狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

長崎の平和式典と雷と地震

2024-08-09 00:46:18 | Weblog

まず天災の方だが、これはカトリックと関係している。
ソシャゲやりながらの執筆でラグった。 これをウラノスの罪に数える。 というか以前からあいつ等の不手際のせいで不自由していると思っている。
まあいいや。 カトリックな。 要するに今はカトリックが働くから神の民は止まってろってこったな。
私は神の民の国日本を「算数なら出来る中学生」くらいとしている。 及第点には遠いが基礎らしきものは見える。
カトリック他を「まずは算数から」と見る。 算数の出来ない(算数以外も出来ない)中学生に仕事をやらせるのかというと、そうなる。

長崎の。 式典にイスラエルを呼ばなかったのは平和式典として妥当な判断だろう。 アメリカ側がこれに反発、私はそれを道を踏みはずしたとする。
たしかオバマの時に「ナガサキになら行っていい」とした。 長崎の方が重要なんよ。 ヒロシマの方は一応戦争を終わらせるという口実に理があった。 ナガサキの時にはなかった。 純粋に兵器実験、人体実験だったから。
アメリカの方に、国家として断る道理はない。 細かく言うと共和党政権なら断ってもよい。 「アメリカ合衆国とは盗賊である」というのが党是になっているからウソがない。 盗賊なら仕方がないで通る。 一方の民主党は「高貴な支配者である」としているので断れば逆賊となる。 家畜に権利はあっても自由はない。 そうさせたユダヤ人社会にも。 彼らはユダヤ人に媚びている。

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推しの子は義務 カオス、ウラノス、クロノス

2024-08-08 23:45:14 | Weblog

ギリシャ神話に例えるのが分かりやすいと思う。
私が唯一神とするのがカオス相当。
ユダヤ教徒以下が唯一神と呼ぶのがウラノス相当で、エデンの神。 私がこれまでアラフと呼んできたもの。
アテンがクロノス。 サタンでもある。
小アテンだろうと見るものがゼウスとなる。 性格が似ているように思える。

神としての私。 中学くらいの頃にすでに尊い者としての意識が有った気がする。
大学くらいの頃まで人であり、凡俗であり、頭が良い方だと思っていた。 要するに二重化しているわけだ。 一方は世界をどうとでも出来、もう一方は本来なら世界を握れた。 つまはじくくらいなら出来る。

カオスの立場からウラノスの徒と見る。 「彼らに価値はあるか」「世界は彼らの遊び場か」と置く。 天秤に 昔の私は彼らに価値がないとした。 小沢選挙のころだな。 今の私は、世界にも価値がないので見である。

彼らの言う神の計画の価値。 本来そうあるべきではないが、どの道くだらないのでやらせてもよい、が一つの答えとなっている。
今やっているアニメ推しの子のニ期にウラノスあたりだろうからの答えを見ている。 なので義務。
おもしろいかつまらないかで言うとおもしろい。 三話切りしていたかで言うと、義務でなければあるいは。

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虐待を自白させる方法なるものが出てた。

2024-08-05 04:35:58 | Weblog

子供のムカつくところを聞くと喋りだすのだそうな。

進むと笑いながら虐待内容を自白しだすと。

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フランス人は下駄を履かせてもらっているんですよ。 何にって? 「正しく悪魔を嫌いなさい」に。

2024-08-05 04:32:26 | Weblog

ロックリー騒動があって。
バイデン撤退があって。
今パリ五輪と株暴落があると。

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オリンピック 「不正で勝って何が悪い」

2024-08-04 18:07:07 | Weblog

パリ五輪の現状を、「不正でしか勝てないフランス」という毒が撒かれている状態と見る。
フランス人がフランスに毒を撒いている。

オリンピック賛成派は「それの何が悪い」といった反応を示すだろう。
フランス老人の虚栄心からの行動がフランスの若者の自尊心を摘んでいっている。 その害を「大したことない」と思い込んでいる。

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チャンピオンと悟性

2024-08-03 02:20:36 | Weblog

なるほど。
チャンピオンを目指す人はチャンピオンになった自分を夢見て修行に励む。
いざチャンピオンになると、「それまで見てきた自分」が自分になる。
通常の自己俯瞰と考えるものと順序が逆になっているが、これはこれで悟性となるのだろう。

医者。
一般に、患者の命と向き合う。 救急救命でなくとも患者の生活と向き合う形となる。
身内か自分に問題があるまで悟性とならないような気もするが。

政治家。
一昔前の王権者は貴族の醜さを見ていた。 平民と貴族の関係に自分と貴族の関係を重ね合わせていた。
近代になって選挙制度が出来た。 平民が投票し、醜い政治家らが王であり貴族であるようになった。
最近だとYoutuberなる職業も出来た。

