狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

感謝について

2010-01-31 21:06:27 | Weblog
ありがとう
隣の人に
伝えると
多分隣の
人も喜ぶ

葛藤することを脳内会議と言ったりする。
たいして議論するわけではなくただただ混乱があるだけなのだが
賛成や反対や、どちらでもない有象無象の感情を人に見立ててそう言うと。

脳内会議がある。
これから何を食べるかでも、パンツの色でも、議題はなんでもいい。
やろうと思えば何時でも出来る。
そういうもの。

会議の参加者を分自我とする。
紛糾する会議を高いところから眺めるあなたは源自我。

白熱する会議のメンバーに、お茶とお菓子を配ったとする。
登場人物を一人増やして彼に持ってこさせたと。
さて分自我達はお茶とお菓子を、源自我に感謝するべきだろうか。
それとも持ってきた新しい分自我に感謝するべきだろうか。

私は現時点では両方するのが正しいと思うのだが。
少なくとも分自我が別の分自我に感謝の意を表することは、
微笑ましいとは感じても間違っているとは感じていない。
お茶とお菓子がどこから来たのかについて関心を持つべきでは、
とも思ったりするが。

考え方として間違っているのかもしれない。
人がいきなり出現するという状況を仮定することは
社会がどうあるべきかと考える上で、何か違うのかも知れない。
他人とは自分にとってどう捉えるべきなのだろうか。
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介護について

2010-01-31 20:18:00 | Weblog
社会主義
理想を掲げ
人気取り
寺はもう無い
人何処で死ぬ

先日、風が吹くときというアニメをビデオ屋で借りて見た。
主人公の男性は最後まで助けが来ると信じていたわけなのだが、
自力ではどうしようもない、どうにも出来ない事態への対処は
あれが正しいのだろうと思う。
助けが来るかどうかは問題ではないのだ。

さて介護について。
息子を介護し疲れた果てに生命維持装置を止めた母親の話がニュースに出ていた。
それはそれで一つの結末だろう。

介護が楽なら問題は無い、といった話を目にしたりする。
実際にそこまで単純には書かれてはいたりはしないが、
介護問題の解決方法がそれだと書かれているものを多々目にする。
馬鹿なんじゃねえかと。
人体が劣化する以上、楽な介護のすぐ先にあるのは楽ではない介護だ。

人は老いる。
老いたら支えてもらう立場になる。
労働力が1よりも下になる。
1を下回った分だけ周囲に支えてもらって生きることになる。
社会的に楽な介護とは人が老いの、そのまた老いに到る前に死ぬ、
そういうことでしか有り得ない。

やはり何が問題なのかよくわからない。
疲れたら、あるいはお金が尽きたら介護者と要介護者が
枕を並べればよかっただけなのではと。
強いて問題点を挙げるとするならばそれは
介護する側が生き延びようとしていた、それだけなのではと。

勿論、要介護者を早々に見捨てるというのも一つの選択だ。
実際には医療技術や社会コストの壁に遮られて「見捨てている」という事実を
個人個人が認識することはほとんど無いわけだが、枯れきった老人を
有る程度の期間生かし続けることは技術的には可能だ。
言ってみれば社会は、老人の最後の半年なり一週間なりを、
だいたいは本人が納得した上で、本人の選択と称して捨てている。

つまりは迷うから問題なのだろう。
じゃあ迷わなければいい。
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身体について

2010-01-30 19:53:00 | Weblog
労るも
虐めるもまた
自次第
普段気付かぬ
忠実なもの

日没前に家を出ようとし、遠くでカラスが鳴いたようなので考え直す。
日没後に家を出たところ、目の前離れた小高い場所の道路、その先の家の屋根、
そこから赤い月が登ってくるところだった。
綺麗なのでしばらく見ていたら異変が。
近所の森、家々の壁や屋根、そういったものが目に白黒に映っていたのだが
これらの黒の輪郭のまわりに白い縁取りが現れてきた。
なるほどこれが反対色かと。
さらに視野が周辺から灰色に染まっていったのだがこちらの現象は
どのような名称が付いているのか知らない。
犬が鳴いたので飯に行こうとし、日没の方向を見ていなかったことに気付き
引き返して見る。
赤く灰色く染まる雲、その上に広がる青黒い空。 そこに飛行機雲と星。
そちらも、綺麗だった。

地震と月。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100129-OYT1T00611.htm
満月前と新月前に地震が多いと大地震前ってことか?

