狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

シカゴ式交渉術と後進国型反米政治は似たような作用によるものなんだな

2017-06-18 18:18:25 | Weblog
ブログの「カテゴリー」の下に「ジャンル」なるものがある模様。 普段意識していなかったが何やら適当に選ばれた状態になっていたのでトグルを開いてみた。 するとそこに「韓流」なるジャンルがあった。 gooブログも汚染されてるな。

私はブラフを多用する交渉術は下品だと思っている。 相手に失礼なのだと。 と同時に、シカゴのローカル文化を否定するのもまたあまりよろしくない行動だ、という気もする。 「極端な悪行」というわけでもないとしているわけで、気分次第、場合の行動だな。

シカゴ式交渉術と後進国型反米交渉術。 アメリカが「破壊工作して転覆させるぞ」と脅せば後進国は「ソ連の、中国の側につくそうするとお前の利益は無くなり在外米国人は人質と化す」とな。 どちらも相手の状況を無視し自分の側の利益を最大にしようとしている動き。 対だわな。

いや、別に構わないよ。 シカゴ文化も楽しかろうて。 「私は関わりたくない」ってだけ。

2017/06/18 18:20 タイトル記入漏れにつき追加
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騙すクズ以上に騙される馬鹿を嫌っている

2017-06-18 17:49:07 | Weblog
前に、「先生に知らせなきゃ」と「先生に言いつけてやる」には違いがあって、前者は善意によるものだが後者は子供同士の闘争に権力者を利用しようとするものだ、と書いた。
先生、学校教師の権威というものは学年が上がるにつれ下がっていく。 経験も見識も無い年ごろの子らの集団の中では絶対的なものだが、判断力を持つ子が出てくる年ごろ、中学に上がる前後だろうか、あたりから無いものとなっていく。 だがそれまでに「先生に言いつけてやる」型の成功体験を持ってしまった子の一部は、思想家の権威を利用する、国連を担ぎ上げる、あるいはもっと直接的に、愚民を騙せばいい、といった方向に進むようになる。

騙すクズが居る。 定番フレーズは、「あいつらが悪者だ」である。
まるっきり悪魔のような何かだとでも思えばいい、ただし、見た目は天使のよう。
考えず、不満を持った人間は彼らをちやほやする。

騙すクズが必要とされる状況というのは言い換えると、クズにも働き場がある状況である、となる。
これに勝てないで居る。
馬鹿共が貶めを求める、結果クズ共に役割が生じる。
「馬鹿共が手っ取り早い悪役を求めている現状」を変えたいと思っている。 嫌っている。 でも終わらせられない。

クズの役割か。 うん。 朝日新聞社員が失職して、東ス〇だの日刊ゲン〇イだのフライ〇ーだのを店頭販売する立場になればいい。 それだって役割は役割だ。 それで「ああ、自分たちはこういう連中を騙そうとしていたんだな」と気付くかというと、否だろう。 だが切っ掛けにはなる。 これまで彼らが興じてきた「労働者善人説」や一時期流行った「店長残酷物語」が事の一面のみを誇大吹聴したものだというのを目の当たりにする、というより、そのままその場に立たされる事となる。 その方が良かろう。
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ペンは剣よりも強し の裏側

2017-06-18 08:54:28 | Weblog
「死の商人」って言うでしょ。
喧嘩する双方に武器を売る人の事。
マスコミの言う「二大政党制」とか「弱者のための」とかってそういう意図なの。
憎しみを煽って均衡させ長引かせ、ペンを売るの。
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「政治批判、企業批判のガイドラインが必要だろう」と考えるんだな

2017-06-16 16:05:27 | Weblog
最近、駆逐戦車の練習をしている。 いや、ゲームの話でな、今駆逐戦車乗員の育成が楽になるイベントが出されているんだがその少し前からやってて。
んでこういう物書きするに、「貴重な練習時間が」などと思ってしまったりもすると。

