その初動を推奨しているのがリベラルな大学

2013-08-29 11:29:54 | Weblog
1. 「悪の政府を倒すためなら多少の嘘は許される」とする
2. 「そんなに悪質な行政なのだから暴れるのは当然だ」とする
3. 「逮捕者が出るのは不当な弾圧だ政府は悪だ」となる
4. 1に戻って繰り返し。

初動は嘘なんだよね。
世間ではそれが「娯楽」であり「ファッション」であるとされていて、
それをする人たちが「自分たちこそ無辜の民だ」などと称すると。
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宗教級に止まるか、聖戦級の真似事をするか

2013-08-29 11:11:49 | Weblog
九州の方だったかな、たしか三、四年ほど前に、民主党(日本)の集会で、国旗を二つ
切って繋げて民主党旗を作り党大会の正面に掲げていた、そんなニュースがあった。
なかなかに不愉快なニュースだったわけで彼らと彼らの支持者らを評価する基準の
一つとなっているのだが私としてはこの構図、切り取られた二つの円、をおもしろい、
と思わなくもない。 円は環である。 絡み合う二つの円弧は何を意味するのか。
これは「蛇行する霊」の紋ではないかと考える次第。

さて日教組。 人は意思の束である。 「意思」を「霊」と置き換える。
人の成長とは何か。 肉の成長でなければ霊の成長だ、となる。 いや実際にそう
なのかどうかは知らないけれども。 霊を意思に戻す。 意思の成長とはどのように
して起こるのか。 意思と意思とのぶつかり合い、折衝などで起こる、そう置く。
日教組が目指しているものは何か。 教育のルーチンワーク化である。 これは知ら
ない云々ではなく労働組合というものがそういうものでありよって彼らは教育の場で
も同じだろうそういう話と。 ルーチンワーク化とは何か。 意思の折衝を無くす
取り組みである。 そこに意思の成長は有るだろうか。 否と見る。

日教組は教育のルーチンワーク化を目指す。 そこに人の成長が無いとしたらそれは
はたして教育なのだろうか。 ひょっとしたら、部品化あるいは動物化のようなもの
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通信傍受と愛人村

2013-08-29 11:11:23 | Weblog
最近なにやらアメリカの方で「アメリカ政府が日本に甘い」とった発言が見られる
とかなんとかネットで見た。 ここに在米華僑を当て嵌めてみると、そうするに、
彼らを取り巻く政治的状況が変わってきているのではないかといった推測が浮かんで
きたりもすると。 愛人村である。 要するに愛人村への電話などから華僑の状況
が丸分かり、そこから漏れ出る情報が、いやさすがに人名を一般に吹聴して回る事は
無いだろうけれども「汚さを嫌う雰囲気」は出る、アメリカ政治筋に中国離れ、中国
からの類推で韓国離れなどが起きる、中韓への不信から事実関連の再確認が催される、
そこから当たり前の、常識的な、秩序維持的な行動を取っているのはどちらかで
あったかが判明するなどの現象が起きたとしよう、さてはたしてその変化に華僑勢力
が気付けているだろうか。 気付けていない人たちは旧来どおりの「友好関係」が
続いて当然と認識しているだろうそれがそういった発言となっているのではと。

通信傍受。 元々はアメリカでのテロ阻止の為の措置だったはず。 これがどういう
わけだが華僑勢、転じて韓国勢にとって不利に働く。 そういう推測。 同様に、
北米のこうした政治状況が不利に働きそうな勢力が有る。 中南米の麻薬マフィアで
ある。 いずれも情報操作をする方向に動くだろうそこに、「隠蔽の連帯」のような
ものが出現する、そうなる。 利害が一致する。 さらに情報操作を受け入れる側も
それに参加する事になる。 参加して妥当だというポリティカル・コレクトネスさえ
有ればあとはビジネスの話になる。 一皮剥けばそういうもの。

仮にだ、近い将来にこういう構造が出来上がったとしよう、そこで用いられた
ポリティカル・コレクトネスはどこへ行く事になるだろうか。 一つは事実関係が
判明した後良心に従い初心への立ち返り、縮小、ないしは解体する方向へと進むと。
もう一つは、連帯と一体化し大声で事実を押し流そうとするモノとなると。

いやもちろん勝手に「そうかもしれない」と書いているだけである。 だが愛人村
は事実、通信傍受もある、携帯電話の位置情報などで誰がどこに出入りしているかも
一目瞭然で、華僑は華僑同士庇い合い、儒教は身内特に親の筋の不品行を隠蔽し
美化して伝える事を善行だと規定している。
さて、はてさて。
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リベラル派、振り向けば偽ユダヤ

2013-08-28 13:43:20 | Weblog
実家のテレビの脇に置物が幾つかあってね、これの位置が最近変わって。
ブタが中央に飛び出した。 それを抑えていたライオンは隅の方に行った。

フランス・リベラルってどんなだと聞かれたら、地獄の亡者のようなモノだ
とでもするか。 逃げるわけでもなく他人を引き込もうとすると。
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んで、何回止めて欲しい?

