ある仏政府顧問は同紙に対し、「権力闘争になればわれわれは大砲を持ち出し、ルノーに対して日産株の出資比率を上げるよう要請する用意がある」と言及。

2018-11-30 20:04:44 | Weblog
犯罪者カルロス・ゴーン氏の逮捕につき、フランス政府に動き。
https://news.nifty.com/article/economy/economyall/12145-135999/

丁度よかったかもな。
フランスを残す事に疑問を感じていたのだ。
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「民主党政権なんてやらせるべきではなかったのだ」に、毎回戻る

2018-11-28 19:51:26 | Weblog
この十年は無駄だった。
彼らの考えを徹底否定しそれを無理やり飲み込ませてから失敗させるべきだったのだ。
そうしていたら少数のゴミの処理で済んだ。

やる事為す事駄目な奴だ。
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「マリファナを正義とする振る舞い」みたいな?

2018-11-25 21:45:35 | Weblog
「小悪党が良識人のふりをする」と言うのかな?これを嫌うと。 だがこの構図がどれだけ自分に当てはまるのかを考えるに、よく判らないが答えとなる。 で、出たのが表題。 「自分は普段良識的に振る舞っている、こうした悪徳はむしろ良識者の側のものだ」とした態度。 だが実際には薬物乱用の薦めは悪徳の最たるだ。 ここが地獄の一丁目、ここから先は下り坂。 そういう所に人を誘引している。

世間一般からして私のどういう部分がこういう例に当てはまる、と映るだろうかを考える。
差別や迫害の推奨、テレビゲームの薦め、「怠惰は悪ではない」との線引き。 この辺だろう。
まず差別云々に対する私のそれはポリティカル・コレクトネスの否定。 迫害推奨は対象を犯罪文化としている。 「被害性を秩序の基準とすべし」という線引きを説く行為の周辺でそういう事をしているが、同時に差別的であり迫害行為でもある。 好ましいかどうかは状況次第。
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拝金主義はどの程度の悪なのか

2018-11-20 18:38:43 | Weblog
「拝金」を表題としたと。 貨幣の出現はメディア王国だったか、たしか紀元前3000年だか2500年くらいの事とされていたはず。 聖書で言うソロモン王の時代の後くらいだな。 要するに神様の肝いりである。

拝金主義がどう悪いのか、だがこれは、悪意の側に傾きやすい点にある、とすると。 それだけか?と問われるに、少し考えてみたがそれだけかもしれない。

貨幣ってなんだ?と言うと信用取引で、システムである。 これに対する人の態度を考えるに、二つの、実際にあった事なのか創作なのかは不明だが、話を基本とする。
一つはたしかハイチ大地震の後に、「救援物資の配分は女たちにまかせると上手く行く」といった話が出た。 男たちにやらせるとマフィアの山分けみたいになって末端まで行き届かないどころか、有力者が多く隠匿し奪い合うような事態となると。
二つ目。 日本のネットで「スウェーデンの番組でこんなのがあった」と紹介されたもの。 真偽不明。 男たちと女たちをそれぞれ十数人だか、男だけ、女だけの集団として無人島でサバイバルさせたと。 男たちは到着後各個自分の判断で行動開始し、ある者は魚捕りの道具を、ある者は食べれそうなものの採集を、ある者は雨風を凌げる場所を、ある者は椅子を作ったと。 勝手に動き、全員に役立ちそうな事をしだした。 一方の女たちは、砂浜に寝そべっていたそうだ。 持ち込んだ食料が尽きかけたころだか見かねたスタッフが、数人の男と数人の女を入れ替えるという事をしたと。 女の側に行った男たちは労働者としてこき使われた、一方の男の側へ行った女たちは女王のように扱われたそうな。 で、男の側に残された男たちは女の側へ送られた男たちを「ハーレムだ」羨ましがったとかなんとか。

ハーレムを経験したいのなら夏の夜に墓場にでも行けばいい。 血を吸う蚊たちは皆繁殖をするメスである。

二つの、事実不明の話に戻る。 私はこれらから、人の資産に対する考え方には配分型と必要型とがあるとする。 配分型ってのは実は、性悪説が常識化した社会の行動様式なのだ。 人間は盗み隠す、だから分け前が同量かどうかは厳しく相互監視されねばならない、そういう発想があって初めてそうなる。 詐欺搾取型の人間が多数の社会での常識。 必要型は逆なんだな。 「必要だ」と思った時点で初めて動く。 皆が性善説に生きていると思い込んでいて、目の前に不具合があったら自分でそれをなんとかしようとする。 「それだけで万事上手く行く」と信じている人間がこうなる。
これは田舎で見た話。 夏の夜、伯父が田んぼの水の見回りに出かけて行った。 「見張らなければ盗む人間が居る」と。 これが配分型発想。 もちろん伯父は盗む人間ではないはず、だが「水泥棒が居た」という経験の上で嫌々やっていた、はず。

ハイチ大地震での、男たちがやっただか言うマフィア配分。 これ実は必要思想と配分思想の折衷だったりもする。 おそらくは。 具体的には「金満大国が出てきた時点で分捕ったとしても行き渡るはず」「行き渡らなくとも彼らの責任」という常識があり、「隠匿・売却に成功したら子供に自転車を買ってやれる」といったような考えがあったと。 後進国にはこうした「不正売却の成功例」みたいなのがごろごろしており、母親が男たちにそれを求める。 「それで困る人が出るんだろう?」とでもするだろうか。 クズたちの社会では誰もが困っており、そして誰もが足りている。 「餓死者は犬のエサになる」が常識とかね。 そこまで劣悪な社会が珍しいのかな?

必要思想は性善説、配分思想は性悪説を基とする。 で、必要思想で動ける人間って貴重なんじゃないかと思うわけだ。 初見、無縁の他人の必要性を十通りくらいの見方で判断する、これを常時繰り返しているそんな人間。

今日の社会の有り様は、言ってしまえば「神様が拝金主義を勧めている」ようなものなのだと。 自身が無条件配分者である事を嫌っているのかな?とか。
仮にそうだとしよう将来無条件配分者に戻るのか。 多分、とするところ。 楽観的だね。
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冬になって、毎回思うのが、瞬間湯沸かし器の性能

2018-11-17 15:23:36 | Weblog
最近の家屋はどこでもお湯の蛇口があり、その奥には給湯器が付いているわけだ。
給湯器内を水が流れるとガスが点火され、お湯を出すようになる。 これに二点問題を見ると。
一つが水流センサーの感度不足。 少量のお湯を出そうとすると水になってしまう。
次がパワー不足。 この時期はまだ大丈夫だが12月下旬くらいからか?「お湯だけ出す」状態に近くしないとヌルくて寒く、それだとシャワーの水量が体を流すに不満のあるものとなる。

水流センサーの問題はセンサーを改良するか、給湯器の前か後にタンクを付けてそこの水量で測るようにするかで改善は可能、パワー不足は給湯器の大型化、水道管を太いものに変える必要があると思われる。
元々の問題は見積もりのミスだろう。 「最小の水流は」「厳冬期にはこんなものだろう」といった導入初期の判断が足りなかった。 それがどういうわけだか改良されないまま十年二十年と続いてしまっていると。
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WoT近況

2018-11-13 17:44:12 | Weblog
オーストラリア・サーバに本日よりbotが導入されたんで、やってみた。
結構弱い。 おそらくマップ上に敵戦車が出ていない時にだろう棒立ちになってたりする。 状況によってはカモ撃ちに。
環境としては、改善されたと思う。 Tier5でトップを引く確率がかなり高くなった。 ドラクエで言う所の「はがねのつるぎを入手した」あたりの楽しい環境が還ってきたんじゃないかなと思う。 いや、以前のマッチング環境ではほとんどやってないんだが。
試合開始時の整列待機でチャットに「bots」などと書くと。 いくつかの返答等から、消極歓迎が多数派と見た。 もちろんbot導入初日の十戦程度なので全体像云々出来るものでもないが、嫌悪している人間は一割かそこらかと。 積極歓迎派もそれなりに居た模様。

