狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

大英帝国云々

2011-03-29 11:47:49 | Weblog
ボタンを押すとエサが出る。
そうした装置をサルの前に置くとサルは餌を求めて
定期的にボタンを押すようになると。
サルがボタンを押すようになった後に餌が出る頻度を
二回押したら一回分、三回押したら一回分と下げていく。
そうするとサルはほとんどエサが出なくなっても
ボタンを押し続けるようになるのだそうな。
口さがない人がネットにそれを、
後のパチンコであると書いていたがはてさて。
大英帝国による統治にも似たようなものがあったと見る。
よって朝日新聞は奴隷商人となる。

国際ルールにはだいたい三種類の系統、
思想と言い換えてもいい、があると見る。
一つは支配域、武力を中心とするもの。
一つは交易優先権、ルール策定権を中心とするもの。
最後が必要なものの大半は国内で賄えばいいとするもの。
最初のそれがロシア型、次がイギリス型、
最後のがあえて国名を付けるなら日本型となる。
江戸時代を理想とする型、とする方が正確か。
だから朝日新聞は奴隷商人なんだな。

イギリス型で捉えると旧日本の行動は領土野心によるもの
となり、その南進は冒険主義として捉えられると。
当時の大半の日本人にとって本土以外は割とどうでもよく、
本土に危険があったから行動しただけということになる。
だから獲得した領土を手放すことにさしたる抵抗感は無く、
大英帝国という諸悪の根源が消滅した後は経済活動に
専念することになるわけだがここでもイギリス型思考には
野心の再燃と映ったらしい。
彼らは馬鹿なのだ。
そして奴隷商人である朝日新聞が彼らに付き従う。

さて大英帝国の統治方式を考えてみる。
分割統治と呼ばれるものである。
統治される方の人たちが、分割されて統治される。
何故分割されるのかというと元々分割されていたり
分割されやすい状態があったりするわけだが
それをはっきりと分け、そしてそれぞれにエサを見せる。
反抗的なものは反抗的なもの同士争わせたり、
大きなものに潰させたりする。
ここまでは他にもある話なのだが大きくなったものには
内部に対立軸を作り、改めて分割するのが英国式。
大きな勢力が無く直接手を下さずに済むから
武力もエサも最小限で良く効率的と。
その統治下では対立軸が常に温存されそして
場合によっては生産されていく。
交易優先権だけが目的なのだから現地人同士の諍いは
本国の問題にはならない。 そういうシステム。
土人の狩場。

この統治下にいるエリートはどう行動するだろうか。
現地の対立緩和にいそしむだろうか。
利に聡い人はそうはしない。
知能で上位1%にでも入っていればほぼ確実に
エサの配当にありつける。
そう期待できる。
エサが期待できないとしても諍いの続く蛮地を離れて
本国に行きたい、本国で生きたいと考えるのは当然。
そしてエサにありつけばもうそのシステムに
反対する理由は無くなる。
これが私が朝日新聞一派を奴隷商人と呼ぶ理由である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大東亜戦争云々

2011-03-29 11:47:05 | Weblog
他国の人たちの多く、特に白人や中国人は
大東亜戦争聖戦論を受け付けないだろうと見ている。
さすがに「聖戦」は極端だとしても当時の有色人種にとって
大英帝国がどういう存在だったか、それがどうされるべきだ
と考えられていたかを想像できればその戦争と結果は
なんらかの形で起きただろう必然だったとの結論に
たどり着くはずなのだが、白人にはそれが無かった。
いや「無かった」のではなく「無いもの」として振舞うことを
当時から今日まで延々続けていたのではないかと。

日本軍の残虐と言う。
実際には英米が支援していた蒋介石軍も同じ事をしていた。
もっと酷かったという話もある。
ゲリラ狩りというのは当時も今日もそういったものであり
当時の中国は共産ゲリラと匪賊の巣だった。
そして大戦終了直後に蒋介石軍は中国から追い出された。

日本軍の領土野心と言う。
当時の中国は英米とソ連が支配域を競う場であり
日本人は中国がどちらかの手に渡る事を嫌った。
中国人の大半は統治者が誰であるかを気にしなかったので
日本人は日本人が支配しても同じ事だろうと踏んだ。
まあこれは悪行だろう、日本人による統治が
最良の結果をもたらしただろうと推測はしても。

