狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

民主化世代とファミコン世代

2015-05-29 16:24:48 | Weblog
「セガ派は何故セガ派なのか」この問い、意外と重要なのだと主張する。
と言うのも、一般のゲーマー、まあセガ・グループの社員従業員などを除いた
それという事になるのだが、にとってはセガ社製のゲームを楽しむ事とセガ派
となる事は同じではない。 面白いゲーム、気に入ったゲームをその都度ただ
楽しめばよいだけなのだ。

民主化世代とは公式には団塊世代の事である。 これにファミコン、テレビ
ゲーム世代、大雑把に氷河期世代である、を置くと戦後日本、経済成長期の
文化変遷などの話となる。 割とあちこちで書かれている、一般的な話である。
所がだ。 ここに「戦後民主主義とは日本人にとってどのような意味を持つ
単語なのですか」という質問に対する右派、保守派の答えを置くと一気に暗雲
垂れ込める様相となる。 この話、「暗雲」程度では済まない。 団塊世代に
戦後民主主義が、氷河期世代にアニメ、漫画、テレビゲーム、特撮などが与え
られて来た状況これかなり、エグい。 一方がそのまま「裁いた世代」であり
もう一方が「全てを許さざるを得ない世代」となっている。

もう少し話を進めよう団塊世代を中心とするこの構図、団塊世代の前、戦中派
世代か、は団塊世代を唆した者たちに該当し団塊世代の後、バブル世代は結果
的には団塊世代から「許しを巡る構図」を隠した者たちとなる。 まあこれは、
唆しに直接係わった者たちはともかくも、単なる状況。
団塊世代にはポリティカル・コレクトネスが与えられている。 もう一方の
氷河期世代には正義、正統性、こうしたものと何の係わりも無い娯楽、ゲーム、
が与えられている。 ここにネットウヨクという属性の意味がある。
これ「憤怒の相」なんだな。

さて「憤怒の相」とポリティカル・コレクトネスによる公開処刑娯楽の差を
示そうこれ、ウソツキの存在である。 「憤怒の相」だったならば事実誤認
だったと判明した瞬間から改まりが始まる。 キチガイサヨクにはこれが無
かった。

氷河期世代はファミコン世代である。 「お前たちはファミコン世代だ」と
言われて否定する氷河期世代はなんらかの特殊な事情を抱えてしまっている人
だけだろうと思われる。 これで良いのだ。 実は日本の受験戦争最盛期に
あたりまた戦後最悪の就職難世代ではあるが、「楽しんだ、喜んだ」で良いの
だ。 我々はファミコンを楽しんだ。漫画を楽しんだ。 アニメ、特撮を楽し
んだ。 苦難の時にあってなお鳩の絵々が慰めとしてあり、それらを喜んだ。
つまりは団塊世代もこうあるべきなのだ、と書く。 彼らは「我々には平和な
国があった、帰る家があった、迎える家族がたち居た」した方が良いのだと。
家族が居なかった人も「友人が多数居た」と。 つまりは「我々こそが正す
べき人たちなのだ」と自分に言い聞かせる必要は無いそういう話なのだと。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イギリスと植民地云々

2015-05-24 18:01:25 | Weblog
アメリカのマクドナルドで黒人と韓国人とが喧嘩するに到る件をこうだと見る。
・元々黒人たちは在米韓国人たちに反感を持っていた(理由は歴史伝統から来る
 韓国人の民族性)
・在米韓国人たち、マクドナルドに対し事実上の営業妨害行為
・営業妨害につき退去を願う黒人従業員に対し韓国人の側挑発
・騒動

