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意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

年寄りの話は聞き流そう

2014年06月18日 | 社会
なんかゆとり世代のことが話題になってる。

「ゆとり」の生き方に中高年が嫉妬? 「なぜ普通に就職しない」「すぐ辞めるに決まってる」
http://blogos.com/article/88660/

・・・・年寄りの話なんて、「はいはい」と聞き流せばいい。
だって、何の価値もないのだから。
価値のある話なんて言った試しないですから。
良くて、本か何かの受け売りでしかないですね。
だったら本を読めばいいんです。

だからと言って、全く聞かずに拒否するわけにもいかないのです。
年寄りにもプライドってものがありますし、へそを曲げられると厄介です。
面倒臭いのですが、最低限のお愛想を振りまいて聞き流すだけでもしておけばいい。

それが正しい処世術だと思うよ。
んーーー、結論出ちゃったな。

だいたい、こんなの昔からいるよね。
それで前に書いたエントリー

日本語の年輪
http://blog.goo.ne.jp/matuba96/e/f5b6e4fa980feb98d9a8e44e107b4ed3

まぁ、これくらい達観できていれば話を聞いていても楽しいのでしょうけど、ほとんどの老人はこうじゃないから無視していいんです。

移民はいらない

2014年05月26日 | 社会
最近、移民問題がクローズアップされてます。
人口の維持には一千万人移民を入れないとならないとかなんとか・・・。
しかし、つらつらと賛成意見を読んでも、全く共感できません。

移民をいれる最大の理由は国内の労働者不足を補うこと、とされてます。
これは人口減のために労働者が足りなくなることの未来予測を受けた回答ですね。

労働力不足 だから 移民・・・この回答では赤点でしょう。

労働者不足がどの分野で起きているかと言えば、多くは農業・漁業などの第一次産業や看護・介護などの医療分野ですね。
基本的にどれも仕事的にきつい分野、いわゆる3Kと呼ばれる仕事です。

きつくて危険で給料が安い・・・そりゃなり手がいないわな。
同じ給料がもらえるのなら、もっと別の仕事につく。

なので、労働力不足のために移民をいれるとなればそういう分野の仕事についてもらうことになるのでしょうけど・・・移民でもわざわざ3Kの職場を選ぶ人はいませんて。
もっと条件のいい仕事があれば別の仕事に就くでしょう。
それが当たり前です。
日本人がそうしてるのですから、どうして移民がそうしないと考えるか不可思議ですね。

結局、移民を入れて求人を少なくすることで安月給でこき使い続けられるから移民を入れたい、としか聞こえないのですよね。
移民賛成派はこの下心が透けて見えるのが気持ち悪いです。

本来やるべきことは、こういう3K職場を業務内容を変えること、それができないなら給料を高くして相応の報いを得られるようにすべきなのです。
基本的に給料というのは需要と供給の問題ですので、なり手が少ないならば給料を高くすることで人を集めないといけない。
給料が安いままでこき使いたいというのは経済学的には矛盾しますし、もし、そういう観点でものを語っているのでしたら、それは奴隷を輸入したいと言っているのと変わらない、人道に外れる行為です。

そんな外道なことを主張されても誰も共感しないとそう思います。

加えて、移民が問題を起こした場合・・・当然、移民も人間ですから様々な軋轢が生じるでしょう。
その結果、治安の悪化などを招いた場合、そのコストを払うのは住んでいる日本人なわけで・・・。
一般庶民にとって何のメリットもないのですよね。
きちんと教育すればいい、いやしなければならないとかいいますけど、そんなことできないから問題になるわけで、実際、移民が多くいてsy会問題にもなっているヨーロッパでは移民を排斥を視野に入れた極右勢力も台頭してきています。
フランスは右派、極右勢力を合わせて半数を超えたとか?
イギリスでも同じような状態だそうですし・・・・・左翼が支持されない、排除されつつあるわけです。
多分これは世界的な流れになるでしょうね。

移民は社会問題を引き起こすことは明白で、そのデメリットを超えるメリットはなかなか難しいでしょう。
そういった状況を加味したら、結論は移民はいらないにしかならないのです。

・・・ほんと推進者は何で移民を入れたがるのでしょうね。
不思議でしかなりません。

煮詰めきれなかっただけでは?