日本軍の捕虜虐待と言う。
バターン死の行軍という話がある。
米軍の要塞が陥落したとき日本軍には水や食料に不足して
いたので近くの町まで移動する事にしたところ移動中に
米兵がばたばたと死んでいったと。
これは衰弱死寸前まで篭城を続けた米軍を称えるべき
なのだろうが何故か戦後、日本軍の虐待という話になった。
日本軍による捕虜死傷率が高かったという話がある。
末期には日本兵が餓死していたのだから当然捕虜も
餓死するだろうと思うのだがさて、ここに事実がある。
現地人たちはイギリス人、オランダ人たちを助けなかった。
彼らを可哀想と思う人、助けようとする人はいなかった。
多くの地域でそうだったと。
実際に日本軍が捕虜収容に使用した施設の多くは
独立運動家など白人に敵対的な現地人を収容するために
作られた物で、それをそのまま流用していたのが戦後
それらを作った側から虐待だと批判されるようになったと。

大英帝国が諸悪の根源である。
これが19世紀の世界を見た明治の日本人がたどり着いた結論。
英国から初めて戦艦を買った時に英国人に対し
「これはあなた方を倒すためのものだ」と言ったとか。
日露戦争時の日英同盟中もこの結論は日本人の中に生き続け、
欧州の戦争を好機とし形となった。

さて戦後英米は蒋介石軍を支援したことを反省しただろうか。
これはイイ戦争とその後を見れば判る、としておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公開処刑文化

2011-03-18 00:23:14 | Weblog
2002年のことだったから今から九年前、オフ会に参加した。
朝日新聞筋がネットウヨクと称する人たちの集いである。
何度でも書くが私はネットウヨクであったし、これからも
ネットウヨクであり続けることに変わりは無いだろうと。
まあオフ会だ。
集まるにあたって何かしら本を持ってくるよう提案したところ
朝日新聞系週刊誌の特集冊子を持ってきた人がいてその内容が
その場で高評価だったと記憶している。

朝日新聞筋はまれに思い出したかのようにまともな事を書く。
それらを以って朝日新聞を信奉する人たちは国の内外を問わず
多いが、そういう人たちはいっぺん死んだ方が良いと思う。
問題はそこではない。
何故まともが続かないのかだ。

さて公開処刑文化。
公開処刑と書くとイランのような国を想定する人が多数
と思われる。
だが西側でもある現象を公開処刑と表現したりする。
スキャンダルである。
私はアメリカにある高額訴訟も公開処刑文化に含めている。
これに関しても異論は少ないのではと思う。

公開処刑を求める人たちが居る。
そしてそれに応じる人たちが居る。
大衆が悪人を欲するから高級人がそれを与える。
これが今日ジャーナリズムとされるものの本質だろう。
御使いたちがそこに居るのなら彼らも同様にクズだ。

1. 悪人が居る
2. 悪人が悪さをする
3. 社会が悪くなる
4. 正義の味方が居て悪人を処断する
5. 社会が平和になる

公開処刑の典型だ。
これをこうしよう。

1. 悪人が居る
2. 悪人が悪さをする
3. 社会が悪くなる
4. 説得する
5. 社会が平和になる

結果は同じだが作用は違う。
次はどうだろう。

1. 悪人が居る
2. 悪人が悪さをする
3. 社会が悪くならない
4. 正義の味方が居て悪人を処断する
5. 社会は変わらない

政治家の浮気騒動などがこれの例だろう。
騒動があってもなくてもマスコミは大衆に浮気しろと言う。

最初と後の二つのパターン、違いは何か。
娯楽性だろうと見る。
娯楽の中の正義がいつの間にか社会正義として君臨している。
何故そうなるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラム原理主義

2011-03-18 00:22:03 | Weblog
かつて二本にはトルコ風呂(toruko-buro)と呼ばれるものがあった。
ようは風俗街で行われていた男性向けマッサージなのだが
来日していたトルコ人からおかしいという指摘があり
多くの日本人がそれに頷いた結果今日それらの施設はソープランド
と呼ばれるようになり、その経緯は日本では美談として語られている。
近年チゲ鍋名称改正運動のようなものがあったわけだが
こちらは美談というよりもエスニックジョークのテーマだろう、
日本のテレビ業界にとっては韓国政府という業界スポンサーの意向
なのかもしれないが。

アルメニア大虐殺、だそうな。
国際社会におけるそれに関する常識が事実と異なっている
といった指摘がトルコ人から上がっているのだそうだが
欧米諸国はこれを歴史の隠蔽だ、反省が足りないと言って
封殺しているらしい。
アルメニアという国の現在の情勢は置いておくとしても
オスマントルコと欧州のかつての関係、現在のイスラム圏を取り巻く
国際情勢、欧米以外は野蛮であるべきだとの白人の固定観念などの、
例によって例のとおりの異臭がするわけだが、この件に関して
トルコ人がまともだといった話もとくにあるわけでもなく。