2013-08-28 11:42:47 | Weblog
上野のイラン人の話がネットに出てた。
身内を、というか売り手を言わない人が「イラン人から買った」と言うらしい。

書くべきか否か迷っていて、なんかあるかなと思ったら呼び鈴が鳴り、天使筋かもと
思ったら天使筋だった。 以下応答大雑把に。
筋「良くなると思います?」
私「概ね」
筋「人が生き続けるこれどう思う?」
私「人による」
筋「例えば?」
私「憎み合う人ただ苦痛」

私の返答これ「止めない理由」なんだな。
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キチガイサヨクはウソツキどもの更生理由を無くしている

2013-08-28 11:42:27 | Weblog
言い訳めいたものを少々。
獣論冒頭に触れた邪神論で「女の新しい地位が出現する」とした。 これ私がどう
こうするわけでもなく元々予定されていたものの一つにようやく届いた状態では
あるが、「私がどうこうする感」から書こうとしていた面もあったと記憶。
これ駄目だわな。 駄目なんだから断念して良かったと。

イスラム教徒とネットウヨク、と置く。 イラン人はどういうわけだが上野まで、
ドネルケバブを売るワラビスタン人と神社の前で署名を求めるウイグル人らだけが
かろうじて届く現状、アラブ人に至ってはまったくの不参加に近い状態、これなん
なのだろう。

若者のナントカ離れという話を目にする。 この手の話の乱発状態、獣論を書いて
すっきりしてきた。 ようは獣離れである。 若者たちの多くが獣状態を求めなく
なった結果酒離れ、車離れなどが起こるようになったのだと。

朝鮮半島ではなくフィリピン案もあったんじゃないかなと思っている。 他には
ベトナム、マレー、インドネシア、ビルマなど。 あちこちで断られたらひょっと
したらブータンあるいは

ネットに「オーストラリアかなロシアかな、引き続き中国韓国かな」とするに、
フランスと出た。 少々意外と捉えたがエジプトは相変わらずああでありまた
ニューヨークが良くなるのならフランスにもやはり影響が出るだろうよって当然と
言えば当然か。

はっきり書こう。 私は嫌韓デモの側である。 デモという手段も新大久保という
場所も適切だとは思わない、むしろ韓国大使館や民団、総連、民主党党本部、
あるいは一部の新聞やテレビの本社あたりを標的とした方がより健全だと見て
いるどの程度適法かどうかは調べていないが。 であるにも関らず嫌韓デモの側だ
と書く理由はヤクザ問題でありスパイ問題である。 スパイの政治国政乗っ取りが
抗議対象の中心なのだからそちらを直接対象にする方が本道だとしているので
どこをどう間違ってもあってその雇われたちとヤクザを私が「正しい側」とする
わけが無い。

フランス人って世界中でこんな事やってるんだろ。 治安ではなく介入上都合が
良い勢力かどうかで判断する。 結果一枚噛めるマフィアじみた勢力に肩入れして
彼らが正義であるかのように書きたてて、書かないよう袖の下もらってリベラルだ
とか吹聴する。 もう飽きた。
嫌韓デモは民主党の狂乱時代があってこそ起きたものである。
リベラル派はあれを称えていた。 もっと近くを書こうか。 韓国の現大統領で
ある。 リベラル派はあれをこそと称えていた。 三ヶ月前までそうだったか。
あれがお前たちだ。

そろそろ止めるべく書こうかと思ったが考えを変えた。
パチンコのゾーニングを進めるべきだろう、パチンコ地域として残すのは名古屋、
大阪、兵庫など。
怒りの持続。 ヤクザの側を擁護するだろう彼らのこうした役立て方もある、
というか、他にどう役に立つのだ。
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堕天使論

