「Le fil」
チュニジアの首都チュニス。裕福な未亡人サラは、フランスで暮らしていた息子マリクの帰国を喜ぶ。同性愛者であるマリクは、使用人の青年ビラルと恋に落ちる。それを知ったサラは…
MY 老母や職場のおばさまたちに、もしも愛する息子がゲイだったらどうするか、もし息子が男の恋人を連れて来たらどうするか、と訊いたことがあります。彼女たちのほぼ全員が、別に構わない、本人の自由、と理解ある姿勢を示していましたが、果たして本当なのでしょうか。真に受けることができなかったのはなぜでしょうか。
昔に比べると、LGBTには寛容な世の中にはなってるみたいですが、まだ多くの人たちにとって、特に広島のような保守的な地方では、同性愛者なんて映画やドラマの中だけの作り物、実際に関わることはない宇宙人みたいな存在なのではないでしょうか。もしほんとに目の当たりにしたら、ぜったい困惑や拒絶反応があると思います。親が傷つくから、悲しむから、そして自分を拒絶するかもしれないから隠し通すしかない、そんなゲイの心理が痛ましくて苦しいです。子どもがゲイだから拒否、嫌悪するような親なんてこっちから願い下げ、私なら恩も愛も涸れ果てると思うけど、そんな簡単に冷徹に割り切ることができない親子の情、しがらみに苦しんでいる人も多いんだろうな~…
この映画のマリクも、老いた母を気づかってゲイであることを隠し、母を安心させるために女性と偽装結婚までするのですが。そこまでしなくちゃいけないの、しんどいな~と、異性愛者ならしなくていいような苦労が気の毒になったけど。マリクの場合は、ママへの配慮以上に家族も恋人も社会的ステイタスも保つためには、これぐらいは喜んでするみたいな気軽な計算高さがあったので、何かを犠牲にしてるという重苦しさはなし。おそらく70年代ぐらいの話だとは思いますが、隠れキリシタンのような旧来のゲイとは違う、したたかな新世代のゲイっぽかったです。マリクがブルジョアということも、庶民のゲイよりも生きやすくなった恩恵のように思われました。
ママバレすると開き直って、ビラルを堂々と恋人扱いし始めるなど、清々しいほど我が道を行くマリクでした。この映画はBLよりも、息子がゲイと知った時の母親の反応、対処について考えさせる内容かも。ベッドで眠っている裸のマリクとビラルを見ているサラの顔、まさに鬼の形相で怖かったです。悲しみよりも怒り。同じ立場に置かれたら、世の中のママのほとんどがそうなるのでは。女性と結婚して子どもに恵まれる健全な幸せを、自分の息子も当然…と信じていたのに裏切られた、という怒り。女性特有の独善的で支配的な愛が、はからずも膿のように出てしまったサラのリアクションでした。
イライラしたり罵倒したり、急に体調を崩して息子を困らせるなど、これまた女性的なイヤガラセっぽい反抗をひと通り実践しつつも、結局は白旗をあげちゃうママ。はじめっから勝負はついてた感じ。母親の愛、特に息子への愛はやはり海よりも深いんですね。愛される者が勝者で、愛する者は敗者。負けて勝ての言葉通り、BLを受け入れてからのママは、どことなく距離を感じていたマリクに対する苛立ちや不安も消えて、優しく安らいだ境地にたどり着いたかのようでした。自分らしく正直に生きるためには、大きな代償を支払うことになるかもしれないけど…それでももいい、と思えるような愛に出会えることは幸せなことですね。
サラ役は、イタリア映画界のレジェンド女優クラウディア・カルディナーレ。この映画の時は御年71歳ぐらい。老女だけど、老いさらばえた媼って感じは全然ない。華やかで艶やかな雰囲気は健在。彼女のブルジョアファッションも、貴婦人気どりな堅苦しさがなく、かつ高級感があって素敵でした。フランス語が流暢だな~と思ったら、サラと同じくフランス領だったチュニジアのチュニスで生まれ育ったため、母国語はフランス語なんだとか。現在は御年89歳ぐらいのカルディナーレさん、ご健勝ならいいのだけど。マリク役のアントナン・スターリ・ヴィシュワナダンは、パイレーツ・オブ・カリビアンのバルボッサ船長似?もうちょっと私好みのイケメンだったらよかったのだけど。ビラル役のサリム・ケシゥシュは、なかなかイケメンでした。いいカラダしてたし。アラブ系の若者の浅黒い肌が、艶っぽくてエロい。男同士のラブシーンは大したことなし。あまり馴染みのない遠い国、チュニジアの風景が珍しくて興味深かったです。
