狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

善、予測、教条主義

2018-09-26 11:48:47 | Weblog
「善ってなんだ?」という問いの答えを私は「全体のそれぞれにとってより良い状態を願う事」とすると。 なんでこうなるのかを言うに、「一部にとってのみ良い事を願うのは善ではない」とするから。
単に「全体の良いを願う」だけならパッと考えて難しい事ではなさそうだと。 だが、より具体的に「どうする?」と問われるとなると途端に難しくなる。 ここに予測が入る。
孫が十人いる老人が居たとしよう。 孫それぞれに、クリスマスプレゼントを買うと。 一人一人の状態を思い浮かべ、喜ばれ、且つ悪意の側悪事の側に転ばない何かを見繕っていく事となる。 これは善行か。 その老人と孫たち、狭い関係でならばそうだろう。 だがその外側については定かではない。

予測をしないモノがするモノに「何が善行か」と聞いたとしよう。 予測をするモノは、相手が予測をしないモノである事から簡単な答えを聞かせようとする。 例えば「きれいな空気や水を与えるような事である」と。 これはこれで、それなりに「何が善行か」の答えになっている。 だが予測しないモノたちがその「単なるその場の答え」に固執する事はどうか。 彼らのそれは「より良い全体を願う」事になっていない。 さらには、与えられた答えを以って、部分により悪い状態を願う事も可能である。
「他のモノたちにより悪い」を願うモノたちが教条主義に陥るのか。 世間に多く見られるな。
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「西側の諜報業界が米中対立を嫌っている」と書くと判り易いか

2018-09-23 22:57:23 | Weblog
先ほど父が見ていた池上彰氏の番組で、「プーチン政権に暗殺されたジャーナリスト」というのをやっていた。
で、その池上氏なのだが、彼は今現在子役問題に揺れている人物。 「子役問題って何?」って人に書くと、番組に一般人として出てきた子供が安倍政権嫌いを表明したのだがこれが業界で使われている劇団の子役だった事が判明した、というもの。 少し前まで同種のケースとして「共産党員の女」が有名だったがいわゆる「やらせ番組」であり、自民党総裁選に合わせた工作をしていた、という話だな。 今現在ネットからtwitter筋で悪評が拡散しているこの
池上氏が今回出したのが「ジャーナリズムでございます」式の番組だったと。

表題の。 日本人に、さらに判り易く書くと「国土交通省に高速道路派と鉄道派とが居て、前者が主流」となっている状況があったとしよう、ここに鉄道派の政権が出てきたらあっちこっちで反対工作を始めた、とかそんな感じと。
本来、鉄道がいいか高速道路がいいかはケースバイケースである。 だがしがらみが絡んでくるとそうはならない。 「利権問題か」と反応するだろう、これが諜報機関となるともっとタチが悪い。 なんせ手段が色々とある。 だが国家の主権は諜報機関の私物ではない。

まずソ連もといロシアの状況を考えてみよう。 マフィアである。 ロシアンマフィアはロシア国内の軍需産業、そして西側の諜報機関の双方と繋がっていて、そしてプーチン政権と緩やかに対立している。 西側諜報機関にしてみたら、マフィアがロシアを滅茶苦茶にしてくれたらロシア全体の操作はしやすくなり自分たちへの脅威が減り利権が増える。 「畑が大きくなる」と言った感じ。 一方で、東西双方の一般人が死ぬ確率は増える。 激増する、と言ってもいい。 メキシコが例だな。 シリアでもいいか。 「各国に堅固な政権が構えていて、国境を挟んで睨み合いが続く」というのが現実的に選択可能な中で一番良い状況。 諜報機関は違っていて、「各国で諸勢力が乱立しその操作の主導権を自分たちが握っている」という状況を良いとすると。 ロシアに対するそれが「マフィア支援」であり、日本に対するそれが「民主党政権」だな。
「ロシアの現状がそうとは限らない」と言われるだろうか。 ロシア国民のプーチン支持が状況証拠だな。 最近低下中らしいが、まあミンスの類だろう。