アメリカで営業妨害が法的にどう扱われるかによるがとりあえず法廷闘争では
韓国人の側が勝利した形になっているね、現状。

イギリスの内面的不公正さ。 例えばこれ所謂パレスチナ情勢だとこんな感じ。
・20世紀前半アラブ人たちが反英闘争を開始
・治安悪化により矛先がユダヤ人たちにも向かう
・ユダヤ人たちが所謂右派の予想通りになったとして彼らに主導権を与える
・大戦後腹いせからイスラエル・パレスチナ面積等分に
・オイル・ショックでアラブの発言権が優位に
・「自分たちはリベラルだ」と謳うユダヤ人たちが「全てはナクバだ」と言う
・「全てはナクバだったのだ」でゴリ押し

だから今回の件における日本側の態度って先に書いた、優等生的戦後のドイツの
それと同様のものだったんだな。 その裏にはおそらくAIIB関連でイギリス系の
裏切りに合い自信を無くしたアメリカの要望があったと見る。 イギリス人たち
があまりにも頑なにそれを求めたから、同盟国であるアメリカがそうした要望を
出してきたから、そういう言い訳は立つ。 だが結局は、ドイツと同様金のため
であり、見捨てた立場にある。 日本の、日本人の内面を書いてみよう理由は
上に書いたそれではある。 要望はあった、やさしく振舞った、これはある。
だが結局はクズのわがままを通してしまっただけであり公正さを蔑ろにする行為
であった。 罪に問われるほどではなかろう、戦後ドイツ的ではあっても。

まあいいや。 私は義務は果たした、そういう形になっている。
今後は趣味で粘着するも良し、放置するも一興、別の件でもめる事願うもまた
良し。 おそらく放っておいても別件が挙がるだろう、クズはクズを止めない
からクズなのだ、と見るがはてさて。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1980年代イギリス・アングロサクソンの内面と反捕鯨運動の関係

2015-05-24 15:26:20 | Weblog
説明不足だな。 よって追記に違いものを。

反捕鯨運動。 アパルトヘイト政策なのである。
内容は何気に上記この一行で十分だったりするのだがこれ依然として説明不足。
1980年代前半の状況はこう。
オーストラリアではアパルトヘイト政策が実施されていてそして大筋批判を受けて
はいなかった、一方の南アフリカ共和国ではこれが大絶賛被批判中これ。 この
当時のイギリス人・イギリス連邦とその周辺それを正とするアングロサクソン系
人士の内面はどうだったか。 以下とする。
・アフリカ黒人もアボリジニも糞
・だから自分たちが支配する方がより良い
・その状況維持にアパルトヘイト政策は有効だがアフリカ黒人運動隆盛中
・地下資源その他植民地利権政策を継続するためには自分たちは南アフリカの
 アパルトヘイト政策を批判する側に居なければならないそうしないと利益を
 失う

そしてもう一方に有ったのが隆盛する日本に対する憎悪と恐怖、これを以下。
・植民地主義世界崩壊といった状況を招いたのが日本とドイツ
・彼らが憎い一方で、内心では彼らの方がより正しいと認めてもいる
・自分たちこそがエリート、それが自分たちの権利であり存在意義である
・このままだと自分たちは彼らに取って代わられるだろう
・よって権力を保持している今彼らを排除する

ここに浮上してきたのが口実としての反捕鯨運動。 欺瞞として機能するならば何
でも良かったんだな、実際当時その候補は割り箸反対運動その他にも多数あったが
そうしたもろもろの中、一番しっくり来たのが反捕鯨運動だった。
だから日本人の主張「オーストラリア人がカンガルーを殺すのも罪としては同様」
「クジラを食べるのも牛を食べるのも同罪だがヒンドゥー教徒は強制しない」と
いった主張の方が公正だったりするが常に受け入れられない。 彼らには受け入れ
る事が出来ない。