クルド人虐殺。
いわゆるブレイムカナダだが、多くは事実なのだろう。
欧米左派のイラク戦争反対運動とイラク安定化の要求に
もみ消された形。

欧米からイスラム原理主義と呼ばれる過激派の標的は欧米である。
欧米人はイスラム圏の生活文化は人権弾圧であると言い、
それにイスラム教徒が反発する。

さて偏見に基づき状況をまとめてみる。
ユーラシア内陸部ではイスラム教が唯一の秩序である。
そこではイスラムか未開かといった対立構造が存在し、実際に
敬虔なイスラム教徒は盗みをせず逆に盗みや強姦をする人たちは
イスラム教を蔑ろにする、といった傾向が普遍的と。
イスラム社会か、そうでなければ強姦婚社会。
一方都市部では欧米化かイスラムか、といった対立構造が存在し
欧米の文化は先進的でありイスラムは田舎の因習である、
といった常識で動いている。
そして欧米化こそが正しいと勘違いした人、因習では無い物を
因習であると誤認した人、そして因習とイスラムが融合したものの
実際の被害者とが混ざった集団が欧米社会に流入しそこでそれが
イスラム教に対する歴史的嫌悪感と結合しその結果
イスラム文化は正されなければならない、といった結論に至ると。
イスラム教は必要であると認識する人たちは当然それに反発し、
過激派の欧米攻撃に対する支持となっていたりすると。

ではどうするべきだったのか。
問題点を分析し解決方法を提示できたら
後は放っておくしかないと。
欧米がアフガニスタンを良くする事が出来る、
というのなら話はまた別だが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類最古のラットレース

2011-03-10 18:14:04 | Weblog
十九世紀後半清朝の対日観と二十世紀後半英国の対日観が
似通って見える。
まあかれらはそういうものだったと。

欧米エリートはグレートゲームの常識に生きている。
アメリカが南米に、西欧がアフリカに、ソ連が東欧に対して
介入権があり、互いにそれらを承認しながら介入地域を
奪ったり奪われたりする、それがおおまかな大戦後のルール。
その構図を決定しているのが連合国が戦勝国であるという点で
介入口実としてフェミニズムがあったり環境問題があったり。
では小国の人間が一方的な被害者かというと多くは違っていて、
だいたいがサブプレーヤーだったり参加希望者だったりと。
そうした観点に立つと朝日新聞の「ドイツの反省に倣え」という
主張は、愛想を振りまきサブプレーヤーとしての地位を固めて
あちこちから餌をねだろうとしているかのように見えてくる。
私はこうした方向性を野良犬戦略と取る。
なるほど奴隷商人に見えるわけだが彼らにしてみれば
それが左派的、国際社会の常識に則った行動なのだろう
そして、意に沿わない日本人を右翼と蔑んできたと。

私が彼らを嫌うのと同等の言行を取る人たちは各国にいるだろう、
ひょっとしたらそれは多数派なのかもしれない。
いずれにせよラットレースには不参加を選ぶのが正解かと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優越感を求める人たち

2011-03-10 15:47:27 | Weblog
悪感残りも悪感と同じだとすると悪感の数が同じとしても
残す人と残さない人とで一日の状態はかなり違ってくるだろう。

飲酒運転による交通事故を見たとする。
飲まない人、運転しない人、飲んだら運転しない人にとってそれは
他人事、なにかの気まぐれに状況に同情するかもしれないが
迷惑な人もいる、ただそれだけ。
飲酒運転する人はどうか。
さして気に止めないかもしれないが一瞬は、過去の自分にかぶる。
そんな時人はどう考えるだろうか。
自分は運転が上手いからああはならない、彼は運が悪かっただけで
同じ事は自分には起きない、巨悪が居るから飲むしスピードも出す、
人は飲む生き物であり車の運転も当然そのままするに決まっている、
飲酒運転をするなと言うだけできちんと止めない世間が悪い、
などなど。
過去に飲酒運転で事故を起こした事が有りなお飲酒運転を止めない、
そんな人の場合はどうだろうか。
仲間が増えた事を喜ぶかもしれない。
そういう人たちがそういうことを当たり前だと考えているのなら
それはまさに、そういう文化なのだろう。

他人に対して悪く在ることを選ぶ人は、同様に悪く在る他人を
見た時の悪感が自分自身に当てはまる。
そうした時にする行動が違い探し、巨悪探し、正当化探し
といったものなのだろう。 自分を見る事を避けられる。
繰り返せばそれが当たり前になり、
自分が何故そうしているのか気付かなくなる。

