狸喰うモノ牛愛でるモノ

あー。 なんでこんな偉そうな事書いてるんだろうなー。

良心のありか

2018-01-31 20:27:57 | Weblog
うんだから。 知っていたら、「陰キャ許容」にはなっても「陰キャ嫌悪」にはならない。 同時に、知っていたら「無責任嫌悪」にはなっても「無責任許容」にはならない。 世間一般、現在のマスコミを中心とする「ブーム」や「人身売買じみた事をするプロスポーツ文化」は嫌悪の対象。 「陽気に楽しむだけ」なんて事になりえない。 そうなるとしたらソイツは目に入っても考えない、状況を無視できる無関心な人間か、「自分がいじめる側」である事を喜んでいる人間。
陽気であると自任する人間は保健所には行かない。 陰気で陰惨だから。 そして彼らはペットショップに行く。 高級種売買の側を嫌うのが陰気だとされる人間。

キリスト教圏の指導者に「イスラム教徒と仲良くしろ」と言うと、スンニ派とにぎにぎする。 裏で「シーア派を叩いて帳尻を合わせよう」という密約を交わす。
この構図、国際社会の基本構造でありあちこちで似たような「融和」が行われるある種戦略セオリー行動なのだがこれ、「社会性に長けた人」が日常的にする行動。 犠牲者選びである。 誰かと何かを妥協する際にこれをする。 無意識にそうし、選定上手な自分を誇っていたりもする。
さてこの指摘に対し、「長けていない人もやっているだろう」とする向きもあると思う。 ところが国際社会の場、政治家外交官たちは、そういう人間なのかどうかを既に試されていたりする。 所謂「歴史問題」である。

さて映画「ガンジー」ネタ、子供を殺された怒りからイスラム教徒の子供を虐殺してしまった人の親に、「イスラム教徒の孤児を拾いなさい」とし、「そしてイスラム教徒として育てなさい」としたと。 これはぱっと見ほど簡単な話ではない、宗教モラルの違いとは一般の日本人が朝鮮総連を見るような、欧米人ユダヤ人がナチスドイツと聞いて思うものを含むのだと。 グローバルな宗教対立の双方が、一般には安定した伝統宗教である事からそうした「差異への目」が忘れられがちだが細部の本質は違うのだ、としたと。 そして「私ならどうするか」に「良心に従う」としたと。
この「良心に従う」としたネタ、「一般化出来ないだろう」と思った人は慧眼だとする。 良心の基準は立場や文化背景によって異なると。 ところがだ。 この、「映画ガンジーの子供虐殺ネタ」だと少々違ってくる。 というのも、このガンジー氏への相談者には決定的な点がある。 「宗教対立、暴動から子供を殺してしまった自分を悪だとしている」点。 彼はこれを、「ヒンドゥー教の教義に反しているから悪なのだ」とはしていない。 人として生きてきた、人の親としての経験からそれを「悪だ」としていた、そう見ると。 これ必ずしも宗教判断、宗教文化をバックとした何かではなく、共通性が高いものなのだとしていると。

ではだ。 こうではない宗教もあるのでは、と思われたりするだろうか。 うん。 ある。 「子は、目下は親、目上のエサたるべし」という宗教が。
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陰キャ誕生

2018-01-31 20:01:07 | Weblog
相変わらず「陰キャ論」を目にする。 私は「陰キャ論者である自称陽キャはDQN」とするわけだ。
「陽キャは陽気で善良な人間で、なんだかんだで世間に悪を為すのが陰気な陰キャ」とするのが自称陽キャたちの陰キャ論。 私は「陽キャの側が社会悪である」とするものであり、彼らの特徴、問題点が現れているのが渋谷、もっと判り易いのがフジテレビの現状だろう。

「陽気に楽しんでいるだけだ」とするのが陽キャ。 そうした彼らを「軽薄」「無責任」とするのが私。 「陽気なだけ」「自分たちは善良だ」「陰キャが悪に違いない」とする彼らに「それでは駄目なのだ」と説く、彼らが受け付けないとしても彼らの周囲に説く事は可能かどうか。 これが今回のテーマ。

