狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

ブロイラーの幸不幸

2020-12-24 14:13:44 | Weblog
ブロイラーの動画を見る。 提供者はヴィーガン系なのだろう日本語でのもの。
反応は、大勢としては「とりあえず知っておくべき」「感謝して食べる」次いで「ヴィーガンであるべき」「食全般こういう面がありヴィーガンは偽善」。

ふと思ったのが「病気を押して通勤するサラリーマンってこんな感じじゃね?」というもの。 もちろんサラリーマンは電車を降りれば密集状態からは解放され、また病院に行く休暇を取るといった選択肢も、当人的に有ったり無かったりするが。

いただきます思想の価値。 ブロイラーを悲劇とした場合この思想に大した意味はないように思われるだろう。 だが現実的な法整備、別の選択肢が与えられるといった状況になった時に事がスムーズに運ぶというメリットがある。

養蚕の動画を見る。 カイコの方に生きる意志に乏しいような面があり、養蚕家の方が奴隷のようでもある。 日本の養蚕家はカイコを「お蚕様」と呼ぶらしい。 私はこれを、人と動物の理想的関係なのではないかと見ている。 ただし、個々のカイコが幸せであるかどうかは不明。

ブロイラー動画の話に戻る。 私見で「密集飼育(集約畜産と出た)ブロイラーのここが不幸だ」
邪魔が入った。 思うに「他者の不幸を決めてはいけない」という禁に引っかかったと。
禁があり、まあ妥当だと。 でどうするかだが「病気を押して通勤するサラリーマンに似ている」は真だろう。 こうしたサラリーマンが不幸であるならブロイラーにも同様の不幸はある、身体不良の動物としての共通経験としてそうなる。

ブロイラーの幸福はどういうものか。 これは解らない。 共通経験から「成長する」「食べる」「大勢仲間がいる」「飢餓の恐怖がない」ここら辺がそうだろうという推測は出来る。 ブロイラーの不幸はどういうものか。 とりあえず、「病気でなお働くサラリーマンの何か」と共通した部分はあるだろう。

目の前に不幸が確認できたのなら対処しよう状況改善しようとするのは悪い事ではない。
どうするか。
提示されていた答は人類総ヴィーガン化。 あまり妥当な答に見えない、というのも、実現可能とも思えないし提示者に社会を支配したいだけの悪意が見え隠れする。
ベターチキン政策を見る。 内容は妥当に思える。 実現性はどうか。 あまり良いとは思えない。 結局「規制だらけにし、罰が振りかざされる中で各人は欲望に生きる」だろうと。 とりあえず西側諸国がこれを採用しても中国人は破るだろう。

ベターチキン政策。 畜産業者が政策を守っているかどうかが民主主義体制下主権者である国民に見えない。 マスコミは「我々が提示する」と言うが今日の情勢からこれが適当に言っている出まかせ嘘である事は明白。 彼らは容易に金に転ぶが一番金を使えるのは中国独裁政権。
国民が、業者がどうあるかが見えればいい。 価格と品質である。 ベターチキン政策に肉の最低価格を盛り込んでしまえばいい。 平飼い鶏と密集鶏とが同じ値段で並んでいたなら多くの消費者は平飼いの方を選ぶようになるだろう。 もちろん、悪質業者の方が利幅が広く出るという傾向にはなるだろうが、同価格帯で味の違いが出る方が判明しやすくなるだろう。
加工肉業者は外国産を選ぶだろう。 最低価格がない場合は輸出元海外政府が「合法だ」と言えば合法になる。 最低価格がある場合は廉価外国産肉を選ぶケースは密輸かリベートキックバック贈賄の類だろうつまり逮捕する条件になる。
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ある時〇屋の牛丼が美味しくなかった件

2020-12-24 13:46:47 | Weblog
金欠で。 ケータイの回線を止められて。 んで夕飯だったかを食いに出て、近所の牛丼屋で大盛を食べたのだが。
食べ終わって店を出てからか、「不味い」と呟いた。
もちろん店員に対して言ったわけではない。 神ヤハウェに対して「この世界は糞だ、今私に喜びはない」という趣旨の発言だった。 もっと言うと「お前が糞だから今食べたものにも喜びを見ない」と。
なお気に入らなかったのでケータイを道路に放ったところ、蓋つきの側溝に落ちた。 そのままにするわけにもいかなかったので手間をかけて回収した。

美味しいはずのものを食べて美味しくない。 これって何なのだろうかと思う。 「人生とはそういうものだ」という答えが来そうだがそういう話をしたいわけではない。 こういう現象・症状に呼称があり、他から分離されて認識され、そして「人生とはそういうものだ」という現状が変えられる、そうあるべきだと言っている。 「美味しいものを食べて美味しくない」という現象がある時点でこの世界は糞であり、よってこの世界は変わってしかるべきなのだと。

手持ちの経験が少ないが、思い起こす。 卒業論文が(出来はともかく)仕上がった時に食べたコンビニサンドイッチだったかとイチゴ牛乳が美味しかった。 弁当だったかもしれないし菓子パンだったかもしれない。 兎に角「こんなだったのか」と驚いた。 要するにごちゃごちゃ作業に追われている間は美味しいと思って味気なく食べていただけだったのだと。

