勝利について

2010-02-25 16:55:12 | Weblog
勝ち負けの
決まった後の
競技場
胃袋のまま
人後にする

男子の話題にだれが人類最強か、というのがある。
古今東西共通だろうこの話題の結論もやはり、
万国共通なのではないかと思うわけだが。

日本はスポーツ後進国だそうな。
http://www.asahi.com/olympics/columns/from_vancouver/TKY201002230298.html
ピンと来ない。
私から見てこの文章は、特に厳しくもないし不遜でもない。
なんせオリンピックに社会的価値があるのかどうか疑問に思っているのだ。
日本はパエリヤ後進国だとかヒッチハイク後進国だとか言われても、
おそらく同様にピンと来ないだろう。

というわけで勝利について。
強いと偉い。
勝つから偉い。
スポーツの世界などを中心に信奉されている社会倫理だ。
この考え方、価値が無い。

では何故この傾向が一般的になっているのか。
思いついた理由を並べてみる。
・勝った方が精神的に余裕がある
・序列秩序の決め方の一つ
・目立つ人を中心にした方が纏まりやすい
・戦争力を反映していると見なされる
・身体の健康さを表わしている
・交渉の場において身体的優越は武器となる

競技の勝者であることと指導者としての指導内容との間に関連性は無さそうだ。
税金投入が利権者の巣になっているという害の方が大きいのではと。
スポーツに金をかければ医療費が減るとのことだが
それは単に、欧米人に肥満が多いというだけの話では。

さて問題。
最強論はあるもののスイッチを握っている人が最強、
という結論になることが多い。
なんのスイッチだろうか。
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電子制御について

2010-02-25 13:42:41 | Weblog
経験の
怖い嬉しい
常識に
なった挙げ句に
無さを忘れる

実はさっきまで、しばらく何も書かずに放っておこうかなとか
そんなことを考えていたんですよ、アメリカ民主党について。
彼等はそうあるべく国民の内の彼等の支持者から選ばれたのだから
そういう実態を曝すのを眺めるのも一興かなとか。
でも書きます。

トヨタの社員達には電子制御を乗り物に組み込むに当たって必要だろうセンスが
欠けているのではないかと考えています。
でそのことにトヨタの社員達は気付いていないと。
一方アメリカのエリート様方はそれはあって当然だと思っている。
この差がどこから来たのか。
これが日本の戦後なんですね。
私の見立てでは。

周知の通り日本は敗戦国です。
敗戦国という立場が現代日本の原点です。
これが色濃く出ている分野の一つが科学技術。
言ってしまえばアメリカはミサイルの国なんですよ。

トヨタのような企業が戦後という時代に最初にしたことは
アメリカ製品というブラックボックスを分解して
その技術を調べ上げることだったりするわけですね。
トヨタなどの企業上層部の人間はそこで発想が止まっている。
有る意味で。

時代が下って冷戦終結、1990年代。
コンピュータが一般化してくるわけですが、これがブラックボックス。
ここで認識の差が出来てくる。
当時の日米関係は、まあそういうものだったと。
結果、新技術に関する認識のズレは双方それぞれの旧識に則る形で固定化した。
それが今表面化していると。

まあトヨタの行動が良心的だったかどうかはまた、別の話ですが。

「鳥取、島根は日本のチベット」と日本の民主党。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100222-OYT1T01270.htm
これも認識の差か。

じゃあ問題を出しましょう。
奴隷が、奴隷には必要無いとされて、持っていた本を奪われた。
後日その奴隷は主人に文盲を詰られた。
ではその奴隷は学ぶ機会が無かったことを誰の所為だと考えるでしょうか?
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