2014年05月22日 | 社会
ちょっと気になるブログ記事。

「民主的なチーム」が崩壊した話
http://blogos.com/article/86714/

内容を簡単にまとめると、会社は民主的で成り立つか?という内容で、民主的・・・つまり、話し合うというコストは膨大で割が合わない、多少独裁的でもビジョンを示した方が成果に見合う、とか言う内容。

・・・やり方が間違えてただけでしょう?

この内容自体わからないわけじゃありません。
話し合いと言うコストは膨大で、大変です。
ブログ手指摘されている通り、話し合う過程で尖ったものが丸い物になりやすいというのも、まぁ否定できないと思います。
ビジョンを示して従ってもらう、付いてきてもらうというのも、人心掌握術の1つだと思います。

でも、それで民主的なチームはダメって結論もどうかと思う。

たとえば、ブログ中にあるけど、朝から晩まで話し合わなければならない・・・そんなことってある?
もしあったとしたら、それはプロジェクト前に煮詰めておかなければならない所です。
それを後回しにしているから、辻褄合わせをしないといかなくなり、会議が会議を読んでいるだけでしょう。
もちろんプロジェクトを進めていけば適宜、修正すべきことが発生しますが、目的さえ決っていれば、そこから逆算すればいいわけで・・・・。
物理的・時間的にあれができない、これができない、というなら、それは独裁的だろうがビジョンを示しているだろうが関係なく頓挫することであって、『民主主義的な会議』とは関係ないです。

そもそも民主主義というのは、権限が一人に集中させてはいけない、話し合いで必ず決めなければならないというルールではない。
総理大臣の専権事項だってあるわけですし、一任ということもできるわけです。
それを決めるのが会議です。
この人、単に民主主義が解ってないだけでしょう。
民主主義 = 話し合い ではないのです。

国の運営が民主主義的な手法が良いとされるのは、非常に処理する事案が多岐の分野にわたり、その上、明確な答えが存在しないからです。
そのために国論を二分することだって出てくるわけです。

でも企業の場合、それほど多岐にわたる分野のものはないのです。
いえ、そもそも事前知識がある集団なわけですから、膨大な話し合いの部分をカットできるわけです。
これが国家運営の場合、この事前知識のすり合わせどころか、共通認識すら難しいから、最終的に多数決と言う強引な手法を取るわけです。
でも、企業なら、少人数ならそれほど難しくないと思うのですけど、目的もそれほど大きな食い違いもないわけです。

ビジョンを持て、つまり目的をはっきりさせろ、というのはどんなことにおいても優先される事柄であって、特別なアドヴァイスでもないのです。
責任回避をしたかっただけの事案を民主主義的はダメと言われても困る微妙なビジネスブログ記事でした。

それって誰よ?

2014年05月12日 | 社会
可笑しなブログを見た。

みんなが叩く人は自分も叩いていい、と考える人は怖いです チキリン (社会派ブロガー)
http://blogos.com/article/86202/

内容は『これって虐めの構造じゃないの?』っていう感じのものだけど・・・・。
まず、

>みんなが批判しているので、自分も批判(活動に参加)する人
>(小保方氏の件を取り上げ)「とりあえず今、彼女を叩いておけば、自分は正論を言っていると評価してもらえる。えっへん!」と思っている人たちです。

・・・・・・・・こんな人っているの?
赤熊、見たことも聞いたこともないんだが?
これが「ここで彼女を叩いておかなければ、自分が何されるかわらない」といった保身のために叩く・・・とかならわかるが、さすがに評価されたいがために無意味に叩く人っていないと思うよ。
まぁ、広い世の中を見渡せばいるのかもしれないけど、流石にそんな人間はごく少数だろうからそれを気にしても意味がない。