さてたしか先月に起きたWot騒動(ゲームの仕様変更に反発した一部Youtuberによる営業妨害様活動とWG社の対応)、三つの領域が重なっていると見るんだな、つまり政治秩序(営利活動全般に対する反感、表現の自由及び差別的表現)、経済秩序(営業妨害様行動、広告収入者と企業の関係、著作権行使の範囲)、それと遊び(政府ないし企業が提供した遊び場での各人の在り方)と。 んでこれに関して私は、当初のWG社側の立場(だろうと私が考えるもの)、「著作権者は著作権物を用いた第三者の行動から不利益を被らないように要請する権利がある」とするものの方が正しい以上、それを拒否したYoutuber並びに、拒否者の側に立ち企業の側が一方的に間違っていると広報したYoutuberたちはおかしい、としたわけだ。

ガイドライン。 気に入らなかったら自分でも書き起こせばいい、「私ならこう判断する」というだけのもの。

1. 政治批判は自由に行われて然るべきである、ただし以下ははこれに含まれない
 a. 政策、哲学政治理念及びそれらの表現方法に関係しない個人の特徴
  (身体特徴及びそれによるファッションで騙しを含まないもの、人種、出身地、当人が選んだわけではない親族交友関係)
 b. 批判の聴衆に批判を否定する事による不利益が発生する場合
  (企業経営者が部下に対し、親が子に対し、社員が取引先の相手に対して経済活動の場で政治批判をする)
 c. 公器を用いたもの
  (テレビ及び公園や道路、公民館などの施設を場としたパフォーマンス)
 d. 嘘は駄目
  (政治云々以前の問題)

2. 政策肯定の自由は批判の自由よりも広く取られるつまり
 a. 「特定の政治家、政治集団、政策が自社自業界の利益となる」という発言は禁忌にはあたらない
  (族政治家の選択、政治選択を通した個人利益の追求)
 b. 犯罪対策の肯定は犯罪者、迷惑行動集団の権利に優越する

3. 企業批判は制限される、ただし以下の行為は肯定されて然るべき
 a. 企業が犯罪行動を取っている場合でその行動に対する批判
 b. 企業の営利活動の場以外の行動で公益に反する場合
  (公益に反さなくとも経済活動に直接関係しないものに対する批判は自由)
 c. 企業の経営理念に対するもの
  (好き嫌いの表現は自由)
 d. 商品の使い勝手に関するもので、発表場所が個人表現の場である場合
  (公民館でやる無料の劇、までは自由)

4. 以下の場合の企業批判は社会責任を問われる
 a. なんらかの形で収入を得ている活動の場合
  (収入がどこから来ているかによらない)
 b. 他人を巻き込む場合
  (他者の個人名団体名、所有物を用いたもの)

まあいろいろと書いてみたが、基本は各国の法に準ずるはずなんだな。
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正義なんてどこにもない

2017-06-16 03:59:36 | Weblog
笑点の。 シニゾもといUってヤツが嫌いで。 世相に怒ったり好々爺っぽいフリをしたりするんだが「コイツ一人の所為で何人が民主党に転んだが」と思うとね。

「Line株主一覧」みたいな画像があった。 少ない日本人名に「渋谷」「杉並」「川崎市」などの住所複数。 真偽未確認。

父が毎週見ているテレビ番組が多数あって。 そのうちの一つで、今回のお題が「雨の銀座」だった、っぽい。 んで、「また始めやがったか」と。
その前のニュースで「築地女将の会」だかなんだかの会見を流していてな、「築地移転問題と銀座腐敗勢力はセット」ってのが私見で。
命令系統って言うかな?が
オリンピック及び築地移転問題関係者・地上げ屋ヤクザ → 広告代理店社員・芸能界人士 → 番組構成・番組内お題

こうなっていると見ていると。
んで芸能人と銀座がどう繋がるか、だが
・銀座の人間に浮気相手や麻薬売人の手配をしてもらっている
・銀座に行くと「なんとなく上級国民っぽい雰囲気」が味わえる
・銀座で「事件をもみ消す人脈」を紹介してもらえる

