狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

媚について

2009-10-30 15:52:13 | Weblog
媚びられて
喜ぶ人の
浅ましさ
うらやむ人の
浅はかさ知れ

イラン、IAEAに返答。
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2009/10/2009102914740773263.html
どんな夢を見ましたか?

大阪がカジノ引き受けを表明。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091029-OYT1T01218.htm
地域別パチンコ禁止も策かと。

たばこ税増税も、金額は入れず。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091030/fnc0910301204016-n1.htm
煙草の害が広く認識されだしたのが日本では1970年代のはず。
その間ずーっと公害企業、薬物依存蔓延企業で有り続けたのが煙草業界。
まあいずれにせよ私は燃料税、たばこ税、パチンコ税、ゴルフ税には反対しませんが。

さて、媚について。
媚は通貨である。
労働の対価として、特権の対価として、現金の対価として、媚が要求される。
ある人に媚びた人は、別の人に媚びられることを求める。
歓楽街に行けば専業媚び売りが居る。

インフレも起きる。
皆が媚びると、媚の価値が下がる。
国家規模での媚インフレが起きると、その媚形式の価値は挨拶にまで下がる。
デフレも起きる。
媚びる価値無しと判断されたところでは、媚の価値が上がる。

やっかいなことに、媚は無形通貨である。
さらにその価値は個人単位で決まり、媚デフレに対し媚依存症のような症状が出る人もいる。
媚びる人が媚を求める、という構図からはそれが、マイナスの通貨であることが伺える。
通常ゼロかマイナス。 マイナスになった人が求める。 そういう通貨。

首相殿の言行を見るに日本の民主党は媚デフレを起こした人の集まりであり、
媚デフレ時代の価値観に従って行動していると。

媚デフレを起こす人が腐っているのではなく、
元々そういう傾向がある人もデフレを起こすまでは目立たないだけと。
媚思考は害悪だ。
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韓国について

2009-10-29 19:39:00 | Weblog
近代の
道を開いた
テロリスト
讃える人の
思惑何処

韓国、大韓民国という国をどう捉えるか。
幾つかある。
・中国の属領
・儒教原理主義国家
・日本の植民地
・分断国家
・先進工業国

だいたい歴史の順に並べたが、今日一番大きい特質だろうと見るのが分断国家、
その次が、儒教原理主義国家。

韓国は儒教原理主義国家である。
歴史的にそうであって近代までずーっとそのまま来た。
神道、仏教、儒教が緩やかに連なりながら点検が働いてきた日本の歴史と違って、
朝鮮半島に存在してきた国家は常に一極的だった。
韓国の近代化とは、儒教原理主義色が少しずつ消えていく過程だったと言える。
だが前世紀末、この流れを逆転させる現象が起きた。
ジャパンバッシングである。

私は日本という文化を、育てられたものと捉えている。
二十世紀後半、東洋と西洋の融合、労使協調路線、己を律することを目的とする武道などの
社会文化が工業製品やアニメ、ゲームなどの形で世界に広まっていった。
それに対してニューヨークを中心とする勢力が示した拒絶反応がジャパンバッシング。
当時の国際世論が韓国の持っていた物の内、反日的な物を肯定した。
事実よりも発展性よりも、怨嗟と被害妄想が正しいとされた。

もちろん韓国が原理主義に立ち返った最大の理由は外部ではなく内部、
韓国人自身の粗悪さにある。
だが彼らが発展と正常化の芽をつみ取ったのも事実だろう。

私は原理主義性への配慮というものは配慮する人たち、される人たち双方にとって
害悪にしかならないと考えるが、私と逆の側に居る人たちはそうとは考えていないようだ。
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アフガニスタンについて

2009-10-28 21:04:16 | Weblog
爆弾を
仕掛ける人の
思惑の
通り進めば
無辜の流血

カブール国連施設、武装勢力が占拠とのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091028-OYT1T00624.htm

ペシャワールで車爆弾。
http://english.aljazeera.net/news/asia/2009/10/2009102874426304327.html

もしイスラエルが無かったら?
もしイラン革命が無かったら?
もし湾岸戦争が無かったら?
もし1998年アメリカ大使館爆破事件が無かったら?
もし911事件が無かったら?
もし現在、タリバンが居なかったら?

