意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

中途半端な投票年齢の引き下げ

2015年06月18日 | 政治
改正公職選挙法が改正され選挙権が18歳以上となりました。
適用は来年の参議院選からだそうです。
国政選挙だけが対象だったり、成人年齢は変わらなかったりと、もう少し改善させないといけない気もしますが、別に反対するってほどではありません。

でもなぜ18歳なのでしょう?

正直言って、母数から考えて2歳分の有権者が増えた(約240万人)からと言って結果が変わることはないので、これ自体は無駄ですね。
理解力云々というのなら義務教育を終えた段階で与えるのが正しいでしょう。
選挙は国民の権利であって、そのことを理解させるのも義務教育に含まれるはずですから。
それがわかってない奴を卒業させるのはねぇ・・・。
義務教育の失敗だと思います。

高校卒業で成功してるかと言えば、投票所の場所も知らないっていう馬鹿がいるのですから大失敗ですけど、それでも選挙権があったうえで政治教育をほどこすならある程度の教育もできるでしょうし、場合によっては高校生を対象に与野党の議員の呼んで討論会を開かせ、それを強制的に見させる、という教育もありでしょう。
選挙権があるのですから議員の人も熱を入れて討論もしてくれるでしょうし、それが叶わなくても学生のうちに投票ということをさせておけば、その後も継続して投票に行くようになるでしょうが18歳じゃねぇ・・・教育をほどこすには遅いです。

高校という教育機関での選挙権の付与ですので教師の誘導が懸念されますが、いまどき教師が言ったからそこに入れるってありえませんし、そもそも選挙の仕組み上、誰に入れたかなんて嘘ついたらばれまないからどうってことないです。
そもそもの投票数が少ないので結果にはそれほど影響されないから大丈夫でしょう。

だいたい18歳って高校3年生ですが、選挙って冬にありますけど、その時期って受験シーズンなわけで・・・夏にあったとしても追い込みですし、わざわざ投票なんて行きませんよね。
うん、18歳って中途半端。

端境期・移行期の様子見だからならいいのですが・・・。

ちなみに赤熊は『選挙に行くべきである』とは思ってません。
投票は権利であって義務ではないのですから、投票しないも適正な行為です。
むしろ、良くわからず・覚悟もなく投票するほうを戒めますね。

あと、選挙に行かなければ政治に批判してはならないって言説も理解不能です。
権利の放棄と政治批判は別のものですから。
せいぜい、それだけの関心があれば次はいきましょうね、と思うくらいです。

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6 コメント

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完璧な制度はないけれど (プー)
2015-06-19 07:02:57
何歳で区切ろうとも一長一短なので、自分も同様に、特に反対はしません。

しかし自分が問題と思うのは、権利と義務の不一致にモラルハザードが起こるということです。
後で審議するとか言っていましたが、少年法の改正は一体で行うべきだったと考えます。
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注意すべきポイントは (てっき)
2015-06-19 08:08:45
 投票については私は義務にするべきだと
思うところですが。投票率をどうにかするべき
ならの話だけど。

 果たして政治に関心を持つことがいいこと
なんだろうかと最近考えているところです。
知らない人間に身を委ねるということを
考えたほうがいい。素人が手を出している
という意味を考えないといけない。
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管理人 (赤熊)
2015-06-20 17:40:34
プーさん、コメントありがとうございます。

そうですね、権利と義務は一体化のものですから、少年法などはどうするか?ですものね。
未熟だからと言って保護しておきながら、権利は制限しない・・・ではおかしいですもの。

ただ、投票権の有無と未成年者の責任能力が等価かと言えば・・・・微妙ですよね。
この辺りが非常に悩ましい問題です。
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管理人 (赤熊)
2015-06-20 18:02:00
てっきさん、こんにちは。

政治に関心を持つことが良いことなのか?というのは赤熊も非常に思うことですね。
経済・軍事・医療・教育・外交・社会保障・・・扱う分野が広すぎて、相当詳しくやった人間でも解らないことが多すぎますね。

そのため、イメージで投票したりしてるわけで、それが維新の怪だったり、民主党政権だったり、小泉劇場だったり・・・・これらは本当にいいことだと考えて出来たわけじゃないのですよね。
民主主義の欠点だと思うのですが、これはどうしようもないですし・・・。

赤熊は覚悟をもって票を投ずるなら、それでいいかなって思ってます。
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赤熊さん、てっきさん (プー)
2015-06-21 07:20:28
歴史的に社会の発展は、職業の専門分化と不可分でした。
そして政治は政治のプロに任せなければいけない。古代ギリシャの直接民主制が反面教師です(今もか?)。

ところが最近は政治やマスコミが(医療もですか?)信頼に値しないとバレてきてややこしくなってきました。
自分らのような一個人が政治を考えるのは本来、余計なコストですから。

そういうコストを払って得る民主主義のメリットは、独裁暴走を防ぐことなのでしょうけれど、経済軍事的に苦しければ帝政や独裁に移行した例はたくさんあります。
正しかったか間違ったのかは戦争で勝ったか負けたかの結果でしかありません。

チャーチルが、民主主義はクソだがそれでも一番マシと言ったそうですが、その程度だと思って付き合うしかないのでしょうね。
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管理人 (赤熊)
2015-06-27 17:37:18
プーさん、返信が遅れて申し訳ありません。

古代ギリシャも僭主(ティラノス)・・・民衆から熱狂的な支持で選ばれた人が独裁的な政治を行い、却って廃れていきますものね。
民主主義的手続きで選ばれてる以上、これも民主主義なんでしょうけど、これが末路というのも・・・・。

結局のところ、民主主義は平均的で答えしか出せないということですから、平均値を上げて対応せざるをおえないのですけど、この嵩上げが一番難しいんですよね。
一番の教育係になるのがマスコミなんでしょうけど、その報道レベル・知的レベルが低いこと・・・。

今後、ネットの台頭により変わるのでしょうけど・・・大きなマスパワーにはなりにくいですから、行き詰る可能性が高いですよね。
その後は・・・うーん。
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