戒めが
色々あって
解釈が
色々あって
唯我独尊
さて、今回の選挙で自民党支持を止めて民主党に投票した人達は
ネットウヨクが嫌いな人達だそうな。
日本国民の多くが、ネットから掲げられた歴史観、社会観を拒絶した。
彼らの拒絶した側に私も含まれる。
あーあ。
さて、戒律について。
日本には戒律が無いという説と、有るんだけれども意識することが無いという説とがある。
いずれにせよ日本人は一般に、戒律を意識しない。
豚肉を食べないことを始めたのが四月下旬。
食べたのが先日なので戒律行動を取っていたのが、だいたい4ヶ月間。
そこから感じたことは、戒律は意外と良いものだということ。
日本では一般社会における戒律とは、宗教権威でもって未開人にルールを押しつけるもの、
現代社会では意味を無くしたものと解釈される。
だが行動と信仰として捉えると、現在もその価値は変わっていない。
じゃあ現在の、西アジアを中心に存在する戒律社会が良いとかというと、
そうは思わない。
国際ニュースを見ると戒律の特定の解釈を強要する人達で溢れている。
彼らは、おかしい。
戒律の利点はこんな感じと。
・行動判断の助けとなる
・行動することで自分の信仰を随時発見できる
・行動の結果から自分が許されていることを発見できる
欠点はこんな。
・社会的には人から渡される形になっている
・同じ行動を取る人達と群になる
・同調圧という形で守ることを要求される
・形式主義に陥りやすくなり社会予測が蔑ろになる
私の結論は、子供に対しては「殺さない」以外は戒律が無い形を基本として、
一人一人戒律を選んでいくのが良いと。
つまり、今ある戒律社会は一度、解体されるべきだと思う。
イエス氏が「見るのも姦淫」としたが、性欲を持つ人が
現代社会でこれを守るのはほぼ不可能だ。
これは戒律強要に対する戒めだろう。
自民党の皆様、しばらくのんびりしていて下さい。
ここ数年あなた方が拒絶してきたのは、マスコミサヨクの価値観。
その方向は正しかったと思っています。
私はこれからの期間からあなた方が「逃がされた」と解釈しています。
色々あって
解釈が
色々あって
唯我独尊
さて、今回の選挙で自民党支持を止めて民主党に投票した人達は
ネットウヨクが嫌いな人達だそうな。
日本国民の多くが、ネットから掲げられた歴史観、社会観を拒絶した。
彼らの拒絶した側に私も含まれる。
あーあ。
さて、戒律について。
日本には戒律が無いという説と、有るんだけれども意識することが無いという説とがある。
いずれにせよ日本人は一般に、戒律を意識しない。
豚肉を食べないことを始めたのが四月下旬。
食べたのが先日なので戒律行動を取っていたのが、だいたい4ヶ月間。
そこから感じたことは、戒律は意外と良いものだということ。
日本では一般社会における戒律とは、宗教権威でもって未開人にルールを押しつけるもの、
現代社会では意味を無くしたものと解釈される。
だが行動と信仰として捉えると、現在もその価値は変わっていない。
じゃあ現在の、西アジアを中心に存在する戒律社会が良いとかというと、
そうは思わない。
国際ニュースを見ると戒律の特定の解釈を強要する人達で溢れている。
彼らは、おかしい。
戒律の利点はこんな感じと。
・行動判断の助けとなる
・行動することで自分の信仰を随時発見できる
・行動の結果から自分が許されていることを発見できる
欠点はこんな。
・社会的には人から渡される形になっている
・同じ行動を取る人達と群になる
・同調圧という形で守ることを要求される
・形式主義に陥りやすくなり社会予測が蔑ろになる
私の結論は、子供に対しては「殺さない」以外は戒律が無い形を基本として、
一人一人戒律を選んでいくのが良いと。
つまり、今ある戒律社会は一度、解体されるべきだと思う。
イエス氏が「見るのも姦淫」としたが、性欲を持つ人が
現代社会でこれを守るのはほぼ不可能だ。
これは戒律強要に対する戒めだろう。
自民党の皆様、しばらくのんびりしていて下さい。
ここ数年あなた方が拒絶してきたのは、マスコミサヨクの価値観。
その方向は正しかったと思っています。
私はこれからの期間からあなた方が「逃がされた」と解釈しています。