とかこんなところかと。
銀座と築地移転問題の関係は
・鮮魚の入手が遠のき「和食のブランド価値」が目減りする
・市場跡地の活用次第で「高級の銀座、庶民の築地」という分業が崩れる
・市場移転先がライバルになる
・「背伸びして銀座に寄る庶民」の足が遠のき金回りが悪くなる
・上級国民が手っ取り早く見下す対象が銀座の横から去る

とまあ、デメリットだらけだと。 彼らはこういう感覚を持っている、と見ているんだな私は。

さて電通周辺事情、博報堂もそう変わりはないのだろうけれども、を「考えすぎだ」とする向きの方が多いのかな? でも10年前の選挙では民主党が勝った。 その流れは「暴対法から椿事件」と同一のものがあった。
電通周辺事情ってのはイギリス東インド会社なんかと共通した構造問題だと思ってるのね。 んでその周辺にいる人たちは「鬱憤晴らしにマフィアと宣伝業者の側につくのは間違いだ」とするのではなく、「さあ一緒に石を投げよう」としているのだと。 東インド会社周辺宣伝屋のような連中がある種の、諸悪の根源だ、と知っていても「あれが悪者なんです、あれを叩けば君たちにも利益がある」と言われると応じてしまう。 で、民主党政権を誕生させた歴史に対して「我々は騙されたんだ、まともな人が上に立って指導するべきなんだ」とかと言うんだろ。 違うんだな。 10年前に安倍政権を、8年前に麻生政権を引きずり下ろしたのはお前らなんだよ。 「民主党とかゴミだよ」「テレビも新聞も民主党に関して嘘ばかりだ」と言っていた人間は多数いたはずだ。 当時会社員だった私はネットだけじゃなくリアルでもやった。 でもお前たちは民主党を選んだんだ。 「なんとなくそっちが良さそうな雰囲気」と、それ以上に、「なんでもかんでも自民党の所為にしたいから叩く」流れを好んで。
ここでおもしろいのは社会党系及び共産党系人士の立ち居振る舞いなんだな。 彼らは今、地上げ屋ヤクザ勢力と結託状態にある。 悪を討ちたいのなら殺しあえばいいのに。

「ドラゴンクォーター」って作品があってな、「ブレスオブファイア」シリーズの五作目で賛否両論、というか「シリーズ戦犯」なんて言われてたりするんだが、一部では好評なんだな、「ワゴンで買える隠れた名作」って。 個人的な見解としては「ナンバリング作品じゃなく外伝で出さなきゃ駄目だろ」的な。
Wotネタ。 私が「この人がエンスク榴弾マンなんじゃないかな?」と思っている人が動画投稿を止めたらしい。 動画タイトルに「Final」と出して「止める」とコメンタリーしてた。 それでいいんだよ。 経営者には会社を潰す自由が、作者には連作ものを壊す自由がある。 私が社員を説得しようとするなら「アタリ・ショックがうんたらかんたら」とかとなるのだろうけれども犯罪行動を取っているわけではない企業を叩くよう煽る、となるとアウト。 最近ようやくTier3でコンスタントに活躍、比較的人の少ない時間帯でリストトップとかだな、出来るようになってきて、参考にしようと思ってたところなんで残念なんだが、でもそれでいいの。 「個人的に残念」と「態度として正しい」は別物。
んでだ。 Youtuberたちだ。 先の騒動で、糞ガキを止める、窘める側に立った動画を出した人間は少数だった。 個人的に及第点を出せるのが、いつも怒ってるおっさんの(誤射云々については別見解だが)、くらいで、若干マシなのがM氏の。 及第点出したくないレベルだが他よりは。 他は日和見一徹か、一見大人で穏当に見えて結局は糞ガキと同レベル、逸脱を正当化しようとするもの。 「代わりになるか」というと「いや全然」と。
糞ガキを窘めるのは大人の責任だ。 それをやると人気が出ない。 結局多くが人気取りに走るし見ている側もそれを支持する。 「駄目なのか」というと「いや駄目だろう」としか言いようがない。
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不敬罪周辺事情

