帰り道
見る街灯の
青白さ
照らさる夜道
不安覚えず
上野動物園のパンダ「リンリン」死す、とのこと。
22歳7か月。 18年生きた実家のネコよりも長生きでしたね。 大往生。
餃子だ、騒乱だ、黄砂だ、忠国だと、色々報道されていますが、パンダに罪無し。
ダライラマ氏と対話するとかしないとかで愛国だとか売国だとか。
原油高、小麦高に雪害が重なっている現状、すぐにどうこうするのは
難しいのかも知れません。
崩壊フラグとか言っている日本人もいますが、私はそれは当分無いかと。
聖火騒動も海外では暴発気味ですが本土中国はこれから長期休暇入り。
現状の混乱は政策ミスではなくもっぱら気象と国外状況の変化によるものですし、
半世紀に一度と言われた雪害の対処は、多分的確だったのではないかと。
「愛国無罪」の再発を懸念する声もありますが、それはまあ、
中国人のうち考えの少ない人達が猛っているだけと見ます。
さて、中華人民共和国について。
相変わらず悪く言うと暴力、まあ武断傾向が強いわけですが、
なんでこうなのかなあと。
で、考えてみると、日本人も最近まで結構暴力的だったわけです。
全共闘世代とか、かなり無思慮な行動をとっていたようですし、
そもそもそれ以前は戦争やってたわけです。
最近では暴発老人なんて言われ出してます。
日本と中国、暴力傾向の違いは何か?
命の値段なんじゃないかと。
私は小さい頃は蟻の触角を毟って放ち、迷走する様を眺めたりしていた
ありきたりな糞ガキでしたが、基本的に日本の子供は「人を殺しちゃいけない」
的なことを大人になるまで延々刷り込まれ続けるわけです。
もっと言うと、「殺す」場面も、子供から見えないところへ隔離されます。
まあ自殺はもっぱら黙認されますが。
日本の戦国時代から江戸時代に入って暫くして行われた政策に「生類哀れみの令」が
ありまして、今日では悪法の代名詞の如く伝わっておりますが、なんでも
当時の日本人の人命軽視傾向を改めるために必要だったとか。
他の日本の特徴として、倫理基準の多様さが挙げられます。
仏教、儒教、人権、キリスト教、もののあわれ、もったいない、お天道様、
武道も競技や戦闘術ではなく己を律する術を学ぶ道と解釈されるなど、
いろいろあったりします。 まあマルクス教徒は暴力的ですが。
夏の定番は怪談で、恨まれることをすると呪われる祟られるといった話が定型。
要するに、一つの倫理基準でゴーサインが出たとしても、
他の倫理基準で考えるとよろしくないといった結果になったりで、
一般的な反社会行為に対して二重三重にブレーキがかかる構造になるわけです。
見る街灯の
青白さ
照らさる夜道
不安覚えず
上野動物園のパンダ「リンリン」死す、とのこと。
22歳7か月。 18年生きた実家のネコよりも長生きでしたね。 大往生。
餃子だ、騒乱だ、黄砂だ、忠国だと、色々報道されていますが、パンダに罪無し。
ダライラマ氏と対話するとかしないとかで愛国だとか売国だとか。
原油高、小麦高に雪害が重なっている現状、すぐにどうこうするのは
難しいのかも知れません。
崩壊フラグとか言っている日本人もいますが、私はそれは当分無いかと。
聖火騒動も海外では暴発気味ですが本土中国はこれから長期休暇入り。
現状の混乱は政策ミスではなくもっぱら気象と国外状況の変化によるものですし、
半世紀に一度と言われた雪害の対処は、多分的確だったのではないかと。
「愛国無罪」の再発を懸念する声もありますが、それはまあ、
中国人のうち考えの少ない人達が猛っているだけと見ます。
さて、中華人民共和国について。
相変わらず悪く言うと暴力、まあ武断傾向が強いわけですが、
なんでこうなのかなあと。
で、考えてみると、日本人も最近まで結構暴力的だったわけです。
全共闘世代とか、かなり無思慮な行動をとっていたようですし、
そもそもそれ以前は戦争やってたわけです。
最近では暴発老人なんて言われ出してます。
日本と中国、暴力傾向の違いは何か?
命の値段なんじゃないかと。
私は小さい頃は蟻の触角を毟って放ち、迷走する様を眺めたりしていた
ありきたりな糞ガキでしたが、基本的に日本の子供は「人を殺しちゃいけない」
的なことを大人になるまで延々刷り込まれ続けるわけです。
もっと言うと、「殺す」場面も、子供から見えないところへ隔離されます。
まあ自殺はもっぱら黙認されますが。
日本の戦国時代から江戸時代に入って暫くして行われた政策に「生類哀れみの令」が
ありまして、今日では悪法の代名詞の如く伝わっておりますが、なんでも
当時の日本人の人命軽視傾向を改めるために必要だったとか。
他の日本の特徴として、倫理基準の多様さが挙げられます。
仏教、儒教、人権、キリスト教、もののあわれ、もったいない、お天道様、
武道も競技や戦闘術ではなく己を律する術を学ぶ道と解釈されるなど、
いろいろあったりします。 まあマルクス教徒は暴力的ですが。
夏の定番は怪談で、恨まれることをすると呪われる祟られるといった話が定型。
要するに、一つの倫理基準でゴーサインが出たとしても、
他の倫理基準で考えるとよろしくないといった結果になったりで、
一般的な反社会行為に対して二重三重にブレーキがかかる構造になるわけです。