さて現状は、20世紀終盤からずっとこのまま来てしまった。 だからイギリスは、
無い。 国民実際には人民だが、も指導者も欺瞞の上に立ち続けてきてしまった、
それが当然のまま通ってしまっていた。
ではどうするべきだったのか。 20世紀中期ならばイギリス人たちは「植民地に
居た我々の同胞たちはその時が来たのだから悔い改めて財産放棄でも自殺でもなん
でもするべきだった」で良かった。 今ならばBBCが、地元で総すかんを食おうが
大学教授陣らから釣る仕上げを食おうがかまわず一連の上記、イギリス人他内面の
経緯を報道するべきだった。 日本についてならばイギリス他の圧力に、徹底抗戦
を続けるだった。 今回この件で日本はそれを止めてしまった。 止めた経緯に
より結果日本は「個々に」となりイギリス筋は「総じて」無いとなってしまった。

私はこうして書いた。 さあどうする。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

支配意識と主導意識の差

2015-05-24 13:50:52 | Weblog
さて科挙の害、孟母の害からエリート腐敗構造は実は「一族の怨念」めいたものが
あっての事、個々には「自分は苦労した」という気分の問題なんだなこれ重要。
「自分は自分たちは苦労したのだ」と思っている人たちには、無いんだな。

さて支配意識と主導意識の差。 これ右派と左派の認識差であり政治に関する議論
の二重性でもある。 右派と左派が議論するとその内容を右派は主導意識で解釈し
左派は支配意識で解釈する、話が常に二重化している、まったく違う話になって
いるのに双方それに気付かないそういう構図があるという指摘。

支配意識と主張意識の差。 これ権利権益と義務責任意識の差なんだな。 だから
左派は交代政権を主張し右派は永久政権で適宜最適者に主導権を分けるあるいは
より的確な人に明け渡すのを理想とする、そうなる。
順番を逆に書くと左派にとっては「永久政権こそが悪」でその理由が「自分たちが
支配する機会が無くなるから」であり、そうした意識が「自分は苦労した」という
意識に発していると。

小ネタ。

海外「日本は正しい決断をした」 BBC 日本が追い込み漁のイルカ入手を中止へ
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1551.html

■ 神様ありがとう!!!
  イルカの追い込み漁に関する映像作品を前に観た……。
  あれは現在の状況を認識出来る素晴らしい作品だった! アメリカ

■ 生物を救おう……。そうすれば、創造主はあなたを救ってくれる! +1 アメリカ

はい、さようなら。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカ黒人による韓国人襲撃が話題になっている

2015-05-22 12:47:35 | Weblog
以前書いた気もするが、事情に疎い欧米人が日本人に「いい加減日本も韓国を
独立させてやれよ」と言うのだそうな。 欧米人がレジスタンスめいたものを
英雄視する傾向があって、20世紀後半からこっち韓国人はずっと、欧米人たち
の前で英雄ごっこをしてきたこれが誤解されているという話なんだね。

世界のあちこちで韓国人が嫌われてだしているらしい。 「肌で感じる」の
だろうな。 このコンセンサスが広まったとしようこれ「和解の機会」となり
うるのではと思う。 具体的には黒人の側代表が南部白人の側代表に会いに
行く。 そこで韓国的行為を象徴する単語を出す。 例えば「第五種」とか。
白人の側が応じる「我々は韓国ではなかった」と。 黒人の側が同意する
「あなた方は韓国ではなかった」と。 これで名誉回復、プロパガンダの
撤回要求に応じる姿勢を示した事となる、もちろん、応じる気が無いのならば
無意味な儀式だが。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分自我論を少々

2015-05-21 11:44:39 | Weblog
分自我論。 世界って四人分の分自我で構築可能なんだな。
自分、相手、他人、そしてその他。 英語の人称だと
・I, we
・you, we
・he, she, them, we
・else

となる。 Weを三回出したがこれ使用者にとっての認識の仕方が複数あると
したもので
・youに対する不特定elseの部分を含む拡大自我としてのus
・him, her, themに対するme and youとしてのus
・youに対し特定のme and him, her or themとしてのus

