狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

飲酒マッチョ信仰、体育会系しごき信仰、おしゃべりマルチタスク信仰

2017-12-31 23:46:36 | Weblog
「もしセム教の構図がレア、シメオン、レビ母子の更生を目的としたものならバラしちゃ駄目じゃね?」といった指摘もあると思う。 ここに別視点をいれるとちょっと違ってくる。 「更生プログラムの構図それ自体が、人類(霊類)の体質改善を目的としたものなのだ」という。 動物の社会性に内在するテロ性、マフィア性、カルト性を人間たちに避けるよう教えるためのものなのだと。 こうすると三者の更生状況はさほど重要ではなくなる、つまり更生していれば良し、未更生だとしても「その他大勢と一緒に更生してね」で済む話。

とうとう酒の地位が「百害有って一利無し」となりそうな。 適度な飲酒は健康に良い、という統計データが実は、お金があって健康に気を配る人が長生きしているだけ、といった話が出てきた。
で、飲酒マッチョ信仰なのだが。 正直これを今私が叩くかな?と疑問に思うもので。 すでに叩かれていて、ある程度しおれている。
一方の。 体育会系しごき信仰。 こちらは現状、社会の暗部に直結していて雑多な暴力事件、恫喝事案が「これでいいのだ」と見逃される主因となっている。 こちらは今へし折れるまで叩いた方が良さそうな。
もう一つ。 おしゃべりマルチタスク信仰。 事故原因放置体質を形作っているものであるが、これまで直接的には問題視されてこなかった。 最近変わってきたかもしれないところだが。
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デジタル・ディバイド、ファクシミリと奴隷制

2017-12-31 18:54:21 | Weblog
先日だか思い出した事がある。 小学校の一時期、日本の小学校は基本給食のはずだが海外なので弁当持参だった、弁当残しがマイ・ブーム的になっていた時があった。 隣の席の子と「今だ!」と言って自分の弁当に蓋を被せると。 たしか幼稚園の時は食べ残しをしなかった事を誇っていたはずなのでなんらかの心境の変化、小食な隣人に合わせて悪ぶってみせたのか、があったのかもしれない。 なんで今更こんな事を書いているのかと言うに、「やるんじゃなかった」と思っていると。 あとなんか、世間的には大した事ないネタかもしれないがそれでも「食に関して悪い事してません」面するのはフェアじゃあない、みたいな感覚がある。

少し前に「オタ芸でコンサート鑑賞が邪魔された」みたいなネタがあった。 なんでも近くの客が歌ってたのがうるさくて曲が聞けなかったから返金しろとかなんとかで訴えたと。 で考えるんだな。 コンサート、ライブとかだな、で提供側はどうあるべきかと。 これについて「コンサートとは」「ライブとはこういうものだ」というものが二通りあると見る。 一つは他の客の反応などもその要素だ、というもの。 アドリブやアクシデントも提供物だとするものだな。 もう一つは純粋に演目を鑑賞する、というもの。 この場合は演目の演出が変化してしまうようなアクシデントは約束違反でありまた迷惑の度が過ぎる観客のつまみだしも提供者側の責任だ、となる。 訴えた側は後者の立場にあるわけだ。
たしか判決は前者の側に寄ったものになっていたと記憶している。 それはそれでいいとして、はっきり分けて表示した方がいいんじゃないかと。 「雰囲気を楽しんでください」と「他の客の迷惑になる行為は慎んでください」のどちらか一方、文章はこうでなくともいいが、をチケットに書いておくとか。

