子供の教育はどうあるべきか

2021-04-28 18:21:25 | Weblog
1 モデル組みを覚えさせる
2 道交法順守
3 悪に対してノーと言う

順番はまあこれでいいだろう。 んで考えを進めてたら気づいた。 生命倫理がない。 これはある種仕方がない面があるとする。

現在の教育はどうなっているのか。
1b 奴隷化しろ
2b わがままこそ義しい
3b 詐欺師に従い生命倫理にノーと言え

こうなっている。 主に国語教育とスポーツ教育が「奴隷化しろ」になっている。 音楽教育ともなると奴隷化現場そのままである。 一方で徴兵制などと非難される「兵営」は対照的に道交法順守を教える場だったり。
「わがままこそ義しい」がリベラルだな。 BLMやフェミニズムがそのままそれで、詐欺師に魅かれる人間が権力を握り庶民が彼らに脅される状況になっている。
生命倫理にノー。 ウイグル情勢に対する財界の動向がこれ。 今だとザッカーバーグが思想統制のかなめと振舞っているが、あれは邪悪。 お前たちは何故グレタ・トゥンベリやBLM、ザッカーバーグのような詐欺勢力の悪にノーと言える人間になれなかったのか、どうだったらなれていたのか文章にして公表しろ。

組み立てを覚えさせる。 大人がどうすれば子供は「自分で組み立てる」事を学ぶだろうか。 私は将棋、プラモデル、JRPGを勧める。 将棋の場合ルールがあり、対戦にマナーがあり、「盤上に」作戦の自由があり個人でこれを組み立てる。 プラモデルはそのまんまだな、物理法則の制約下に組み立てを一人で行う。 スポーツ教育が真逆になっている。 そこにあるのは「指導者に従え」である。

「個人で」「自由に」組み立てる事を知ったら次は道交法順守の精神。 結局のところこれは「他人もまた組み立てる」である。 現状は他人の尊重よりも英雄信仰のようなものが上とされていて結果、なれもしないものを妄想し、ファッションだけ真似するようになり、妄想の範囲で実現可能な言行つまり粗暴さこそ義しいとなったりしている。 「自分は粗暴に振舞ったり大言壮語並べ立てたりしているのに他人が従わない」が左派のルサンチマンと化している。

悪に対してノー。 これ前提が道交法順守の精神、他者尊重共存と、あと生命倫理だな。 共存尊重がないのに英雄教育からの怨念がある。 結果として詐欺に魅かれてアメリカ保守派よりも裏に中国共産党が居る宣伝の方が正しいみたいになったりしている。

「生命倫理をどう教えるか」という問題が残ったが、「自分で」小動物を育てる、から失う悲しみ、万人に万象に失う悲しみがあると知り、それらを守ろうとするのが大きな生命倫理だろう。 正直プラモデルも組み立てられない人間に動物の幼体を預けるのかと疑問が残るが。 植物や昆虫でまず始めるのが現状だが、虫や草ならいいのか?とも思う。
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機動戦士ガンダムオンライン リスキル問題を取り上げてみる

2021-04-28 02:56:15 | Weblog
「機動戦士ガンダムオンライン」は多人数オンライン対戦ゲームらしく(やったことない)、今これのリスキル(リスポーン・キルの略らしい)が問題に挙げられている。
敵味方合計百人規模の戦闘が売りらしい、で、やられると再出撃(リスポーン)するようなのだが、ゲームシステムとは別にチャット等を用いて集団でリスポーン直後のプレイヤーを狩る集団が現れたのが問題視されていると。 なんでも勝敗が決した状況から延々キルし続けたりしているとか。

何が問題なのか。 他のプレイヤーからしたそれを以下とみる。
・非スポーツマン行為に該当する
・アビューズ行為に該当する
・ゲーム外通信によるそれがチーミング(八百長の一種)に該当する

といった疑いがあると。 一方やっている側は
・レギュレーションに違反していない

と主張しているらしい。
要するに、遊び場を荒らすような事を集団でしているのは事実だろうが、それが非難される根拠も弱い。

言いたいことは、罰する権利はこのゲームの運営側にしかないという点。 運営側が「やっていい事です」という判断を下した場合は今騒いでいる面々に出来る事といえばこのゲームから去る事しかない。 この場合、「大勢に去るよう働きかける」もアウト、営業妨害になる。 客観的な事実関係の記録を残す、ならセーフ。 運営の営業利益よりも情報開示の方が優先されるべきなので、ただし裁判所がそういう判断を下すかどうかは不明で、世界的には利権優先隠ぺいを支持するケースも多々。