2013-08-26 22:23:55 | Weblog
さてアラブの戦争弱さ、と書いた。 この原因が何かだがこれオスマン帝国である。
国家間戦争をトルコ人たちに預けた結果そうなった。 ここに神様を歴史の責任者
とすると、この間アラブ人が戦争に強い状態こそが正であり神様は不正常な状態へ
と移行する様を数百年間放置した、か、アラブ人の戦争弱体化は意図されたもので
ある、のいずれかである、となる。
スエズ運河だ、と書いた。 地中海とインド洋とを繋ぐ近代欧州覇権体制の大動脈
のような地形がイスラエルの近所にあるのは、イスラエル人にしてみればたまたま
である。 同程度の重要性を持つ運河や海峡にはパナマやマラッカ、ジブラルタル
などがある。 パナマに注目すると、「アメリカの船便は中米を経由する」となる。

堕天使論。 獣論に続いて堕天使論と来た。 こうした話、なんでもかんでも霊で
ある。 まあこれ物理学者がなんでもかんでも場だ粒子だ波だとするのと似たよう
なものなのかもしれない。 ホントになんでもかんでも霊なのである。

天使、堕天使、悪魔、旧神、邪神、獣。 天使は神様の模範意思ないし模範意思を
主意思とする意思束の事、と置く。 堕天使はなんかズレちゃった天使。 悪魔は
もっぱら悪魔業をやっている天使で、再雇用された堕天使なんかも含まれるかも
しれない。 昔は堕天使相当のそれを単純に悪魔と呼んでいたかもだがとりあえず
はここではそうしていない。 一般の悪魔と堕天使とでは雇用形態が違うと。
四つに分かれるわな。 公務員が天使、不正規営業が堕天使、特殊活動している
公務員が一般に悪魔、堕天使が再雇用されると一応は悪魔であり天使でありつまり
堕天使相当ではないと。 雇用形態に差があるとなるとまたややこしい話になって
くる。 まあそれはそれと。
旧神というのは古そうだから旧神としている。 元々が天使つまり模範意思相当
なのか人なのかはたまた獣なのかはよく判らない。 判別する必要が無いかもしれ
ない。 終末関連計画から元天使の旧神というモノを想定するに、「なんらかの
理由から天使となったが変更が発生ないし役目が終わったなどの理由で計画上の
稼動状態から外れたが宗教強迫観念的な形態は保っているモノ」となる。 邪神は
宗団内部にレギオン状態が発生している旧神宗団である。 レギオン状態とは内部
の人同士に発生する意思の奪い合いがちょっとした地獄の様相をしているが当人
たちは「宗団の意思」によりそこから離れようとしないような状態。 獣とは外部
から、宗団に一匹の獣のような意思があるかのように見られそれが脅威である、
あるいは実際に、その活動によってなんらかの被害が発生している状態と。
レギオンも獣も外部の評価であって必ずしも固定的な何かではなく内部の評価とも
一致はしないだろう、あえて定義付けをするなら状態存続のための内部規約的な
ものに伴う意思と、獣の場合はさらに、それと各員との利害関係がそうだと。

堕天使論。 天使と堕天使とを分ける線はなにかだが一つは当然、今現在の神様の
意思である、となる。 ある瞬間神様が意見を変え、その後も旧来どおりの活動を
続ける天使が居たらそいつは堕天使みたいな話。 では神様が意見を変えたら通達
のようなものが天使たちに届くのかというとはっきりとしたこれというものは無く、
個々に気づくかどうかである。 止まらなければ堕天使。 別の定義も可能でそれ
は当初の「こうあれ」から逸脱したのが堕天使だというもの。 この場合は勝手に
止まると堕天使。 どっちなんだと聞かれそうだが両方あるのがおそらく実情。
滅茶苦茶な話、と言えなくも無い。 気づかない方がおかしいと言ってしまえば
それまでだが。 

歴史に話を移そう百家争鳴である。 時はソロモン王の繁栄が終わった頃、東の
実験地では宗教思想の大量出現があった。 当ブログでは宗教強迫観念と終末計画
の関係から天使の存在を推測しておりこれつまり当時の中国天使の乱造状態である
となる。 春秋戦国時代の前、ナントカって時代のナントカって人が「次のヤツが
天子ね」と言っていたのでつまり始皇帝が天子。 始皇帝自身も「自分が天子だ」
と言っていないこの点意外と重要、他の自称天子たちとの差。 百家争鳴の
チャンピオンが儒教。 儒者たちと始皇帝が対立これ堕天使。 中国人たちが
そっちを選んじゃった結果が中国の歴史で曹操氏の代でまた対立。 私はその後
放置状態だったと見ていて近代でまた太平天国、毛沢東氏の代と対立があると。