郵便制度を残すか否か、その一端。 日本人は年始に年賀状を出すのだがこれにつき
> 一般人、配達員、社員「年賀状やめたい」
> 何故やめない

といったスレで、
> 幹部「やめないぞ」
> 社員、配達員、一般人「はいナリ」

といったレスがついたと。 結局「風習だから」で続いている。

デジタル・ディバイドの現れた様相として、サッカー場だったか、で三世代が写った画像が紹介されていた事があった。 このネタ前に一回使ったかどうか。 年配の人はアナログカメラを使い、中年の人が自分が持つ携帯電話の操作に眉を顰め、若い人が携帯で撮影している状況。 その瞬間真ん中の人だけが楽しめていない。
日本のオフィスにはいつまでたってもファクシミリが残っている、といった話が揶揄される事がある。 私はそうある方が良いと思う。 古いものを残さないと楽しめなくなる、働けなくなる人が出ると。 もちろん、「作業は誰かにやらせる」という発想で動く分にはそうした問題は出ないのだろう。 そういう社会もあるのかもしれない。
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嫌がらせに発する三すくみ

2017-12-31 11:57:39 | Weblog
ああ、嫌な世界だ。
聖書ネタ。 ルベン氏周辺事情。 ルベン氏はレア氏に「ラケルは邪悪な人間だ」と教えられて育った。 そして「そういう子」になった。 そんな幼少期、レア氏を憎み嫌がらせをし続ける、を過ごしたルベン氏だがある日、育ち社会を知るようになりふと気づく。 叔母ではなく、自分の母こそが邪悪なのではないかと。 気付き謝罪したルベン氏を、レア氏はあっさり許す。 これがレア氏の言う「夫を奪ったのみならず」の裏事情。 つまり、誘惑する女ラケル説、不貞説の出どころはレア氏。 この構図の証人が、他でもないヤコブ氏。 ヨセフ氏、ベニヤミン氏を喜びラケル氏を惜しみ、ルベン氏のビルハ氏との姦通に落胆する。 そして、「邪悪に育ってしまった子ら」であるシメオン氏レビ氏に対して父親の、族長の責務を果たす一方で、最後まで嫌い続けていた。 さらにだ。 もう一人証人が居る。 ラバン氏である。 レア氏を騙して押し付けたラバン氏に対しヤコブ氏は食ってかかった。 レア氏の主張には正当性が無いのだ。 ではラバン氏は何故、レア氏をヤコブ氏に押し付けたのか。 レア氏を知る周囲に嫁ぎ先が無かったからだろうそして、兎に角手放したかった。
ルベン氏。 「ビルハ氏と姦通したのなら悪では?」と思われる人も居ると思う。 いや全然。 だって、相手は使用人でしょ。 セックスと愛憎の機微は知らんが何かの拍子に親父と穴兄弟になったってだけ。 部族社会の風習には反していたのだろうがそれがどれほどの悪事か、と聞かれれば、大した事ないんじゃなかろうか、と思うところ。
さて創世記では改まらなかった三名他若干だが、次の物語は「王女に育てられた子」「レビ族の殺人者」として始まる。

表題の。 女社会のルール、常識って嫌がらせ基準で出来ていると見ているのね。 これを「偏見だ」「差別だ」と言う人も多いだろうご自由に。 うん。 好きに言っていいよ。 女同士でそうする。 男に対してもそうする。 そうして人間関係に差を付ける。 序列化する。 その上で、嫌がらせを隠す。 粉飾する。 嫌がらせをする自分がそうする事で発生する不利益を被らないようにする。 一般には「売女の側」とされるものだろう、相関の強弱は不明。 女社会には文化、作法としてそうしてものがある。 真面目な人を騙して利益(物質的、精神的の両方)を得る。 ここに「チンピラの側」が発生する。

女社会の作法はある種、「女全体で結託し真面目な人を騙す」のを目的とする。 参加人数が多いのだ。 つまり、緩い。 仕組み自体は実はがばがばである。 男の側は「真面目な人」を辞めた瞬間からこれを逆用する事が可能な立場となる。 これがチンピラの側。
チンピラ社会はチンピラ社会全体で、売女たちを「鵜飼いの鵜」とする。 チンピラ社会の文化、作法があり、ここに世間の売女たちを組み込み利益を吸い上げ自分たちのものとする。 手段として、殴ったり煽てたり愛したりをすると。

