福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

憲法論議2018(2) 戦争を絶対にしないと言う平和憲法はおかしいのでは?

2018年05月07日 18時20分14秒 | 時事問題 社会問題
 現憲法は米国の押し付け憲法と言われるが、そんなことはない。日本人も関与して作られている。短期間に作ったのに、内容的にも問題はない。70年以上も通用してきたのだから評価すべきである。

 「日本を取り巻く環境の変化への対応」、「自衛隊と憲法間のギャップの解消」は、9条を改正することによってごまかしのない形になる。

 私は、現状の平和憲法のもとで我が国を作り上げ、安全を守って来た先人に感謝しつつも、改憲すべき時期を迎えている、と思う。
 意見としてはそう思っているが、高齢でこれから先にのことに責任を持てない。だから、もし、憲法改正が国民投票になったら、私は1/2票でいい。

 平和憲法制定時の理念を守ったまま、国民の生命・財産を守り、国を守ることは出来る、と思う。だからこそ9条は改正し、明快にしておかなければならない。

 戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった。
 9条の非武装平和主義は憲法作成当時としては価値ある考え方であっただろうが、憲法発布してまもなく朝鮮戦争が勃発した。手薄になった米軍の機能をカバーする目的で警察予備隊がつくられた。自衛隊の前身である。

 今後も、将来的にも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・(憲法前文)」と悠長に構えているわけにはいかない。 
 戦後憲法の平和主義と米国の傘の下で日本は大した努力もなしに平和的な歴史を重ねてきた。他力本願の不自然な姿を日本はずっと容認し享受してきた。有事の際に日本としてどう対応すべきかについてもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。
 米国がすべて問題を処理してくれるとでも思っているのであろうか。戦わない我が国に代わって米軍が血を流すとは考えられない。

 主権国家の自衛権は固有の権利であり義務でもある。今の日本国憲法は他国からの脅威に対しても、戦ってはならないことになる。何しろ憲法によって戦争が出来ないことにされているからである。戦争を紛争とでも置き換えて対応するのだろうか?

 これはおかしなことである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 憲法論議2018(1) 平和憲法は... | トップ | 現代人に必要な「いやし」(7)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事問題 社会問題」カテゴリの最新記事