の三通り。 分自我論上の未分化形態なのだが現状分自我論を共有する相手が
居なかったり。 四人分で必要十分というのは
1. 当座の自身である第一分自我
2. 双方向対象となる第二分自我
3. 双方向対象存在時に一方向対象となる第三分自我
4. 第一分自我の裏返しとなる世界認識の第四分自我

この四つ。 一方向対象が複数あったらどうなるんだと思われるだろうその
場合は実は、
・一つずつ認識し、その一つ以外は「その他」となる
・複数をまとめて一つと認識する
・複数が動く事の無い背景「その他」となる

のいずれかとなると。
つまり任意の瞬間につき人に認識される世界は人四つ分で必要十分で、内一つ
は世界そのものだったりもする、そんな話。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑多なネタ

2015-05-20 14:03:48 | Weblog
前回の。
 a1. 自民党はただアメリカに媚びている
 a2. 自民党員と官僚たちはただ甘い汁を啜っているだけ
 a3. 自民党の政策はことごとくが利権のため

 b1. 社会党・民主党は中国に媚びるための組織となっている
 b2. 甘い汁を啜っているのはもっぱら民間人で一般に自民党中央官僚の目が
   届かない場所ほど状況が悪い
 b3. 自民党の政策は地域社会の安定のためのそれとなっていて一応の成果は
   上がっている

このb2が難産だったのだがおかげでちょっとした派生発生。
甘い汁を吸っているのは民間人、でも批判されているのは自民党など。 その
結果支持されたのは中国韓国癒着型・交代政権というこの現象。 内面をこう
と見ると。

1. 羽振りの良い他人を見る
2. 「もし環境が違っていたら自分がああなっていただろう」と考える
3. 環境を形作って来たのは現体制
4. 「それが巨悪に違いない」と信じるようになる
5. 体制変更に成功してもそれが広範囲の状況悪化にしかならない事に気付く
6. 失敗だったと気付いた後も「巨悪だ」と言い続ける

内面の起点が「羽振りの良い他人を見る」なんだな。 つまりこれを経験して
も何とも思わないような人は彼らのようにはならない。

怨恨論。 「何故現代日本人はアメリカを恨んでいないのか」といった話を
時々ネットに見る。 若い世代の日本人にして見れば「何故自分たちが
アメリカを恨まなければならないのか」である。 この手の話何気に世代差が
あったりする。 この、なんて言うのかな、「責める向き」を大雑把に世代別
に書くと
・団塊世代 親やそれ以前の世代、指導者たちといった先人たちが悪い
・バブル世代 政治に無関心、刹那的
・氷河期世代 なんだかんだで良かった一般に言われている事と違う

こんな感じになるのだろうと主張して見る。
注目するのが団塊世代なんだな。 こう置くとここが極端に、逆「孝」的、
逆「忠」的、そして同時に逆「公」的な世代となっていると。
名分派を「科挙の害」「孟母の害」「親族地域集団による栄達心虚栄心から
来る子に対する投資回収欲」の連鎖としようそうするとここ、団塊世代で連鎖
に対する逆ベクトルの意思が創られており以降の世代で、核家族単位のそれは
依然として存在しているが民族単位のそれは無くなっている、となる。
一世代ないし複数世代を用いた巨大バッファ、それが大規模な怨恨の連鎖に
対してあったかのように見える、そんな話。

靖国神社。 怨恨の人たちにはあれが「怨恨の社」に見えるらしい。 私に
言わせるならあれは記録である。 当時の行動様式を留めたもの。 「死者を
騙るものたち」にはあれの存在が許せないらしい。

猿。 豊臣秀吉氏のあだ名である。 これが朝鮮半島の怨恨、なのだが歴史的
結果は悪くは無いむしろ破滅へと到る腐敗傾向が一時的に止まったそんな印象。

シンデレラ。 なにやら映画が話題になっている。
「シンデレラの教訓」とやらをどこかで読んだのでググッてみた。
> 才能や叡智を持っていても、それを生かす親やその代わりになるものがい
> なければ無駄なこと、何の役にも立たない