真面目な人たちは法を以て暴力チンピラを駆除する。 これで三すくみ。
売女の騙し、チンピラの暴力、真面目の武力行使。 最終的には真面目の側が勝つ。 子供たちはこれを選ぶ。 他は選ばれなくなる。

で、何が嫌な世界かって? 嫌がらせの多さ。 思索に対してこれが発生する。 個人事情だ。 ああ嫌な世界だ。
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小ネタ・乗用車から降りる予備動作開始のタイミングは車のエンジンが切られた時

2017-12-29 09:00:12 | Weblog
前回で私は、「悪魔に魂を売った状態」の言語化、明文化に成功したわけだ。 「いやそんなの前からあったでしょ?」みたいに思う人も居るかもしれない。 でもこれ「ウィルスの発見」みたいなものなの、と主張する。 ウィルスが発見、単離される以前から名医はその存在を知っていた。 だがそれを人に伝えようとすると多大な時間、多くの労力を要する、経験を通した直接指導を必要としていた。 それが、基礎が出来ている人間に「こういうものです」「これが駄目です」と簡便に伝えられるようになったと。
これで「悪魔をやらされている天使たち」の解放条件が整ったわけだ。 若干の整備は必要だろうがこれから先子供たちは「あれが駄目なんだよ」と互いに教え合うようになる。 よって、「無理やりの悪魔役」は必要なくなる。 といっても、彼らの多くが「ナマハゲ役」を、適宜買って出るのかもしれないが。
マフィア性、悪意、因習、詐欺虚飾、そうしたものの探求に結果が出たと。 所謂悪魔サタンと第一使徒ペテロの関係、その物語もそうしたものだったのだろうな。 神の子シェムハザとルベン、ヨセフ、ベニヤミン兄弟、シメオン、レビ、ユダ兄弟との関係も、どうだろう? ちょうどいいサンプルになってはいるが。 「何かを再現しようとした」ではなく自然発生な気がする。 まあいいや。
まて。 起点は「神の人」ソロモンだ。 おそらく天使サマエルとサウル王、ダビデ王の関係も自然発生的なもの。 それ以降は違う。 という事は、「ソロモン王の出題を解いた」状態なのかな?

小ネタ。 車から降りる動作のタイミング。 エンジンを切った時。 これいくつか理由がある。
エンジンを切る事で運転手の意識が切り替わる。 動く閉じた箱の責任者の立場から、歩いて誘導する(任意だが)の立場に変わる。 それと、音。 車外および車の状態を耳で聞いている状態から解放される。 コンセンサス。 車のエンジンが点いている、というのは内部から見ても外部から見ても「すぐ動く」という状態である。 車の近くに居る人間にしてみれば、エンジンが点いたままの車というのは停止中なのか停車を継続するのか、駐車へと移行するのか判別がつかない。
逆に言うと、エンジンが点いたまま、つまり「停車状態で乗客を降ろす」時には車の運転者が乗客に対し「降りるように」という合図出しをしなければならない。 同時に、合図が無いのに降りてはいけない。 判っていない人が多数派な気がするが。
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怒る不正、怒らない不正

2017-12-28 19:42:58 | Weblog
東京都が犬猫の殺処分ゼロを目指すとかなんとか。 ここで私が「カラスも保護しろ」「いやツバメも」などと言い出したらそれは不正行為。 一応ルール上正しい、民主主義の原則に沿って出されたルール変更に対し横から別の何かをねじ込もうとするこれ不正行為。

南米の。 ボリビアだったかな? の話が出ていた。 なんでも水道を民営化したのだそうな。 すると民営化後にその会社が「料金を値上げする」としたと。 結果払えなく、賄えなくなった人が続出し、多くの人が雨水で暮らすようになったとか。 そこでその民営水道局、「雨水は我々の権利だ」などと裁判所に訴え勝訴したのだとか。 で、暴動になったと。 その後の話? いや知らん。 ホントの話かどうかの確認も取ってない。

