最近何度も観ている動画が、ジョジョの奇妙な冒険のDIOが無駄無駄無駄無駄歌うヤツ。 セリフと画像が著作権上問題ありそうなんでURLは張らないが。 あー聴いてると回復するー。
コンプライアンスが厳しくなりすぎた未来
https://www.youtube.com/watch?v=TtZdrApEcbc
前回の「抗議で中止(抗議元は神霊系)」から、連中の主張が含まれているだろうもの。
結論は、やっぱり私が義しいじゃん、と。 でも書かない。 やなこったと。 腐って死ね。 淀んだ世界で延々互いの足を引っ張り続け朽ち果てろ。
薩摩ホグワーツ。 少し前に出回っていたネタ。 こちらも「抗議が来た理由」がありそうだが現状分別がありそうな分まし。 私は彼らには住み分けを提案してきたつもりでもある。
んでDIO様だが。 動画を聴いていて思ったのだが、声優が楽しそうだと。 「悪役といえば」で筆頭に挙げられる事の多い超人気キャラで名言マシマシと。 そこから、「女と黒人は、自分たちはこの役にはなれない」と実感して生きているのでは、と考えたてみた。 女の言う性的役割分担のフラストレーションはそういったものの積み重ねから来るのかもしれない。
とりあえず女は置いておいて、黒人について考えてみる。 「DIOの黒人化」はどうあるべきか。 どう可能となるか。
少し前にリトルマーメイド実写化アリエルの黒人化が物議を醸していたが、
1 ディズニー側の返答は「歌が上手い人を選んだだけ」
2 「ディズニー批判者がおかしい」と主張する人間が大量出現
となったと。
まず1だがこれは世相と合っていない。 ディズニーにはライオンキングの時に噓を突き通した前科があり、今回もそれだろう。 「黒人キャラには黒人俳優を充てる」がルール化している中で逆パターンをし、批判を声のでかさで押し通す。 死ねクズさっさと滅べと言いたい。 アメリカ人のリベラル派によく見るこの「とりあえず噓をつく」のは何なのだろうか。 大陸中国人が中国共産党の教育通りの主張を繰り返すのはまだ分かるが。 彼らは情報が限られており、彼らの社会全体がそういう常識で動くようになっており、大学生くらいまでは信じてそうだし信じていなくともとりあえずなぞるのはまあ仕方がないと思える。 だがアメリカ人のそれは違う。 彼らの倫理をイエスの教えとするなら真逆である。 「ペテロが権力クズだったから」と言うならそうかもなと思えるが、何故変わらなかったのだと。 何故悪の道を邁進し続け恥じず他人に勧めるのかと。
まあいいや。 話を「黒人のDIO」に戻す。
今起きている事は「俳優の首だけ黒人に挿げ替える」である。 白鳥の湖のブラックスワンかと。 黒人DIOはどうあるべきかは簡単で、舞台(アメリカのスラムかアフリカ大陸メインか)から能力バトルからすべて置き換え、人物イメージと名言を拝借し「オマージュ」とする。 良い部分を模倣し上へと行く。 これである。
何故この「あるべき」が実現しないのか。 一つは創作体制の問題。 一つはバックボーンの問題。 もう一つは黒人社会総体として何を願っているのか。
創作体制については、アメリカ黒人でもアフリカ人でも頭数は居るのだから、やろうと思えば出来るだろう。 今までやってこなかったから今からする、というのならもろ手を挙げて歓迎する。 声援送るくらいだが。
バックボーン。 これは黒人史に人物が少ない事に由来する。 即席で作るなら「活躍した黒人兵」のまとめあたりか。 善行も「悪行も」載せるのが重要だが反発がありそうだ。 強行しろ。 そしてアメリカ中に配れと言いたい。 モラルの鉄槌はそうした悪を隠す抵抗を潰す為にあるのだと。
黒人社会の願い。 これがどうにかならない限りは結局は戻ってしまうだろう。 もちろん、大多数が戻ろうとするにしても押し通す価値はある。