2017-06-10 22:04:07 | Weblog
タイの不敬罪、禁固35年とか
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017060901019&g=int

私は不敬罪という法律自体不要、という意見に頷く側ではある。 ただ一方で、いわゆるヘイトスピーチの表現方法に、象徴を狙う、というのもあるわけだ。 例えばだ、マーティン・ルーサー・キングJr氏、あるいはマルコムX氏を対象とした侮蔑を含む表現の自由の行使はアメリカ黒人社会、ブラック・ムスリム社会に対するヘイトスピーチたり得る。 「気に入らないから犯罪行為」とするのではなく、民族もしくは宗教集団を狙い撃ちした攻撃表現、というのがその趣旨であるならば。

WotとYoutuberのネタが少々消化不良気味に感じている。 書きたいのが本音だが今回は、部分的に関連したネタ。

権利云々とか表現の自由とかと秩序、社会に対する攻撃の問題だわな。 こうした事柄について書いた方が良い、つまり
・不敬罪
・誹謗中傷・名誉棄損行動
・社会への攻撃扇動
・ヘイトスピーチ

これらを切り分け、何が何に該当するかを明文化した方がいい、と見るわけだ。

んー。 一応疑問を挙げておこう。 言葉による個人ないし社会に対する攻撃って、成立してんの?って。
現状各国の法律でそう扱われているしまあ実際そうなんだろう。 んで「個人に対する攻撃だ」とされる状況、二通りに見ると。
1. 言われた当人が不快とする
2. その発言を受けて周囲が言われた対象を攻撃する

1の方はその場の感情が基準だわな。 「君はバナナのようだ」と言われたとしよう、これがゴリラチンパンジーに好かれる、という意味なのか肌の黄色さを指しているのか、あるいは厚い外側の中に実質が詰まっている事を表そうとしたのかしたのかは発言者の意図によるだろうし、「なんとなく言ってみただけ」とか、あるいは「誰かの真似してみただけで意味とか考えてなかった」などもあるだろう。 こちらの方は発言した側、された側の認識次第で「攻撃した」「攻撃された」が「しなかった」「されなかった」に置き換わる。
2の方は、実際には攻撃するのは発言者ではなく発言を聞いた周囲の人間だ。 AがBを「泥棒だ」と言いCがBを殴ったとしよう、直接攻撃したのはCである。 ではAが「火事だ」と言ったのを受けてCがBを殴った場合はどうか。 一応文言上は、Aの発言にBへの攻撃を促すものは無い。 だがBが放火の前科者だった場合はどうだろう。

不敬罪。
「その社会で敬意を受けてしかるべき人」というのが法律で決まっているパターンだわな。 アメリカ人あたりは「理解できない」と言いそうな気がするが、彼らの社会にも軍隊はあって、そこでは「兵隊は将軍に敬礼しなければならない」と決まっているわけだ。 「軍隊は別だ」とか返ってきそうだがじゃあ「社会の秩序はどう維持されているの?」という質問の答えの、一つは「軍隊によって」なんだな、アメリカの中で軍隊を嫌っている人たちでもだいたいそうだろう。 じゃあ社会の秩序を維持する人たちには「敬意を受ける人」が定められてしかるべきなのか、という問いにはしぶしぶ「Yes」と答えるのではと推測すると。
もう一つある。 法廷侮辱罪だ。 これも不敬罪の一種。 裁判官か、それに類する人に対して一応、敬意ある態度を取らないと罪に問われる。 こう書くと「犯罪者は別だ」とかと言われそうだが法廷に立たされている時点では推定無罪の一般人である。 「裁判官は選ばれし人だ」とか言われるだろうか。 じゃあお前選んだ記憶あるの? 私は無いよ。 一応日本には「最高裁なんとか」とかの、国政選挙の際の儀式があるけどそれも既になった後だ。 なった経緯は就職先に司法社会を選んだ人がエスカレーターを上がっていったってだけと。
不敬罪自体はあちこちの社会一般にある。 適用された際に不当と意識するかどうかで当人にとって問題視するべき事柄かどうかが決まる。 考えてみよう、そうした取り決めを一切無くしてみたらどうなるかと。 取りあえず、言葉の通りの悪いウルサイ社会になるだろうな。 また、兵隊もしくは警察に対する一般人の「こうあるべし」という態度もその場の気分と雰囲気で決まるようになるだろう。

誹謗中傷・名誉棄損。
誹謗中傷の方は一般には客観性を伴わないもの、名誉棄損の方は状況に応じた地位を下げるもの、だろうか。
社会的地位に関係なく虚偽の内容の発言でもって攻撃するのが誹謗中傷、虚偽か事実か関係なく対象の社会的地位を下げる攻撃的発言が名誉棄損。 つまり虚偽であり対象の地位を下げようとする発言は誹謗中傷かつ名誉棄損、事実であり地位が下がらないならば誹謗中傷でも名誉棄損でもない、となる。 内容は社会によってまちまちだったりするが、ゆるやかに国際法、商人たちのお金のやり取りである、で繋がっていると。 じゃあ攻撃的発言ってどんなだ、って言うと「嫌な気分にさせる事が目的の」か「他人に攻撃させる事を目的とした」となるんだな。

社会への攻撃扇動。
イギリスの偉いさんがなんでも「テロ思想がうんたらでインターネットを規制する」とかなんとか言ったとか。 馬鹿だねもとい、上手くいくといいね、とでもしておくか。 
個人宅の壁に落書きをする事はその家への攻撃か、と聞かれたら、内容の如何によらずそうだ、と答える。 じゃあ内容が「この家の主は浮気者だ」ならばどうか。 家への攻撃かつ家主への攻撃だわな。 それが「よって罰するべし」と続いていたらどうか。 ここまできて攻撃扇動だ、となる。
テロ活動をするよう働きかけるのがテロ扇動だわな。 事の善悪を明確にしようとした結果イギリスが悪の国であると判明した、ならばテロ扇動ではない。 学術活動ないし宗教活動の一結果がそうなったってだけと。
テロ活動は一般に、人間を対象にした物理的な破壊活動である。 最近だと「電子テロ」なんてのもあるのかな。 「電子的な構造物も社会インフラだ」という発想で攻撃側と防御側とを分けていると。 じゃあ社会への攻撃ってなんだ、って話になってくる。 私は「安眠妨害だ」とするのが一つの考え方なんじゃないかなとすると。 直接的な攻撃はたいがい安眠妨害になる一方で、経済活動による企業の淘汰や政治的な改革、意識改革提案なんかは直接的には安眠妨害にはならない。  状況次第で安眠妨害になる行為としては飯画像や猥談のupなどがある。 こういうのはどうなのか、というと「食うなりヌくなりしてさっさと寝ろ」が答えなのだろう、たぶん。

ヘイトスピーチ。
これはね、なんとも。 一応「こういう文言が人種差別です」「不快にさせる直接攻撃発言です」という定義をする事は可能。 適当に少し決めて、後はそんなに運用せずあきらめるのがいいんじゃないかな、と思うわけで。 不毛でしょ。

社会の安定、発言内容、権威。 この辺が焦点。
保守派が主張する「象徴者の尊重」の中身は「人が互いに尊重しあい共通理念が何なのかはっきりしない、だから体現者の名で認識を共有しよう」というもので、背景には「人が平和に暮らすにはガソリンでも札束でもコンクリートでもない何かが必要」という認識があると。 これに対するリベラル派の「ヘイトスピーチ論」は、「保守派の言う安全だの社会の安定だのは気に入らない、俺たちがそれを決めるのだから俺たちの権威を尊重しろ、これを強制する」というもの。 実際、「気に入らない」が原点で「俺たちが正しい」が主張、で定義不明感傷基準の法秩序ならざる法判断を「強制」すると。
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親の欲目「自分が」