イエス氏がパンを増やした話は「奇跡ではない」と思っている人は少なくないと思う。 当時の信徒、というより追従者の多くはそれぞれ自分たちのパンを隠し持っていてその上で「パンが無い」と言っていたと。 イエス氏は彼らを責めるのではなく自分たちのパンを出した。 良心に訴えたんだね、そんな解釈。

テレビをみる父が怒るような世間の不正行為に、私は怒ったり怒らなかったりする。 逆に私が「因習だ」と怒る、体育会系なんかの傾向に。 これ何なのだろうなと考える。

断言しちゃおう。 暴力・殺傷とその恫喝。 こうしたものが絡む不正に怒る人は、金銭や地位だけの不正は「欲深い人が怒っているのだろう」と高を括る。 逆に、金銭、地位の不正に怒る人は物的被害を伴うあからさまな窃盗、暴力や殺人恫喝に「やった人の側にそうする理由がある、やられた側は罰されたに違いない」とする。
まあ実際にはそう単純でもないだろう、上に挙げたボリビアの人民の例なんかはどっちなんだ?って話だし。 民営会社が命の糧を盗んだのかボリビア人民が雨水を盗んだのか。
なんにせよ私はこの、「金銭の不正に怒る人」を悪魔に魂を売り渡した人に例えるわけだ。 詐欺暴力恫喝を含む手段で地位を得る。 世間のそうした行為に目をつぶるようになり、そして自分と違った方法で地位を得た人に「悪質な不正を働いたに違いない」と思い込むようになると。
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日弁連の友人たち

2017-12-28 18:26:22 | Weblog
ネットの。 ネットウヨク界隈を中心に、ちょっと話題になっていたニュースに、北朝鮮漁船(いやどこまで漁船なのかは定かではないのだが)乗組員による略奪行為の被害補償その顛末がある。 なんでも朝鮮総連内部で補償するという話が出て、内部分裂を起こし立ち消えになり、その後何でも「警察に被害届を出すのを取りやめてくれ」とかいった話になって漁協の人たちらを怒らせたとかなんとか。
これ。 私はこれが日弁連だと思っている。

前に「アメリカの有能な弁護士は」といった話、推論を書いた。 被害者に妥協をさせるには脅す他ない場合が多い、といった現実に「ラスベガスを造ったのはユダヤ人マフィア」という歴史事実を重ね合わせる。 つまり「有能な弁護士」とはマフィアの脅しを仄めかすのが上手い人なのだと。 いや仄めかすだけなのかな? どうなんだろうな? そして「有能な弁護士」の多くがマフィアの支援者だと。

今回の件である。 朝鮮総連が「被害届を取りやめろ」ときた。 一般の日本人の目に、異様な態度だ。 いや日本人じゃなくても「窃盗、暴力などで被害があったら警察に被害届を出すのが常識だ」、とする人が多いだろう先進国では。 このネタに出てくる朝鮮総連関係者はこの常識で動いていない。 これは何なのだと。 そして日弁連である。

こうしたネタが出現する事は、はっきりいって喜ばしいと思っている。 「異常さ」が浮き彫りになる。
じゃあそうした時にだれが動くんだと。 あちこち当てにならんな。 例えばだ。 「エホバの証人」は自分たちの宗団は社会の汚濁から隔絶していると自負しているが、そんな彼らも人権団体の活動を賛美していた。 私は「国際紛争に首を突っ込むな」と警告したが。 当てにならん。 こうしたケースでは信用できる相手ではないとしたものだ。
政治や司法はどうか。 論外だ。 弁護士が中心の集団だ。 マスコミも似たり寄ったり。 弁護士よりももっと悪質か。
金持ちは? 無いな。 好事家は。 無い。

