会制度の形に対する実感は無かったが明文化された倫理基準はあった、後の、大正から戦中では近代化する社会と駄目な社会に対する実感があった一方で、倫理基準は明文化されていなかったと。
さて儒教倫理の衰退と無責任主義デモクラシー、とした。 現状儒教をどう評価しているか、だがこれ、日和見常在菌くらいのもの。 高くはないし、状況次第と。

所謂南京大虐殺の時代背景。 これは「インド独立前夜だった」「中国共産化前夜だった」で説明がつく。
歴史事実としての「南京事件」はもっぱらイギリスの支援を受けていた蒋介石軍を日本軍が南京から追い出した後に起きた、蒋介石軍残党狩りと捕虜の処刑、それとスパイ狩りの事。 一方の、「南京大虐殺」とは日本軍が好んで中国の民間人を虐殺してまわったというもの。 後者の犠牲者数は中国政府要人の気分によって数百万から数万の間で変化する事が知られている。 要は一部の歴史学者を除いて「外交ツール」としての関心しかないって事なんだな。 これにイギリスがどう関わっているのかというと、当時のイギリスは「日本軍はアムリットサルの虐殺よりも酷い事をした」というストーリーを、喉から手が出るほど欲していた、といった次第。

所謂ポリティカル・コレクトネス、以下ポリコレ、って何なんだろうと考える。 これ最初から瑕疵付きなんだね。
誰かが「社会をこう変えた方が良い」と提唱する、この時点ではこれは「提唱された新倫理」であり「新政策」なんだな。 で実際に施行されると不具合が見つかる。 事実誤認に基づいてるという指摘だったり「もっと良いやり方がある」といった提唱が起こったり、ならず者に正当化理由を与えているだけな状況だったり。 ここで施行者集団が状況改善を拒絶するとそれがポリコレと呼ばれるようになる。
まあだいたいならず者との癒着だけが残ると。
オバマ氏について言うならアメリカ国内情勢、民主党利権の自己解体は全く進まなかった。 一方で、キューバ、イランとの融和の可能性、シリア情勢への不関与は為された。

所謂従軍慰安婦問題。 これの実態は中世朝鮮半島社会、20世紀初頭まで続いていた、では売春婦はすべて奴隷売春婦だった。 日本は一足早く近代化、19世紀後半である、し、奴隷売春婦たちは職業売春婦たちに順次置き換わっていった。 20世紀初頭に朝鮮半島統治を始めた日本人たちの前に、自分たちの爺さんたちの代で消滅していったはずの奴隷売春制度があったと。 で、どうしたか。 高級を取れる契約売春制度を斡旋した。 これが従軍慰安婦。 これによって旧朝鮮社会の中で親兄弟親族同郷人らに売られ奴隷扱いされ続けてきた売春婦たちは、都市に店を持ったり出来るようになった。 実際、そういう例が多数あったと。
旧日本が戦争に負けた結果これが「日本人が朝鮮半島の未成年を狩って奴隷化したのだ」といった話になった。 これこのストーリーに飛びついたのがオランダ。 この状況が今なお続いている。

スエズ。 シリア情勢である。 イギリスから見るとイギリスからスエズを通ってインドへと抜ける航路、スエズ・シーレーンとでもしたもんか、は死活問題なんだな。 当のイギリスの知識人たちはそう盲信している、私はそう見ている。 このシーレーン周辺にある国々にはある程度、親英的でなければならないといった制約が課せられるわけだ、以前は大英帝国によって、現在はアメリカ合衆国によって。 アメリカはあんまり関係ないんじゃない?と思う人も居るだろう、だがアメリカ民主党筋はやっぱり「死活問題だ」としていると。 なんでだろうね。 この温度差が第二次中東戦争、スエズ戦争への対応の差だったりもする。
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