なるほど。 近代とは悟性人量産体制ではある。 個々のそれを、うーん。
筋道はあるわな。
気になるのは効率と大量の非悟性人。
後者は順番待ちと見てよいと思うが、順番待ちをしている意識はない。 彼らは悟性人を目指しているわけではなく、エサにつられているだけ。
効率の悪さは、暗い自分を見下ろして始めて悟性となる。 心構え、前準備のなさがこのろくでもない結果となっているのではと。

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禅問答を検索、目についたものを考えた。

2024-08-03 01:27:23 | Weblog

禅問答って何? その意味と知られざる成立過程と例話をご紹介
https://www.zen-essay.com/entry/zenmondou

ここの真ん中らへんの。

> 第三十二則 定上座臨済に問う
> 
> 定上座、臨済に問う。如何なるこれ仏法の大意。済、禅床を下って擒住し、一掌を与えてすなわち托開す。定、佇立す。傍僧云わく、定上座、なんぞ礼拝せざる。定、礼拝するにあたって、忽然として大悟す。

ここ数日、れが引っかかってた。 で考えた。
1 何故臨済は胸ぐらを掴んで張り手をし、突き飛ばしたのか
2 修行僧は礼拝の中で何を得たのか

これに深淵の目を当てはめると、1の答えは「なんとなく」である可能性が高く(もちろん深い考えと経験則からの可能性もあるが)、2は、突き飛ばされ理解不能な自分を見た、である。
突き飛ばされ、諭され、ひれ伏し、混乱の中自分を見た。 そこに、自分を見る上位者を見た。 こうなる。
この場合、直接的に彼に悟性を与えたのは臨済ではなく「何故礼拝しないのか」と問うた別の僧である。

このモデルが正しいとして、なんで上手くいったんだ? いやまあ、質問、場作り、叱責のような何か、ひれ伏しまで全部神の手による、が答えではあるが。

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神が認める経済活動、認めない経済活動

2024-08-02 03:34:27 | Weblog

「あなた方が生きがいと呼ぶそれは虐待ではないのですか」が問い。
この問いに対し、「我々は他人の必要を満たします、不参加希望の者たちにも占有の補償をします」なら良かった。
「不参加者には劣った状態、非難される立ち位置に生きることを強要します」なら悪だった。

私が十数年見てきた彼らのそれは悪だった。

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簡単な順に ①悪意の時代・勝ち組志向の時代を終わらせる ②直接神に依らず悟性人が増える状況の構築 ③神の黄金時代からの変化を変える

2024-08-01 05:09:38 | Weblog

悟性を認識していない人間と天使たちを一掃したい。
現状への衝動として上記がある。 それはそれ。

①の悪意・勝ち組志向の時代 だが。
先日筋道をまとめた文章が出来、喜んだ。
1 親や社会が勝ち組志向を是とする
2 勝ち組志向を選んだ子が行き詰まる
3 行き詰まった時点で負け組探しが始まる
4 負け組探しを続ける内にいじめや差別行動といった負け組作りを行うようになる

上記の4が悪意の行動だが、社会にありふれた教えのようなものを実践した結果自然とそうなる。
社会のルールで4だけ規制しようとするのが現行のリベラリズムだが無駄である。 悪は内面にあり、規制する側も共有しているゆえ。
3の負け組探しを精神の弱さ、2の行き詰まりを覇気の無さなどと評する向きは多いがこれも蒙昧である。 勝ち組志向に負け組の存在が組み込まれているゆえ。
勝ち組志向を精錬とするものも多い。 これも悪意である。 目標は一人立つ自分であるべき。 他者への勝利ではない。
他者に勝ったら自分は変わるのか。 その変化はくだらないものなのでは。 勝ち誇る他者に依存した状態が、負けてうなだれる他者への依存に置き換わっただけ。 それに伴う行動の自由の拡大と人間関係の入れ替わりは何かしら違いをもたらすだろうが。

勝ち組志向こそ社会に普遍的な悪意。 これを示せて喜んだのだが、改めて見るに古典宗教ではないかと。 仏教がそうだしキリスト教、というかイエスの教えにもそんなのがあった気がする。 他者依存の破滅と。 なんだろう。

②の悟性教育の制度化。 悟性を得る状況は一対一で自省が与えられる場合と、偶発的なものとがある。 要は一対一の自省を量産出来ないか、という話である。

③の黄金時代終焉。 時代があれば終わりが来る。 永遠を目指すのではなく、次に来るのが腐敗と悪意の時代ではなくする。
現状無理だな。 黄金時代の終わり自体が手元にない。

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