酒のニュースが二つ。
飲酒運転で店内の客が殺傷される。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015336481000.html
朝青龍氏が暴力。
http://www3.nhk.or.jp/news/k10015336431000.html
時々話題として横綱の品格などが問われたりしますがこれ、
横綱には馬上槍試合団体戦のリーダーのような地位が含まれているからなんですな。
現代で言うとオリンピック選手団長みたいな?
英語でグランドチャンピオンなどと訳されていますがこれ誤訳でしょう。
もっとも、歴代の横綱に品格があったかどうかは不明ですが。

さて身体について。
以前朝起きて右手が無かったことがあった。
正確には寝ている間に動脈が圧迫されていたのだろう、
右の二の腕の、真ん中あたりから先の感覚が無かったと。
これはこれで面白い。
というのもその時左手で持っていた物は、生物学的には自分の右腕なのだが
感覚的にはただの肉塊だったと。
感じない、動かない。
自分の一部という感覚が無くなっている。
じゃあ身体ってなんなんだと。

身体こそが自分だ、という考えもある。
精神が自分であり身体は騎手にとっての騎馬のようなものだとも取れる。
手足にガンが出来れば切り捨てるという判断を下す。
惜しむが命には替えられない、そういったもの。

目や耳はどうか。
目が無くなっても自分である。
耳が無くとも不自由にはなるが生きていくことは出来る。
五感全てが無くとも意識はあるだろう、道は違うだろうが人生ではある。

脳はどうか。
脳を一部削る。
そこが担っていた機能が失われるだろう。
さらに削る。
さらに失われる。
これは外部との接触が失われているのか、それとも自分が削られているのか。

老いはどうだろう。
老いゆく人は脳が削られていくわけだ。
彼は彼のままか。
彼にとっては彼のままだろう。
周囲にとってはどうか。
おそらく、徐々に彼ではなくなっていく、そんな感じなのでは。

身体の意識も分割自我のようなものなのでは、という考えが浮かんでいる。

さてもうすぐこのブログ、四年目を終え五年目に入る。
過去の悪事で書いていなかったものを私は一つ抱えている。
当面一つ。 探せばいくらでもあるだろうが。
五年目に入ってから書こうと思っている。
四年目で書いたらそれは、去年書いたことになってしまうだろうから。
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むち打ちについて

2010-01-29 14:47:39 | Weblog
打たれると
飛び上がるほど
痛いとか
聞くには聞くが
何か解らぬ

殺人の時効がなくなるそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100128-OYT1T01001.htm
時効自体は処罰ではなく行政上の措置だろう、
処罰の判断には関係しないから遡及処罰にはならないとか。

前法王が自らをむち打つ話。
http://cnn.co.jp/world/CNN201001280029.html
なんでもイエス氏に近づくためだとか。
ヨハネ・パウロ2世と書くべきなのかヨハネ・パウロ2世氏と書くべきなのか、
社会的地位の高い人の書き方に、まだこれといった答えが出ていない。

むち打ちについてであって、むち打ち症についてではない。
日本で鞭と言うと競馬の話か特殊な趣味の話ということになるのだが。
刑罰としてのむち打ちが、けっこうあちこちの国にあるらしい。
先進国だとシンガポールが有名か。
時々むち打ちは非人道的だとの話を目にするが、
実際どうなっているのかは知らない。

そういうわけで少し調べてみた。
で結果。
・重い鞭と軽い鞭があるらしい
・重い鞭で何度も叩かれると死ぬらしい
・結局どっちも痛い

とりあえず重い鞭は非人道的に思える。
では軽い鞭はどうか。
左の腕を右手で叩いてみた。
ペシッと軽い音がしてちょっと痛かったが、この程度ではよくわからない。
鞭そのものについての考察は、現時点でこれ以上は難しいかと。

では社会にとってはどうか。
それなりに矯正効果があり人が更生しているから存続しているのか。
人生死という観点からは短期間で終わる分だけ
懲役よりもむち打ちの方が人道的に見える。
つまり更生、社会矯正が正しいのなら軽い鞭は効率的という結論になる。

