狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

「道を塞ぐな」と再三書くブログ、今なら熊本人が判るのかな?判らんでもやる事変わらんが

2016-05-16 20:50:00 | Weblog
以前から度々留学生らと思しき人士の路上喫煙などを目にすることがあり、駅前商業ビル沿いキャットウォーク、人がすれ違うのに困らない位の幅、で声を上げて走る人間に遭遇しゼノフォビア、と書いた。 先週だか下校時間だったのだろう二十人前後、南アジア系らしき人間が過半数、に遭遇した。 今回は「はばかりのなさ」は見受けられず。 縁石に座り歩道に足を延ばしてスマホをいじっていた男が居た気がした程度。
独断と偏見で「こーゆー外国人は嫌われる」だろうものを並べてみる。 てゆーか日本人でも一つ二つで「育ちが悪い」と言われ多数該当で「ハナツマミモノ」だと思うが
・地べたに座る
・ポイ捨て
・道を塞いで立ち話等
・公共の場で声がでかい
・むやみに走る、踊る
・煙草
・入れ墨
・尻出しファッション

こんな所だろうか、幾つか補足が必要と思われるまず煙草。 喫煙率が現在顕著に減少中で男が三割強、女が一割。 日本だと解禁年齢が二十歳だが人口密集地では迷惑だって判っているんだから始めるな。 んで日本は居住地の大半が人口密集地だ。
入れ墨。 日本ではヤクザの風習、というかヤクザ自身構成員であることを示すためにやっている面が強い。 私の知る限り中国でも欧米都市部でも他人を威嚇する意図抜きに墨だかタトゥーだか入れる人間はまずいない。 虐待等の理由で入れさせられたならば日本への渡航費用未満で消してもらえるだろうし医療従事者への注意メッセージや死体識別用でもマイクロチップ埋め込みの方が良くないか?と疑問を持つ。
尻出し。 水着でも水辺周辺だけ、力士も土俵周辺だけ。 高温多湿な気候なので肩出しはオーケー、ヘソ出しは微妙。

NHKで人工知能特集だかやってたのを母に勧められて観てみた。 駄目だね、あれ。 人工知能が駄目なんじゃない。 NHKが駄目。
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キチガイサヨクという被造物

2016-05-06 15:50:39 | Weblog
霊には屍肉喰いを好む性質がある。 これ転じて人間たちの、他者の事故や事件を期待し喜ぶ傾向となっていてこれ、神様にはないものだったりする。
人間社会に置き換える。 古代なら、とある勢力が崩壊するとそこの構成員が他の勢力に奴隷ないし娼婦として供給される。 現代社会ならマクロには南北問題、後進国人同士でいがみ合い足の引っ張り合いが続く間は先進国の優位は揺るがず、資源と労働力を買い叩ける地位が継続する。 ミクロには、借金に縛られた人たちが働きなお上がれずに居る間は縛られていない人たちはその分楽が出来る。
霊の話に戻る、周囲に事故に遭った霊が居たとしよう自分はその霊に有った勢力、雰囲気を吸収、支配下に置き強くなる。 自勢力が成長する、自己実現する喜びがあるこれが霊たちの経験則。 ではだ。 結果が逆になったらどうなるだろうか。 事故に遭った霊たちの方が強くなる状況になったとしたら。 ここにキチガイサヨクの存在意義を見る。

2000年前の話。 当時のユダヤ人社会で支配層に多かったのがサドカイ派、庶民、貧民に多かったのがパリサイ派、世捨て人みたいな事をしてたのがエッセネ派、らしい。 ここから用語を取る。 旧来の権力層をサドカイ派、被支配層をパリサイ派、新しい状況下偽善に走る旧支配層周辺を「イヌとブタ」、と置く。
サドカイ派の権力をパリサイ派支持の下「イヌとブタ」に移す、これが実践された状況が現代社会。 エッセネ派の正しさが証明される社会、と言えなくもない。
だが、である。 これで誰が天国(比喩)行きになるの?というに恐らくサドカイ派の半数に「われわれが正しくなかったのだ」という改まりが、パリサイ派の一部に「これまでを許そう」という良心みたいなものが期待できる。 他は全部地獄(比喩)行きである。 サドカイ派のもう半分、パリサイ派の多く、「イヌとブタ」のほぼすべてが、つまり「なんだかんだであの偽善宣伝者どもの制御に成功している、我々は相変わらず高貴だ」「我々が正しかったから権力を与えられたさあ復讐だ」「彼らが悪だったそして彼らを追いやった我々こそが善、我々の支配は永続する」となっていると。
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ヤクザとはどういうシステムなのか

2016-05-02 17:04:23 | Weblog
ネットウヨク界隈でとある人間が、「処刑されたのではないか」と囁かれている。 まるで陰謀論だが私が根拠、というか状況証拠を挙げるとするならば以下
・死に場所に脚色が無い
・礼賛報道が無い