こう出た。 シンデレラのストーリーに出てくる魔法使いとされるモノ、実は
あれ魔法使いじゃないんだよ、となる。 私の目にそうなる。 魔法使いじゃ
なきゃなんなんだ、と怪訝に思われるだろうだがあれ、「広域で起きている
現象に保険も無しに結果から動く」という魔法使いに不可能な行動を一貫して
取っているんだな、そういう話なんだよ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015-05-19 15:42:23 | Weblog
この間読んだ「物語 韓国人」朝日新聞社員だったのだとか。 以前別所で
「朝日新聞には1960年代までは右派左派両方居たが70年代から左派だけに
なっておかしくなった」といった文言を読んだが先の本の著者が1972年から
朝日新聞を休職、そのまま79年に退職しているな。 別所の文章を探したが
出てこず。 「捏造が駄目」じゃなく「左右のバランスのせい」が結論と
なっている以上結局ゴミ体質だと書こうと思ったのだが。

「名分派」の例えを再度。
警察官に例えると「何のための警察か」が抜け落ちているというかそもそも
無いのが名分派の特徴で、抵抗しない民間人は取り締まる、地位温存には
奔走、仕事に伴う役得は最大限にする、本来求められている役割は極力手を
抜く結局やらないが現在の待遇に関する文句は常に垂れ流しそんな状態。
こうなる原因が「科挙の害」にありとの通説から「前半生苦労してきたと
いう思い込みとその状況を事実上の投機対象として扱ってきた親族の、利益
配分獲得を当然とする常識に染まった結果」とするのが持論「孟母の害」。
巷に見る自民党・官僚批判を例に挙げると
a1. 自民党はただアメリカに媚びている
a2. 自民党員と官僚たちはただ甘い汁を啜っているだけ
a3. 自民党の政策はことごとくが利権のため

となるが日本の政治外交史の反面はウォール街主導に対する抵抗史であり
今日の日本の繁栄の根幹はアメリカによる世界平和の結果、日本は現状世界
一治安が良く道路、電気、水、教育、医療、あるいは一応保たれている市場
の自由競争などの点が抜け落ちている一方で、
b1. 社会党・民主党は中国に媚びるための組織となっている
b2. 甘い汁を啜っているのはもっぱら民間人で一般に自民党中央官僚の目が
  届かない場所ほど状況が悪い
b3. 自民党の政策は地域社会の安定のためのそれとなっていて一応の成果は
  上がっている

機知のアメリカと見えない中国の比較で「まったく無い」中国を選びそこと
の癒着を推進する政党政治勢力を支持する始末。

さて「猿」である。 猿と言われて日本人が想起するもの。 西遊記、豊臣
秀吉氏、日光猿軍団、このあたりか。 今回のお題の中心は豊臣秀吉氏、の
つもり。 だが西遊記をざっと。
1. 猿、地上を荒らす
2. 猿、天界に攻め込む
3. 猿、ブッダ氏にとっちめられる
4. 猿、山の下に封じられる
5. 猿、旅の僧侶に解放される
6. 猿、旅の僧侶の行く先々で敵を倒す
7. 猿、旅の僧侶と共にインドでお経を貰う

インド神話はハヌマーン氏がモデルとの説もあるとか。 天界に攻め込む話
にはガルーダ氏のそれなんかもあるわな。 兄貴が「暁」か。

さて豊臣秀吉氏である。 以前日本史上三つあり、それぞれが幕府と関連
するとした黄金の部屋、中尊寺金色堂、金閣寺、大阪城黄金の茶室の三つ目、
その正当な所有者となる「伝説持ちの彼」として書いた。
該当時代伝説持ちは一応彼の親相当の織田信長氏だがもう一人該当者が居る
と見ていてこれが上杉謙信氏。 「越後の龍」「軍神」なんて別名がある。
秀吉氏と謙信氏、対戦機会は一回あったらしいが秀吉氏の無断帰国で成らな
かったとかなんとか。