鼻クソほじりは、貧乏ゆすりは、枝毛探しはどうか。
気になる人は気になるだろう。
気になって人前で自分がするのを止める人も居るかもしれない。
まあその辺は、社会が変わるとしても先の話かと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康管理

2011-03-10 15:47:02 | Weblog
社会文化に循環型と拡張型があるとする。
仮定する。
とすると西欧社会で起きている事は
国家のメタボリック・シンドロームである
と見ることも出来る。
健康被害の表面化には個人差が大きいわけだがなんにせよ、
ハンバーガーやピザ、タコス、ドネルケバブが悪いわけではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プログラマーの憂鬱

2011-03-10 15:46:38 | Weblog
プログラマーが現在稼動中のあるシステムを見せられる。
全部駄目ですね、と言って一から書きなおしていく。
プログラマーは書きあがった端からリリースしようと
するわけだがシステムエンジニアに止められると。
止められる理由は知識では判るが納得出来るわけではない。
どの道全部差し替えになることが変わるわけではなく
良くなるのが早いか遅いかだけの話だと。

はっきり書くとな、SEはあいつら馬鹿だから問題が表面化
するまで良し悪しが理解できないって言ってんの、
んでPGは理解できる人がいるかもしれないけど結局SEの
言うとおりなんだろうって態度。
少しは怒れよお前ら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医学者の勘違い

2011-03-10 15:46:10 | Weblog
医学者は考える。
医療技術の進歩は万人が喜ぶだろうと。
これ随所に生息するまじない師たちを見落としているんだな。
もちろん彼らが居なくなれば済む問題ではあるが、
どういうわけだが多くの人が彼らを支持する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モラルってどんなだ

2011-03-04 10:12:55 | Weblog
今から二年ほど前だっただろうか、東京の街を取引先の
中間管理職の人と歩いていた。
その人がタバコを取り出し歩きながら吸い始めたのだが
私はそのことに対して眉をひそめる、常日頃そうした場面に
出くわした時していることだが、をしなかった。
何故しなかったのかが自分の中でちょっとした謎に
なっているわけだが多分、不快が足りなかったのだと思う。
私の記憶が確かなら、そのタバコはその後道に捨てられた。

女性に交通モラルが見られないといった趣旨の事を
何度か書いた記憶がある。
他方、大規模災害の現場における食料の配分は
女性に任せたほうが上手く行くといった話があり、
そのことについて疑問をもってはいない。
私はこの違いが共感とモラルの差であると見る。

共感とは最小悪感である。
とりあえずはそう仮定する。
災害現場における食料配分問題は基本的には簡単だ。
等分すれば良いだけの事。
それが出来なければ周囲が配分者の行動につき悪感を持ち
視線や発言となり広がっていくと。

男性にはこの等分が出来ないらしい。
何故だろうか。
支配欲がありそれのために利用しようとする、
女性はそう言うだろうそしてそれが、
実態から外れた発言だと感じない。

何故男性は食料を支配しようとするのか。
多く得た食料をどうするのか。
身内に多く分ける。
合理性を欠いた行動だ。
何故そうするのか。
馬鹿だから、と言ってしまえばそれまでなのだが
そうする行動原理が多くの人につき固定化するには
それがそれなりに正しいとされる社会経験が
多くの人にあったのだろうと推測する事も出来る。
それは何か。
インセンティブだろう。

旧来の女性の役割は家の中の仕事にあったと。
それが良いか悪いかは今ここでは扱わない。
男性の役割はどうか。
家の外の仕事にあったと。
女性は他の女性に対して同じ仕事をする。
他方男性は、他の男性に対し違った仕事をすることが
常識の一部として社会が出来ていると。
生産性と消費、責任と監視。
自分の最大生産性を目指すという男性の方向性が
災害現場という非生産社会ではまったく機能しない、
害にしかならない、そういうことなのではと。

男女の社会の違いは出た。
ではモラルとは何か。
見えないことへの配慮がその原点なのではないかと見る。
横隊と縦隊の差がそれだ。
顔の見える範囲で互いへの悪感が最小になるのは
おそらく横隊しかなく、何時来るか判らない対向者へ、
あるいはもっと多数の周囲の他人への配慮をすれば
当たり前に縦隊を取ることになる。
もちろん顔の見えない相手への配慮というのは
馬鹿な男には実現不能だろうそしてその場合、
狭い範囲で媚びるか偉ぶるかだけの男が出来上がると。

見えないことへの配慮を持ち得る人、持ち得る状況
というのは限られていると。
では現実の「モラルのある社会」にあるモラル
というのはどういったものか。
どっかの誰かがした予想集でそれらの内
機能するとされたもの、というのが実際に
モラルとされているものなのではと推測する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする