狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

でもおまえダメじゃん

2013-01-31 13:19:15 | Weblog
堕天使って何ってのの社会科学っぽい答えは「例えば売春リベラルが
そうである」のようなものになると。 リベラルって元々売女の正義
だけど。 これが麻薬リベラルとなるとガチ邪神だね。
麻薬マフィアになっちゃた人たちがそこに留まろうとする場合はどう
するのと聞かれたら、私は死刑反対論者ではない、とでも答えるか。
売春婦の話し相手になる事と売春業界を称える、それを正しいものと
するのとは違う、とすると判りやすい。
一線をどう引くか。 事実を言う事が出来なくなったらその先は癒着
しかなくなる。
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スケジュール

2013-01-31 12:22:59 | Weblog
前に有名人のツイッター入力フォームが開いた事があった。
すこしビビッて、自己紹介でも書くかとかー考えたが何も書く事が
無い、というか現環境ではフォローもクソもし様が無く、そっと
それを閉じた。 何か書いた方が良かったかなとか思わなくも無い
が、じゃあ何書くかを考えると何も無かったりすると。

さて書く内容が多神教的になってきた。
俄然「エロヒムってなによ」みたいになってくるのだが多神教神話
の中にも「主神列中の別格」が居るように見えなくもなく。
これに「イエス氏とレビたち」あるいは「王たち」の構図を当て
はめるのが、はたして有っているのかどうかだが。
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ガー三派

2013-01-31 10:14:21 | Weblog
シェールガス、だそうな。
分布図を見た。
ウイグル人自治区、チベット人自治区、ブラジルアルゼンチン国境、
イン・パ国境、北アフリカ、トルコ南部、バルト三国。
なにこの「殺し合えー」。
将来もっと見つかるから今たまたまそうなってるだけだって?
それだけでも十分問題だろうに。
ちなみに日本では商業生産は無理っぽそうなのだとか。

中国の大気汚染が深刻化だそうな。
国際ルールなどと呼ばれるものには人命に関する部分と商業に関する
部分とがあって、後者だけ守ればオッケー的な新聞紙があったりと。
中国人による侵略行為に「中国だからオッケー」「替わりに俺の利権
を守れ」と言い続けたとしたら中国はどうなるか。 そんな話。

「義」と言う。
義を唱えてする行動から「実は義なんて無い」としてそれ抜きにして
見てみよう。 すると単に自殺志願者が道連れを求めているだけ
だったりムカつく相手を他人に殴らせようとしているだけだったり
する。 じゃあ「義」と言う動機はどのへんにあるのか。 縄張りを
侵害されていると感じる事だったり自分がどこかの支配者になる道が
閉ざされた事だったり。
じゃあ「義」って有るの?

さてネットでネットウヨクたちは誰と戦っているのだと問うような人
を相変わらず目にする。 具体的にはサヨクである。 朝日新聞、
日教組、朝鮮総連や民潭など。 ゲームハード系のスレッドでGKなど
と呼ばれているような連中が政治系のスレッドにも居てな、それに
反応あるいは過剰反応しているのだと。
相手が居るのは事実だ。 実際に築地に行けば看板がかかっている。
彼らサヨクはネットで活動しているのか。 行動パターンが単純
なのでロボットを疑った時期も有ったが一応対話は成立する。
AIもまだそこまで進歩はしていないはず。 時々さらされている、
というかさらし者になっているからまあ居るのだろう。
ネットウヨクたちは誰と戦っているのだと書く人たちには何を見て
いるのだろうか。
ちょっと不思議に思う所。
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亀は以外と速く走る

2013-01-30 19:33:30 | Weblog
アキレスと亀について考えてみる。
アキレス氏が亀を追いかけるが、亀が居た場所にアキレス氏が着く頃に
は亀はすでに先に進んでいるのだから追いつけないはずだ、というもの。
これを逆にしてみる。 アキレス氏が先、亀が後。
アキレス氏が亀の居る場所に居た時は亀はもっと後ろに居たはずなので
アキレス氏が亀を追い抜いたという事実は無かったはずだ、と置く。
アキレス氏が後の場合は亀の居る場所に着くころには亀との間は縮まり、
アキレス氏が先の場合は亀の居る場所に居たころからは亀との間は
離れていると。 一方は近づいていく。 一方は離れていく。
この両者を併せると亀を追うアキレス氏が別の道から亀の前に出ると
いう展開ならば矛盾は発生しないという結論に至る!
この考え方ならば無限小だからオーケーみたいな話を無しにしても説明
が付くのだ!

さて前回、霊質循環なんて書いてみた。
これで人が光るのは電流みたいなものだと説明できちゃたりする。
光っている人というのは内部に回路があって霊質が流れる電球みたいな
状態になっているのだ、みたいな話である。

さて霊質仮説でのレギオン解釈から邪神を説明すると、邪神とは
レギオンの核となっている事こそが自分だとする連中だ、となる。
邪神を倒しに天使がやってきたとする。 倒す事に成功するとレギオン
がまとわりついてそのまま核だけ入れ替わった新たなレギオンとなる。
具体的には天使崇拝系の邪教。 信徒たちが行動様式も精神状態も以前
と同じままで神像だけが置き換わる、そんな形なんだな。
天使信仰信徒との癒着による天使の堕天使化。
なんでこの問題に対する、何て言うのかな、注意みたいのが薄いのか
なのだがそんな大した問題じゃあないからなのかもしれない、なんて
思ったりも。 ただ邪神化や魔王化よりも闘病生活あたりの方が楽
なんじゃないのかなとも思わなくもなく。
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霊質循環仮説

2013-01-30 12:48:37 | Weblog
前回ノートに打った点の数を約1200としたが2倍するのを忘れていた。
「きゃー」である。 正解は約2500じゃねーか。
いやコロン(:)の数としては正しいのだ、と開き直るか。
往生際が悪い。
点16個、コロン8個の真ん中の方を凹ませるとスターウォーズに出て
くるXウィングみたいに見える。 いやだからどうしたと言われても
特に意味なんて無いのだが。

さてと。
個と良さとで人を四つに分ける。
1. 個が有って良さが有る
2. 個が有って良さが無い
3. 個が無くて良さが有る
4. 個が無くて良さが無い

基本的に1は問題無し、ただし試される。 3も不安定かもしれないが、
個を得て戻ってくる例が有ると。 4は基本状態だわな。 ほっとくと
レギオン化する、というかほっとかなくてもレギオン化。 レギオン化
したら自壊するのを待つか突っつきまわすかぶった切るか。
一番の問題は2である。
それぞれのグループで対処法が違うのを色々やり繰りしているのが
こんなにややこしい事になっている理由だろうと見るわけだが2の問題
が解消するならば4はそのうち自然と3に吸収され3は紆余曲折を経て1に
なるはずと。

旧神の邪神化を2の問題の最大だ、とするとオカルトチックだが
現代日本や共産化後中国に腐儒が復活するのを書くのに宗教表現を
使っただけだとすると社会科学ではある。
とりあえず良さの無い個の問題を宗教表現を使って書いてみる。 社会
科学表現は後から翻訳する方が楽そうなので。

仮説。
未熟な魂が集まりたがるのは周囲の霊質が循環しないと苦しいからで
成熟した魂は必ずしもそうではない、とする。 成熟した魂も結局は
神様から分けてもらっているだけだと見る事も可能だが、多少放置され
ても集合しようとはしないといった点で違いが有るようだと見ると。
未熟な魂が集まると、引っ付く時に多少の循環が発生する。 これを
喜ぶと。 でも引っ付いたままだと澱むわけだが未熟な魂は引っ付きを
繰り返すことでこれを解消しようとする。 結果は澱んだままで問題は
解消されない。 日常におけるこれを嫁姑問題などに見ているわけだが
これを逆に見ると夫や子供、学校組織などに霊質の循環者としての側面
が有るのだとする事も出来たり。 嫁と姑とが引っ付いたまま循環器を
奪い合っている、そんな見方。

さて、「私はこう有り正義はこう、よってあなたは私にこうする義務が
有る」とするもの。 平等論などに顕著であるが私はここに共依存関係
を見る。 一般に強者に分類される人に弱者の側が命令する。 意思の
強要なんだな。 弱者による強者の搾取などと言われたりする事も有る
社会現象だが弱者強者といった立場の違い、そもそもどのような違いが
あるというのだ、を除いて個対個として見るとこれ、ただの奴隷化要求
でしかない。 こうした奴隷化要求の中心に正義の規定者が居ると。
レギオン核とでも呼ぶか。 霊質イコール人の意思のようなもの、と
置くとレギオン核周辺は周囲から霊質を奪っている、となる。
核に相当する当事者たちはそれこそが自分たちの「良さ」なのだと主張
すると。 これこそが自分だと言える状態、喜びの記憶として確たる個
が有るがそこに神様との良い関係は無い。 これが良さの無い個なので
はないかと見る。
社会科学っぽく書くと、良さの無い個は愚民化政策の中心となると。
大規模には人民の、小社会にあっては子供の隷属化を進める。
当人たちはそれに疑問を持たない。
なぜならそれこそが彼らにとっての彼らの「良さ」だから。

さて宗教表現に戻る。
邪神とは人の意思を奪おうとするモノなのか。
私は「師、曰く」の世界にそれを見る。
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出来るのが良いか皆横並びが良いか

2013-01-29 19:25:15 | Weblog
前回の続きネタ。
そんなわけで、やってみた。
ノート一ページに点を打っていく。
2*2から2*50まで、(2+50)*24.5で25*25が625だから約1200。
途中でだれる、というか手が疲れた。 終盤はリズムに乗れて割と
手際よく出来たと思うが、得られたものはなんとなくの達成感。
いやだって、算数苦手じゃなかったし。
ただ作業単位を束区切りでリズムを作るとかここで改行したいとかの
ミソになる部分は確認できた。

さて、小学校教師が前回の文を読んだら「学習要綱があって」などと
いった発言が出てくるのではと思う。
何故学習要綱などというものが有るのか、なのだがこれは先の学習に
必要なものを各学年で学ぶための基準であると。 では実際の学習
要綱まわりの運用がどうなっているのかというとこれが「やらない
ための指標」になっているのではと。 例えばある教室で少し先に
予定されている学習内容までやったとする。 そうすると出来ない
生徒の親が「違反だ」「うちの子が出来なかったのは教師のせいだ」
となると。 こういった反応をする理由は何かというと、自分の子供
が出来ない結果発生する小集団内部での自分の立場の悪さであり
それについて自分もしくは自分の身内である子供が悪いのではないと
主張するには教師あるいは学校が悪いとしなければならなくなると。
こうした面倒くさい親の反応を嫌う学校組織、面倒くさい有権者の
反応を嫌う政府組織らの忌避方針が学習要綱に反映されてきたと。

学校が悪い、省庁が悪い、まあそう言う人が居ると。
元に戻って親の反応だ。 自分の子が、出来ない。 こうした状況に
対して「出来るようになる」ではなく「他の子が出来なければ良い」
となっていると。 個々の達成やそもそもの目的などはどうでもよく
ただやらないままの地位の保全を求める。
これ労組文化である。
労組文化を正しいとする限り結局はこうなる。 基準を決めても無駄
に終わるだろうと、私はそう見ていると。
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掛け算のお勉強

2013-01-29 12:14:45 | Weblog
日本語では小学校までのそれを「算数」(sansuu)、中学以降のそれを
「数学」(suugaku)と言う。 物理屋なんかは「高校までは算数だ」、
数学屋は「大学までは算数だ」なんて言っていたりするがその分類は
まああまり一般的ではない、はず。

先日の、九九を学習するに当たって2の段3の段4の段とそれぞれ答え
が100くらいになるまでやる方が掛け算の理解に近づきやすく長期的
な結果が良いのではないかといったものの続き。
そんなわけで人が寄り付かなくなりそうな表題になった。