昔とある教師が、いじめに関して実験をしてみた話を本で読んだ。 内容は、生徒を一人座らせて、残りの生徒全員が順番に、その生徒にちょっかいを出すというもの。 座らせる一人には明るくて健康な男児が選ばれたそうだ。 結果は、というと、最初は「お約束」と笑っていたその生徒に数人目からかで変化が発生しドクターストップ。 一般にこれが「陰キャ」なのだ、とすると。 周囲の「ちょっかいを出す」「小突く」生徒たちが陽キャ。 これを知り、怯える側となったのが陰キャ。 陰キャの発生現場はこういうものなのだと。
さて反論があるだろう。 「陰キャ全員がいじめ被害者なわけないだろう」と。 どうだろうね。 私はソーシャルスキル弱者、「結託をしない派」のような側がこうした目に合わない確率は天文学的なものになるだろうと見ているが。

所謂「陰キャ」に対する態度は、「一人でいいんだよ」「アニメ、ゲーム好きで居ていいんだ」「ナンパ、飲酒、体育会系文化、マスコミの煽る流行になんて参加しなくていいんだ」でないと、人としておかしい。 仮にもし「陰キャ」の側がいじめ被害者、他人のいじめ様行動、権力を伴う干渉行為を嫌った結果ではなかったとしても、「それでいいんだ」でないとおかしい。 自称陽キャ、陰キャ論者の発言は「一人で居ていいんだよ」になっていない。 「我々の参加要求を嫌う彼らは犯罪者に違いない」となっている。

でだ。 そうした「陽気なだけ」の彼らの周囲に、食料廃棄愛好家や特定種ペットブームを見る。 こうした、モラル低下、被害拡大を示す傾向への注意と「ただ陽気なだけ」ってのは両立しない。 「ただ陽気なだけ」であろうとするならば問題点への注意はしないし問題を注視し被害状況の発生を嫌悪するならば自然と「陰」となる。
両立しえない。

もう一つ、「陰キャの例」を示そう。
保護犬ビフォア・アフターだそうな。
http://karapaia.com/archives/52194930.html
http://inupunch.blog.jp/archives/1068683784.html

上が今検索した結果。 下が「ネタを考えていた時に見た」もの。 ビフォアが陰キャの様子そのものだが、アフターは陽キャではなく、自分の場所を見つけた陰キャ。
こうした画像に対し「陽キャ」たちは「自分たちは保護する側だ」「仲間に入れてやろうとしているんだ」とするだろう。 いや違う。 お前たちは「捨てる側」だ。
何故ならお前たちは「捨てられる兆候」を嫌悪せず、代わりに「いじめから逃げる人」を嫌っている。 フジテレビがお前たちの側だ。 そして、今のフジテレビの様なものたちは捨てられるだろう、改まらなかったから。
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大きなつづら、小さなつづら

2018-01-31 19:03:26 | Weblog
「大きなつづら」ってのは日本の童話にある典型で、物語の最期の方で主人公が、土産物の二択を迫られる。 小さい方には金銀財宝が、大きい方には化け物が詰まっている。
強欲を戒める話なのだがさて考える。 小さい方の中身は、化け物ではないのだろうかと。 さらにだ。 大きい方は財宝ではないのだろうかと。

箱を開け、化け物たちを御した人間が居る。 ソロモン王である。 そして破壊者となり得る、人の話を聞く、素直で義しい「神の人」は謀殺された。
なんで謀殺されたのかって? 「神の人の決断」と「人間たちの邪悪な現世界」が二者択一だから。
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誠実さと結託の関係

2018-01-31 18:54:42 | Weblog
因業ラバン氏の下でのヤコブ氏とレア氏の関係ってどんなだったのだろうか。 レア氏の態度から勝手に想像する。
「彼を保護しているのは私だ」「私が彼の所有者だ」。 こんなところか。

母の実家が元豪農で。 昔時々「嫁を出す度に山を売った」「友人の保証人になって借金を押し付けられた」などと言っていた。 今はどうなのかと言うと、でっかい家に住む大規模農家。
北海道には大規模農家が多い。 これ、明治政府の誠実さ。 逆が旧社会党、共産党系組織。 北海道教職員組合とかだね。
これと同じ事がアメリカ合衆国についても言える。 日米関係、日独関係。
共和党系の傾向が、強欲、妥協、罪からの立ち返り。
民主党系が宣伝、結託、隠蔽、罪の擦り付け。