世界はこうあるべきではない。「こうある」のならその人は病んでいる。 だが人は「人生はそういうものだ」と言う。 常識が人を病みから癒すべくなく、むしろ病みへと追い立てていて、神ヤハウェもまた常識の側にいる。 そう思っている。
ぱっと見名称が見当たらないので「牛丼不味かった現象」とでもするか、といったところ。 とは言っても次にこの件を書くとしたら名称が見つかった時だろうが。

ケータイを回収した件だが、「馬鹿が馬鹿な事をしてバチが当たった」としたものだろう。 だが私は、馬鹿な事をした点は合っていると思うが同時に「罰を当てた側に悪がある」としている。
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協調性と幸福化目標共有性って違うと思っている

2020-12-18 14:14:16 | Weblog
世間で「協調性」といった単語が出た時に発言者が意味するのは奴隷化だろうと見ている。
社員経営者に関する幸福度調査で、忙しさに関係なく経営者の方が幸福度が高いと出たりし、自由度自主性と達成感充実感の関係が云々されるが、これが「協調性に関する上下関係」の表れだろうとみる。 教師が協調性と言う時それは、「経営者の奴隷になれ」という意味なのだと。

で、この奴隷化要求と別にあるのが幸福化目標の共有なのだと。 ネットゲームをやっていてこの共有志向がない人間が多数であると見、教育制度が狂っているのだすると。 価値観が根幹からおかしいと。

逆に見る。 奴隷化要求もまた幸福追求ではある。 「俺がいい思いをするためにお前たちは奴隷になれ」というのが一般に言われている協調性。 地位の高い側は低い側の事情無関係に、低い側に対して自身の幸福化を要求している。
「地位の高低ではなく双方の幸福を求めない人間には応じなければいい」というのが私見で、これの逆が現状の協調性教育。 こうした対立軸上にあるのが従軍慰安婦問題なんかのプロパガンダだな。 労働移民制度が最たる。
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七十七億の失敗世界・「支配しろ」→「必要としろ」が正

2020-12-15 16:01:16 | Weblog
神様の話。
なんでこの世界は悪人だらけなのだろう、と考える。 霊とかそういった話で辿るに、地面から悪人が生えてくるとか女が悪人を産み続けてるとかそういった話になる。
じゃあ地面、ガイアってなんだって話になるのだが、直近の解は「失敗世界残骸の集合体」となっている。

失敗世界って何だって話だが、創造が様々な世界を造ってきたが多くは行き詰まり息づまり、真理がこれを見取って否定する。 それは失敗した世界なのだと定められ、焼かれ壊され還元される。 還元されるも塵は残り、また霊にもヒステリシスのようなものが現れる。

「否定する真理が悪い」という発想が出る。 構造的には「法律がなければ犯罪ではない」に近い。 だが否定された霊を持つモノたちは上手く行く方法、全体の幸せよりも真理を否定する方に傾く。

カナダでの調査だかで、「いい男に振られた後に劣った男に好かれても、悪く当たり自身の地位を高めようとする」そういう女が多数だという結果が出たらしい。 真理とガイアの関係がこういうものかもなと思う。

で、創世記一章に「我々に似せて人を造った、人は支配しろ」とあった。 最近また読んだ。 私はこれを、西洋人の悪質さの原因と見る。 彼らは世界出現直後に現れた旧神群で、超越者唯一神ではないとする。 「一体化した取り巻き」のようなものだと。 この「支配しろ」の語を必要としろに置き換えれば道理はある。 ただし、支配しろのままでその意だと「女は強姦される方がされないよりも幸せだ」に近いものとなる。

何故悪が多いのか。 何万年も「支配する」「支配する事で支配される」が繰り返された結果こうなった、という答えと大して進歩していない、進んでもまた戻るの繰り返しだとの答えとがある。 繰り返しではない答を示したつもり。

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ローニン問題を勝手に書く

2020-12-12 17:25:13 | Weblog
以下妄想のようなもの。

冷戦期、米ソ双方が後進国らに対して政権転覆工作を仕組んでいたと。 アメリカ側がこうした行為を正当化する口実としていたのが経済の自由と人権。
冷戦後期から先進国群特にアメリカと後進国群との力関係が上下から水平へと変化してくる。 顕著な例がオイルショック。 転覆工作も「アメリカが直接関与する」から「現地で起きた事(起こしたのは実はアメリカ)を追認する」に変化してくる。 米ソ直接関与最後の例がベトナムとアフガンになると。 「アルカイダ育ての親はCIA」とかの有名な事実だな。
冷戦末期、アメリカは直接工作する機関は働き場のない組織だとするようになった。 また一般アメリカ人はソ連に向いていた敵意を同盟国に向けるようになった。 日独、特に日本だな。 これがジャパン・バッシングの時代。 こうした空気を受けてクリントン政権は、CIAとCIA外郭団体らに、企業工作を推奨するようになった。 中国は鄧小平政権がやった「軍の自活化」のスパイ版。 これによってex-CIAと外郭団体の雇用主がアメリカ政府からウォール街の資本家たちに変わった。 ここに「中国の時代」が始まる。

中国の経済構造は「政治権力者が労働者を支配する」というもの。 ここに世界経済成長が集中する形となった。 終わってみれば
1 中国政府
2 アメリカ資本家群
3 CIA、人権団体
4 マスコミ

というヒエラルキーが出来上がっていた。 かつての政府転覆工作、情報誘導はアメリカ国内へと向けられるようになっていた。
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