そもそもだ、何故タリバン政権は1990年代にアルカイダに寄生されることになったのか。
アフガニスタンの荒廃か? それもあるだろう。
当時のアメリカとの不一致か? それもあるだろう。
私は最大の理由を部族社会の風習に見る。
彼らは殺さないことよりもサウジアラビアからアメリカを追い出すことを優先した。

結局のところ彼らはイスラム主義者では無かったのだろう。
部族主義者の集まりに過ぎなかった。
その結果国家の代表として、外部に対してどうあるべきかが理解出来なかった。

現在のタリバンがアフガニスタンの支配を取り戻すとどうなるか。
ソマリアみたいになるだろう。
ニュースに見る彼らはかつてのタリバンよりも、無軌道で低質だ。

現在の彼らは選ばれるべきではない。
政府になりたいのなら銃を降ろして政党でも作るべきだ。
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玄界灘海難事故について

2009-10-28 14:54:37 | Weblog
嫌がらせ
脅しの為に
脆弱な
部分を利用
する国だらけ

2003年にあった玄界灘海難事故についてその前に何があったか調べてみたのですが、
前月に有事法制が成立していると。
さらに事故の前日に香港でデモ「七一遊行」が起きている。
まあデモ消しの方はメンツ立てや利害調整の類で主体ではないと見ていますが。

韓国は当時そういう国で、今もそういう部分が少なからず続いている
としか言いようがない。

豪腕殿の不明金が2004年でしたか。
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アフガニスタンについて

2009-10-27 22:16:40 | Weblog
ドンパチの
続く土地柄
何故続く
社会選ばぬ
先のあきらめ

アフガニスタンで女性の地位向上に壁とのこと。
http://cnn.co.jp/world/CNN200910270004.html
私は常日頃フェミニズム勢力を敵と見なしていますが、
女性が学校に行けない状態というのはそれはそれでおかしいかと。

日航再建だそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20091026-OYT8T00401.htm
去年イスラエルに行った帰りローマから乗りました。
テルアビブ直行便を作ってくれと書きましたが、まだ実現していない模様。

トルコ政府が、クルド人に対し融和に。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-10-27/2009102707_02_1.html
これは良いニュースのように見える。

さてアフガニスタンについて。
現在のアフガニスタン問題点を以下の三つと見るわけです。
1. 政府が腐っている
2. 戦争やってる
3. 貧乏だ

この三つが悪い意味で今のアフガニスタンを表していて、
どれが欠けても今のアフガニスタンではなくなると。
で勝手に想像で書きます。

政府が腐っている点。
アフガニスタンでは偉いとされる人は、強くて気前が良くて偉そうな人と。
当然代表に選ばれるのは強くて気前が良くて偉そうな人。
じゃあ強くて気前が良くて偉そうな人ってどんな人かというと、
日本では一般に、ナラズモノ。
私の見たところナラズモノを代表に選ぶ風習があって各人その風習に従って行動した結果、
代表に選ばれる人たちがナラズモノばかりになると。
当たり前の話ではないかと。
じゃあどうするべきかというと謙虚でケチで生真面目な人を選んでいけば
少しずつ政治が良くなっていくはずだろうと。

戦争やってる点。
各人銘々正義を主張しそれに沿った勢力に肩入れしていると。
正義の根拠は大概利権と感傷なわけで、行き着くとこまで行き着くとどっちが上かで殺し合い。
これはなんらかの形で統一を進めるしかないと。
直近の統一がどこかを論じる方に社会を向けていく。
これに殺さないこと、殺す人を助けないこと、殺す人は迷惑だと周囲に伝えることを続けていくと。

貧乏。
ぱっと見これといった産業が無い。
もともと貧しい地域に戦士ばかりがわんさか居る印象。
これをどうするかというと、選択肢を出すと。
耕すか、出ていくか。
必要なのは農家であって戦士ではないという認識が国民の意思として街角に溢れる
そうならないと現在の状況は改善しないだろうなと。

この認識が正しいのなら、国民がそうしていけばいいだけの話。
つまり腐敗と戦争と貧乏を続けているのは、そこに住んでいる国民の選択であると。
もちろん望んだわけではないのだろうが、避ける事よりも諦める事の方が多かったのではと思う次第。
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ブラジルについて

2009-10-26 23:48:51 | Weblog
地球儀を
半分回し
傾けて
魚美味いか
見る海原に

幾つか補足。
必要社会の人たちからは事実が拾えると前に書きましたが、私はこの判断方法は
詐欺社会の人たちがなにやら紛争を抱えている時に事実がどの辺にあるか
絞り込みたい時にのみ有効な手法と考えています。