罪状みたいなもの?を個々に見てみる。
まず非スポーツマン行為だが、これは社会にコンセンサスのようなものはある。 よってこれに関しては、「全くルールがない」状況には該当しない。 ただし、コンセンサス自体があいまいなのと、そもそも罰されるものではないというのがある。
アビューズ行為。 これには程度の問題がある。 オンラインゲームのアビューズ行為には何がそれに該当するかのコンセンサスがなく、ゲーム環境により違っていて運営の判断次第である。 これについて部外者が行為者を非難するとするなら「法律がなくとも人殺しはするべきではない」というのを原則とし、これを「嫌がらせもするべきではない」と拡張、「ゲームの目的に該当しない嫌がらせになっていると知りつつ延々繰り返していた」とするところ。 当リスキル問題を糾弾している面々の主張はこれによるものだろうと思われるが、こうしたルールは社会にはない。 「自分が嫌だから禁止しろ」にしかなっていない。
チーミングの可不可。 これも運営次第だが、運営側ならこれを根拠に罰する事は可能。 スポーツマンシップもアビューズもルールが明示されていない以上はやった側に反論の余地があるが、八百長不可はゲーム一般の前提、大半のゲームで明示されているはず。 仮に明示されていなかったとしても日本国内なら「社会常識だ」で通る。 もちろん、運営がチーミング手段を推奨するような告知を出していた場合は紛糾しうるが。

こうした問題は、「大人が公園を潰す事を決めた時にそれを止めたい子供に出来る事はあるか」といった話に近い。 なんとかして合法的な手段で上を動かすのでなければ非合法、犯罪行為となる。
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清潔感について

2021-04-23 16:27:03 | Weblog
清潔感は女の側の価値観であり、これと対になっているものが清楚さ、逆価値観が糞掃依である。
女に清楚さを求める男が結婚詐欺の類に遭う、必然ではないが応報といった面はある。

何故女は男に清潔感を求めるのか。 求めるものが衛生であるなら自身の生命の尊重、自衛であり妥当だが清潔感は衛生ではない。 女は整備された油まみれの機械をを清潔ではないとする。 これは女の邪悪さの表れ、支配欲から衛生に似せて清潔感と言い続けているのである。

女は「男が清楚さを強要するから女はこうなった」とでも言うのだろうか。 歴史を見るに中国で纏足を強要し続けたのは母親である。 娘を金権に替える意向が女同士の化粧強要となっている。

制服は強要される。 これは、特に女同士の化粧合戦を抑制するための措置である。 多くの女がこれを不満とし、男に清潔感を強要しようとする。 男は女に清楚さを求めるが女は男に清潔感を強要しようとする。 男のそれは嗜好だが女のそれは支配欲である。 ここにある違いは魂の邪悪さの差である。
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人は当たり前にある幸せを「生きがい」とは言わない

2021-04-23 15:32:33 | Weblog
小さな子供は自身の成長を信じて疑わず、人生に生きがいを求めない。 ふと散歩に行き、道端の花なり景色なりきれいなものを目にする。 ちょっとした作業をし、一区切りつき心が軽くなる。 当たり前とする食事が美味しい、寝起きがすっきりしている、便所で排泄する。 ふとした発想の転換で新しい視点に立つ。 これらを人は、生きがいとはしない。

何が生きがいとされるのか。 どういった人間が生きがいと言うのか。 屈した人間が他人を下にしようとするのが生きがいとではないか。

人を生きがいに生きるようする者たちは、詐欺有利を形作っている者たち、子供に略奪を求める者たち共々滅んでしまえ。
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「中共政府が許認可制で株価操作してる」つーのが昨今の状況

2021-04-19 14:52:17 | Weblog
結果、国際証券取引の大半が「大陸権力者からの贈賄装置」となった。
もともと許認可制自体を贈収賄取引ネタとする傾向はあったんだけれど、世界中の企業取引によって変動する資産がその対象になってしまっていると。

アメリカ資本なら後進国の経済をまるごと買収できる、中国政府なら国際取引企業の価格を操作できる、リベラル派なら国際常識を操作できる、この組み合わせ。
何の事はない極端な富、権力、情報の集中による土地転がしの亜種。
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「プロビデンスの悪夢」をどう終わらせるか

2021-04-18 18:20:54 | Weblog
プロビデンス「気が付くとアダムになっていた」、これが創世記一章~三章の答え。 一章創造神の言う「われわれ」、三章エデンの神と一章創造神の、支配に対する善悪観の違い。 聖書の大半で唯一神とされるものが多神教神相当でしかない事。 これらが、創世記に唯一神は書かれていないが描かれている事を示している。
んでアダムのエデン追放で「唯一神役」にあるのが、悪の地を義すべく働き続けるアダムは疲れて死ぬ、というのがプロビデンスの悪夢。
サタンってのは唯一人に唯一神復帰を求め続ける存在なんだね。 んでアダムの行いは徒労に終わったのか。 回り続ける炎の剣とは時計、時間を意味し、プロビデンス善性の作業に終わりがある事を示している。