自分については、日本戦車の一つで月間ランキング一位を取った。 二両目三回目だな。 最終日近辺で一位で二位が肉薄、「これで順位落としても実力だろう」として最終日まで通常の☆消化運転してポイント下げて逆転されたのだがどうやら二位だった人も最終日に落としたらしく、終わってみれば僅差で一位。

「ゲームが人生だ」とか公言している人を見るとうらやましくなる。 私は半ば以上整備事業の方に身を置いていると思っているので、そう言い切れない。 まあ自分でそう思っているだけだと言われればその通りなのだが。
テレビゲームって実は貴いんだよ、と書いたら眉ひそめる人が多数と思う。 三悪ありと置く。 父親の虐待、母親の搾取、子供による迫害。 こうした状況が続く理由の一つがネグレクト児で、神様が彼らの相手をするのがテレビゲーム。
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いじめの起こり モデル化

2018-11-11 14:32:25 | Weblog
自分の歪み、みたいなものを思うに、最初に「小学校低学年のあたりでいじめ被害者の側だった」というのがあると思う。 そこから、加害者の側に与するようになり、(いじめと直接の関係はないが)中学に上がるころイギリス系の学校に進学となり、性徴期みたいのが来たと。 まあ元々自閉症スペクトラムの側だった、ってのもあるのかもしれない。

で、いじめ問題である。
一般の犯罪は犯罪者が社会の中、弱者を探し狙う。 虐待は大人が子供を加害する。 いじめは特定の子供が近くの子供たちの中から被害者を選び出す。 小学校中高年時の経験から、なんかこう、「コミュ力に長けたネグレクト児」みたいなのが居てこれがその「いじめの犠牲者を選ぶ人間」だったような記憶がある。 なんとなく。
「コミュ力のないネグレクト児」は大人からも子供からもあからさまな問題児として見られ、嫌われる。 大人からも子供からも。 ところがこれにコミュ力がある、関西人の言う「いじり」みたいなもの、と大人に対しても子供社会の有力者に対しても朗らかに振る舞いつつ、子供社会に加害対象を選定し提供する人間となる。 こういう人間がクラスに一人二人は居ていじめが起こる。 居ないと起きない。 「子供が集団で一人を突き回す」ような事態にはならない。 クラスの中に嫌われ者が居ても、それがただ居るだけの状態となる。

この、特定の子供、私の見立てでの「コミュ力に長けたネグレクト児」はどのように発生するのか。 私はキモは母親だろうとする。 社会性に優れ怨恨に生き、自分の子供を自己実現の道具とする、そんな人間。 これを「社員を自己実現の道具とする」ならば優秀な企業経営者に通じるものがあるのだろう。 ジャニーズ事務所と薬物乱用メンバーがその例だな。

コミュ力に長けたネグレクト児の母親、みたいなのが社会の癌であり、増殖する。 こういうモデル。
で、話を進める前に「いじめ(いじり)は嫌われ者、社会のはみ出し者を矯正しているのだ」という正当化論への反論をする。 彼ら、いじめを始める人間、は必ずしも嫌われ者を選んでいるわけではない。 彼らが選ぶ際に用いる第一の基準は、「対象として安全かどうか」である。 嫌われ者でも反撃してくる人間を、彼らは選ばない。 矯正や更生とは関係のない娯楽なのだ。 もっと言うと対象が嫌われ者だったとしても更生にはならない。 ただ加害を善とする社会の側に組み込まれるだけである。

さてモデルに戻る。
いじめを起こす、始める子供とその親、だいたいは母親だろう、は社会の癌である。 もちろん、そちらこそが正常な社会でありこれを正そうなどと考える人間が癌なのだ、とする向きもあるだろう。 それはそれ、敵対関係の勢力。
で、考え方がいくつかあると。
1. いじめ被害者である子供を救済する
2. いじめ被害者である子供を懲罰、矯正する
3. いじめを始める子供を救済する
4. いじめを始める子供を懲罰、矯正する
5. いじめ被害者の親を救済する
6. いじめ被害者の親を懲罰、矯正する
7. いじめを始める子の親を救済する
8. いじめを始める子の親を懲罰、矯正する