FPSはパチンコに相当するのではと書きましたが、当然それは賭博ではない。
娯楽の中では現実逃避傾向が強く遊戯中に社会について考える切っ掛けに乏しい
という意味で近いと。
基本的に中立なはずなので弾圧する理由は無く、
あえて言うなら点検を忌避し続けた社会に徴兵娯楽蔓延プゲラワロスと。

国内に時差がある国、ぱっと見時差が有っても良さそうに見える国を
大規模国とすると、ロシア、カナダ、アメリカ、オーストラリア、中国と、
ブラジルがそれに該当すると。

世界地図を見るに政治圏は縦に広がる傾向が無くもないように思える。
これは寒い地域と暑い地域で補完し合う傾向があるのでは無いかと考えたり。
この見方が正しいにせよ間違っているにせよ、南北関係でブラジルはアメリカの南側、
ということになる。

人口は2億近く。 南米の人の半分がブラジル人である。
南米二位の人口がコロンビアで4500万人、アルゼンチン4000万人、ペルー2900万人、ベネズエラ2850万人。
オリンピックが成功するとその後はこれらの国々が、ブラジルの裏庭と化すわけで。

ブラジルと仲が悪いというと、日本ではアルゼンチンが有名。
地図で見るにアルゼンチンの海の先には南氷洋しかない。
さらに南極に目を向けるとその間にはフォークランド諸島。
ヨーロッパの方向に線を引くと、その間にブラジルが入り込む。
なるほど、アルゼンチン人にとってブラジルは目障りだろう。

これから先ブラジルが隣国の裏庭化を避けようとするならば
邪魔をしないという視点が必要になると思われるが、はてさて。

メキシコで麻薬カルテル最高幹部を逮捕。
http://cnn.co.jp/business/CNN200910230027.html
おめでとうございます。
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イスラエルについて

2009-10-26 20:15:16 | Weblog
民族の
悲願成就と
言うけれど
端から見れば
厄介払い

イランの秘密核施設で核査察が行われるらしいと。
この流れの先にあるのはイラン核武装か、核武装路線の放棄かのいずれかである。

イランが核武装する理由として挙げるものに、イスラエルの核武装がある。
イスラエルは核武装しているか、ということの答え方に、
イスラエルは核実験をしたか、というのがある。
核実験をしない限りは自前の核兵器ではなく、
仮に核兵器が配備されていたとしても核使用の実効性を他国に依存している状態となる。
この点でイスラエルは、北朝鮮などとは違うわけだ。

現在のイスラエルは、核兵器が配備されているかもしれない、という状態であると。
そして私はイランを核実験の寸前であると見ている。

イスラエルは、核兵器があるか無いか判らないという核抑止を持っている。
これはイスラエルにとって必要か。
これまでの歴史経緯からは残念ながら、必要だったのだろうとの結論に到る。
これから必要かどうかはまた別の話だが。

現在イスラエルを敵視している国が三つほど有る。
イランと、北朝鮮と、国として数えるのが正しいかどうかはさておき、ガザである。
三つともテロ上がりの国であり、アメリカを中心とする勢力に封鎖されている国である。
その動機を私は、同様にテロ上がりの国であるにもかかわらず欧米の承認を受けている
イスラエルという国に対する嫉妬にあると見ている。

パレスチナ紛争も有る意味ユダヤ人ゲリラとアラブ人ゲリラの闘争であり、
結果ユダヤ人ゲリラが勝ちイスラエルという国が出現したと見ていると。
海外マフィア対地元ヤクザみたいな話とも。

さて現在の問題は何か。
考える。
・パレスチナ人に安定した国が無い
・イスラエル人の国が周囲からの脅威に曝されている
・イラン人の国がアメリカとの敵対関係から封鎖されている
・イランがイスラエル敵視政策を採っている
・イランが核武装計画を遂行中

それぞれに対する直近の安定点はどこかというと割と簡単で、
・イスラエルがパレスチナを承認し、そこが安定すればよい
・アラブ諸国がイスラエルを承認し、一定の安全保障状態が実現すればよい
・イランとアメリカが妥協すればよい
・イランがイスラエル敵視政策を放棄すればよい
・イランが核武装を断念すればよい

こうなる。
個々は難しいかもしれないがだいたい上から順に安定させていけばよく、
その後に
・イスラエルが核査察を受け入れればよい

が来ると。

残念ながらこのまま行くと最初に来るのはイランの核武装。
パキスタンが、北朝鮮がそうなったようなプロセスを彼らは進むと。
そうなると私が実現性があると考えているこの一連の流れは、有り得ないこととなる。
もちろん私の考えと違う見解もあるだろうし
直近の安定点よりももっと遠くの安定点の方が良いという意見もあるだろう。
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壁について