2*2と言う。 ノートに書くでもいい。 私の場合は心の中で言う。
そして頭の中に縦に二個、横に二個並んだリンゴを思い浮かべる。
これは簡単、スーパーなんかでパックになっている。
2*3と言う。 頭の中に縦に二個、横に三個並んだリンゴを思い浮か
べる。 これも容易。 2*4。 二個と四個。 2*5。 難易度が若干
上昇するが、普通に可能。
ではこの先2*6、2*7と難しくなってきたらどうするか。
そう、色分けするのである。
こんな感じ。
○●○●○●
●○●○●○

リンゴだと赤リンゴと青リンゴか。
さて市松模様に色分けしても10を越すあたりからまた難しくなって
来ると思う。 ではどうするか。 そう、パック詰めするのである。
卵のパックに10個詰めとか12個詰めとかが有ったと思う。
それを使う。
2*8だと
[:::::] :::
2*15だと
[:::::] [:::::] [:::::]

こんな感じになる。

10個詰めのパックを横に並べていく。 10個パックと6個パックを
組み合わせる方が簡単かもしれない。 パックの数が増えていくと
また難しくなる。 そしたらまた色分けをするのである。
まあ数がデカくなったってきらもう紙に点を打っていってもいいし。

さて、目出度く2*50まで行った、とする。 実際やってみたら20位
で苦痛になってきた。 ノートが有る方がいいな。
まあ、行ったとしよう。
実はこれ「絵で考える」という算数の奥義が含まれているのである。
掛け算を教えるのに束を使うのは反則だって? いや10個の束なら
日常で使っている。 1から20まで数えるだけでも束を使うという
テクニック抜きには困難だ。 足の指を使うかね?

三の段以降に進むとどうなるか。
まあそれは、これまで算数が苦手だったけれども今回やってみた
という人のお楽しみ、という事で。
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何故神様はレギオン状態を嫌うのか

2013-01-29 11:22:32 | Weblog
個と良さの有無で分けると以下になる。
・個が有って良さが有る
・個が有って良さが無い
・個が無くて良さが有る
・個が無くて良さも無い

んで、下がレギオン状態。

(集まれー)
 ↓
(集まれー)(楽しー)(集まれー)
 ↓
(集まれー)(楽しー)(楽しー)(楽しー)(集まれー)
 ↓
(集まれー)(楽しー)(楽しー)(楽しー)(苦しー)(楽しー)(集まれー)
 ↓
(集まれー)(楽しー)(苦しー)(楽しー)(苦しー)(苦しー)(楽しー)(集まれー)
 ↓
(集まれー)(楽しー)(苦しー)(厭きた)(殺せー)(厭きた)(苦しー)(楽しー)(集まれー)


二次元表記しると(◎:楽しい ▼:苦しい)

 ↓
◎◎◎
 ↓
 ◎◎◎
◎◎◎◎◎
 ◎◎◎
 ↓
  ◎◎◎
 ◎◎◎◎◎
◎◎◎◎▼◎◎
 ◎◎◎◎◎
  ◎◎◎
 ↓
  ◎◎◎◎
 ◎◎▼◎◎◎
◎◎◎▼◎▼◎◎
◎◎▼◎▼◎▼◎
 ◎◎◎▼◎◎
  ◎◎◎◎
 ↓
   ◎◎◎◎
  ◎◎▼▼◎◎
 ◎◎▼◎◎▼◎◎
◎◎▼▼◎▼▼▼◎◎
◎◎▼▼◎◎▼◎◎◎
◎◎▼▼◎◎▼▼◎◎
 ◎◎▼◎▼▼▼◎
  ◎◎▼◎▼◎
   ◎◎◎◎

んで、神様が「お前らそれでいいのか」と聞くと

 (Yes)◎◎◎◎◎
(Yes)◎◎▼◎▼◎◎
◎◎▼◎(Yes)▼◎◎
◎◎▼▼(Yes)▼▼◎◎
◎◎◎▼◎◎▼◎◎◎(Yes)
◎◎▼▼◎▼▼(Yes)▼◎
 ◎(Yes)▼(Yes)▼▼◎
  ◎▼(Yes)▼◎(Yes)
   ◎◎◎◎