この二点となる。 まず死に場所だが中国の、ホテルの風呂場だそうな。 その人間は日本におけるサヨク重鎮、マスコミ親中派のリーダー的存在だったのだがこれに中国にありがちな「名誉待遇」が無くむしろ「不名誉待遇」を伺わせる具合。 これ私の邪推かというとこれまた日本のマスコミ、テレビや新聞だわな、にもサヨクにありがちな提灯追悼が無い。 問題の、処刑事由は何か、だが私は「報道マフィアがガセネタ流し続けて中国政府にババ引かせた」からと見る。
さてこれは日中関係正常化の兆しかというとおそらくは是、なのたが問題は中国に元々あった、マフィア偏重傾向。 これ中国文化、中国人の人間関係常識から来る根深いもので同様の傾向が米中関係を始め中台、中豪、中印からASEAN他諸々外交関係に併せて中国国内の同様の問題も対処しようとしない限りは「助けようとするだけ無駄」といった話に終わる。 そしてそれをやろうとすると麻薬マフィアから人権ブローカー筋からなにからの、攻撃が始まるだろう。 私に言わせれば善か悪かの二択だ、となると。

ロッキード疑獄ちょこっと。
ちょいと不思議に思ってたんだな、何でアメリカ筋はこんな微妙なネタにあんなにハッキリ、というかブレない態度とってるんかな?みたいな。 んで考えてみてピンときたんだな、南米だったと。 アカとローカル・ナショナリズムつーかローカリズムと、麻薬マフィアの癒着って合衆国の筋の人たちがウンザリするほど見続けてきたネタだったんだな。
んでだ。 疑獄の人がウリにしてたことの一つが官僚掌握術、官僚とその身内の誕生日に贈り物したり云々、なんだがこれ一般人には実現困難なの。 情報、資金双方の面で不可能に近いし見ず知らずの人に贈り物をするという行為は動機の面ではずれる、「やらない」という選択肢が第一に来る。 ふつーはやらない、そこまでやる理由が「他人の身内関係にまで利用しようとするやましさ」に気付くから。 なのだが逆に、これらがいっぺんに解決するケースがある。 工作機関がバックに付いた場合。

ヤクザと書く。 マフィア、でも同じ事。 ジャパニーズ・マフィアがヤクザ。
野球選手による賭博が問題視されているが私はこれを些末な事だとするんだな。 道路ドカタがパチンコに行くのと野球ドカタが麻雀やるのどっちが悪いかというと目糞鼻糞で、前者が不問なら後者もそうだろうと。 ただし、野球ドカタの賭博癖には職業上の問題が付きまとうのだろうと見る、つまり八百長である。 なのだが、だ。 オーナー勢や報道勢が八百長やるのは自由なのだ。現状は。 何なんだろうな、というにこれ、人身を管理所有する側とされる側の差、なんだろうなと。 プロ選手や芸能人は所有される側、する側のチームだのプロダクションだのがヤクザ。
ヤクザ世界、と置く。 マフィア世界、マフィア界隈でもいい。 犯罪だったり借金だったりで人がそこに行き着く。 マトモ世界が人を留めるとヤクザ世界は縮小し、ヤクザ世界が広がるとマトモ世界が村社会だったり家庭内限定だったりと零細化する。 どういう人間がヤクザ世界に行くのかというと想定されるのはチンピラやビッチである。 かれらは半ば好んでそちらに行く、かのように見える。 少なくとも、何らかの形でそちらを選んではいる。
ヤクザ世界を選ぶ人もいる。 ならばマトモ世界とヤクザ世界はどちらも個々の自由意志による選択の結果であり対等な何かか、とするかというと、私はそうはしない。 「まっさらな状態に戻してやるから好きな方選べ」と言われたらどちらの住人も大半が、マトモ世界を選ぶだろう。 ヤクザ世界の住人は、「嫌だったけどこうなってしまった」という意識を持ち続けている、とこうなる。
他人を管理したい人がヤクザ世界の側にいて、なんとなく管理されたい人たちがズルズルと流されていき、嫌だ不幸だという状態に落ち着くこれがヤクザ世界。 じゃあヤクザ世界の住人の大半は被害者なのかというと私はそうではないとする。 ヤクザ世界は住人たちの、悪意ありきでそうなっている、そう見ていると。
ヤクザ世界を無くす。 上記からこれに三つアプローチが思いつくんだな。 ズルズルを止めさせる、ズルズルをそのままマトモ世界に留めておく、それと、ヤクザ世界が現在の状態にある理由である個々の悪意を無くしてしまう、と。 私が考えているのは三つ目なんだな。
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環境と悪意