何の事はない。 いつも通りだ。
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英語嫌いで良かった、と思わなくもない今日この頃

2017-12-28 18:06:06 | Weblog
どこかで読んだ話。 協力隊関連の本だったかな?よく覚えていない。 アフリカはフランス語圏出身者が日本で日本人の友人と、フランス語で話をしていたと。 そこに通りかかったフランスからだかの観光客が、フランス語で話しかけてきた。 そこでそのフランス語圏出身者はアフリカの現地語に切り替えたと(彼の友人はその言語を一応使えた)。 なんとなく解るんだな。 いや実際どうなのかは本人しか解らないのだろうが、自分の中に「こう」というものがあると。

フランス人は英語で話しかけられると不機嫌になったりする、といった話がある。 その一方で、フランス語は国際語とされており、フランス人もその事を自負し誇りに思ってたりもすると。 つまり英語で不機嫌かつ国際フランス語を喜ぶフランス人は、両方の立場を知っているわけだ。 ではそんな彼らはそうした稀有な立ち位置を生かす事が出来るのか。 大半が、否だろう。 出来る人はまずいない。 両立ち位置の経験がばらばらにあって、実は同じ場面を入れ替えたものなのだという事に気付かない。

WoTをアジアサーバでやっていると英語チャットの頻度、みたいなものが目に付く。 チーム内での言語コミュニケーションが他のサーバ、ロシアや北米、EUに比べてずっと少ないのだとか。 で、状況と内容を見て思うわけだ。 ネイティブ・スピーカーでなくて良かった、と。
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ヴィーガンだ

2017-12-27 14:25:34 | Weblog
私は火種を正そうとし、天使たちは私を止めようとする。 断言しよう天使たちは、不正の側に居ると。 彼らは不正の人間たちと癒着しているのだと。

面白いな。 天使と称する教会霊たちは既得権に凝り固まっているだけなのだ、こうした結論が出た。

さて、表題は、ヴィーガン。 Wikipediaの該当記事を読む。 なんでも1944年、戦時中だな、にイギリスで始まったらしい。 ヒンドゥー教の輸入だろうと思っていたが、そうとは書かれてはいない。 歴史的経緯だとどうやら19世紀に組織化されたベジタリアンが過激化したものっぽい。 ガンジー氏がどうのこうの、とあるからインドに逆輸入(菜食主義のルーツの一つは古代インドとある)されているかもしれない。

されヴィーガンを「不殺食主義」と置く。 そうじゃないという人も居るかもしれないが、とりあえずそう決め付けて話を進める。 私は畜産文化圏の「アニマルウェルフェア」的な考えの方がまともだと思っている。 理由は、「お蚕様」と呼ばれる、日本の養蚕業のカイコたちが不幸に見えないから。 彼らが不幸ではないのならば、新たな何かをもって、「悪の基準」を作り出す理由を見ない。 もちろん、彼らが不幸であるのならば考える人として考えなければならないのだろうが。

さて現状、ヴィーガン主義者らの問題点を挙げるならば、独善と同調圧の二点が目に付く、となる。 自分たちこそが善つまり周囲は悪、の後半を目的としているのではないかという疑念と、なんだかんだで回りに押し付けようとする、政治運動を始めるのではないかというものである。

彼らがこの疑念を晴らす方法は簡単だ。 彼らが彼らの子供たちを、非ヴィーガン、肉も食べる人間として育てればいい。 これならば「一個人としてやっているだけだ」と言える。 そうなっていないのならば彼らのそれは政治活動の一種だ。
もちろん彼らが「自分たちは政治活動としてこれをしている」と言うのならばそこに嘘はない。
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何故シーア派は嫌われるのか