2009-10-25 22:35:54 | Weblog
向こう側
見えぬ隔たり
壁と呼ぶ
何が狭める
知識の範囲

フィリピンで衛生状況が悪化中とのこと。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013335441000.html

二十世紀に物理学者は幾つかの限界を発見した。
光速の壁。 不確定性の壁。 重力の壁など。

我々が知りうる宇宙は、150億光年の半径だそうな。
宇宙が膨張していることからそれよりも外側について、知る方法が無い。
我々には、我々に限らず同じ物理法則に従う宇宙人もだが、知る方法が無いことが発見されたと。
100億光年先もどうやら地球と同様のようだということが観測されている。
まあ観測されているのはそこの100億年前の状況だが。
おそらく100億光年先でもやはり、150億光年の半径が知りうる限界のはずである。
100億光年先の100億光年先は我々にとって200億光年先なのだが、
100億光年先の人がその情報を我々に向かって送っても、我々には届かないらしい。
彼らがその先の情報を受け取る頃には彼らは我々の150億光年の先に消えてしまっているし、
彼らにとっての我々も150億光年の先に消えてしまっていると。
宇宙のさようならは因果関係もも断ち切るらしい。

量子力学の発見の数々が人類に示したものはどうやら、
物質は不確定さという広がりを持つらしいということ。
正確に未来の状態を知ることは不可能ということが発見されたと。
その研究に伴って世界はどうやら複素数で計算するのが正しいということも発見されたのだが
どうやら我々は実数しか認識出来ないらしい。

重力は空間を歪ませるらしい。
太陽の後にある星が太陽の横に見えることで確認された。
これが重力レンズと呼ばれる現象である。
でその歪みが大きくなると、ブラックホールになるらしく、
その内側は物理法則が違うらしい。

他にもカオスや、あらゆる物理法則が時間を逆にしても成立することが発見されたが
要するに科学は世界というジグソーパズルの枠を組み上げるところまで来たと。
まあそれらが幽霊とかを肯定していると捉えるのはオカルトですが。

パレスチナで来年選挙。
http://cnn.co.jp/world/CNN200910240003.html
仮にハマスが勝利したとして、はたしてイスラエルはそれを容認出来るのかどうか。
容認出来ないということはイスラエル人が隣人の政治意思を尊重出来ないということになりますが。

日本人と国連の関係は敵国条項の空文化確認を妥協点としていますが、はてさて。
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治安維持について

2009-10-25 21:26:19 | Weblog
腰に巻く
ベルトに下がる
鉄の筒
抜いて放つは
雄のシンボル

社会がある。
一定のルールがある。
当然、違反する人が出てくる。
実際には秩序を維持するためにルールがあるわけだが、秩序と治安には若干の差違がある。
三角頭巾で顔を覆った人たちが十字架を囲んでバーベキューパーティーをすることは
秩序を乱しているわけではないが治安に問題があり、海パン一枚の男が街を練り歩く姿は
治安に問題は無いが秩序を乱していると見なされる。
戒厳令下は秩序ある状態ではないが治安は維持される。

今回のテーマは治安維持。 秩序維持では無い。
極論すると暴力犯罪が無ければ治安は維持されていることになる。
民事犯罪は治安維持の外の出来事。
治安維持は一般に、過去に起きた暴力からこれから起きるであろう暴力までがその範囲となる。
だが暴力に対する感性、特にこれから起きると想定する範囲はかなり個人差がある。
勉強している受験生の隣でテレビのコメディーを見るのはその受験生にとっては充分に暴力であり、
野球のピッチャーが投げる時速150kmの球がバッターの尻に当たるのは暴力ではない。
社会的に裁かれるべき暴力かどうかは状況に左右され、暴力と認識されるかどうかは主観で決まる。

犯罪者、治安を乱す者はこう呼ばれる、は自分の犯罪を許される物と認識して行動している。
状況がそうさせた、自分は社会の被害者だ、みんなやっている、ちょっとくらいいいじゃないかと。
ここで治安維持者の出番となる。
犯罪者を逮捕するのである。