2016-05-01 21:32:54 | Weblog
以前使ったネタのような気もするがそうじゃないかもしらん、病院の一室に寝たきりの老人が二人居たと。 んでそのベッドの配置、一人が窓側でもう一人が廊下側だったと。 窓側の老人は廊下側の老人に毎日、「今日はいい天気だよ」「そろそろ桜が咲きそうだ」などと話しかけていて廊下側の老人もそれを喜んでいたが廊下側のベッドからは隣のビルの灰色の壁しか見えない。 んである日窓側の老人に発作が起きたが廊下側の老人は、ナースコールを押さなかった。 こうして廊下側の老人は窓側へ移ることが出来たのだが窓側のベッドからも灰色の壁しか見えなかった、という話。
ようは窓側の老人は同室の相方を楽しませようとしてホラを吹いていたのだがさてこの結果、まあ普通に考えればフィクションなのだろうけれども、を私はウソの報いなのだとする、とりあえず。 まず第一に、窓側の老人は相方の変化に気付かなかった。 彼がどう思っているかに無頓着だった。 第二に、それは一方的な関係だった。 窓側の老人が「善行だ」とする事を為すだけの行動。 ようは自分が「善意だ」とする事に、酔っていただけだったのだ。

さて我々はおそらく、傍観者の視点からこの話を見る。 そこで視点を変えてみる。 まず老人たち。 一方には「何故自分はウソを吐き続けたのか」という問いが、もう一方には「何故自分は悪意に走ったのか」という問いがある、となる。 「私はそんな問いは考えない」と言われる方も有るかもだが筆者はそう考える方なので。 そしてそこから、「それぞれどうだったらそうはならなかったのか」と進む。
別視点。 病院の、医療関係者。 こちらはQOL、クウォリティ・オブ・ライフとかいう概念から考えると思う、あるいは「もし発作時に発見する事が出来ていたならば違った結果になっていたかも知れない」だろうか、何も考えない人はさておき。 んでここから「患者の気晴らしをどう見るか」「病院の間取り又は立地はどうあるのが良いか」か、あるいは「夜間の巡回体制は機能しているか」だろうか。
病院の経営者の視点。 おそらく、「病人、家族ないし遺族から訴えられないだろうか」が最初にあり、コイツらクソだわ、次に「自前の金を使わずに如何に訴えられないようにするか」かあるいは「どうすれば責任転嫁出来るか」だろう、その上で自分が加害者の立場に立たされずに済みそうな、逆に、努力している、有能な経営者だとアピールできる何かを探し始めると。 良心的な反応を期待するならば「病院勤務者に無理無く患者がストレスを溜めずに済む環境整備への投資をどう見積もるか」なのだか。

視点変更最後の文、結構ヒドい。 どうなんだろこれ「お前は経営者を何だと思っているんだ」と叱られるか「お前は経営者というものを解っている」とほめられるか。 「まだ足りない」とか言われると困る。 さらにこき下ろす引き出しがない。

さてここから哲学、というか、宗教の話になる。 本題の悪意である。
意思がある。 環境により、これが反感となる。 意思に反感が発生する、が真かな? 反感の発生した意思がその対象を定めるこれが敵意。 敵意が反感の対象が存在しない状況を実現するための手段を求め吟味するこれが害意。 敵意が自己肯定し続けるモノこれが悪意。
悪意は悪の、基本というか基礎というか本質というか、そういうものである。 敵意まではわりと動物的な反応であり、ここまでは、悪ではない。 一般には有害だが。
サイコパスは悪人だとされているが私はあれは動物的、下等知性体的反応、有る意味で人の意思、霊の本質であって悪意ではないとしている。 まあ実際に知っているわけではないが。 つまりそういったモノは悪意以前の害意、あるいは害意ですらないが短絡的に周囲にとって有害な実現手段を学習し講じる何かなのだと。 解っていない、周りが見えていない子供のようなものなのだとすると。
悪意は自己肯定し続ける。 こうなるともう対象が何かは本質ではなくなってくる。 悪意として存続することが本質なのであってその対象は、何でも良いのだ。 自身を肯定するモノは取り敢えずは害意の対象とはしないであろうがそれとて「当面は」の話でしかない。 他に対象があるから今のところは、と。

悪意が悪である。 私は悪意をここからさらに、二つに分けてみる。 御された悪意と御されていない悪意とである。 御された悪意はその自己肯定が置き換わる、そう見ると。
さて悪意とは神様にとって、別の可能性でもある、と推測する。 悪意に対し新たな場を与える、当座悪意としてあるそれの別の側面、それが肯定される状況が与えられたならばどうなるか、そういう話である。 悪意がそちら

邪魔だらけだ。 ほんとウンザリする世界だ。

を選んだならばそれは最早、悪意ではなくなる。 私は今日の世界の中にある新規性に、そういう面を見る。 

元悪意、といった概念から世界の新旧と元悪意の在り様を考えるに、判断基準が浮かぶ。 権力である。 元悪意周辺に対しそれが権力を持つならばそれは、元の形、居慣れた状態に戻ることもまた自由である、となる。
そこでだ。 新旧と権力の有無を現在の社会における立ち位置に当てはめてみた。
1. 旧、権力有り 教会他宗教勢
2. 旧、権力無し 病人怪我人他奴隷層
3. 新、権力有り サヨク
4. 新、権力無し オタク他アピール要素無し趣味人

こうなった。
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