結局は自己規定の問題なんだな。 完全な逸脱もあるのだろうけれどもそれもまた
後天的な自己規定である。 神様が動くと自己規定と周囲とがそれなりに一致して
いた状態が無くなる。 その時どうするかだ。 「自分はこうだった」「かつては
周囲がこうだった」とし博物館入りするか「自分こそが役に立つ」とし結局誰もが
必要とされるような修羅場つまり悪魔業界に入るかのいずれかと。
反発を意思の自己の規定としてしまったような場合はどうか。 私はネフィリムの
意思にそれを見る。 原罪論は彼らのものだが彼ら以外に属する我々にも見るべき
ものがあるのだろう。
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獣論

2013-08-24 23:40:30 | Weblog
さあいよいよ邪神論だ邪神人化の理が判り地母神信仰周りの霊の循環を書ければ
女の新たな地位が出現するはず旧来のそれは「古き良き」として趣味化し博物館
入りする巷の闘争女たちはこれまでの消滅から己の邪性を正視せざるを得なく
なる、とし歩いていたら雷が鳴り出した。 お勧めは獣論らしい。

さて毎度の事だがこうなるに至った思考経緯を書く。 現代は終末に似ている。
アメリカが白い馬でソビエト連邦が赤い馬、チェルノブイリがニガヨモギで
セックスシティ・ニューヨークが大淫婦の都、第二次世界大戦主要交戦国がそれ
ぞれダニエル書の四匹の獣の頭に該当しとある人が戦時首長になってから月齢暦
42ヶ月でおっ死んでいてその後任が妙なものを落っことしてそこからテレビの
時代が始まったと。 この一致が偶然かどうかは幾つかの事例から判断可能で
私の出した結果は有意に一致しているつまり、偶然としてはレアだとなったと。
偶然ではないとしたら原因はどこにあるのかの検討が必要だとなり宇宙人説など
を考えてみたがとりあえず、既知の物理法則は超えていそうだとなったと。
既知の物理法則の観測範囲はどのくらいかだが半径数百光年はスケスケで観測
範囲は地球からほぼ全天。 宇宙人説はほぼ消しと相成った次第、そこから、
「神様が居る」が事実だ、となったと。 実は「事実だ」と結論付けた理由は
これだけではないがそれらはここで詳細に説明するものでもなし。

「神様が居る」が事実だとなったと。 そこから何故世界はこうなっているのか
が問いとなってくる。 ちびちびちびちびそれをやっていった結果人の自由意志
から社会が出来ていてそこに、外部から見て軽く地獄みたいな状態に、癒着状態
を好むが故あるいは精神的孤立、独立を恐れるが故に選んで留まろうとする人
たちを見立ててそれを「レギオン状態」としたと。 これ人の状態であり、人が
選ぶ社会の状態でもある。 ここから、「とある文化圏AにつきA人の敵はA人で
ある」という状態が無明の定義であるとしまた、神様に対する人の自由意志の
起源ならびに人の自意識、まあ知覚出来るのは自分のそれでしかないが、から
「人は意思の束である」という結論に至ったと。 これが現状。

さて獣論。 ここで言う獣とは聖書などからキリスト教徒が言う(と私が認識し
ている)獣の概念でありまた社会で、一部または多くの企業活動が「獣のようだ」
と言われる用法のそれを指すと。 人類社会一般、日本人社会のみでなければ
だが、に「人の集団としての獣」の概念がありそれに合致する社会現象は一体何
なのかを考えてみると。

人は巨大企業の活動などを「獣だ」と言う。 言わない人も多々居るだろうが
それはそれ。 言う人が「獣だ」と言う企業活動は、個々にはそれは、社員たち
の行動である。 社員たちでしかない。 何故社員たちは企業の獣その一部と
なって活動しているのか。 私はこれを、社員たちは自分たちの福祉のために
そうしているのだとした。 老後の保障、日々の糧、企業内部の社会的地位、
そして企業に所属する事で得られるステータス。 所属する企業が大きくなると
それらもまた充実する、そう期待してそうしている、これが獣の構図。