西側諜報業界内部を考えてみる。 まず事の起こりは冷戦中期。 ベトナム戦争から「中共との対立」から「中共との協調」「中ソ対立の促進」へと方針が変わった。 末期には「ソ連との協調」へと移行するがそれは別の話。 方針としてのこの「中共協調」「中ソ対立」は半世紀続いてきた。 今いる業界の老害もとい上層部エリートたちは「今更変えられても困る」としているわけだ。 そんなこんなでシリアを破壊し、ウクライナでクーデターを扇動し東西分裂を招いた。
上に「鉄道か高速道路かはケースバイケース」と書いた。 では諜報業界人たちは「米中対立か米ソ(米露)対立かはケースバイケース」とするだろうか。 Yesだ。 よって内部での反応は何通りか考えられる。 まず強固な対中派ないし対露派。 これは少数だろう。 「状況に応じて置き換わる位置」に収まらないのならばそもそも雇用されない類の人間。 次にケースバイケース派。 まともであり本来こうあるべきなのだが毎回そうした立ち位置に居るならば業界慣行の中で冷や飯食いになる。 脇に追いやられる。 残りの大半が、日和見派。 老害もとい出世した業界エリートたちの大半がこれで、米中対立への移行を「今までそうじゃなかったのを我慢してきたのに今更変えるなんて」と考えている。 出世のために良心を捨てた結果、メンツだけが残ったそんな連中。
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「跳び箱」を用いて考えてみる

2018-09-18 21:36:50 | Weblog
国内は煽り運転の取り締まり開始、喫煙イコール意図的迷惑行為とする常識の定着。 国際的には「中国の悪」の表面化・政治問題化、ポリティカル・コレクトネスでこれまで蓋をされてきた移民問題が主題となってきたと。 ようやく、人間社会がまともになってきた、そう感じる。 芸能界、報道業界と麻薬の関係、富裕層と訴訟弁護士、人権団体の関係、ウォール街と大学業界の関係は、まだだね。
国内のこうした流れに、スポーツ界教育界の不正・暴力体質の見直しがある。 その一端に、跳び箱を挙げる声があったと。 事故が多く益に乏しいと。 これまでそれに注目していなかったのでなるほどと思ったと。

跳び箱。 で、ちょっと考えてみた。 こうしたらどうなるだろうかと。 跳び箱の授業を任意とする。 そして、「跳び箱の準備・後片付けは教師がする事」という風に学校教育指導要領を変え、罰則を明示する。 教師が生徒にその準備片付け作業をするよう支持した場合は一回目ならば口頭注意、注意後再度した場合は教員免許停止処分。 これでどう変わるか。 おそらく、大半の学校で跳び箱は、体育倉庫の置物と化す。
今日の学校教育下、「跳び箱の準備を生徒にやらせたら罰」としたら誰もやらなくなった、そういう現実があるとしよう。 これどういう事かというと、準備と片付けに五分ずつ、合計十分強かそこらの手間をかけるだけの意義を、教師が認めていないという事になる。 もっと言うと、生徒に共有する形で扱わせる機材の準備、こうしたものは民間では給料の内なのだ。 教える側のプロなら自分で準備して当たり前。 これが学校教師には無い。 つまり「偉そうにする」「生徒に命令してやらせる」のが自分たちの権利だと思い込んでいるのではないか、そういう指摘がこの結果に含まれているのだと。
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中庸中立の無為

2018-09-14 01:10:01 | Weblog
いじめ行為や積極的嫌がらせ、無意識か周囲の状況に気付かずの行動が嫌われるケース、意図的犯罪行為。 これらの区別がつかない人間が結構いると見る。 「常識的な人」というのは何がどれに該当するかを事細かく教えられていない状況でもおおまかに区別がつく。 そうではない人間も居る、というか、そうではない人間は、自分の行動に伴う善悪の感覚、事の軽重がこれになっていないと。

