狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

「王嫌い」で読むサムエル記

2014-05-29 13:44:19 | Weblog
とある霊の移動、新しい方の話に適用してみたらとある人物に行き着いた。
その人物をwikipediaで引いてみた。 びっくりした。 一致した。
これキリスト教神学者、公然の秘密なんじゃなかろうかとも思った。

本題を進めるにあたっての前提1、王嫌い。
文字の起源は占いである。 土地争い、水利争いから山の霊、水の霊に伺いを
立てるとし獣の骨、亀の甲羅などを火にくべ吉凶を判断した、それらが文字と
なった。 人間たちは文字となったそれらをして神様に過去の約束の履行、戦勝
である、を求め強要するようになっていった。 自分たちの勝利か、はたまた
神様がうそつきかの二択。 これが呪術である。
神様は王嫌いになった。

前提2。 霊と人型の関係。
人の多くは実は泥人である。 人の形としてアダム氏は神様が創ったが人間たち
の多くは獣たちと同様に地面から生えてきた。 かれらは人型とも獣とも不定形
ともつかない形をしていたがアダム氏を見て自身もまた人であるとの認識を持ち
人型に納まっていった、という最初期人間たちの霊の話。

さてサムエル記。
王サウルは戦勝の呪術祈願をしてしまった。 そこに神様は王嫌いを思い出した。
こうして王サウルに災いの霊が下った。 よって下った霊を「王嫌い」とする。
王嫌いである。 王権を滅しようとする。 王サウルはこれに憑かれた。
第二の王権者ダビデが現れる事により王サウルの「王嫌い」に苛まれる状況は
緩和される。 しばらくはその状態が続くが王サウルと王嫌いは統合されてくる。
王サウル自身が王権を滅しようとするようになる。 英雄ダビデは死ぬべきで
あり王子ヨナタンも死ぬべきである、こうなる。 王サウルは最後に「王嫌い」
と刺し違えて死ぬ。 これで「王嫌い」の話は終わった、かに見える。
だが「王嫌い」は即座に復活する。

人となった「王嫌い」は人としての記録、意識を持ったまま一直線に次の王、
英雄ダビデの下へと行く。 「サウルを殺した」と喜び伝えるそれを英雄ダビデ
は殺す。 一端人となった「王嫌い」はまた災いの霊へと戻る。 王となった
ダビデは様々な手で災いの霊を遠ざける。 災いの霊は王の周辺、王権を表す
ものたち、支えるものたちに死を振りまく。
この霊の行動様式に見覚えがある。 以前読んだ。
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霊論

2014-05-28 13:42:46 | Weblog
さて創世記、セツ氏が「アダム氏のかたち」とありますが、多くの人は顔立ち背格好が
アダム氏のようだったと解釈するでしょうこの文章を私はセツ氏以外が人型をして
いなかったと解きます。 遡って獣の創造に「地は種類に従って出せ」とありますが
これも創造以前地の霊たちに種が有ったとしています。 霊の種が先。 人や獣の形が
後。 霊たちは形になれと命令され種の名を与えられ相互にそう認識しあってそのよう
に収まったのだと。 ここから発展すると人型喪失もある。

霊束論。
ニーチェ氏の状態を乗っ取られ、主意志従意思、主霊従霊関係における従霊群優越状態
とした。 まるっきり怪談だが人類の大半がこれを経験済みともする。 酒に酔った
状態が一時的なそれでもあるが、継続的なそれをいわゆる思春期に見ると。
人は父と母を離れる、とある。 私はこれを霊の解放とも見る。
天の霊は天に帰り、地の霊は地にもぐる。
教会は教徒たちにそのまま寝て待てと言う。
別段おかしいとは思わない。
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霊の話

2014-05-14 15:44:34 | Weblog
北海道は欧州文化移植予定地だった、その「処理」としてロシアの介入があった歴史
も有り得たそう書いた。 去年だったか、北海道の熊がやせ細っているとのニュース
があった。 彼らは高いな、と思った。

さてここでは一般に言うところの文化論を霊で再解釈している最中と。 人と人との
間に文化と言う相互作用があるこれを霊だとする、そんな話。 単に用語を換えた
だけだと説明する事も可能だがそうする理由、文化論と霊論の差がどこにあるのか
これ重要。 保存則の有無である。 文化論だと文化は保存しない。 霊論だと霊に
保存則のようなものがある、まあ私は霊自体は永遠ではないとしているがそれなりの
継続性はあるのだと。 そしてこの両者の違いを示しているのが韓国の現状、なの
ではないかとしている。
強姦論。 性欲というのは実は霊論、人霊束説なんだな、では従霊解放になって
いたりするのだ。 肉に付きまとう従霊解放志向これが性欲。 これに対し自身に
取り込んだ従霊の解放を拒む側が他者によるそれを冒涜だの尊厳破壊だのとし一般に
は強姦などと言われていたりもすると。 国家規模で従霊解放の必要性があった、
その一方でそれを拒否する意思があった、その結果現状はどうなっているのか。
急激な霊格の低下をそこに見ている。 意思束の墜落状態なんだな、これを霊の崩壊
とすると意思たる霊、雰囲気たる霊は霊に留まらず別の何かになる事も有る、が結論
となる。