だが日本には、法的にはむち打ち刑は無い。
裁判所がむち打ち十回とかの判決を下したりはしない。
私はここに、更生とは、矯正とは何かという問いを見るわけだが、
ただ単に馬車文化が無かったからというだけなのかも知れない。
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医者不足について

2010-01-28 20:38:41 | Weblog
医者がいて
患者が叫び
医者が逃げ
罵る患者
治す人無し

さて解放の神学について何かしら書くべきなのだが、
どうあるべきなのかはまだ判っていない。
ただし、近代史上の戦争の尽くが解放を謳って行われたことから
解放という単語を絶対視するのは危険と見る。
教会に住んでいる人間も世俗がどうあるべきか一緒に考えろ、
ということならまあうなずけるが。

さて医者不足について。
医者が足りないから医者不足。
この問題の原因も幾つかに分けることが可能と。
・医者になる人が足りない
・医者になれる人が足りない
・以前は医者が居たのだがいなくなった
・急に病人が増えた
・医者が居るのだが病気に対処出来ない

医者になる人が居ないとはどういうことか。
これは医者という職業に魅力がない、社会的に危険が大きい
などの理由でなり手が居ないという状況だろう。
都会に医者が余っていて僻地で足りていない、
という状況も僻地の医者という状況に魅力が無いからと言える。

医者になれる人が足りない。
医者が必要で、医者になりたい人が沢山居ても
馬鹿しか居ないという状況か。
どうせ病気なんて治ったり治らなかったりするのだから医者が馬鹿でいいじゃん
とすればこの問題はたちどころに解決する。
医療の社会主義化というやつである。
医者の医者たるは腕であり病気が治ることなのだから本末転倒でもあるが。

医者がいなくなった。
医者の入れ替わり。
ここに治療の継続性の問題があったりもする。

急に病人が増える状況。
パンデミックか災害か、あるいは高齢化といわれる老人化か。
前者については備えろと。
それでも死ぬようなら適当な所で諦めろと。
後者に必要なのは寺院であって医院ではない。

医者と病気の不一致。
日本では小児科医が足りないとか、産婦人科医が足りないとか言われている。
この原因が医療訴訟にあるというのだから訴訟利権者はロクデナシだ。
医療訴訟を一般の裁判所で扱うのが間違っている気がする。

さてこうして並べるに、医者の問題というのは生活の問題である
ということが見えてくる。
患者に生活があって医者に生活があって、それが一致しない。
社会における生活とは何かというと金、ヒマ、手間。
そういった中で中央政府が何をするべきかだが
基本的には医者の卵を増やしてそこから先は、
各人適当なところで折り合えばいいと。

さて今年の日本の花粉飛散量は少ないそうだ。
なんでも去年の三分の一だとか。
多くなるのではないかと踏んでいたのだが予想が外れた。
まあ私にとっては過ごしやすいというだけなので幸いなのだが。
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財政規律について

2010-01-28 00:07:17 | Weblog
来月に
始めることを
決めてない
来週からは
五年目になる

日本で起きた虐待死のニュース。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100127-OYT1T00782.htm
一応、例外ではある。
だが特異というわけではない。

税金の催促が来ていた。
市から来たらしい。
精度の高い行政サービスとはこういうことを意味するのだろうか?
鞄にその紙切れ詰め込み町に出たところ、駅前で市議が演説をしていた。
なんでも市が病院移転で借金を増やそうとしているのだとか。
それについて今調べているところ。

そんなわけで、財政規律について。
今日本ではインフレ派と規律派が対立している。
両方必要なのだろうが年0%のインフレで死ぬ人はいても
年5%のインフレで死ぬ人はいない。

現在までの日本で景気の維持に用いられてきたのが公共事業、
つまりダムや道路、飛行場である。
結果日本中にダムや道路、飛行場が出来た。
私はこれを正しい政治としている。 というのも、
何もしなかったらいつまで経っても地方に道路が出来なかっただろうと。

とりあえず道路は出来たと。
田舎はまだ出来ていないところが多いとの話もあるが、
まあ利用者の多い所を中心に、いろいろ出来たと。
で借金が残った。

続ければ無駄だらけの現状で、借金が増える。
借金を減らそうとするとデフレになると。

公共事業とは元々、無駄となることを見込んでするものである。
ケインズ氏も言っている。 穴を掘って埋めさせろと。
馬鹿な労働者に馬鹿でも出来る仕事を割り振るのだから
当然無駄が多くなる。
無駄だからこそ金が回る、という面もある。

