狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

姿勢について

2010-02-05 08:10:15 | Weblog
考えて
色々試し
工夫して
それで駄目なら
後は寝て待て

東京のニコライ堂を見てきました。 外観だけですが。
ロシア正教系の教会だとか。
現ローマ法王が正教との融和に積極的とのこと。
なんでもベネディクトゥス15世も対話に意欲的だったとか。
私には違いがよく判らないのですが、キリスト教圏で育った人達にとっては
結構大きな違いと認識されているのかもと。

感覚の「領域」がどうなっているのかちょっと気になったので、
思考実験などと同じ要領で感じてみた。

まず視覚。
目を開ける、目を瞑る、目を半開きにする。
目を瞑った状態で目が開いている意識の状態を再現してみる。
目が開いた状態で瞑った状態を意識してみる。
視点を離すのではなく見えている視野全体を離す状態を意識してみる。
意識領域を球状と認識すると、やはり視覚は前方にある模様。

聴覚。
これは常時オン状態なので意識し辛いが、目を瞑って聞く、
目を開けて聞く、遠くの音を聞く、視覚の方に意識を集中する、
目を開けたまま思考し視覚、聴覚から意識を外すなどの操作から、
視覚を取り囲むようなドーナツ状の領域と感じた。

触覚、なのだがこれがさらに判らない。
熱さ冷たさや接触感、圧力や痛覚などの種類、感じる場所などで
違っているっぽいが領域としての認識は固まらない。
どうも視覚や聴覚よりも球の内側寄りにように思えた。
ひも状、布状のものが水の中に浮かんでいる感じか?

聴覚がドーナツ状である。
ドーナツの中、前方に視覚がある。
球に対して視覚が若干、下向きであると感じた。
だとすると視覚と聴覚の隙間が前方上部にあるわけだ。

視覚、聴覚領域が大きくなったり小さくなったり、
姿勢によって動いたりする、と仮定する。
とすると、静かな場所で目を瞑ってうつむくという状態が
この隙間が最大になる姿勢ということになる。
また、高い位置にある星を眺めると隙間の領域に視覚を重ねる状態になる。
静かな状態で旋律に耳を傾けると隙間に聴覚が重なる。

スピード感を求める、単純な光の点滅を見る、イヤホンで大音量を聞く
などのように強い視覚刺激、聴覚刺激を求めることは
この隙間を無くそうとする努力に思える。

まあ領域についての感じ方が万人に共通しているかどうかは不明なのだが。

さてなぞなぞっぽいものを。
ダイヤの指輪を贈られた人が試しにそれで手近にあったコップを
軽く引っ掻いてみたが、コップに傷はつかなかった。
なぜだろう?
コメント (1)
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