遡って、プロビデンスは彼らと共にある事を望んだ。 これが「アダムになっていた」、あるいは「アダムの中にいた」であり、エデンの神はプロビデンスの座である全性アダムに欠損を作ったとなる。 プロビデンスが欠損を望んだからそうなった、とも出来るし勝手な行い、反逆とも出来る。 まあどちらかというと前者なのだろう、だが私は好ましいとはしていない。
支配に関する創造神とエデンの神の差。 私はこれがエデンの神の善性としている。 善性を示している者を損なうのは好ましくはない。 さてどうしたものかと。

彼らの関係から方針を三つ読み取る。
1 人として悪の世界を義す アダムの方針
2 プロビデンスが世界を支配する サタンが求めている状態
3 万物が偽神支配下に収まる 天使たちの方針

私は彼らが「計画」と呼ぶものが3であり、サタンの誘導下にあるとしている。 教会の腐敗、宗教の対立、天使たちの言うそれが結局悪人たちを騙し嵌めているに過ぎない事がこれを示しているのだと。 彼らの手段に騙し、隠しがある以上彼らを勝たせるのは義しくない。 彼らの勝利は不義者の勝利にしかならない。

「悪意に満ちた世界が現実である」これが悪夢。 猫がヒヨコもネズミも傷つけず、犬が子猫の子守りをする。 これが善性の世界。
前に、「コミケ前に整列するオタクたち」の動画を例に出した事があったがあれはあれで善性ではあるが、反面で社会の闇でもある。 オタクたちの売り買いが性風俗の乱れ、だからではない。 私の目にあれを良識に反しているとする方が「社会の被害を見ていない」、旧来の支配に転んだ邪悪な人間たちの側。 闇とするのはオタクたちが迫害を恐れてああなったという点。 善から出た秩序ではないんだよ。 日本のサラリーマンの整列乗車も同様。 金権支配の邪悪さから好まず身を寄せ合っている姿がラッシュアワーの駅に見られる、獣ではない人間らしい秩序。

どう終わらせるか。 すべてを泡沫に消すのが一つ。 「蛇の頭とは預言したエデンの神自身を指す」というのがこの答えだな。 私は別の道を探ろうとしているが。
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「神の義」は悪の世界を均そうとする

2021-04-16 17:50:02 | Weblog
「悪を均す事叶わず疲れて死ぬだろう」とするもの
これがプロビデンスの悪夢。
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英雄信仰と自由主義、人権思想

2021-04-06 09:50:07 | Weblog
英雄信仰の問題点を二つ見る。 一つは、「英雄なら許される」、一つが「英雄がやればいい」。
前者は「百万殺せば英雄だ」であり後者はありふれた無責任主義。

西洋社会はこの英雄信仰の問題点を反独裁自由主義、人権思想に置き換えた。 結果、前者は「独裁でなければ犯罪でも良い」、後者は定型に沿った無責任主義となった。 今起きているのが反人種差別ならなんでも許される、というものだな。

私は英雄信仰を害悪だとしている。 ここに諸事情が絡むわけだ。 私は兄弟に諍いなく穏当に、か兄弟競い合い頭角現す、かで前者の方が人のあるべき姿だとしている。 と同時に、不正は糾弾すべしともする。 要は全員に良心の行動を求めているのだ。 英雄信仰はこの「全員に良心を求める」と逆になる。

英雄信仰温存から人権思想が生まれた。 人権思想が今処理されている。 私の意思とは無関係に。 良心の問いが置かれない限り現処理も失敗に終わるだろう、良心の問いが置かれたならば英雄信仰の場ではなくなる。 まあ今は様子見だな。
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プロビデンス証明関連

2021-04-05 22:15:09 | Weblog
「支配しろ」がある。 創世記冒頭で創造神が、人は動物たちを支配するものとした。 一方、三章エデン物語では、「女は人を慕うが人は女を支配するだろう」となった。 預言であり呪いの言葉のようなもの。
この両者の関係は二通りに解釈されている。 一方は「動物は支配されるべきもの」という考え方。 もう一方が一章創造神と三章エデンの神は別物とする考え方。 私のプロビデンス観は後者のものであり、一章で創造神が「われわれ」と、また三章でもエデンの神がエデンを去る人を見ながら「われわれと同じ」としたのと矛盾しない。