今日一般の善悪感にもっとも適合するのが1、被害者の救済と思われる。 その際、付随して行われるのが4、加害者の懲罰。 日本の芸能界のような場所でもっぱら主張されがちなのが2、付随して6。 被害者側を懲罰対象とする動き。 こう書くと異常であるかのように映るがこれ、「社会のはみ出し者を罰する」という理屈になっている。 朝鮮儒教、いわゆる独裁国家の秩序(革命防衛など)がこれだし中南米マフィア社会、アラブ地域部族社会もそうなっている。 もっと言うと所謂リベラル派のポリティカル・コレクトネスもこれだし中国、ロシアの居る国連もこれで動いていて、日本辺りが公正さを要求すると「我々が勝者であり好き勝手出来るのが正しい秩序なのだ」と応じてくる。 公正さと無関係なルールを押し付ける行動は今日の人間社会随所に見られるものであり、洗い出すと一見異常行動とも思える「加害者を正とし被害者を罰する」2や6の行動も実はこれに基づいている。

モデル。 「コミュ力のあるネグレクト児がいじめを起こす」。 その人間は被害者選定と正義正当性主張を親もっぱら母親から学び、学校で実践し社会性弱者を被害者に、周囲を加害者にする。 で、どうするか。
いじめ被害者の救済。 これは当然であり最優先だな。 付随する加害者懲罰。 まあ加害直近の状態ではありだろう、ただし、属人的に長く続けるかどうかは考えなければならないところ。
いじめ開始者、開始者親の懲罰。 これは往々にして起きない。 先の相撲協会騒動だと加害指揮者は白鵬氏で、直接の加害者が日馬富士氏だったわけだが日本相撲協会とモンゴル人社会は彼らを庇い、被害者側を悪だとした。 日本でもごく最近なんだな、加害指導者が探し出されて表に出されるのが常識になったのは。

加害始動の特定。 ようやくこうなった。 私はこれを社会の進歩とする。 旧人たち、老害たちは「古き良きが失われている」と感じている事だろう。 相変わらず「ネグレクト児周辺をどうするか」が残っていると。
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狂人の癇癪、その理由

2018-11-07 22:21:17 | Weblog
知的障碍者が時々発する攻撃性に、思い当たるものがある。
こうなんじゃないか、という考えがある。
なんて言うのかな、その人は「自分は世界から嫌がらせを、攻撃を受けている」としていて
それに対して反撃しているのではないかと。

もちろん、攻撃性の発露も矛先も、余人にしてみれば支離滅裂なのだろう。 でもまあ、当人には「ある」のではないかと
そんな話。
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ヒラリー一味が悪徳集団にしか思えない件

2018-11-07 22:17:17 | Weblog
「せんせー男子ガー」と置く。 これが邪悪なのである。 この場合男子たちが邪悪なのではなく、女子が邪悪。

団塊世代と氷河期世代の感性差は何か。 少し前に、日本式教育のキモとして、身体測定を挙げた。 児童をパンツ一丁にして医者が身長体重を測る。 「子供たちの健やかな成長を記録する」などと謳っているがその意は、親ないし学校教師による虐待の監視である。 今日の日本にある世代間感性差がここに起因する。 こうした、緩やかだが広範な虐待撲滅体制を維持し続けた結果、「虐待行為があるのが当たり前の世代」「無いのが当たり前の世代」が同じ社会に併存する形となったのだと。 この感性差が出ているのがスポーツ界の諸問題であり、芸能界の存続可否であり。

学校教育改革。 公共性と協調性の差。 公共性とはどのようなものか、という例を挙げるにそれは、道を空ける事である。 一方の協調性とは権力と多数派に従う事である。 公共性の側だと無力有力、多数少数関係なく対応する。 自分が権力者だろうが自分たちが大勢だろうが、通るかもしれない誰かのために道を空けるこれが公共性の側。 協調性の側は権力者に従う。 大勢に合せる。
上に「せんせー男子ガー」と置いたのがこれである。 これが使われる場面として教室の掃除と合唱コンクールが挙げられる。 前者、掃除は一応、公共性の側とされる。 後者はまったく協調性の側。 後者には協力を求められた際に応じる必要性が皆無なのだ。 では教室掃除の際の「男子ガー」は善なのか。 否である。 善性を持たない人間が権力を振るうこれは悪であり、加害を求めているとなるとその者が邪悪なのである。 で、善性の有無ってどんなだ?となると。