2017-12-27 13:45:16 | Weblog
貧乏人の宗教だからである。
霊的な話になると天使がーとかアリー氏の人間関係がアブラハム系のーとかそもそもセム系がーとかとなるのだが、そっち系を抜きにすると、「金持ち喧嘩せず」の反対だから、となる。 貧乏人喧嘩売る、みたいな。
貧乏人の集団に独自の宗教を与えると独善、他罰的なひがみ根性の宗教となる。 元々の争点、アリー氏とアーイシャ氏どちらが正しかったのかの答えは圧倒的にアリー氏、アーイシャ氏には組織維持の保身しかなかった。 極論するとムハンマド氏の精神を体現する人間が居たのならば、コーランの編纂もハディースの集積も、必要なかった。 これを無視して組織維持に腐心したのがスンニ派の祖であり、使徒行伝のペテロ氏であり。

いやちょっかい出さなくていいってのに。 バタバタすんの。 これが嫌なんだよ。
嫌がらせでやってるのか? そうなんだろ? 「責めるな」ってか? そーゆーもんじゃあない。

さて続けよう。
金持ちから見た「貧乏人たちの理論」はどのようなものか。 まず多くは、自分たちに非があるのを知っている。 貧乏人たちとの対比上ほぼ無い、と言っていい人も少なからず居るが。 「人の役に立つべく堅実な商売を続けて利益が増えていった人」と「詐欺的手法を好んでやった人」とに傾向が分かれ、多くの金持ちが後者。 弁護士を嫌わない、マスコミを嫌わない、人権団体を嫌わないなどの特徴がある。 後ろめたさと利益での結託意識からそうなるんだな。
金持ちの側、と置くと、詐欺的手法で富を得た人が多く、そちら側で固まって権力を行使している。 詐欺を用いていない金持ちも彼らとの付き合いがあり、彼らを責めていない。 ここに後ろめたさがある。
「金持ちは貧乏人から搾取している」のか。 Yesともnoとも言えるが、貧乏人を貧乏人の集団とするとそのメンバーは、yesと言うだろう。 周囲がそう言う時にnoと言える人はごく少数だ。
ではだ。 大勢の貧乏人たちの中から数人を選んで、こっそり金を渡したとしよう。 彼らは分け合うだろうか。 否だろう。 「貧乏人たちが責める金持ちの非」は責めている側により当てはまる。

ふむ。 キリスト教圏なら「クリスマス調査」でもしてみたらどうだろうか。 人はこうした機会に金を使う。 という事はだ、金を使われていない子供が居たらそれは貧乏なのか、あるいは虐待的扱いを受けているかのいずれかだ。 休暇明けに学校でやればだいたいの傾向が見えてくるはず。

さて「非は責める側により当てはまる」ってか。 私がそうだとしよう、だからどうしたというのだ。 問題ないではないか。 信徒が財産を提供する立場に収まりたくてペテロ氏を責めている? 実現性が無い。 実現したら私も義しさを訴えるのを止めて「後ろめたさを抱えた人間」となるのか。 過去の例だと違う。 それでサラリーマンを辞めているし、バイトも辞めている。
なるほど。 私は不正を正そうとしているのではない。 争いの火種を正そうとしているのだな。 そしてペテロ氏は、シーア派は、争いとしてあったのだと。
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全性の時間

2017-12-26 21:36:12 | Weblog
男の罵声、車のクラクションもブレーキ音も工作の騒音も動物の吠え声もない、
女の嘲り、テレビも点いておらず電話も鳴らず酒や香水の臭いもせず宣伝も目に付かない、
鳥の声は遠く風も戸を叩かず、動物たちも動いても静か。
そうした時間が一日に数時間、または数十分ほどある。
本を読むに良し、考え事をするに良し、物を書くに良し、寝るに良し、もちろん遊ぶにも良い。
生きるに良し死ぬに良し、疲れが取れ充実し、何かをしようとする気も出、また何もしなくとも良し。
何故世界はそうではないのだ。 何故人間たちはそうした時間を喜ばないのだ。
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