以前ネットで、うろ覚えだが「ネットの嫌がらせも規制しろ」といった発言を目にした。 これは「区別のついていない人間の戯言」としてスルーされていたと見たが、考えてみて惜しいと思うわけだ。 なんせこれ、日常的に平然と嫌がらせ行為を繰り返す人間たちの、本音の一端なのだ。 ミソクソまぜっかえす、大声で場を混乱させようとする日常行動かもしれない。 だが当人は、ある程度通じると思って発言している。
でだ。 「積極的嫌がらせ」と「個人の自由の範囲で嫌って遠ざける、否定的評価を書く」のの違いはどの辺にあるのか。 この差が判らなければそれは分別の無い人間だが、分別のある人間でもそれを漠然としか解っていない。 「経験を積めば自然と判る」というのが「ある側」の共通認識だがそうとも言えないと見る。 実例を挙げよう、韓国は文政権とその支持者たち。 バンギムン前国連事務総長。 フェミニズム。 反ナチズム。 前二つは説明不要だろうが後二つは要説明だ。 反ナチズムとは奴隷制アメリカとマルクス教ソ連が旧植民地を再配分するにあたって同様のトップダウン型強権支配であるドイツのそれを「あいつらが悪よって俺たちは善」とするために発明したものである。 フェミニズムも、部分的には近代化と戦時生産体制から自然発生したものではあるがポリティカル・コレクトネスとしてのそれは西洋、もっぱらアメリカが後進国イスラム主義に干渉、介入し破壊するための道具。 ゴミとしてとっとと破棄すべきものだが「教育者」と称する連中もが信じてしまっている。
話を戻そう分別の有無だ。 現状は教育者までもが「政治のためのレトリック」を信じるようになってしまっている。 教条主義だな。 教条主義は分別ではない。 「こういう事例が個人の自由による嫌悪、こちらは実害のある悪事」と一つ一つ教えていく事は可能だが、御覧の通り広域の損得勘定が絡む状況では政治レトリックの教条主義に、取って代わられる。 善悪の基準が簡単に置き換わってしまうのだ。 そして判っていない人間たちが放置されている。 その方が都合が良いからか。

判っていない人間たちのそれ、人に対する嫌がらせ行動と認められる嫌悪の表明はどう違うのか。 例を挙げよう付きまとい干渉。 嫌がらせをする人間、犯罪様行為かそうではないかの分別の無い人間はこれを善行か、あって当然の自然な行為とすると。 これに対し「相手が嫌がるならばしてはいけない」というのも、全体としては正しくない。 というのも、「叱る」「正す」「取り締まる」あるいは医者の「治す」といった行為は「してはいけない」に該当しない。 分別の無い人間からすると「自分は叱られる、正される、罰される。 だが自分が他人にする事はしては嫌がらせでありしてはいけないとされる。 世の中が間違っている」となると。 親が自分をその日の気分で殴ったこれが「正しい」事であるならば自分もまた他人を気分で殴って良い、これがルールなのだと思い込んでいる。 こういった具合となる。 じゃあその逆は?というのをタイトルにしてみた。 中庸中立な状態で無為に過ごせる日常。

分別のある人間には「周囲からとくに干渉されない、周囲に能動的に干渉もしない、でも日常に感じる満足感のようなものはある」といったものがあり、これを基準に人間関係の善悪を測っている。 これがなくて癒着状態から上下関係、下への暴力沙汰が日常化するのかというと、そういう面があるんじゃないかと。 じゃあ社会のルールは?というとこの、各人に中庸中立な状態を実現するためのものであり、趣味の自由はそうした中で日常の満足を得るためのものであると。
フェミニズムや反ナチズム、中国韓国を否とするのもこれに反するから、と言える。 癒着過干渉を前提に決め付けをしているのだと。
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泥人論

2018-09-10 19:55:04 | Weblog
「シメオン」+「ディナ」で「シナ」、「ヨセフ」+「ディナ」で「ヨナ」。

兄弟は「真理のヨセフ」「創造のベニヤミン」であり、対立状況となると「秩序のヨセフ」「自由のベニヤミン」となる。
シメオン氏はヨセフ氏の反面教師として造られた、とする事が出来る。 身勝手に行使される権力、人を苦しめるための秩序。 弟も、追従し分け前を得ればよいというものでもないと。