企業外部の人は言う、獣と化した企業には独自の意思があるかのようだ、と。
ここで考える。 さて人工知能には意思があるのか。 人工知能と呼ばれるモノ
は物理的には電子回路でありそこを流れる電流である。 現在のコンピュータは
昆虫とどっこいどっこいでげっ歯類よりも頭が悪い、そこら辺のはず。
昆虫やげっ歯類に意思はあるのか。 神経細胞を素子とした意思が人、ならば
人を素子とし素子同士相互に情報伝達する意思は存在可能か。 人はそういう
構図を文化と呼び、ある人は文化を共有する集団を外部から「まるで一個の意思
で動いているかのようだ」と評すると。

有るか無いかは置いておこう、そう見えたりはすると。 有るか無いかは置いて
おいたまま「有る」かのように話を進める事は可能、物理学者の言うフォノン
などの相互作用子がそれであり半導体中の正の電荷がそれであり、そして法律で
言う所の「法人」の概念がそれである。
法人が獣。 獣が法人。 社員は法人に何を求めているのか。 福祉である。
法人は社員に何を求めているのか。 自身の拡大、社会規模だったり影響範囲
だったりあるいは時間的な継続性だったりするが、でありそれを実現するための
社員の従属であると。

獣状態。 個々人の、獣を構成する構成員たちの理由は各人の福祉である。
では福祉とはどのようなものなのか。 親が子の状態、生活環境などをより良く
しようとする。 子が健康に、喜んで生き続けられるようにしようとする、この
現象は福祉云々の概念が現れる前、太古からあった。 親が任意に、親自身の
意思で一方的に与えるこれ単純な親子関係である。 福祉の概念はどこから始ま
るのか。 「こうあるべきだ」という定義から。 何故そうした定義が必要と
されるようになったのか。 「自分は他人、隣人たちからこう扱われるべきだ」
という意識がありそれを「待遇上の弱者を社会に見る」という形に現れたと。

ふむ。
経験上の好悪ならある。 その好悪をべき論として他人に適用するのは好ましい
行動か、ならば否だろう好き嫌いは人によって違う。 とある人にとって最悪の
待遇がまた別の人にとって最上のそれとなるケースは多々あろう。 ではべき論
が有用となるケースをどう想定するか。 子供が親から逃げようとするような
場合だろう。 転じて、対処能力の問題などもあると。

獣論に戻る。 企業の活動が「獣のようだ」と言われる状況は、個々には社員
たちの企業活動があるだけである。 何故社員たちがそうしているのかだがこれ
を社員たちの個々の給料と社会的地位への欲求からそうなっているとしたと。
一般には福利厚生とかと言うのかな、社員たちはそこに自分たちの行動の正当化
理由を見出していた。 これはより広くは企業の社員に対する福祉政策の正当性
である。 まとめてみよう。
1. 自分は社会からこう扱われるべきだという意識が社員にある
2. この意識が文化として社員間に共有される
3. 実現手段の正当化となる
4. 実現のための企業活動が周囲から「獣だ」と言われるようになる

こんなところか。 社会における自身の待遇への不満がべき論となり企業という
場で社員同士の文化として共有される、これが実現のための正当化理由となった
時そのまま周囲に害となる企業活動が行われても良いという空気となりそれが
判断となる、その結果の行動が得る周囲の評価に「獣だ」というものがあると。
獣はどこに居るのか。 文化となった無意識の要求に。
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我もネットウヨク!

2013-08-20 14:25:49 | Weblog
さて先日、「神社に行ってきた」と書いた。 その後、「祈りを利権とする連中が
噛み付く」と書いた。 この前後関係が面白い。 なんか自分が、指摘されるだろう
類似性らしきものに対し何か言いたくてやきもきしている、そんな感じがある。

さて現状私が祈りを利権としているかだがこれ利益が発生していない。 むしろ世界
規模では自身を政治少数派とする不利益しか無くサ翼がこれを嫌う。
私の活動当初、十数年前の状況はどうだったか。 起点はサイパン島はバンザイ
クリフだった。 たしかその翌日が911だった。 翌々日だったかな?今から見るに
前日だか前々日だかがそうだったとなる。 三泊四日の社員旅行三日目に行ったと
記憶しているので前日が濃厚。 その時は政治性は無く、帰国子女という立場から
客死、彼らの多くにとっては永住予定の地であり若い人にとっては生地だったかも
しれないが、に対して何かしら思うものがあったから行っただけなのだが、なんに
せよそれが、理由だったと思っている。 翌年から一般国民による政治活動のような
ものを開始したと。 理由は中国韓国プラスニューヨークロンドン筋、ならびに当時
からキチガイサヨクなどと呼ばれていたマスコミ主流派の歴史捏造に対する抗議意識
からであると。
ウソツキは誰か、である。

