赤い旗
たなびき響く
無神論
どこでどうして
こうなったのか
労働組合というとコミンテルンに行き着く。
コミンテルンで高い地位を得た日本人として、片山潜氏の名前が挙がる。
なのだが彼の歴史観には私の視点からは不正確と思える部分が目立つ。
そしてこの歴史観の不正確さ、日本のサヨクと呼ばれる人達のそれと
一致しているように見える。
ソ連人の歴史観が不正確なのかというとおそらく違う。
ネタを漁っている時に何回か目にしたが、アメリカ人やイギリス人のそれよりも
歪みが少ないのではと思える点も多かった。
つまりコミンテルンは、正さなかった。
そんなこんなで、労働組合について。
労働者がいて資本家がいるというのが左側の人達の論法なのだが
とりあえずここでは、労働者と経営者がいるとして考える。
労働者には高質な人と低質な人がいるわけだ。
高質な労働者とは勤勉で有能、モラルが有る。
従順さはここでは考慮しない。
経営者にも高質な人と低質な人がいると。
高質な経営者とは会社の健康を維持出来る人。
会社の発展はここでは考慮しない。
というわけで会社の状態を以下に分けて考える。
1. 高質な労働者と高質な経営者
2. 高質な労働者と低質な経営者
3. 低質な労働者と高質な経営者
4. 低質な労働者と低質な経営者
双方高質な場合は、基本的には問題無し。
労働者は社会水準と比較してまあそれなりの賃金と待遇を受け続ける。
ここでは労組は必要無い。
労働者のみが高質。
経営者が会社の足を引っ張るケースだ。
高質な労働者は不当に低い賃金と待遇を受ける。
このケースの対処法は、独立だろう。
起業の自由が充分に存在する状況下ではこの問題は勝手に解消する。
逆に言うと起業が出来ない、新規参入がない社会では状況はそのまま固定化する。
ここでも労組は必要無い、というより、問題解決に機能しない。
労組とは起業する組織でも無能をクビにし差し替える組織でもない。
労働者が低質。
ここで会社の健康を維持するために経営者が取る手段は色々有り得るのだろうが
例としては、ルール適用を厳格化する、インセンティブを導入し質を改善する、
作業を個別化・簡略化し馬鹿でも出来るようにする、
最も低質な労働者をクビにするなど。
ここでは労働者の賃金は低いのだろうが不当に低いわけではない、ということになる。
労働者、経営者共に低質。
自由競争が機能している場合はこの手の会社は早晩、破綻する。
残る場合というのは税金組織か犯罪組織か。
こうした組織の残存自体が犯罪的なのだとするとその手の税金組織は
犯罪組織に含まれることになる。 税金泥棒というヤツだ。
二つ傾向が見えてきた。
・労組を求めるのはもっぱら低質な労働者
・低質な会社の排除は無競争下では困難
・高質な経営者がいないと社会は悪化の方向へと進む
・社会の健康に必要な経営能力は起業と会社維持である
実際にはここまで極端ではないわけでだいたいが真ん中ら辺に位置するのだろうが、
いずれにせよ高質な経営者の存在の方がより重要、ということになりそうだ。
で高質と低質とを分ける線は社会が要求するサービスの水準、
ということになるわけだ。
ただの石コロを有り難がる社会において高質な労働、高質な経営とは
それを拾ってくるだけの労働でありそれを店先に並べるだけの経営である。
さて教育は質を保障しているか、
サービスの要求は必要に準じているか。
ソ連の正確さとサヨクの不正確さを重ね合わせると
そこから彼らが「インターナショナル」と呼ぶものの実態を
うかがい知ることが出来るのではないかと思う。
そこから出る私の結論はそれは、宴会のようなものだったのではないかと。
もちろん酒が出る席ではなかったのだろうが。
さて問題。
会社の発展とは何を指すのだろうか。
たなびき響く
無神論
どこでどうして
こうなったのか
労働組合というとコミンテルンに行き着く。
コミンテルンで高い地位を得た日本人として、片山潜氏の名前が挙がる。
なのだが彼の歴史観には私の視点からは不正確と思える部分が目立つ。
そしてこの歴史観の不正確さ、日本のサヨクと呼ばれる人達のそれと
一致しているように見える。
ソ連人の歴史観が不正確なのかというとおそらく違う。
ネタを漁っている時に何回か目にしたが、アメリカ人やイギリス人のそれよりも
歪みが少ないのではと思える点も多かった。
つまりコミンテルンは、正さなかった。
そんなこんなで、労働組合について。
労働者がいて資本家がいるというのが左側の人達の論法なのだが
とりあえずここでは、労働者と経営者がいるとして考える。
労働者には高質な人と低質な人がいるわけだ。
高質な労働者とは勤勉で有能、モラルが有る。
従順さはここでは考慮しない。
経営者にも高質な人と低質な人がいると。
高質な経営者とは会社の健康を維持出来る人。
会社の発展はここでは考慮しない。
というわけで会社の状態を以下に分けて考える。
1. 高質な労働者と高質な経営者
2. 高質な労働者と低質な経営者
3. 低質な労働者と高質な経営者
4. 低質な労働者と低質な経営者
双方高質な場合は、基本的には問題無し。
労働者は社会水準と比較してまあそれなりの賃金と待遇を受け続ける。
ここでは労組は必要無い。
労働者のみが高質。
経営者が会社の足を引っ張るケースだ。
高質な労働者は不当に低い賃金と待遇を受ける。
このケースの対処法は、独立だろう。
起業の自由が充分に存在する状況下ではこの問題は勝手に解消する。
逆に言うと起業が出来ない、新規参入がない社会では状況はそのまま固定化する。
ここでも労組は必要無い、というより、問題解決に機能しない。
労組とは起業する組織でも無能をクビにし差し替える組織でもない。
労働者が低質。
ここで会社の健康を維持するために経営者が取る手段は色々有り得るのだろうが
例としては、ルール適用を厳格化する、インセンティブを導入し質を改善する、
作業を個別化・簡略化し馬鹿でも出来るようにする、
最も低質な労働者をクビにするなど。
ここでは労働者の賃金は低いのだろうが不当に低いわけではない、ということになる。
労働者、経営者共に低質。
自由競争が機能している場合はこの手の会社は早晩、破綻する。
残る場合というのは税金組織か犯罪組織か。
こうした組織の残存自体が犯罪的なのだとするとその手の税金組織は
犯罪組織に含まれることになる。 税金泥棒というヤツだ。
二つ傾向が見えてきた。
・労組を求めるのはもっぱら低質な労働者
・低質な会社の排除は無競争下では困難
・高質な経営者がいないと社会は悪化の方向へと進む
・社会の健康に必要な経営能力は起業と会社維持である
実際にはここまで極端ではないわけでだいたいが真ん中ら辺に位置するのだろうが、
いずれにせよ高質な経営者の存在の方がより重要、ということになりそうだ。
で高質と低質とを分ける線は社会が要求するサービスの水準、
ということになるわけだ。
ただの石コロを有り難がる社会において高質な労働、高質な経営とは
それを拾ってくるだけの労働でありそれを店先に並べるだけの経営である。
さて教育は質を保障しているか、
サービスの要求は必要に準じているか。
ソ連の正確さとサヨクの不正確さを重ね合わせると
そこから彼らが「インターナショナル」と呼ぶものの実態を
うかがい知ることが出来るのではないかと思う。
そこから出る私の結論はそれは、宴会のようなものだったのではないかと。
もちろん酒が出る席ではなかったのだろうが。
さて問題。
会社の発展とは何を指すのだろうか。