下から順に、阿Q、群畜、人民、国民、個人、となる。 ここで言う「個人」とは、「確たる個を持つ人」であり、群れからはぐれた動物の事ではない。
例えばだ。 確たる個を持たない女、別に男でもいいが、を百人ほど、ちゃんと数えて空っぽの体育館のような場所に入れたとする。 この場合体育館には百人の女が入っているのか、というと、はっきりとは言えないが答えとなるつまり、「だいたい百人」であり、百一人かもしれないし九十九人かもしれない。 中で死んだり繁殖したりしているのかというとそういう意味ではなく別のプロセス、分裂や合体、転移出現や漏出といった事が起きる。 ファンタジーに慣れた人には「スライム百匹を箱に入れたらそれは百匹のスライムか」という文章で説明出来る。 それと同じ事が、現実の人間でも起きていると。
例を発展させる。 群畜級の「佐藤さん」を百人体育館に入れる。 体育館に「山田さん」と呼びかけ続けるそうすると、中から数人の「山田さん」が出てくる。 この、「佐藤さん」たちから分離出現した「山田さん」は、社会的には最初から山田さんなのである。 区別がつかない。 記録とも記憶とも食い違う部分が出るが、それは記録、記憶が間違っていたという事になる。 個としてそれまで存在せず、ある日突然出現した「山田さん」たちは、以前から存在していた事になっている。 これが泥人説。
この泥人現象、厄介である。 「食料も家屋の供給も安定しない」といった問題もあるがそれ以上に、当人たちに責任意識がない。 持たないのだ。 ある「泥人佐藤」なり「泥人山田」なりの隣に、「金持ち田中」が居たとしよう。 この時「泥人佐藤」なり「泥人山田」なりはこう考える。 「自分は田中でもあるのだから田中の金を使ったとしても何の問題も無い」と。 少しでも不満を持った泥人は、盗む、騙す、いじめ殺すそうした行為に走る。 そしてそれを、おかしいと思う感覚を持たない。
スライムで考えてみよう、分裂合体を繰り返す不定形な彼らを数えるにはどうするか。 だいたい一個分ずつの箱に入れればいい、というのが一つの答えとなる。 泥人にこれを当てはめるのが「国民化」である。 「一人の国民として」という形、責任意識を義務教育で強制する。 泥人たちはこれに反発するか。 是である。 分裂転移出現を自然とする彼らにしてみれば、名前を固定され継続した人間として存続させられる状況は不自然で不本意。 「彼らの自然」はどうなるかというと、現在の社会の延長では「巨大カルトの離散集合」という形となり、苦しみに満ちた世界となるだろうね。

「確たる個を持つ人」ってどんな人?と言われたら、「ポイ捨てしない人」といった答えとなる。 個に対する公、責任意識の有無がそうした日常の行動に出る。
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「シメオン」とは何か

2018-09-09 05:15:01 | Weblog
創世記のシメオン氏は何故殺人者だったのか。 この原因は彼の母親、レア氏にある。 レア氏はラバン氏の意の通りに、ヤコブ氏がレア氏のみを妻とするのを正しいとした、これが彼女の正当性唯一の根拠で、これを受け継いだのがシメオン氏。 ここから、シメオン性とは当人の意思も状況も無視した、うん。
ここで「上意下達」を検索、というか、「じょういげたつ」と検索し読みが「じょういかたつ」、またこの単語が命令伝達のみを指すものである事を知った。
再構築、検索。 権威主義的パーソナリティ。 シメオン性とは権威主義的パーソナリティを強制するものである。 私が「腐儒」として嫌い続けてきたものがこれであり、またこの権威主義的パーソナリティは西方では、所謂ファシズムの台頭と関連付けられ否定されている。 私はそれはそれで狂っているとするが。