霊論上のとっかかり。
わたしはこれを漂う不満の霊と蚊との関係に見ている。 両者は霊的には非常に似て
いると。 肉を与えられたのが蚊で、霊のままのが漂う不満の霊。 何故神様は蚊の
ようなものを創造したのかなどと言われているがこれ霊ありきなんだな。 感謝した
だろう蚊たちの方がしなかった霊たちよりも高い。 彼らが霊の存在を私に示唆して
いる。
ニーチェ氏。 わたしはこれもとっかかりとしている。 人の意思の方だな。 こう
書くと哲学書でも読んだのかと思われる人もいるだろうそちらではなく、凡人社長が
社の要ではない状態の方、乗っ取られ、とする事も可能だろうだが与えられた従霊群
に乗っ取る意思は無く。
伝統と呼ばれる文化を死者の霊だとする。 死者が復活するとそれは消え去る。
まあ一般には核家族化の進行になるんだわな。 これに伴う人間関係、垂直のそれ、
の変化を債権債務関係に見立てたりもする。

先日、近所の木から尺取虫が糸でぶら下がっているのを見ていた。 うにうに動き
少しずつ糸を巻き取っていき木に戻る。 先日とある教会集団の人から聞いた、
正しい祈りの言葉の話からユダヤ人のジョークを連想し、それに「褒め称えよ」と
思ったらその教会集団の人が通りかかって話しかけてきた。

芋虫毛虫について霊を考える。
彼らは葉っぱを食べて、蝶になる。 空を飛ぶ。 芋虫毛虫に空を飛ぶ意思はあるの
だろうか。 有ると置く。 彼らは飛ぶために葉っぱを食べる。 無いと置く。
彼らはただ食べていて、食べられる側、葉っぱの方に飛ぶ意思がある、となる。 
蝶の形は後者を示している。
寄生蜂。 彼らは芋虫毛虫を食べて育ち、そして空を飛ぶ。 契約関係は切り替え
られるが契約自体は残っている。 だがそこに、蝶の形は無い。
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文明創造論と霊移動

2014-05-08 09:25:37 | Weblog
さてここではインド創造がだいたい4000年前、中国創造が2500年前として
いる。 現日本の創造年を1500年前と置いた事からの類推である。
これに旧約聖書を重ね併せると順番がだいたいこうなる。

1. イスラエルの民計画開始
2. インド創造
3. ヤコブ一家エジプトへ
4. インド黄金期
5. 出エジプト
6. サウル王ダビデ王ソロモン王の時代
7. イスラエル分裂
8. 北イスラエル消滅
9. 仏教の創造
10. 中国創造
11. 始皇帝の時代
12. イエス氏の時代
13. 混乱期
14. イスラム圏と日本の創造

と、こうなる。 多少の順不同はあるかもしれない。
イエス氏を西側における本、聖書、活字の時代の開始と置くとその中国と
の関係がより明白になると思う。

霊の移動。
インド創造はイスラエルの民計画にあたっての実験場の意味を見ていたが、
ソロモン王の知恵と仏教の類似性を仮定するに、霊の育成・徴集の意を
見るようになったと。 これをソロモン従霊群とする。 ソロモン従霊群
の動きはおおざっぱに
インド → 古代イスラエル → 北イスラエル王国 → インド(仏教)

となる。 多神教的な霊団であり今日におけるこの最後尾を伝説のスラム
と見ているわけだがさて、神様の活動と文明圏毎の黄金期が重なるとする
と中国は春秋戦国時代から始皇帝への流れにも当然それがあったとなる。
ここにソロモン従霊群の長たる霊ソロモンの活動はあったのか、といった
話が出てくるわけで、私はこれを始皇帝に見ていると。 霊ソロモン・
シッダールタ王子説であり霊ソロモン・始皇帝説でもあり。 ちょっと横
にそれるに私はソロモン王にサウル王の霊的系譜を見ていたりもする。
サウル王を屠るはずだったダビデ氏は殺さず王となった。 変わりに死ん
だのがバテシバ氏の夫、これが今日ではダビデ王の悪事であり人間らしさ
であるともされている。

さて、中国霊の移動。 私はこれがイエス氏に与えられてイエス従霊群と
なった、あるいは、なるはずだったと見ている。 イエス氏はダビデ王の
系譜であり地上における霊キリスト、今は活動を停止している霊時代の
霊たちの頭でありその活動停止に伴って発生した地の霊たち、地にのみ
属するものとなってしまった、に唯一帰還強制する理を持つもの、の座と
して用意されたものだったともしていて、ここにイエス氏のメシア性を
見てはいる。 私はここに至ってキリスト教の信仰形態を霊キリスト復活、
その活動があらわになる状態再開の布石だとしてはいるが一般のキリスト
教徒と信仰を共にしてはいない、そんな話。

イスラエル計画元々の形はどうだったと見るか。 霊キリスト・その地上
での活動の手足となるエリートイスラエルの民・そして活動対象の地の霊
からなる人間たち。 ここにサウル王の代での王権の和解、それと始皇帝
の代でのエリート制欠点の表面化を見ているわけだ。 エリート制欠点の
表面化この周辺、これがユダヤ教キリスト教反目の原因でありキリスト教
霊団、イエス従霊群とするべきか、の自己規定と状況の矛盾となっている
としていると。 そしてイエス従霊群の中国帰郷心、アメリカ人たちの
言ういわゆるマニフェスト・デスティニーである、に対するイスラム圏と
日本、チベット、客家圏の創造となったと。
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