そんなレアケースを虐めの構造と一緒と言われても、全然違うとしか言いようがない。

ついでに言うとこのチキリン氏のブログの小保方氏の釈明会見と蓮舫氏の「2位ではダメなんですか?」発言の例示も不適切である。

確かに記者の質問の悪さはわかりますが、これは小保方氏の釈明会見であり、疑義を晴らす場です。
それを自ら設定したわけです。
この会見を見て「彼女は嘘ついてないんだ、論文のちょっとしたミスなんだ」とどれだけの人間が思ったか?
いないでしょ、そんな人。
むしろ疑惑を深めただけでしょう。

彼女が証拠を示しながら誠実に説明をして、それでも理解を得られずに叩かれた = 酷い、イジメだ!!・・・ならわかりますが、証拠やそれに類するものを新たに提出できない、説明もあやふやでは叩かれても仕方ないでしょう。
本当に会見を見たのでしょうか?
記者に深くツッコめよと言うのもわかりますが、それは記者の追及力のなさの問題であって『正論を言ってると評価してもらえる。えっへん!』の例示ではない。
てか、あの程度の質問しかできん記者なら簡単にやり込めるでしょう。
何故それをしなかったんでしょうね?
いずれにしても、明らかに不適切な例話である。


蓮舫氏の「2位ではダメなんですか?」発言の例はアウト。

>でもみなさん、この時、それを問われた科学技術予算を担当する官僚が、その質問にどう答えたかを知っていますか?
>誰も知らないでしょ?
>なぜなら、その官僚の回答はほとんど報道されていないからです。そして、その回答がほとんど報道されていないのは、この担当者が「まともな回答をできなかったから」です。

きちんと担当者が応えるべき・・・って、担当者はきちんと答えとるがな!!
議事録を読んでみましょう。

行政刷新会議   http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/3kekka.html
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov13gijigaiyo/3-17.pdf (PDF)

この中で、蓮舫氏も納得してますよ。(言葉の上では、ですが)
擁護したいのかもしれませんが流石にウソを垂れ流すのはまずいでしょう。
よくもまぁ、それでイジメを語れるものです。

この問題は蓮舫氏が科学技術に対し無知への批判、そしてそういう人物が予算を差配するという『暴挙』に対しての批判だったのです。
蓮舫氏の発言は当然の質問だ・・・と言う声が出なかったことが証明ですね。
さらに言えば、つるし上げて政治ショー化させた、しようとする下賤さへの嫌悪などが、ないまぜとなった結果です。

わからないならわからないで良かったのです。(それはそれで批判されたのでしょうが)
それを判断する能力があると『嘘をつかず』に別の人に委ねれば、それほど批判されなかったでしょう。
実際、その後、この会議での予算の多くが復活しました。
これが本当に正しい結論で出した、もしくはそれに近い物、または自身の信念を貫いて出したものならば、そんなことにはならないでしょう。
批判されて仕方ないわ。
それがイジメですか?
当然の帰着でしょう。

この2つの例示を持って『みんなが批判しているので、自分も批判(活動に参加)する人になりたくない』と嘯かれましても・・・。
嘘つきは叩かれても仕方ないんですよ。
とくに蓮舫氏の件は、それで国民の富を失う結果にもつながりかねないのですから、より強くなるのは当然です。
それが『やりすぎだ』というのなら理解できますが、国益を害する嘘つきを擁護されても困りますね。
自身のブログで嘘を堂々と付く『嘘つきさん』なのですから、嘘つき同士のシンパシーでも感じたのでしょうかね?

それともやるなら積極的にイジメに加担すべきと言ってるかなぁ?
それはそれで地獄だろう。

そもそもイジメをしている人間は『イジメている』と自覚があるのかも怪しいものです。
おそらく楽しいからやってる、それだけでしょう。
その場合、自覚を促せば収まってもいくでしょう。

ですが、問題はそうじゃないイジメ・・・嫌悪や憎悪からくるイジメ、それはもうイジメと呼ぶには別のものです。
それは自覚では収まりません。
だって自覚して苦しめようとしてるんですから!!