神様、というか、神意の話。 もしレア氏がヤコブ氏とまっとうな家庭を築いていたとしたら、と。 ここから、シメオン氏が欲しかったのは幸せな母子関係だったのだ、となる。 シメオン氏視点だと本来ルベン氏に与えられるはずだったもの、その下で自分が幸せを得るはずだった状況を奪ったのがヨセフ氏だった、となる。 レア氏、ルベン氏が善で自分は善のしもべ。 対するラケル氏、ヨセフ氏は悪そのもの。 そういう構図。 そうならなかった理由はヤコブ氏の意向とラバン氏の邪心なのだが。 何故ラバン氏はヤコブ氏に「レア氏を娶れ」と命じなかったのか。 相思相愛の関係となったヤコブ氏とラケル氏を認める事を渋ったのか。 何故レア氏に状況を説明し諦めるよう促さなかったのか。 何故ヤコブ氏に騙し討ちの婚姻をさせたのか。 皆彼の邪さ故である。 邪心で動く人間はやる事為す事悪くする、その典型。 シメオン氏を育てたレア氏にも言える話だが。
「神意の人ヤコブ」から「イスラエル」、ルベン氏とラケル氏の和解を経て「神意ヨセフ」の出現で創世記は終わる。 以後「ヨセフの代」となりシメオン・レビ隔離政策の下モーセ氏の話となる。
最近wikipedia日本語版の、「ヌンの子ヨシュア」の記事に変化があった。 以前読んだ時は彼はエフライム族だった、という文は無かったのだが今回これが追加されていた。 これをそのまま適用するとつまりレビ継続体の監視監督をエフライム継続体が行った、という話になる。 また、ヌンの子ヨシュア、天使ミカエル、義人イエスという話にもなる。 大工ヨセフの子イエス。 そのまんまだな。 新約聖書ではマリア氏は長男をユダ氏に売られ、ベニヤミン継続体に殺される事となりここに彼の、女に対する復讐は完遂され、シメオン継続体第一使徒ペテロはマリア氏に、幸せな母子関係を描く「聖母教」を建てたと。

さてシメオン性である。 現代社会におけるシメオン性をそのまま表しているのが中国は儒教より出た、朝鮮朱子学である。 ここにシメオン氏は、「人類社会よりシメオン性除去を実現した功労者」となる。 シメオン性とは妬みと憎しみから騙る権威であり、権力を他人を不幸にせんと用いるものである。 子を不幸にせんとする父親、嫁にそうする姑、次世代から時代を奪おうとする老人たちの権力の、後ろ盾となっていたもの。 これらが除去される。 大分時間がかかったが、ようやく形になったと。
真理と創造の話。 「被造物としてあったが創造時の想定が実現しなかった、であるならば、他もまた不幸であれ」とするものがある。 これが世に広くある悪意であり、除去可能な形となった。 悪意の被造物と化した彼らに対する哀れみが「創造の側」に
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そろそろ「放射脳」対処を考えるべきでは

2018-09-02 21:08:46 | Weblog

「放射脳」とは放射性物質の「放射」と頭の「脳」とを合体させた、ネットを中心に使われている造語である。 主に福島県及び周辺地域への、誹謗中傷を繰り返している人たちを指す。
で、福島の現状だが、危険性は大雑把に三通りある。 まず第一が、原子炉そのもの。 これは壊れたまま放置されたような状態にあり本当に危険、ただし近づかなければ安全、というもの。 第二が放射性廃棄物の類。 瓦礫とか汚染水とかだな。 これはピンキリだが、本当に危険なのは分けられているはず。 ただし原子炉解体作業を当時の政府(民主党政権)から任された業者がヤクザな関係で何がどうなっているのか不明な部分が多い。 中国、北朝鮮、国連(中国系やアメリカ民主党の意見で動く腐敗職員ら)が足を引っ張り続けている都合動きが取れない、というか、彼らにとって都合の悪い人間は殺されかねない状況にあると。 此処の部分をまとめると「好んで放射性物質を暗殺に使いそうな連中に原子炉解体作業を任せてしまった」というのが現状。 第三が、拡散した放射性物質。 放射性セシウムが主役だが、これは「一部川底の泥などを除いて安全」と言って良いレベル。 「放射脳」と呼ばれる人間たちが問題視しているのがこれで、はっきり言おう、彼らは馬鹿である。 馬鹿だが、中国にとって都合が良い。
何故中国はそうなのか。 それは中国が阿Q国家、中華系社会が阿Q社会だから。