治安維持とは犯罪の抑止と犯罪者の逮捕である。 まあ射殺もあるが。
ここに問題がある。
逮捕側と被逮捕側との認識差である。
とりあえず状況を四つに分ける。
1. 逮捕者の認識が正しく、被逮捕者の認識も正しい場合
2. 逮捕者の認識が正しく、被逮捕者の認識が間違っている場合
3. 逮捕者の認識が間違っていて、被逮捕者の認識が正しい場合
4. 逮捕者の認識が間違っていて、被逮捕者の認識も間違っている場合

両方正しい場合。 これは逮捕者が逮捕すべき人に正しく辿り着け、そして被逮捕者も
自分の行いが犯罪だったと認識している場合。 自首の場合もこれになる。
逮捕者が正しく逮捕に辿り着いたが、被逮捕者が逮捕は間違っている認識している場合。
未遂の場合や被逮捕者が犯罪被害者を暴力を受けて当然と認識している場合、
或いは被逮捕者が自分の暴力や暴力準備を肯定的に捉えている場合がこれになる。
逮捕が間違っていて被逮捕者がそれを知っている場合。
冤罪一般である。
逮捕者、被逮捕者共に認識が間違っている場合。
身代わりや別件逮捕、被逮捕者が冤罪を修行か何かと認識しているような例。

1の場合は逮捕した時点であとは裁判所の仕事であり、治安維持の外となる。
2の場合も同様だが、釈放された場合は再犯に到る可能性が大きい。
3の冤罪の場合は治安維持者が治安を乱しているということになる。
4はややこしいが、3と同様に真犯人が野放しになっているわけであり問題ありと。

社会で冤罪、不当逮捕が叫ばれるものの多くは、2と3の場合。
まあ刑務所に住所を移すことを望む人は少ないのでいずれの場合でも
冤罪で通るならそうする人は居るだろうが。
冤罪を少なくするには人と物両面での捜査技術の向上と、社会の協力が必要と。

治安維持はグレーゾーン、不確定領域が大きい。
というより、逮捕の多くは不確定領域で行われる。
社会の協力が無い場合は不確定領域はさらに大きくなる。
当然逮捕は恣意的になる。
逮捕を行うか否かは逮捕者が決定する。
そうなる。
だからもめる。
治安の維持者に対して反対派が出てくる原因の一つが、逮捕の恣意性である。

この逮捕の恣意性を少なくするのが裁判所の役目の一つなのだが
正直どの国を見ても良く機能しているようには見えない。
困ったもんだ。

イランの核疑惑問題。
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2009/10/20091024162527643466.html
私はイランの意思は核兵器の開発にあると見ています。
核兵器開発は止めるべきであり止められるべきであるという観点からこの問題では、
アメリカと、イスラエルが考えている方法がどちらかというと正しいと見ています。
だから彼らに止まれと書いた。
彼らは正しさの確信から間違う領域に踏み込む。
だから間違うのなら私が間違うべきだ。
一番いいのはイランの人たちが核兵器の開発を諦めることですが。
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FPSについて

2009-10-24 18:56:34 | Weblog
銃口を
画面の向こう
人の影
狙い定めて
引き金を引き

FPSというゲームのジャンルがある。
ファースト・パーソン・シューティング、兵士になって画面の向こう側へ銃を撃つ
そういったゲームである。

欧米で絶大な人気を誇るこれ、日本で人気がない。
ゲームセンターではよく見かける。
ゲーム好きな日本人なら誰もが一回か二回はやったことがあるだろう。
でもコンシューマ市場では人気がない。
やったことがある人が大半なのだから食わず嫌いの類では無い。

何故日本でFPSに人気が無いのか。
日本人は戦争を嫌っているのか。
いや違う。
戦術ゲーム、戦略ゲーム共に日本の娯楽史に残るほどの隆盛を誇るジャンルだ。
日本人は戦闘を嫌っているのか。
これも違う。
剣と魔法はゲーム業界に止まらず、日本で最大の人気を誇る。
平和教育の成果か。
否だろう。
平和教育が奉られている地域ほどスラム化し、暴力が蔓延っている。
あれはキチガイ教師の免罪符だ。
別ジャンルの隆盛によってFPSが普及する空間が無くなっていたのだろうか。
わからない。

ふと思う。
FPSという娯楽は、社会を点検する要素に欠けているのではなかろうか。
よってそれは自分の居る社会を点検する、社会における自分の立ち位置を確認する、
そういったことを嫌う人たちに人気があると。
欧米人にとってFPSは、パチンコのようなものなのではないだろうか。
いやパチンコをしたこと無いから実際にそれがどういう物なのか知らないが。
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