もはやこうなってしまっては赤熊は解決は難しいと思います。
物理的に抑え込んでも不満が溜るだけで、何の解決にもならないでしょうから。

それを解決する方法でも考えればいいですけど、毒にも薬にもならないどころか、嘘までついて擁護だなんて、いじめを助長することになりかねないと思います。
はっきりと害悪ですね。

これが本まで出した社会派ブロガーねぇ・・・。
まぁ、いつも完璧にはできないと思いますが、捏造は最低だと思います。


2014.05.13  大意を変えずに訂正
2014.05.16  補記

議論がかみ合っていない喜劇(悲劇?)

2014年04月22日 | 社会
埼玉県の高校の担任教師が、子供の入学式に出席することで、勤務校の入学式を欠席した・・・というお話。
それでいろいろ議論が起きている。
つらりつらりと議論を読んでいて、どうも議論がかみ合ってないなと思います。

例えば、この記事、

県立高教諭入学式欠席がわざわざ『問題』的に扱われることについて  長谷川豊
http://blogos.com/article/84949/

・・・・いいお話っぽくまとめているけど、論点がずれてます。

この問題の本質がわかっていない典型ですね。
実はこの問題、論点が大きく2つあるんです。

1つは、責任の所在。

有給休暇を取って子供の入学式に出席した以上、有給休暇を許可した学校長の責任です。
有給休暇を認めた以上、この教師に非は一切なく、認めた校長が全責任を負うべきです。

だから教師は非難されるいわれはない・・・と言うのはその通りですが、そこで出てくるのがもう1つの論点、教師としての職責です。

そもそも入学式を担任教師が私用で休んでいいか?と言う話です。

赤熊から言わせれば、担任教師としての立場を優先すべきです。
職業倫理から・・・ではなく、単に担任教師の代わりがいないからです。

たとえば、火事の現場に駆け付けた消防士に出産の連絡があって、「妻の出産のため帰ります」が通用するか?という話です。
まぁ、十分以上の消防士が駆けつけていたら、帰ってもいいよと言われるかもしれませんが、まず、通用しませんよね。
それは『代わり』がいないからです。

上のブロゴスの長谷川氏の記事も出産の立ち会うためにコーナーを代わってくれた人がいたから代われただけの話です。
いなかったら?
コーナー自体を休むという手もあると思いますが、休めなかっただけでしょう。
それだけです。
それをいい話風にまとめられてもね・・・空々しい。

話を戻しますが、入学式とは何かと言えば、単に『これから頑張るぞ』という式典というだけではなく、教師と生徒と保護者の三者の顔合わせの機会です。
当然、保護者の目的に担任教師の顔を見に来てるのですから他に代わりがいるわけもなく、その機会を奪っておいて問題がない・・・とはさすがに言えないでしょう。
休んでも大丈夫と考えたこの教師も、それを認めた学校長も頭がおかしかった・・・それだけの話ですね。

この2つで論点がわかっていないから、しっちゃかめっちゃか議論になっているんです。
「教え子か我が子か」とか、「有給は労働者の権利」とか、「親として子供を優先するのは当然の権利」とか、傍から見てて面白いと言えば面白いけど、くっだらない議論してる・・・としか感じませんね。

最初に論点整理をしなければ議論なんて無意味である・・・ということをまざまざと見せつけられる事案ですね。
馬鹿馬鹿しいというのが感想です。

靖国神社は宗教施設だろう

2014年04月15日 | 社会
池上 彰氏の対談記事があった。
相手は文化人類学者の上田 紀行氏である。

靖国神社は「宗教」ではない。 上田紀行・東京工業大学教授と「宗教を考える」その5
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20140227/260326/?P=1&rt=nocnt

