盗みについて

2010-02-02 20:17:13 | Weblog
口語有り
キーボード打ち
変換し
候補出てこず
怒髪ブチ切れ

自分の葛藤は脳内会議型ではなく一人の自分、半自我とでもいうのだろうか、
が行ったり来たり立ち止まったりで同じ所をぐるぐるするタイプだった模様。
前に脳内会議と書いたわけなので、試しにやってみた。
複数の、独立した自我を想定する。
最終的には普通の会議室に、とんがり帽子の小人さんが出来た。
赤、青、緑の三人、黄色はリザーブ。
会議が始まり、赤が肉と、緑が魚を主張した。
緑は野菜の方が色的にそれっぽいのではと役割を与えなおし、会議再開。
再開してすぐに青が赤を殴った。
完全に予想外の事態、イメージ続行不能で脳内会議は終了した。

さて盗みについて。
社会において人には所有がある。
一番身近なものは普段着ているような服だろう、
日本には他人の褌で相撲を取る、ということわざもあったり。
不可侵性が高いものとしては飲み込んだ食料、半日もすれば血となり肉となる。

所有物は、意識的に近い方だと身体の延長として認識され、
他人に壊される、持って行かれることは当然、不快に感じることになる。
だがそれをする人もいる。

何故盗むのか。
所有に対する意識に差があるのではないかと見る。
所有とは一方で使用権でありもう一方で管理責任である。
責任という意識が薄い人、欠落している人にとって物品は、
あれば使う、ただそれだけのこととなる。

学校で、幼稚園で、最初に習うことの一つが盗むことは良くないということ。
そうなっているはず。
それでも盗む人は盗む。
万引きを自慢する人すらいる。

さて振り返ってみる。
本当に幼稚園で「盗むな」と教えていただろうか?
そこにいた大人達は逆に嫉む幼児、隣の物を欲しがる幼児に積極的に
より多くのエサを与える、そういったことを繰り返していたような気もする。
盗む人の一部はその幼児性を持ち続けた人の、なれの果てなのかもしれない。

ヤギで除草だそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945694/news/20100202-OYT1T00830.htm

さてなぞなぞみたいなものを。
四本足の時は自由をと言い、
二本足の時は富と名声をと言い、
三本足の時は福祉をと言う。
これなんて動物だ。
コメント (1)
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