本能寺の変関連の通説は秀吉氏の捏造だとの説を見た。 なんでも元々は、
当時ありがちありきたりな下克上で家康氏も加担、秀吉氏は事前に察知して
たから勝てたとかなんとか。

秀吉氏の朝鮮半島に対する影響。
彼によって、一時的にだが光海君の時代が成立している。 これにより明
崩壊後、清による朝鮮半島併呑の歴史が無くなっていたとも見れる。
また、日本人が朝鮮半島を支配するのは古代を除くと例外的なのだが何故か
そういう状況の忌避が、今日の韓国人のアイデンティティになっていたりも
すると。 大雑把に見ると日本人が朝鮮半島に直接関与した時だけそこでの
名分派が退けられているんだな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セガは何故負けたのか

2015-05-18 15:42:07 | Weblog
統一教会を「プロテスタントだ」と書いた。 プロテスタントにしてみれば
いい迷惑だろう現役教祖が居る新興宗教の類を自分たちの派閥に押し付けら
れているような構図だ、だが私に言わせればアメリカ・プロテスタントに
限るとそうでもない。 統一教会の場合だとプロテスタント一般信者 →
合衆国政府 → 韓国政府 → 統一教会 という責任のラインは存在して
おり問題がまさにここだからだ。 そしてこの問題を突き詰めていくと各国
に点在する 合衆国政府 → 以降のライン全てがアメリカ国民から問われ
る事となり、私にして見れば「それでいいじゃん」「なんで今まで」という
話なのである。

憤り云々を少々補足。 自身の今ある社会的地位、語り部の座こそが、と
いう心理状態から変わらない、変えない、変えさせないその為のテクニック
それに陥ってしまった彼らに対してどうするかなのだが一例を挙げよう
スコープス裁判の問いかけである。 何故負けた、ではない。 問いかけに、
未だに答えていないのだ。

前回の話のテーマは大雑把に書くと「現代のインチキ霊媒師たち」なのだが
書き出しがエロゲーのネタになっていた。 私は旧来から宗教ネタ、宗教を
正とする書き口が左翼除けになっていると感じているのだがこれ同じ構図
だな、と思う次第。 私がこうしたのは世の宗教家たちが「最も遠い」と
されている社会的地位をこそ重んじる人たちに対するアプローチの無さ、
あるいはもっと悪く、阿り、に憤っての事ではなく好きに書いたらこう
なっていた面白いねという話。
私見を少々。 日本の宗教状況は戒律成就の実験、エロゲーはその先。

さて本題の、セガのゲームである。 ちなみに私はセガ派ではないつまり
半可通が何も知らない人を対象に想定し書くそういう構図。
日本で「セガが負けた」と言ったらまずソニープレイステーションとの日本
市場覇権争いでセガサターンが二位に終わったそれを指す。 何故これが
問われるのかだが互角~やや優位な状況推移が1995年中盤からほぼ一年続い
た後の事だったが故と。 勝てたはずだ、勝つ機会はあったなどと皆が言う、
例えば後に出た「せがた三四郎」のCMが当時あったならばそれで勝負ありと
なっていたはずだ、など。
勝った方、プレイステーションに負ける要素は有ったのか。 二つ有ったと
私は見る、一つはメモリーカードのセーブ、ロード時間の長さでもう一つが
当時言われていたが、RPGの弱さ。 ここで言うRPGとは今日JRPGとも呼ばれ
る、基本的に二次元マップを、コマンド選択形式でモンスターなどを倒し
ながらストーリーを追う、反射神経などを要求されないゲームで、日本で
このブームを巻き起こしたドラゴンクエスト、世界規模で展開し結局コケた
ファイナルファンタジー、現在成功中のポケットモンスターなどに代表され
るゲーム群の事である。