2017-06-07 04:18:32 | Weblog
貧乏人が盗みを働く状況を考える。
よく「生きるため」なんて言ったりするが、自分一人だけなら何とかなったりもするもんなはずなんだな。 犯罪ギリギリかもしれないがとりあえず犯罪じゃあない方法、タカリとかスガリとか採集とかそっちの方、で。
「自分一人だけじゃあない、家族も」なんて反論が来たりするのかな。 そういう時ってこう思ってない? 「贅沢させてやりたい」とか。
「子供に不自由させたくないのは親として当然である、愛だ」とかの反論を予想。 その「不自由させない」なんだけどね、「自分が」って付かない? 「他人が自分の家族を支える状況は気に入らない、自分が彼らに与えてこそ自分のメンツが立つ自分が尊敬される」とか。
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Wot問題まとめ 書かないと先に進めないっぽい気がする

2017-06-07 04:07:38 | Weblog
先の件の。 Youtuber側とするかな、はWG社による「勧告」だか「恫喝」だかを問題視していたのだが私が問題視したのは当初の状況なんだな。
誰かだかがアップロードした、WG社が問題視したという、問題の動画を見たと。WG社のUS支社が問題視したのは差別表現だった、という事だが実際、エイズがどうとかの発言はあった模様。 私が問題だと思うのはそこではなく、まずは営業妨害に該当するかどうかだ。 んで私見としては、私が裁判官でWG社が訴えを出したならばそれを営業妨害に該当すると判断する。
もう一つ。 著作権者は著作物の利用について許可を出すことが出来るが、同時に、二次創作物の頒布差し止めを求める権利を有しているわけだ。 もちろん許可の条件や何らかの形で被害が発生するかどうかの状況にもよるが。 問題とされた人物は動画の撤去要求を蹴った。 つまりWG社はなんらかの行動を取る権利を有していた、というか、行動を取らなかった場合は最悪、無法状態を放置している側とされる可能性もあったと。
さてこうした事態に対するYoutuberたちの行動。 WG社の権利に対して自分たちにも自由がある、とするだろう、実際そういう趣旨の行動だったと。 私はこれを問題視するわけだ、つまり、初動がおかしかった以上それは、犯罪扇動に該当すると。 よくあるんだな。 薬物乱用とか不倫推奨とか、密入国支援とかグラフィティ他騒乱とかテロ支援とか。 正義を掲げて被害拡大を喜ぶ動きが。 「まったく該当しない」と考えるYoutuberはほぼ居ないだろう、「それでも自分たちは、他のそれらが間違っていたとしても自分だけは正しいんだ」とするYoutuberは居るだろうけれども。
騒動のさ中ポジショントークに徹している人もいた。 「対立が決定的だ」と踏んだんだろうな、怒れる視聴者の側におもねる内容だったのだがそれもヒントになった。 「広告収入でやっている」と繰り返し発言していた。 どこからにせよ金貰ってるんならその活動に社会責任を問われてもおかしくはないわな。  無償でも問われることもあるんだが、有償ならなおの事と。
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有罪赦免思想と無罪放免思想

2017-06-07 03:18:45 | Weblog
「許す」と言われて思いつく事は、状況によって異なるだろう。 昔にやってしまった事を追憶し、それに対する許しを求める。 相手の中にある憎しみが無くなる事を願う行為であり、これは良心の呵責などと呼ばれる。 別のものもある。 罰のみを恐れて、相手の怒りの矛先から逃れようとするために許しを請う。 強者に対する阿りであり儀礼、上下関係を確定させる事で権力に肖ろうとする、弱者の謀である。
罪が有ると同意し、相手の心の平穏を願う人と、相手に与えた被害などどうでもよく、怒りを向けられている自分がただ運が無かったのだとする人とが居る。 後者は前者を「平穏を求めているのもまた自身の利益の、あるいは不利益を被らないための行為だろう」とするだろう、だが両者には違いがある。 再発性である。 前者は悲しむ人、苦しむ人が出ると気付いたならばそれをしない。
無罪放免を求める人には良心が無い。 彼らは気にせずまたやる。
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「○○すべし」と「○○すべからず」ルール、それと誹謗中傷の関係

2017-06-02 16:39:35 | Weblog
なんとなくやる気が起きないので短文系。 書いているうちにリズムが出来てくるかもしれない。

さてタイトルの。 一般のルールは、行為を肯定する文章で書かれているものと否定する文章で書かれているものとがあるが、両者別物である。 肯定系は「推奨」でしかなく、極論すると一切守らなくてよく、否定は「禁止」でありルールとして成立しているそれはすべて守らなくてはならない。 リンゴ推奨メロン禁止、ならば果物を一切食べない、も答えであり、購入推奨浪費禁止、ならば何も買わない、がルールを守っている状態である、となる。

推奨系ルールと禁止系ルール、両者は別物である。 では禁止文推奨ルール、としたら何の事を指すのだろうか。 先ほど思いついた事を造語してみたんだが、機嫌系禁止事項がこれになるのだ、と主張するわけだ。 要するに「○○の機嫌を損ねる事すべからず」であり、その意は「○○の機嫌を取るべし」なのだ。 権力者がルール作成者に対し自身の機嫌取りを要求、ルール作成者がこれに応じると機嫌系禁止事項の文章となる。 ヘイトスピーチ系ルールがこれの代表だな。

一切の暴言は可である、ただし、発言を記録される、流布される事による不利益は自己責任である。 そういう話。 「それじゃあ無秩序だ、実際に人の発言で不利益が発生するのはどうするんだ」といった反論が出るだろう、私は、「誹謗中傷や扇動行為はまた別に、処罰の対象であるとする」と主張するわけだ。
「扇動」は判りやすいわな。 発言、示唆に対し結果ないし結果の期待が伴う。 公の場でのあらゆる推奨、指示発言の尽くに扇動意思が伴うのだがそれはそれ。 AがBの行動を期待し発言、それによりCに対する攻撃が発生した場合が扇動である、とすると。 現段階のテーマは「誹謗中傷」の方だろう、多くの人は、ヘイトスピーチは誹謗中傷だろう」と認識していると。 だが私は、ルールとしてのそれは別物になっている、とする。
例で考えてみよう。 「A氏はデブである」という発言があったとする。
1. A氏が医学分類上の「極度の肥満」に該当する場合この発言は、事実の指摘である
2. A氏に不利益を発生させる事を目的とした発言で公益性を欠くものが誹謗中傷である
3. 「デブ」という単語の使用が「ヘイトスピーチに該当する」と決められていた場合はヘイトスピーチである
4. A氏の状態に関するあらゆる発言に対しA氏は任意に「それはヘイトスピーチである」と主張する

さて誹謗中傷を規定するカギとなっているものは、攻撃性と公益性である。 このうち攻撃性は、極論大半の発言にある。 聖書中のイエス氏や神様の発言にも満載だ。 攻撃性の非を問う事は可能だが、ほぼ無意味な発言以外の大半が該当する以上、そうした行為に大した意味はない。 となると、基準として考えるべきは公益性の方であろう。 発言の公益性とは何か、というと、事実関係の指摘がそれである、となる。
誹謗中傷とは、a、攻撃性があり、b、公益性が無い、公を対象とした発言である。 それは
a1. 対象者に直近に被害が発生した
a2. 対象者に被害が発生すると(裁判所が)判断する

ものであり、
b1. 事実と異なると発言者が認識している
b2. 事実と無関係な好き嫌いの羅列

の、aのいずれかとbのいずれか双方に該当するものと。
うん。 筆が乗ってきた。 ヘイトスピーチ? 機嫌だろ。 4を目的としながら法制化可能なのは3で、実際の運用は言論統制。 そういう要望は無視した方がいいよ。 馬鹿の期待には応えない方が人として義しい。
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