ルーチンワークの清掃に、多くは緊急性が無い。 一日やらなかった、だからどうした、というレベルが茶飯事。 ここら辺が空気、水、食料と違う。 電力や暖房、怪我や外敵の対処とも違う。 半ば趣味なのだ。 では掃除をしない人間だけを集めたらどうなるか、というのがあるが、これはスラム化する。 併せると、長期的なスラム化を避ける必要性を示せて初めて公共性なのだ、となる。 「ガー」にはこれが無い。 あるのは集団、権力者への追従と、自身の権力化。 だから邪悪。 その人間の内面が邪悪。 この区別を解するか否かの元となる部分を善性とした。 で、善性ってなんだ?という問いとなると。

善性とは全体善の判断である。 ところがこれは神様の領域だな。 創造はアルファ、真理はオメガ。 発散と収束、試みる結果出る。 「全体から判断する」というのは人間の領域ではない。 かろうじて可能なのが、少人数につき「全員を見てみる」である。 だがこれには公共性は無い。 公共性は不特定多数を想定する。 少人数のための判断に不特定の他人は含まれない。
善性ってどんなだ、というのを書いてみる。 救命善性、公共善性、保守協調善性、情愛善性。 優先度がこの順。 救命善性は公共善性に優先する、ただし、そこには数の論理が働く。  子供の命を伸ばすのは老人の生死よりも重いとすると。 公共善性と救命善性は天秤にかけられるのだ。 一人の命よりも戦争回避が優先され、また、世界規模の犯罪化拡大を止めるにあたっての戦争、これは善でもある、となる。 もっとも、戦争云々となると全体善性つまり、人の頭で考えるに余る話だったりするが。
保守協調善性。 自分の所属集団を大事にしろという話である。 家族や宗派はこれ。 優先度が下がるのかというとyesで、「特に何もなければそうしろ」というレベル。 情愛善性。 友人、恋人、ペットと遊ぶ。 そういう話。 子供の給食費と街娼の下に行く事のどちらを優先するか、という判断は、前者は公共性と家族つまり所属集団の問題である一方、後者は一時の遊興。
親が子供と遊ぶ事は優先されるべきだ、というものもある。 これは公共善性に対する保守ないし情愛善性の優越。 こういうのもある。 あるのだからある。 子供と遊ばないと子供が悪人に育つ。 もっとも、遊べばよいというものかというと、どうなんだろう、そうかもしれないしそうではないかもしれない。
なるほど。 善性とは善性優先の判断であり、そこには「未来善性」のような判断基準もある。 未来善性は全体善性に近いな。
でだ。 「ガー」と言う女が邪悪だ、というのは権勢欲を情愛だ協調だと称し詐欺に走る。 そこに全盛の判断は無いとするからと。
元に戻って結局何も説明してない。
私利私欲と全体善。 詐欺性。 正義を称する権力利用。  これらは悪を説明したものであって善を説明したものではない。
ある人に、目的がある。 それを他者に説明する。 説明によって協力が得られる場合はそこに一定の善性があった、となる。 この場合、泥棒の協力はどうなんだ、となるがそれは「盗跖五徳があった」となると。 「盗跖の徳」に集団の秩序、身内の情はあっても公共性は無いな。

善性とは。
利益性判断、愛憎型判断、善性判断があり、善性とはその判断を優先する事である。
善性判断の中心は公共性の判断であるが、必ずしもそれが優先されるわけではない。
善性は目的説明と結果によって現わされるが、詐欺との見分けは付かない。
善性をよそおう詐欺性に傾いた人というのがあり、これは邪悪である。

とりあえずはここまで。
アメリカの中間選挙で民主党が一定の議席を得た事を不快に思う。
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例えば、窓を開ける

2018-11-07 15:01:56 | Weblog
しばらくするとヤニ臭がしたりする。
これは嫌がらせだな。 タバコを吸う人間は周囲に対する示威、自己顕示としてそれを始め、習慣化する。
こうした事例をして私は「この世界には嫌がらせが多すぎる」とする。
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