レジティマシー執着、とでも言ったものか、自分たちの主張の正当性妥当性が社会的に認められない状態にあり、該当する社会問題を誇張するあるいは捏造する事でそれを認めさせようとする行動、その動機がそんな感じに表現できるのではないかと。
実害が大きい。 常に他人を、非論理的カルト的発想で攻撃しようとする。 私は彼らに対し、徹底的に社会的縮小措置を取るのが正しいと見ている。 社会的にってどんな?と言うと、権威、権力、発言権はく奪だな。 個々の彼らの幸せを考えるのはその後だろう。

情報の流れ的に、三階層。 上流第一層が、中国を中心に国連だのNGOだのの、所謂リベラル派。 彼らはもっぱら金と権力目当てで動いているが、過去に中国が権威、日本が金づるだった期間が長くあってその状態維持、再現を本音として動いている。 同時に、彼らは嘘に長けており、欺瞞の人としてもある。 彼ら自身は纏ったメッキとしての正義を半ば信じていたりもする。
第二層が、嫉妬で動く人たち。 所謂「放射脳」の中心である。 ネットウヨクがよく「また朝鮮人か」などと言うが、ネットウヨクがその対象とする彼らの場合は歴史や食文化など日本に浮いた話があると動物的に「フクシマが危険だ」などと反応する。
情報下流第三層は、嘲りを好む一般庶民。 彼らはそのネタが事実かどうかはどうでもよく、見下せる相手が居るという話を好む。 第一層第二層は彼らのウケ狙いで存続している、といった結論も可能。

さて、「放射脳」とそれを取り巻く状況をどうするか。 簡単だ。 庶民に現実を見せればいい。 経験させてみればいい。 具体的には福島県の、
中通りあたりだな、に修学旅行にでも行かせればいい。 そこで「安全とは何か」「実際に何がどう危険なのか」の講習を受けさせる。 それで所謂「放射脳」な連中が、一般庶民からただの馬鹿として隔離される。 「放射脳」からそれを拒否する人間は当面放置でいい。 他の人間が知識を得れば貶めにしがみつく庶民も縮小する「放射脳」に吸収される事となる。 問題は福島県の治安の悪さだがこれはヤクザ業者・中国系スパイの駆除で半分は解決する。 もう半分は人口流出によるものが大きい都合、人が動くようになれば自然と回復する。

こうした措置が取られ、「放射脳」がただの馬鹿だと広く認識されるようになったとしよう、彼らはどうなるか。 引き続き「放射脳」の教理にしがみつく人間が少数派、何の反省もせず他の叩きネタに移動する人間が多数派となるだろう。 「何も変わらないじゃないか」とする向きもあるだろうだが、まず彼らのカルト性が拡大生産される現在の状況は解消される。 彼らの子供たちが彼らのようになる事の大半は防げるだろう。 次に、ただ逃げた、移動した人間たちは、わずかに知識が増える。 繰り返せばカルトaからカルトb、カルトc、カルトdへと転々とした人間、となる。 教義に固執した人間はどうか。 周囲が変われば諭される機会も増える。 都合が悪い局面に出会う度にその教義を変質させていく事になる。 縮小措置を取る事によってなんらかの変化が起きやすくはなるのだ。

では最後にだ、彼らの幸せはどうなるか。 当面の彼らの行動、「放射脳」による福島及び一般日本人に対する中傷活動は、彼らを幸せにはしないだろう。 それこそ阿Q行為でしかない。 例えばだ、辻説法で否定され続けた人間はyoutuberになるだろうか。 可能性としてはある。 そこで別のネタ職人としての喜びを見つける事が出来るだろうか。 いや知らない。 まったく無いって事もないだろう。
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