介護について

2010-02-14 06:40:18 | Weblog
人は死ぬ
努力しようが
逃げようが
誰も彼もが
終わり迎える

介護とはなんなのだろうか。
解らないので辞書でひいてみた。

・介護 nurse, care for
 病人などを世話すること。
 介護者 carer

・看護 nurse, attend, look after
 傷病人などの手当てや世話。

・保護 protect, care
 かばい守ること。
 生活機能が低下した者、未熟者などについて安全の確保、援助の付与をすること。
・困窮者に文化的な生活を保障すること。

・監護
 監督し保護すること。

・擁護
 危害を加えようとするものから守ること。

・介助
 付き添い起居動作の手助けをすること。

・介抱
 病人やけが人の世話をすること。

・介添え
 人に付き添って世話をすること。

日本語には近い単語がいっぱいあるが、老人に使われる漢字は介護、
それと介助である。
介護的意味での看護はもっぱら入院している病人に、保護は乳幼児に対する単語。
監護は青少年の犯罪傾向について使われる。
老人の世話という社会行動を介護と、行動の具体的一部分を介助と言うらしい。

・care
 世話、看護、 監督、保護、管理、配慮、責任、面倒見。

・carer
 付添人、介護人、ベビーシッター。

・attend
 世話、接待。

・attendant
 付き添いの、随行の、付添人、案内係、出席者。

・nurse
 乳母、保母、看護人、擁護者。

・nursery
 保育所、託児所、子供部屋。

・protect
 守る、防ぐ、保護貿易、保険による保障。

なるほど。
うっすらと価値観の違いが見えてきた。
私は社会を相互保障、分業、共同作業などのように捉えている。
保護や援助といったものは特殊な状態を除き本来一時的なものであるべきだと。
サヨク系、朝日新聞系人種のとらえ方はおそらく、共依存だ。
だから私の目には彼らと彼らの支持者のの言動がまるで、
亡者か何かが蠢いているように写りそして彼らが
社会に亡者が増えることに喜びを見出しているかのように思えるわけだ。

同盟相手に対する考え方の違いもそこら辺に根がありそうだ。
事実関係や方針を問われると「優しくない」と言って反発し、
接待されるとそちらになびく。
共依存の相手をアメリカに見るか中国に見るか。
もっともこの違い、日本だけに特異な現象ではないとみる。
規模の差こそあれ何処の地域にもあると。

多少見えてきたところで介護の具体例を思い出してみる。
幼い頃、寝たきりになった父方の祖母を母が介護していたはず。
私には彼女と会話した記憶がない。 上の兄弟はあるらしいのだが、
私が物心付いた頃には言語障害が出ていた。
当時の私は老人とはそういうものだと思っていた。
何年か病院を転々とし、私達が海外に移住し彼女が他の親戚に任され日本に残り、
そしてそれから一年近くして葬式となった。

数年前まで実家にネコがいた。
メスの老猫で最後の一年は立って歩けなくなっていた。
やはり母が介護していた。
海外に行っていた上の兄弟は安楽死を主張し、
それに対し私はそれなら私が包丁で首を刎ねると主張した。
そのネコはその兄弟の海外生活が終わり旅行から帰ってきた後
たしか二ヶ月ほどして去った。
私は「長生きした結果看取られた」と捉えているのだが。

豚インフルエンザワクチンに余剰が出だしているらしい。
対策開始からワクチンが出だすまで半年、行き渡るまでそこからさらに三ヶ月。
感染対策も人口移動の調査も「パニックを避ける」といった名目で
あるんだか無いんだか判断出来ない状態。
この分だと次の新型流行時にはハイチ地震なんて比べものにならない規模の
犠牲者が出るのでしょうな。

さて問題。
日本には葬式ビジネスがある。
宗教である。
それに関する話の一つに棺桶の大小がある(当然大きい方が高価)のだが、
遺族が小さい方の棺桶を選ぼうとするとなんと言われるだろうか。
コメント (2)
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