チュニジアの首都チュニス。裕福な未亡人サラは、フランスで暮らしていた息子マリクの帰国を喜ぶ。同性愛者であるマリクは、使用人の青年ビラルと恋に落ちる。それを知ったサラは…
MY 老母や職場のおばさまたちに、もしも愛する息子がゲイだったらどうするか、もし息子が男の恋人を連れて来たらどうするか、と訊いたことがあります。彼女たちのほぼ全員が、別に構わない、本人の自由、と理解ある姿勢を示していましたが、果たして本当なのでしょうか。真に受けることができなかったのはなぜでしょうか。
昔に比べると、LGBTには寛容な世の中にはなってるみたいですが、まだ多くの人たちにとって、特に広島のような保守的な地方では、同性愛者なんて映画やドラマの中だけの作り物、実際に関わることはない宇宙人みたいな存在なのではないでしょうか。もしほんとに目の当たりにしたら、ぜったい困惑や拒絶反応があると思います。親が傷つくから、悲しむから、そして自分を拒絶するかもしれないから隠し通すしかない、そんなゲイの心理が痛ましくて苦しいです。子どもがゲイだから拒否、嫌悪するような親なんてこっちから願い下げ、私なら恩も愛も涸れ果てると思うけど、そんな簡単に冷徹に割り切ることができない親子の情、しがらみに苦しんでいる人も多いんだろうな~…
この映画のマリクも、老いた母を気づかってゲイであることを隠し、母を安心させるために女性と偽装結婚までするのですが。そこまでしなくちゃいけないの、しんどいな~と、異性愛者ならしなくていいような苦労が気の毒になったけど。マリクの場合は、ママへの配慮以上に家族も恋人も社会的ステイタスも保つためには、これぐらいは喜んでするみたいな気軽な計算高さがあったので、何かを犠牲にしてるという重苦しさはなし。おそらく70年代ぐらいの話だとは思いますが、隠れキリシタンのような旧来のゲイとは違う、したたかな新世代のゲイっぽかったです。マリクがブルジョアということも、庶民のゲイよりも生きやすくなった恩恵のように思われました。
ママバレすると開き直って、ビラルを堂々と恋人扱いし始めるなど、清々しいほど我が道を行くマリクでした。この映画はBLよりも、息子がゲイと知った時の母親の反応、対処について考えさせる内容かも。ベッドで眠っている裸のマリクとビラルを見ているサラの顔、まさに鬼の形相で怖かったです。悲しみよりも怒り。同じ立場に置かれたら、世の中のママのほとんどがそうなるのでは。女性と結婚して子どもに恵まれる健全な幸せを、自分の息子も当然…と信じていたのに裏切られた、という怒り。女性特有の独善的で支配的な愛が、はからずも膿のように出てしまったサラのリアクションでした。
イライラしたり罵倒したり、急に体調を崩して息子を困らせるなど、これまた女性的なイヤガラセっぽい反抗をひと通り実践しつつも、結局は白旗をあげちゃうママ。はじめっから勝負はついてた感じ。母親の愛、特に息子への愛はやはり海よりも深いんですね。愛される者が勝者で、愛する者は敗者。負けて勝ての言葉通り、BLを受け入れてからのママは、どことなく距離を感じていたマリクに対する苛立ちや不安も消えて、優しく安らいだ境地にたどり着いたかのようでした。自分らしく正直に生きるためには、大きな代償を支払うことになるかもしれないけど…それでももいい、と思えるような愛に出会えることは幸せなことですね。
サラ役は、イタリア映画界のレジェンド女優クラウディア・カルディナーレ。この映画の時は御年71歳ぐらい。老女だけど、老いさらばえた媼って感じは全然ない。華やかで艶やかな雰囲気は健在。彼女のブルジョアファッションも、貴婦人気どりな堅苦しさがなく、かつ高級感があって素敵でした。フランス語が流暢だな~と思ったら、サラと同じくフランス領だったチュニジアのチュニスで生まれ育ったため、母国語はフランス語なんだとか。現在は御年89歳ぐらいのカルディナーレさん、ご健勝ならいいのだけど。マリク役のアントナン・スターリ・ヴィシュワナダンは、パイレーツ・オブ・カリビアンのバルボッサ船長似?もうちょっと私好みのイケメンだったらよかったのだけど。ビラル役のサリム・ケシゥシュは、なかなかイケメンでした。いいカラダしてたし。アラブ系の若者の浅黒い肌が、艶っぽくてエロい。男同士のラブシーンは大したことなし。あまり馴染みのない遠い国、チュニジアの風景が珍しくて興味深かったです。