いろいろ言われている。
学校を作れと。
子供が減っているのだから道路以上に無駄だ。
病院を作れと。
医者がいないのに箱だけ作ってどうする。
労働移民を入れろと。
馬鹿に割り当てる仕事が問題なのに馬鹿を増やしてどうする。
監視カメラを作れと。
監視社会だと言って港湾取引系左翼が反対している。
愛だの優しさだのに金を入れろと。
政府がそれをして喜ぶのは馬鹿だけだろう、それも結果が見えるまでの間。

赤字を減らしたい。
無駄を無くしたい。
それはいい。
だが現状それをやると失業者が増える。
死なないのは公務員だけ。
お貴族様方はよろしゅうございますな。
金を刷れという話も。
適度な円安で止まるのなら良いが、刷り続けることになりそうな。

ここには二つの問題があるのだ。
一つが赤字で、もう一つが無駄とはなんだという問題。
最大の無駄は何かと言われればそれは政府だというのが
正しい答えなのだからタチが悪い。
とりあえず、今の日本でパチンコは無駄だ。
まずそこから税金を取れ。
話はそれからだ。

ちやほやされるのが正しい、とされる業界の筆頭がテレビ業界だろう。
結果そっち系の、つまりマフィアだかなんだかの人種が入り込むわけだ。
私は教師を目指す人種にもその傾向があるのではないかと疑う。
礼楽をもって政は死ぬ。
いずれにせよ政治は、それらと距離を置くべきだろう。
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無思慮について

2010-01-27 22:45:07 | Weblog
目の前の
事象に頭
かきむしる
積み上がる物
フケと髪の毛

現在の私は、隣人の必要をまったく満たしていない。 食わせていない。
自分自身の必要すら自分で満たせていない。
日々食って、そしてそれを垂れ流す、貯めた物を食い潰していく、そんな生活。
必要を満たすことを価値とする社会で現在の私は最下位に位置するだろう。
その社会では私以外の全員が、私より上位となる。

では現在の社会ではどうか。
人にちやほやされることが価値となっている。
全てではないにせよ、それが主流。
モテる人、偉ぶる人、見せびらかす人。
それらにこそ価値がある、と多くの場でされている。
私は彼らに価値が無いとしている。
彼らは私より、低いと。

日本の縁日の出し物には、金魚すくいやヒヨコ釣りといったものがある。
金魚すくいとは破れやすい紙で泳いでいる金魚を水から引き上げ、
紙を破らずに上手く行けばペットになる。
そういうゲームである。
ヒヨコ釣りはやったことが無いが、基本的には同じはず。
それについて面白い文章をネットで拾った。
> なお、ひよこ釣りに限らず金魚すくいなどもかわいそうという意見がありますが、
> それは畜産養殖産業のダークサイドを知らない感情論です。
> 「ヒヨコ釣りのヒヨコはオスだ」という話を聞いたこともあると思いますが、
> 彼らは採卵養鶏場から出た『産業廃棄物』です。以前はブタの餌にされていたようです。
> 最近は猛禽類のエサとして数十匹単位で冷凍販売されています。
> ヒヨコ釣りが無くなれば、彼らはそのままゴミか餌に成り果てることになります。
> ヒヨコ釣りは、彼らに与えられた最後の生きるチャンスとも言えます。
> 国外の動物愛護団体が金魚すくいを止めさせようとしているようですが、結果は同じです。

綺麗な魚がいれば当然、綺麗ではない魚もいる。
メスが卵を産むのならオスは卵を産まない。
当然のことなのだが普段は失念している。
数時間前に食べた牛丼セットに鶏卵が付いていたが、
私はオスのヒヨコの命運を考えずにそれを食べていた。

たしか先月、クリスマスに七面鳥を恩赦する映像がネットに出回っていたはず。
一匹が恩赦された後の映像で別の七面鳥が屠殺されていたとのこと。
一体何が問題だったのだろう?
見る前まで「赦す」というファンタジーに浸っていたのが問題だったのか、
ファンタジーに浸っていた人達に現実が見えてしまったのが問題だったのか。

言うまでもなく赦すことは赦さないこととセットである。
赦されないことがあるから、それに空気の振動や記号の羅列以上の意味がある。
であるにもかかわらず、赦される方だけを見て媚びへつらい、有り難がる。
馬鹿じゃねえのと。

さて豚のエサとなるオスのヒヨコなのだが、
肉をエサに肉を育てるというのは、何かが違うような気がする。
それがどう違うのかはまだ判らない。
人間が食べるというのがマシと思うのだがどうだろう?