だから「誠実さの側」「結託の側」ってのは敗者に対する態度に出る。 よく「リンカーン氏の開明さは共和党にはなく民主党の側にある」などといった趣旨の文があったりするが、歴史的敗者となった南部住人に対する誠実さがあるのは共和党の側。 民主党の側は勝者となった北部、黒人たちと結託した。
世界規模で起きているこれが、フェミニズムの側、中国の側。 戦後の世界で敗者の役割が与えられていたのが男の側、旧日独の側。 こちら側に対し「人として最低限の尊厳を」「勝者の側敗者の側いずれも主権国家としての節度を」としていたのが共和党の側で、「フェミニズムはリベラルであり」「我々も中国も勝者の側なのだから」としていたのが民主党の側。
明治政府と共産党の関係。 もし明治政府が不誠実だったら北海道に大規模スラムがあって、そこに「明治政府に開拓した土地を奪われた」と言う人間たちがひしめいていただろう。 現状それが無い。 逆にあるのが「戦時中を見ろ贅沢品を奪われた」「彼らを憎め」と言う北教組。

まっとうな人間なら「中国との結託」なんてありえないんだよ。 知ったら離れる。 嘘ばかりだと気付き、去る。 人死にを避けるという理由でやむなくそうするならともかくも、「中国の時代だ」などと言って喜ぶ事なんてありえない、もしその人に何かしらかの誠実さがあったならば。 だから昨今の、中国経済の様を見ているといい。 ふらつく人が多いだろう。 彼らには誠実さはなく、有るのは糊塗隠蔽の巧みさであり、そのための結託。
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あのさあ、人のやる事指定してくる霊ども

2018-01-31 05:26:35 | Weblog
全部ゴミに出しとけよ。
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ガンジー氏の。 「イスラム教徒として育てよ」発言。

2018-01-28 19:50:14 | Weblog
訂正。 「駐日スウェーデン大使館」ではなく「駐日デンマーク大使館」だった。 ごめんなさい。 リベラルを嫌悪、とリベラル→スウェーデンってのでごっちゃに記憶したのだと思う。
改めて。 駐日デンマーク大使館から国籍をネタとしたツイートが出て、記憶にあったこれを「紛争事案と知っての事か」というネタを出した。 で「スウェーデン」と間違えたと。

さて映画「ガンジー」でガンジー氏が「暴動でイスラム教徒の子供を殺してしまった」というヒンドゥー教徒に「イスラム教徒の孤児を育てよ」とし、続けて「イスラム教徒として」としたと。 これ視た人は単純に「宗教融和だ素晴らしい」と思うだろう、だがそう単純な問題ではない。 今日の若い日本人になら「朝鮮儒教の子を朝鮮儒教の子として育てよ」だと判り易いと思う、あるいは、「北朝鮮・金主席崇拝者として育てよ」。 西洋人になら「ナチス信奉者家庭の子をナチス信奉者として育てよ」と。 イスラム教は今日世界宗教、グローバルな常識の一つとされているから勘違いするのだろうけれども「宗教倫理の違い」ってのは結局そういう事。

では私ならどうするか。 自分の良心に従う。 その上で、イスラム教徒としてなら調べた範囲での彼らの文化を伝える。 要するに、「形式的にはイスラム教徒であり本質は良心の人」となるように、育てようとする。 「それはイスラム教徒の子ではない」と言う人が居たとしても、知った事ではない。 大人になったその子供自身が選べばよいだけの事だと。
「お前にそれが出来るのか」と聞かれれば、「私は神様に向かって駄目出しをする人間だ」とする。 合っているかどうかはともかく。
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常識と良識

2018-01-28 18:46:48 | Weblog
2018/01/28 訂正追記
「スウェーデン大使館」ではなく「デンマーク大使館」の間違い




「エホバの証人」の、「ものみの塔 オンライン」で「イシュマエル」ネタを引っ張った時の、参照先の一つに下
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/Rbi8/J/1985/48/4#h=24:104-26:0&study=discover

があった。

読んでみて困惑する。 最初に読んでから、ネタとして使おうと思い立って読み返した今まで、私は以下の筋書きで考えていた。
・パウロ氏は肉欲の子は肉欲の奴隷となるという一般論を述べたまで
・奴隷民族が存在するというのは解釈者の邪心である

といったもの。 読み直して困惑中。 「何やってんだコイツ」、「私から彼らをかばっても彼らが良くなるわけではないぞ」と。

解釈と良識と常識。 奴隷民族が存在する、というのは常識。 人生経験に基づき多くの人に持たれ社会で共有される概念、とでもしたものか。 一方で、奴隷身分を強要されるべき人なんてのは無い、というのが良識。 よって、「アラブ人は奴隷に生まれたと聖書に記されている」とする解釈はユダヤ教徒キリスト教徒の邪心から出たもの、とする例としようとしたのだが。 解釈じゃあないね。 実際にそれっぽい事が書かれているっぽい。 「奴隷となる子供たちを生み出すもの」って。
困惑中。 「人を奴隷とするものは自分たちが奴隷となる」と締めようとしていたのだが。

話を変えよう、スウェーデン。
先日スウェーデン大使館の公式ツイッターだかに出た話をネタとした。 このうち私が問題だとしたのが
・スウェーデンには国籍条項はありません、外国人でも首長になれます。

としたもの。 以下の点でこれを問題だとしていると。
1. 他国の国籍の扱い方を外交官が持ち出す事は内政干渉である
2. 国籍問題が現時点の日本で既に、朝鮮総連、民団といった隣国政府による団体による政治問題と化している
3. スウェーデン自身の問題(ローマ帝国化)

1はそのまんまだな。 外交官、外交公館員でなければいいのかというとyesだが、例えば発言者が社会科学者などの場合だったとしても紛争問題と化したならばそれに国外退去を求める事の出来る正当性が発生する。 2は紛争介入だな。 この場合は「退去要請の正当性」といった問題ではなくなってくる。 第三国の人間が意図せず紛争に関わった場合は適切な保護措置を取る義務が、また意図してそうした場合は主権国家、退去処分を取る義務が発生する。 公館の活動であるならば「当事者間の行き違いで看過して良い」とするものではなくなってくる。 具体的には、一主権国家として国際秩序を維持する義務から「この件に関して本国筋に抗議した」という外交文章を残さなければならない。 3は。 まあ。 スウェーデン人の好き好きだな。 私は警告したぞ。 「一回の義務」と「続く良心」を果たした状態。
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罪と罰の行方

2018-01-27 15:23:22 | Weblog
2018/01/28 訂正追記
「スウェーデン大使館」ではなく「デンマーク大使館」の間違い



原罪論続き。
エデンで。 偉そうな「神様」は、素直で無為な「人」アダムに、「コイツがお前の助手ね」として「女」イヴ(エバ)を付けたと。 結果素直な子供のような彼は、偉いそれが与えた助手に、そのまま従った。 これを原罪論者は「何もかもがアダム氏が悪い」とする根拠としている。
この状況。 「それが起こる事を知っていて止めなかった」どころではない。 仮にもし原罪論が正しいとされているのならば、エデンでの神様役は自身の凡ミスから必然的に発生した事の顛末、その罪全てを素直な子供のような魂に押し付けた事になる。 正直これ、天の廃絶案件になる。 「アダム氏の救済後に働きと相殺する」とする事は可能なものだがこれ単独では、彼らとその組織を廃するに値する事案。 
もちろん、「仮にもし彼らが、原罪論を義しいとしているのならば」の話だが。 別目的でやむなくそうなった、のでなければ彼らは廃される。 原罪論の形自体はどのみちだが、その際に彼らがどうなるか。

さて先日、駐日スウェーデン大使館の公式ツイッターになにやら「おもしろい文章」とされるものが出されたとの紹介をネットで見た。 その中の、国籍云々に関する部分を私は「国際問題だな」とした。

昨年はモンゴル人力士騒動の。 どっちの力士だったか忘れたが、発言が二転三転する軽薄な方だったかな?よく覚えていない、が「親方株の国籍規定は」などと言ったと。
これにつき私は「ああ、クズ筋がそそのかしたか」と思ったと。
さてクズ筋のそそのかし。 これの見方として
1. そそのかすクズ筋が悪い
2. クズ筋にそそのかされる当人が悪い
3. クズ筋そそのかしを注意しない周囲が悪い
4. クズ筋対処が出来ていない現行の、教育制度、法精度、社会思想が悪い

といった、「罪の行方」みたいなものがある。 もちろん「誰に罰を与えるか」といった議論であるならば当然1と2が対象となるが、監督不行き届きとして3、事故回避努力として4も当然議論されてしかるべきと。
私が現行宗教組織、理念を「信用できない」とする理由が3である。 その一方で、4はどこに問うべきか。 これ私担当だよな、
うわ邪魔が入った。 だから「いらない」って言うんだよ。
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「悪人を憎む派」といった派閥があるとしよう、では神様は?

2018-01-26 18:09:15 | Weblog
悪人たちを憎む派閥、みたいのがあるとする。 おそらく人類の大半はここに属する事になる、もし全員でないのならば。ここに属する人間の多くは「神様も自分たちと同じはずだ」と期待する。 なんだかんだで結局悪人、悪意の人間らを嫌っている私が一般の「憎む派」と違っている点がここなんだな。 「神様は違うのではないか」と思っていると。

「イサクの燔祭」について調べてみた。 持ち歩かなくなって久しい自前の聖書を開く、またオンラインでも読んでみる。 「やっぱり文章が変化しているな」と見るわけで、ここら辺は「お前の記憶違いだろう」と言われればそれまでだが、そう思うからそう書くと。
で、内容だが、やっぱり「神」(まことの神)が要求する、これを天から(ヤハ氏の)み使いが止める、という形になっている。

先日「イシュマエル」でグーグル検索した。 で、出てきた情報の一つが下。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002215

聖書研究なんかでおなじみな人にはおなじみな、「ものみの塔 オンライン」だな。 問題の箇所をコピペする。
> イシュマエルは腹違いの弟を「からかっている」のを見つけられました。(創 21:8,9)
> これは決してイシュマエルの側の無邪気な子供の遊びなどではありませんでした。
> むしろそれには,その記述の次の節に暗示されているように,相続権のことでイサクを嘲弄する言動が関係していたのかもしれません。
> 使徒パウロは,その出来事は「象徴的な劇」であったと述べ,
> 半分エジプト人の血を引くイシュマエルがイサクに対して行なった虐待が迫害であったことを示しています。

改行は今適当に入れた。
これ聖書だと「イシュマエルはイサクをからかった」(別解だと「笑った」)としかないのね。 迫害云々ってのは後付け。
これな。 私はこれを
「イシュマエル」→「神の子シェムハザ」
「ものみの塔」→「ウォッチャー」→「グリゴリ」

と置き換えるわけだ。 実際、創世記で「神の子らは女に入った」とされている。 エバ教教会霊グリゴリ。 併せると、「神の子」が「監視の天使たち」を「女(エバ)の支配下に縛り付けた」となる。 グリゴリたち(全体か一部かはともかく)は実は、今なお「神の子」シェムハザを恨んでいる、となるんだな。 ただし、迫害云々は常套手段って感じでもある。

アダム氏の別解。
創世記冒頭の、エデンでの物語でアダム氏らは知恵の実を食べて、裸を隠したと。 人が裸を隠す理由の筆頭は、嘲りを避けるためである。 エデンを理想郷だと思うのは今日の人間の、勝手な想像で実際には動物たち(の長であり監督者である天使たち)は人を嘲っていた。
ここに別解がある。 アダム氏は裸を隠すのではなく、動物たち(の長である天使たち)を滅ぼす、という選択肢があった。 知恵を得た人は最悪のハンターとなり得る。 それは可能だった。 ただ、選ばれなかっただけ。 それを選ばなかったアダム氏には、地上を耕し続けるという苦難の道が与えられた。
何故彼はもう一方を選ばなかったのか。 単純に、動物たちが好きだったからだろうと思う。
でだ。 「知恵を得た人は世界を滅ぼしうる」というのがグリゴリたちの存在理由。 そして彼らは女(エバ教)に入った。 「神の子」に嵌められて。
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「マリア教のマリア」、「エバ教のエバ」、「シメオン・レビ兄弟の母レア」これらが同一単一継続かどうか

2018-01-24 20:49:25 | Weblog
本題に入る前に、前提条件と、「書かないとフェアじゃあない」といった私の身内ネタがある。

まず前提条件を軽く。 詳細は「フェアじゃない」の後で書くつもり。
・現キリスト教を造ったのはパウロ氏
・キリスト教内にマリア教が内包されている
・アダム原罪論はエバ教
・ペテロ氏(シモン)、モーセ氏はそれぞれシメオン氏、レビ氏の継続体
・13番目の使徒パウロ並びに復活イエスの正体
・その正体の正体

下二つはまだ書かない。 今回は。
で、並べたこれらは「聖書中のこの文章は実はこういう事を意味している」というものだが結局は、霊に関する私の感性である。 まあその「私の感性」が「多少なりともあてになる」事が前提じゃないと頭のおかしい人の勝手な解釈でしかない。 別にそれでいいか、それはそれで。

さて「書かないとフェアじゃない」身内話。 父、母、私とあと、ここではあまり関係しないが私の上にもう一人。 あまり書きたいネタじゃあない。
1998年あたりから2000?何年だっただろうか、頃の私の家族の話。 父の事業が失敗して一家が収入激減状態になっていたと。 そんな中、就職失敗(実は就職活動をほとんどしなかった)でフリーターだった私が母に勧めたのが、父との別居。 根拠は「人間一人ならどうとでもなる」という考え、価値観で、母のそれとはまったく別のものだったと。
で結局、家族は父(一人)、私と母(二人)、あともう一人(一人、父の事業失敗の時点で独り立ちしていた)という形になったと。 その後私がプログラマーとして就職。 で第二幕。 私と母とが喧嘩別れになった。 直接のネタは「勝手に私室に入るな」という例のアレだが他に
・生命保険関連(一時期母が勧誘員をしていた)
・仕事中の私に対する電話
・私が筋的に身分バレしたネットウヨク活動家となっていた
・将来の金銭に関する価値観の差

などがあったと。 で結果、母を父に押し付ける、母が父にくっついたのだが、形となった。 父母(二人)、私(一人)、あともう一人(一人)となったと。

「父の事業失敗後の騒動と家人並びに私の行動」も「書かなきゃフェアじゃあないネタ」だがそれは今回の範囲ではない。

本題の前提詳細に入る前に二、三。
1. レア、ラケル姉妹の関係がアブラハム氏を巡るサラ氏、ハガル氏関係のコピーになっている
2. 私は私視点だと良心にもとる行動を取っていない
3. アブラハム氏の父親であるテラ氏がイスラム教だと「アーザル」(アザ)となっている

まず1は寝てて考えて気付いた。 書き始める、考えをまとめるにあたって書くにつき気付いた感じか。 元々「筋的に同系統」といった感性はあったかも。
2。 なんとなく「後ろめたいなー」くらいに感じていたのだが、ここまで書いて「私は母を、私の身辺の危険(と危険だと思っている事に伴う私のストレス)から遠ざけようとしただけではないか」と。
ああ。 ここら辺の詳細はどうでもよくなった。 書いた結果、私にとって「フェアな状態」が実現した。
とりあえず書いておくか、私視点だと「プロパガンダが常識化した世界で事実関係を検めようとした」「危険な事を続けるにあたって母を遠ざけようとした」となるが、母視点だと「フェミニズム男叩きや韓流麻薬芸能界といった楽しいものを廃れさせようとした」「自分勝手な理由で気ままに家族を組み替えた」となると。
3。 アブラハムの父テラが別名「アーザル」。 これ、「アザ」つまり「アザゼル」に通じるね。
親子三代、「テラ」「アブラハム」「イシュマエル」の荒野の側の名が「アザゼル」「アザ・ラハブ」「シェムハザ」となった。

さて前提詳細。
まずパウロ氏がキリスト教を創造した、だが私の考えではイエス氏、ペテロ氏、パウロ氏はそれぞれまったく違った方向性で動いていた。 イエス氏はただ真理を伝えようとしていた、のとあと地上の人間たちに公正さを求めていた。 ペテロ氏はイエス氏についてきた人たちの組織化と体制温存。 理想も糞もない。 パウロ氏は、それらを拾い集めてまったく別のものを構築した。 後の両者の行動を良く言うなら「タイムカプセル化」といったところだが、はてさて。
マリア教内包。 まんまだな。 これもまた「別物」といった見解で、地母神信仰の一種。
エバ教。 「エホバ名はヤハ名とエバ(イヴ)名の合成になっている」というものと、原罪論が結局のところ「なんでもかんでもアダム氏が悪い」になっている、というもの。
ペテロ氏、モーセ氏はそれぞれシメオン・レビ兄弟の継続体。 これ俗にいう「魂」とか「転生」とかの話になってくる。 で重要、というか独自の観点だろうそれが、出エジプト記での、固辞しようとするモーセ氏に対する「お前には兄が居ただろう」という発言は、実は失言なのだ、というもの。 この発言以前はモーセ氏の兄アロン氏は、形になっていなかった。 レビ氏に兄シメオンが居た事からつい言ってしまった。 と言っても、アロン氏はシメオン継続体ではなく、また同様に、ペテロ氏、シモン・ペテロの弟であるアンデレ氏もレビ継続体ではない。 その場の現地兄、現地弟といったところか。 この辺は「私の感性を信用する」か「信用しない」かの話にしかならない。

さて本題の、「マリア教のマリア」「エバ教のエバ」「シメオン・レビ兄弟の母レア」は同一か。 ペルソナ問題としてはyesであり、時代ごとの機会としてはnoである。 父性(責任者性)、母性(情緒性)、欲求と知恵の兄弟みたいのがバラバラに現れる事があって、その際に知識経験の継続性はないが感性、傾向の継続性はある。 そういう意味では「ほぼyes」が答えだな。
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