英国が行ったアムリットサル虐殺と日帝が行ったシンガポール虐殺、それぞれの背景に
ある産業構造をそれぞれ書くと以下となると見る。 まずアムリットサル。
1. 大英帝国がインドの織物産業を禁止しようとする
2. インド人たちがこれに従わない
3. 統治筋による刑罰が行われる
4. インド人たちによる抵抗運動が起こる
5. 統治筋による報復的弾圧が実施される
こんな感じ。 3がインド職人の腕切断などで5が虐殺だな。
次にシンガポール。
1. 日本人たちが中国・東南アジアのアヘン貿易筋を悪と断定する
2. 英国人・華僑がこれを無視する
3. 日本人を中心に武力解放行動が起こる
4. 英国人・華僑らによる自己正当化政治闘争が起こる
5. 武力解放筋による報復的弾圧が実施される
こんな感じ。 3が石原莞爾氏らによる満州国建国、5が虐殺。
水平比較。 今日の人はこう見るかもしれない、アヘン貿易は悪だが織物産業は善だと。
あるいはこう、日帝は悪だが英帝は善だと。 前者の見方は一般には日本人やインド人、
東南アジア人らのもの。 後者は中国人韓国人、北米ユダヤ人、ニューヨーク筋に
連なるアフリカや東南アジアのエリートたちのもの。 これを善悪で分けるのは簡単。
宗教語を使えばアスラの側、ケツアルコアトル、あるいはネフィリムなどといった単語
で可能、最近のだとOinKやdon't Koreaなんだな。 私はこれこの差を「公の意識」や
「生命倫理」なのだとしている。
だが当時暮らしていた人たちにしてみれば自分たちの生活手段が否定された、そして
それに対する反応があったただそれだけなのだろう。