セガは何故負けたのか。 これを検証してみるにあたって1995年発売の
ゲームにどんなものがあったのかwikipediaを見てみた。

 エースコンバット
 カルネージハート
 旧約・女神転生
 幻想水滸伝
 真・女神転生デビルサマナー
 ジャンピングフラッシュ!
 スーパードンキーコング2
 聖剣伝説3
 ダービースタリオンIII
 タクティクスオウガ
 テイルズ オブ ファンタジア
 ドラゴンクエストVI 幻の大地
 極上パロディウス ?過去の栄光を求めて?
 リッジレーサーレボリューション
 ロマンシング サ・ガ3
 Dの食卓
 クロノ・トリガー
 アークザラッド
 アンジェリーク
 FRONT MISSION
 学校の怪談
 バーチャファイター2

やったもの、とってもたしか1995年の時点で持っていたハードはスーパー
ファミコンだったが、それと話題になったもので記憶に残っているものを
ざっと。 こうしてみると1995年はまだスーパーファミコンの時代だった。
「一年間セガの時代があった」として書くつもりだったのが崩れたが、まあ
それはそれ。

当時の雰囲気を思い出しながら書く。 大雑把に、次世代標準機競争は
サターン優位もPSが僅差で追走、こうだったと思う。 戦況は三つ。
・コアゲーマー向けでセガのソフトがナムコのソフトに優位
・ライトユーザー向け宣伝ではSCEの独擅場
・雌雄を決すると言われていたRPGではサターン優位もスーパーファミコン
 が圧倒的

つまり「ナムコに勝ちきれなかった」「ライトユーザー取り込みに失敗」
こうした結果「サードパーティ戦略の差からスクウェアを掻っ攫われた」
の三点で、ミスとして扱うならば「決定打が無かったのに優位の上に安心し
てしまっていた」あたりになるのだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怨念の側、食の側、ポルターガイスト

2015-05-14 14:59:17 | Weblog
先ほどエルフソフトの歴史だかなんだかいうものを読んだ。 以前から時々
疑問に思っていた事柄を想起した。 セガ派は何故セガ派なのだろうか、と。

今回の本題に入る。
責任、と書く。 右派、保守派はこれを当然の如く今居る人たちのこれから
の生存に関するものとする。 左派は違うんだな。 左派はこれを巷にある
嫉妬や怨念に関するものとしているんだな、ごく自然に。 用語が違う。
同じ単語が様々な場面で、対話が成立しているように見えて実は意見の交換
がまるで成立していないそういう政治状況が延々と続いてきていたりすると。
歴史的に。 これ、この差このギャップは以前から認識していた。 ふと
気付いたのだがこの右派の、左派リベラル派に対する保守派の立場は「生者
の側」と置く事が可能なんだと。 対する左派リベラル派はファッション、
雰囲気、嫉妬、怨念、これらが対比上「死者の側」となる、これ面白い。
というのも彼ら、エリートの地位に留まろうとする人たちは往々にして虐殺
された側への責任、とどのつまりは「死者の意思」を口にする。 ではそれ
は本当に死者の意思なのだろうか。

保守派は生者の側である。 これは彼らが「今日の食」なり「今の家」を
重視する点からそうである、となる。 今生きているだからこれらが必要、
これらを維持するためにそうするこれが生命の維持で、保守派なのである。
こうした右派保守派に対し往々にして「気分」を訴えるのが左派リベラル派。
曰く、保守派は腐っていて着服しているに違いない、彼らのせいで不公平
なのだと。 なるほど彼らが「死者の意思」を口にする理由もここだろう。
死者は食べない。 食べる人たちの理由で在る側に対し、食べない人たちの
理由をでっち上げる。 なるほど彼らが「死者の側」なのだろう、実際の
意思がそうであるかどうかは別として嫉妬と怨念、そういう側だという主張
となっている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする