福田の雑記帖

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東日本大震災(40) 陸前高田の「奇跡の一本松」保存 何でここまでやるの?

2012年09月12日 07時27分40秒 | 時事問題 社会問題
 東日本大震災から1年半たった。この節目の翌日にあたる12日、陸前高田市の「奇跡の一本松」と呼ばれる木が保存処置のために切り倒された。 約7万本もあった松の中で、一本だけ残ったと言うのは本当に奇跡的と言うしかないが、何故残り得たのだろうか。

 松原は住民にとって故郷の誇りであり、心のオアシスであったことが地方紙に掲載される住民の方々の意見等から読み取れる。それが根こそぎ流出し、ホントにホントに一本だけ残った松に特別な感情を抱くのは自然の流れであろう。地元の多くの人々は一本松に希望を見ているという。

 この一本松の周囲の土壌は地盤沈下して海水がしみ込み、生育状態が徐々に悪化した。樹木医も参加して根元に活性剤を撒いたり、こも巻きなどの種々の試みが行われたが結果的に枯れてしまった 。海水で根腐れが生じたためと言う。
 生きているならいざ知らず、枯れた今でもこの松に対する気持ちは変わらないらしい。地元の松原保存会ではこれを一度切断して内部に防腐処理を施しつつ金属製の心棒を通すという形で保存することにした。一方、守る会は震災前に拾った松ぼっくりから松の苗木600本を育てていると言うし、一本松の2世も森林総研林木育種センター東北育種場で育っている、とのことである。

 一本松は芯をくりぬき防腐処理などを行い、炭素繊維強化樹脂の心棒を入れ、枝や葉はプラスチックでレプリカを作成して再接合して来年2月までに現地に戻される。要するに松の剥製であるが、野ざらしにすると多分数年ほどしか持たないと思われる。費用は1.5億円。寄付で賄うこととして募っているが、9月10日時点で2.688万円しか集まっていないという。

 私は、申し訳ないが被災された方々の気持ちにはなり得ない。その私から見ればこの松は今は一本の枯れ木に過ぎない。だから、理解出来ない。メディアもこぞって支持し、取り上げ、持ち上げている。メディアはどれだけ寄付した?話題として利用しただけでないのか?

 この枯れ木は「奇跡の一本松」、「復興のシンボル」、「希望の一本松」・・などと呼ばれている。わが国ではいろいろなものを「○○のシンボル」などとして大切にする、崇める気持ちがあるが、私は理解出来ない。「一本松」は画像とか、あるいは一部を標本として保存する程度で良いとおもう。

 寄付金が思うように集まらないのは一般の方の保存に対する評価の表れでないのか?今後のことは分からないが、残りの1.3億円もの不足金を保存会ではどうされるのか?心配である。
 私は東日本大震災を人ごとだと思っていない。だから、今も岩手の地方紙を通じて被災者の立場を少しでも理解しようとしているし、収入の20%を岩手県に復興のために寄付し続けている。そんな立場でも、この松の問題はやはり、私の理解を超えている。
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1 コメント

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Unknown (基本理念)
2012-09-14 09:00:09

>>私の理解を超えている。

しかも15億円ですか、復興への優先順位を狂わせたいのでしょうか、偽善に満ちています。
シンボルとかカリスマなど作り上げ得意なマスゴミに踊らされているとしか思えませんね。

言論と表現の自由こそ国民にありき、それを生業とする進歩的文化人こそ無用の長物なり。
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