立ち位置が似ているから同一であるに違いない、としてきたのが旧来の常識。 これに対し私は「あれは唯一神ではない」と言い切る。 事実「われわれ」となっているのだから唯一ではない。
こうした発言に接した人間の反応は以下とみる。
1. 事実関係から同意する
2. 事実関係から不同意とする
3. 旧来の常識から受け付けないとする
4. 利用価値がないから意味のないものとする

1も2も個々人の見解である。 これに対し、3、4は社会的立ち位置を前提とした反応である。 保守派に多いだろう3は、理解が進めば1もしくは2になる可能性がある。 4は左派の大半を占めるだろう、私が邪悪とするものである。 旧来の従軍慰安婦問題に対する反応、昨年だとWHOコロナ対策への恭順、最近だとantifaやBLMがそう。

人は万人の幸福を実現するには事実関係の確認が不可欠である事を知っている。 十代で知りえる。 そして、それを無視しても地位は保てる。 むしろ上手く嘘を吐く人の方が歓迎される事も知っている。 万人の幸福を求めない人は詐欺権力になびく。 彼らは無知と経験不足からああなのではない。 魂の邪悪さからああなのだ。
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窃盗者ドミナイ

2021-04-02 16:01:12 | Weblog
エデン物語の難点はそこに絶対者が居ない点にある。
そこで神とされる主は「われわれ」であり、彼の思いはかなわず現れず、為す事は上手くいかない。
では唯一神はどこにいるのか。 物語の外に。
唯一神が物語の外であるなら聖書は神の書ではないのか。 聖書に文章では書かれていないが、そこには「人と同じ特徴を持つ外の者」が描かれている。
証明終わり。

昨日面白いものを二つ発見した。 エデンの神、まあ主と書かれているのでドミナイとしよう、は、はまるで悪い親のようだというもの。 もう一つは「すべての生き物たちの母」という、女、エバとある、の説明文。

後段から書く。 三章に
 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。

とある。 感想は、「ああ、やっぱり」と「こんな文章あったっけ?」である。
やっぱりはこれがガイアの定義である点。 こうするとエホバの証人が「アダムの背きの罪ー」と言い続けているがそのそしりは描写されている問題とは違っていて、実際は「アダムがエバを責める」イコール「土地がのろわれた」であったと。

前段は、背きの罪と言うのならドミナイはクズ親なのだと。 自分の子供やそれに相当する若年者が不始末を仕出かした際に親相当者がとるべき態度は「許す」である。 最初怒ったとしても気付いてすぐこれに切り替えないと、全員が不幸になる。 子供を愛する親はみなこうしている。 子供の不幸を見て自然とそういう態度になる。 許さない、追放するとするのは自身の権威に取りつかれたクズである。
「ドミナイは続く態度で許していた」というのがもう一つの答えだろう。 であるならばエホバの証人がクズ集団だな。 彼らが許さない連中となっている。

エバをガイアとする。 そういう特徴がある。 であるならば、アダムは何なのだと。 アダムの肋骨からガイアが作られたとなる。 もう一つあるが、人、アダムが、寝ているのだ。
特徴を挙げると
・人アダムは寝る
・人アダムの部分からガイアが出来た
・土地は人ゆえにのろわれた

この「寝る」というのは人の持つプロビデンス性そのもの。 そしてそれは「土地ののろい」とも関連している。 人は「のろわれていない状態」を認識出来ない。 あって経験しているのに、単に気づかない。 「のろわれていない状態」があるし簡単に実現するし求めてやまないのにその事が意識にない。 これは「昨日の嫌な事を思い出す」である。
アダムが善悪の知識の木の実を食べた事でプロビデンスは、前世界の悪を思い起こした。 これが「土地ののろい」。 プロビデンス以外の理由だと現存全てでそれが起こる理由がない。 人ゆえに、全の観測者がそこに前世界の悪を見るようになった。

三つある。
1 人アダムが唯一プロビデンスの座でありそれが善悪を知った
2 女エバこそが地ガイアであり人アダムに責められた
3 アダムがドミナイの命に背いたので土地がのろわれた

ドミナイは3であるかのように言い、エホバの証人がそうだと主張する。 私はそこに道理がないと言う。 1であるならドミナイが気づかずプロビデンスの座を作り、勝手な思い込みでそれを損ない女とし、プロビデンスの覚醒でのろわれた世界の神となった。 2であるなら女エバはガイアの座、さかのぼって人アダムはガイアの根源を表しているとなる。 やはりそこに唯一神性がある。 ドミナイがアダムを責めたのがきっかけでもあるが、まあ繰り返される失敗世界でしかないとも。 3だとドミナイは悪い親だな。 もし彼が良い親でかつ唯一神であるのなら単に許せばよかった。 かれには唯一神としての権能はなく、多くの良い親がやっている「単に許す」が出来ない存在だった。
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