頭蓋骨の競売中止と。
http://cnn.co.jp/fringe/CNN201001230024.html
人骨が競売になる感性が理解出来ないが、
それがインディアンだったから競売中止になることも
その所有権を主張する団体が出てくることも理解出来ない。
アメリカ独自のルールなのだろう。

他の人種の骨だったらそのまま競売になっていたのだろうか。
日本なら人骨は埋葬することになるのだが。
理解出来ないことだらけである。
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見せしめについて

2010-01-27 00:32:57 | Weblog
太い枝
重みでしなり
風に揺れ
道行く人の
目に人の影

ヤクザ業の人の懲役の呼称を面白いと思う。
聞いたところによると彼らはそれをお勤めと言うらしい。
刑務所という更生施設に行き、更生せずに出てくる。
出てきた人に「お勤めご苦労様です」と言う。
ここにいたって思うわけなのだがそれは、殺されないための工夫なのではと。

私は彼らをクズに分類している。
正しくは彼らが選んだ生き方、日々選び続けている行動がクズのそれだと。
真面目にヤクザ業をやるのはそれはそれで大変なのかも知れないが、
末端の話はマシな方を選ぶ類の人達には思えない。
フリーターや失業者という生き方は常に目の前にあるにも関わらず
朝起きて自分でそうあることを選ぶ、
それを毎日続けているのだから彼らをそう呼ぶのは間違っていないと見る。
彼らは多分、女にモテたいからそうしているのだろう。
他に理由を挙げるならば彼らは、制裁社会の秩序を維持しているのだと。

そんなこんなで見せしめについて。
ニュースで見るに大陸国の法秩序は見せしめ的に思える。
犯罪者がいて、ソイツをぶっ殺すことで民衆をビビらせて秩序を維持する。
権威者がいて民衆がいて、第三者として罰され役がいる。
「社会の維持」という意識を持つ人が少なすぎる、
だからそういうシステムが必要になってくるのではと。
効果は御覧の通り、それなりに有効だったりするわけだ。

日本の刑務所はヌルいと言われている。
ホントにヌルいのかどうかは知らない。
大陸よりはヌルいだろう、なんせ受刑者の大半が日本人だ。

法秩序の他にも見せしめはある。
例えば借金を踏み倒した人が河に浮かんだりする。
それを見て人は「やっぱり」と思うと。
その後でそれぞれ、自分とその浮いた人との違う点を見つけて
自分とは違うと考えて借金に走ったりするわけだが。
見せしめは効果があるのやら無いのやら。

私はヤクザという生き方を殺そうと思っている。
正しくは枯らそう、新しく生えてこないようにしようとしているのだが、
長期的には違いは無い。
システム存続に必要な正義を、社会的に消滅させる。
つまり私は自分を社会に存在している生き方を殺す側に分類している。
殺せているかどうかは不明だが。

だから裁判官や検事と同様に司法関係者であり更生を謳う側、
つまりは殺す側の人間である弁護士が、
人道でございと振る舞うことを見下している。
笑顔を振りまいて亡者の群に反省芸を仕込んでいるだけだろうと。
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更生について

2010-01-26 18:20:03 | Weblog
更生を
させられる人
させる人
両者の違い
社会の視点

詐欺、強姦、窃盗はライフスタイルであると書いた。
つまり殺人は違うわけだ。
もっともヤクザ、マフィアといった人種にとってそれは、
恫喝というライフスタイルの一部を為しているとも取れるが。

更生とはある人物に対し、
なんらかの外部圧力でもってライフスタイルの変更を強要することである。

刑務所が更生を目的とする、とはどういうことを意味するのか。
あるライフスタイルにおける行動が他のライフスタイル群との間に矛盾をはらみ、
それの摩擦の調整が日常社会の中では困難であるとされ
そのライフスタイルの破壊と再構築を行う専門の施設に
懲罰的意味も含めて送られる、ということである。