となると。


個が無いのに良さが有るというのは代行状態なんだな。
個が無いとは大雑把に、楽しいや苦しいは有る、楽しかったや苦しかったの
知識も有る、そして自分が今が楽しいのか苦しいのかは認識しない、そんな
感じの状態なんじゃないかと。
仮説を続ける。
たましいみたいなものの回りに霊質みたいのものがあるとする。
霊質が増えると楽しい、減ると苦しい状態なのだとする。
こうすると個の無いモノがレギオン化を目指す理由とレギオン内部が苦しく
なる事の説明にりそうだ。 ただ霊質の増減以外にも楽しいや苦しいが有る
んじゃないかとも思っていたり。
未熟な魂は周囲の霊質を循環させる事が出来ないとかだろうか?
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宗教のお話

2013-01-28 21:30:10 | Weblog
さて最近旧神だなんだとオドロオドロシイ事を書いているが、社会科学的背景
も無く宗教的な人たちを脅そうとしているわけではない、つもり。
社会規範は宗教の形を取ってそこに在る。
ある地域Aの社会規範と別の地域Bの社会規範とが矛盾しているなどという例は
枚挙に暇が無く、問題が発生すると双方それぞれに彼らが我々のそれに合わせ
るべきだ、と言うだろう。 AとBとの間に新たに規範を作り対処する。 これ
はそれなりに建設的だとするべきか。 まあ概ねそうだろう。 ではだ。
AとBとの間に作られた規範をBとC、あるいはCとDとの間に適用するべきか。
私はこれを否とする。 商人と売女、市場管理と奴隷。 こういった問題が
当面のその理由であるが、大問題とされるこれらも表面的なものでしかなく。

Aの規範をBに適用する。 するとBはどうなるか。 無規範状態になる。
Bの住人たちはAおよびBの規範の内その時その時で都合が良いものを選ぶよう
になる。 ただポンとAの規範を与えられても老若男女即座にそれに対応する
わけもなく、生活に密接したBの規範と日常と無関係なAの規範とが混在する
状況が出来るだけでAの規範が機能するわけではない。 そもそも何故Bの規範
がAの規範と違っていたのかはB地域の条件から作られたものがA地域のそれと
違っていたからであり遡って、生活に伴う必要がそれぞれで違っていたからだ
となる。 ではAの規範をBに適用したいとする者はどうするべきか。 抵抗者
を一人一人説得しまあその内死ぬか、Aにとって都合の悪い生活様式そのもの
を変えてしまうかだろう。

AがBの規範を変える。 変えた後Bの住人たちはどうなるか。 変えてくれて
ありがとうとなるのだろうか。 AとBとの接触点、規範間の社会となるものの
代表例が商人。 人がAからB、BからAへと移動する理由の最たるは古くは女、
売春だろう。 境界領域の規範は商人たちと売春婦たちのものとなる。 彼ら
にとっての商売上の必要性がそれになる。 彼らは正しいのか。
どうだろう。 だが彼らはそうだという前提で動くのだろうな。
では商人は全部駄目か。
三方良し、なんてのもある。
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だますという知恵

2013-01-26 22:18:50 | Weblog
二匹のネコが一つの皿でエサを食べる。
一方が鼻先でエサ皿を引き寄せるともう一方の下からそれが移動する。
移動した事に気付くとそのもう一方はエサ皿を引き寄せる。
交互に食べると皿が移動する、そんな状況が続く。
この二匹、ただ食べているだけで争っていない。

自閉症のテストにこんなものがある。
部屋に子供が一人、テーブルの上に箱が二つとボールが一つ有る。
その子供がボールを一方の箱に入れて部屋を離れる。
別の子供が部屋に入ってきてその箱からボールを出しもう一つの箱に
入れ立ち去る。 先の子供が戻ってくる。
さて戻ってきた子供はどちらの箱にボールが入っていると思っている
だろうかという問題。
最初にボールを入れた箱だというのが健常者の回答で、移しかえられ
た後の箱だというのが自閉症者の回答。
これ、自閉症者には真実しか無い、という事と見る。
全員が真実を共有しているのが当然と思い込み生きている。
そこにだますという発想は無い。
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