一般日本人が何故731部隊に関する資料に、シンガポール虐殺に、白馬事件などに
抗議行動を起こさないのか。 これらが概ね事実に基づくものだからである。
では何に対して抗議行動が起こされているのか。 よく調べてみたらいい。

ここ最近ネットウヨクはかつてのサヨクと同等だ、などの論が出てきた。
いよいよ馬糞の川流れになってきたと感じる次第だがこれなにげに近年の動きが
これまで延々続いてきた団塊世代のキチガイ騒動に対する是正措置だったと認めて
いる面も含まれていると見る。 おそらく言っている連中はこれを否定するだろう、
その状況もまた面白い。 中国韓国筋の捏造が収束すればネットウヨクは縮小し
自然消滅するだろう私はこう断言する。

話を転じよう今の中国は毒中国であり韓国はウソツキ国家である。
これらを称える人たちが何故称えているのかだが私はそれを、歓待に見ている。
ネットウヨクがこれに怒る。
どっちを正とするか。
こう書くと邪神筋が怒るんだよね。 これがまた面白い。
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聖戦論の趣味その周辺

2013-08-20 14:03:00 | Weblog
1. 神様は活動中であり全ての事象の責任者
2. 古来宗教家たちが「無明」などと称した社会の状態がある
3. 人は意思の束である

私がイスラエルに行ったのが今から5年ほど前、上記三つがここまでの、人としての
成果であると。 「受け取った」が真実なのかもしれないが受け取れるようになった
のは成長だわなと思っている。 この三つのうちのどれかでも否定できれば現在の私
の推論は瓦解する。 宗教家なら1周辺のモデル構築、社会科学者なら2が、哲学者他
趣味人なら3あたりがとっつきやすいと思う試しにやってみたらどうだろう。

世界はわりと公正であり霊つまり素意思には、初期にはわりと「良さ」があるこれが
私の結論。 素意思が束になっていくと束状態での意思決定上優劣が発生し、優と
なった意思が他の優意思に対しても継続性から意思決定上の優位性を求めるように
なりまた優意思下の従属意思たちも束としての優位性実現を優意思に求めるように
なるこれが人同士の意思の奪い合いであり意思決定上の優位性争いの、なんて言うか
摂理だろうと見ている。 これが人の獣性でありこうした状態を正とするのが人の
獣化、人の集団でも一個人内部でもこれが起きているというのが無明論と束意思論
からの結論。 神様の、人のこの状態に対する介入の結果が宗教で、政治的には介入
肯定が保守派でありこうした人間性肯定がサ派であるとしている。 サ派も結局また
獣性の問題に直面するが、上位による介入の否定から自分たちによる管理思想へと
走る。

さて前回聖戦論は趣味だと書いた。 聖戦とはとある無明状態にたいする大規模破壊
的介入であり初動にその意思があり結果に無明状態の破壊がある場合はそれではない
かといった議論になりうるとかそういった話である。
なにやらわけがわからない、と言う人も居るかも知れないので実例をいくつか挙げよ
うかと思った次第。
1. 大英帝国によるアフリカ征服はサハラ以南の無明に対する介入である
2. ソビエト連邦による社会主義化工作は資本主義無明に対する介入である
3. アメリカ合衆国によるアラブ圏侵攻は部族主義無明に対する介入である

これらは皆聖戦論である。 実はそれなりに正しくようは程度の問題で、歴史上発生
した事例を聖戦視するのは結局終わった事を私的に眺めて感想を言っているだけで
ありこれただの、趣味である。 だが無明は有った。
さて何故今日の人類社会ではこれが問題視されたりされなかったりするのか。 戦争
の理由として用いられたからだ、ならば今なおそうなっているフェミニズムでも問題
視するべきだろう、すでに終わっている過去のこれらはそれほどは当てはまらない。
何が問題なのかこれは誰が問題だとしているのかがその答えとなるつまり、自称
「被害者」たちの感情論であろう。 私は彼らが、彼らの持つ状況支配に対する欲を
認識するようになれば「ただの趣味」が社会問題であるかのように語られる事は
減るだろうと見ていてそう指摘している。
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