ある個人の人生の、人生観の否定である。
私が死刑反対論を弁護士の遊び場だと見る理由がここにある。
人生死という社会制裁を食うネタにしておいてなにがヒューマニズムだ。

更生措置つまり社会から人生観を否定されるという状況に
放り込まれる人というのはどういった人だろうか。
一つは馬鹿だろう。
思慮の無さから社会における雑多なライフスタイルの共存を理解出来ない人。
田舎者。
固定化した人間関係の中の馴れ合い的運用しか知らず、
その常識の変更を認めない者。
因習人とするか。
スラム人。
共同体的相互保障の無い社会で育ち、それ以外の共存出来る社会も
それと同等に価値がないという人生観を持ち続けている人。
反社会性人種。
物欲人。
性欲人や権勢欲人もとりあえずここに含めておく。
共存よりも我欲を優先する人。
もっとも彼らは金や権力で更生送りを回避していたりするが。
共存出来るのなら、ここでは問題とは見なさない。
生物学的理由からそうなっている人。
女を見ると強姦せずにはいられない人とかか?

有る意味で確信犯的な、特殊な状況によるものではない犯罪者。
こういう人達がそのライフスタイルにそってする行動が
その社会で犯罪に相当する場合、
それを修正する必要があると判断され更生施設に送られると。

一般にどういう行動が更生対象か。
一般的には窃盗。
社会の物品には所有つまりは管理責任が存在し、
それを無視し破損するあるいは自分の所有物とすることを窃盗という。
騒音、振動、悪臭。
迷惑行為であり状況次第では他人の健康を侵害することに。
悪臭異臭の類は程度によるし、種類によって迷惑の感じ方に個人差があるので
今のところ統一基準は無さそうだが。

セックスの前段階である男女間の機微を私は知らない。
なので強姦と和姦の境目も知り得ない。
あえて言うならば強姦上等で無いのなら怪しい所には立ち入るな、くらいか。
視線も強姦とは見なさない。
騙されたがりと詐欺師の関係も知らない。
詐欺は私の敵ではあるが、騙されたがりを純粋な被害者と見ることは
これからもないだろうと思う。

更生措置とはどうあるべきかなのだが、
それはまたそのうち。
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刑罰について

2010-01-25 19:34:42 | Weblog
息巻いて
罰を与える
側の人
地位の高さの
理由は何処に

サイバー攻撃説に中国工業情報省が反発。
http://cnn.co.jp/business/CNN201001250007.html
結局のところやってたんでしょ。
で、これからも続けるの?

むち打ちの刑ぶ人権団体が抗議。
http://cnn.co.jp/world/CNN201001250008.html
私は常々思っている。
人権団体という人達は頭がはおかしいのではないかと。
抗議される地域に住んでいる人達からしてみれば
外部からの圧力で秩序が乱されたと取れるだろうし、
刑罰を受けなかった人は外部からは勝利の象徴なのだろうが
当地では「貴族のお気に入り」故の免罪ということになりかねないわけで。

というわけで刑罰について。
刑罰とは何か。
親が子供に罰を与える。 これが刑罰の原型と。
刑罰は何を目的にしているものか。
一般に目的は更生、隔離、見せしめ、復讐。

更生こそが刑罰の目的であるとしばしば言われているがこれについては
現状の先進国における刑罰は、ほとんど効果が無いことも知られている。
結局刑務所を出ても窃盗犯は盗み、強姦魔は強姦し、詐欺師は騙す。
万引き犯が万引きをするのはそれが彼らにとって当たり前だから。
良いとか悪いとかではなく、そういうライフスタイルなのだと。

私は隔離を刑罰の主目的とするべきではないかと考える。
盗む人は盗まれる人が、犯す人は犯される人が、騙す人は騙される人が居て
初めてその行動に効用が発生すると。
そういうライフスタイルの人はそういう人達と一緒に暮らせばいい。
ただしこれも難しい。
魔女狩りになりやすい。
気に入らない人が居たら適当な正義をブチ挙げて
「あいつは悪だ」とすればいい。
それが成功すると気に入られなかった人は隔離対象となるわけだ。

さて現在のいわゆる先進国の裁判制度、裁判利権者ぶっちゃけて言うと
弁護士達の遊び場になっているのではないかと疑っているのだが。
どうだろう?
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