・・・・・・いや、どっからどうみても宗教だろう。

慰霊を行う・・・それは宗教的行為であり、それを行う場所が宗教施設であり、その考え方に基づくものが宗教です。
もし、宗教でないのなら、慰霊などという無駄な行為をしなくていいどころか、靖国神社自体が存在しないはずなんです。
だって、霊や神なんて存在しない、少なくとも科学的に証明されていないものに配慮をする必要がないわけで・・・祈ったり、願ったり、慰霊したりする必要はないし、必要ないのならそんな施設自体がいらないでしょう。

ですから、慰霊を行っている時点で宗教なんです。
だから靖国参拝は宗教、信仰の問題にしかならないわけで・・・・・。
一昔前に無宗教慰霊施設を国営で作るべきだ・・・という意見も『ゴミ』と一刀両断されるものです。

だからこそ靖国参拝問題?は、宗教問題であって、そこに口を挿むべきじゃないのです。
本人が慰霊だと言えば慰霊であり、総理大臣が言っても、個人が言っても変わらないのです。
いえ、立場によって変わってもらっては困りますね。
そんなもの宗教じゃない。

そもそも『行くな』というのは信仰を捨てろという話で、非礼極まりないことです。
軽く言っても『弾圧』なのです。
時代や場所、宗教によっては殺されるぜ!!

え?
これで文化人類学者?
人類の文化って、宗教と共にあるというか規範を形作るのが宗教なわけで・・・・それが理解できていないのなら学者として無能でしょう。

テレビ春の改編の雑感

2014年04月02日 | 社会
新年度のなり、番組改編になって新し体制になってます。

まぁ、それは置いといて、NHKのごちそうさんが最終回でしたね。
最後のチョコレートを分け合うシーンが良かったですね。
良い終わり方でした。
それはそれで良かったのですが、こんな記事を見つけた。

「ごちそうさん」最終回。なぜ豚がジャンプしたのだろう?
http://blogos.com/article/83348/

えええ、そうなの?
最終週のタイトル「とんだごちそう」で、だから豚を跳ばした・・・まぁ、そこも掛けてあると思うのだけど、英語で pigs fly(空飛ぶ豚)は、現実にはまったくありえないことを示す慣用句で、このお話が理想(ファンタジー)なんだよっていうのを表した?

うーん、赤熊なんかは『とんだごちそう』、『飛んで行ったごちそう』、つまり『無くなった御馳走』って意味だと思ったんだけど。
最後、豚が消えてごちそうを食べれなかったわけだし。
ごちそうなんて無くたって、愛する人と小さなチョコレートでも分け合うことができれば、それが『ごちそう』だよね・・・という意味だと思った。

ともあれ、脚本がしっかりと練られていた良作でした。
新しいNHKの連ドラは・・・地雷臭がしますね。

新しいと言えば、いいともが終わって新番組になりましたが・・・・・・・。
ヒルナンデスのパクリ?
Yahooの検索ワードって・・・。
お昼の生放送ですべきことですか?

完全に長寿番組であった『いいとも』の後の捨て番組ですね。
何やっても比べられ酷評されるのだから、適当な人を集めて、おざなりにしますって感じです。
気持ちはわからなくはないけど、ずいぶんと消極的な姿勢です。

どうせなら酷評されるの覚悟で実験的なキワモノ番組にすればいいのに・・・。
あれよあれ、1時間すべて暖炉の火を映すとか、そういうの。
もったいない。
来年くらいの番組に期待しましょう。

そういう意味ではテレビ朝日の徹子の部屋を12時に持ってきて、潰しに来てるわけですね。
まぁ、テレビ朝日のニュースなんて終わってたわけですからちょうど良かったのでしょうが、すごい攻め方です。
そういう意味では感心するな。

32年間やったいいともって、影響力が大きかったんだな・・・と思える春の番組改編でした。

貧乏人は麦を喰えってことでしょうね

2014年03月29日 | 社会
フォアグラ弁当への抗議した人へのインタビュー記事があった。

あのフォアグラ弁当抗議団体を直撃! 「動物はごはんじゃない」という言葉の真意とは
http://wotopi.jp/archives/2937(前篇)

「もっとたくさん、安く食べたい」人間は正しいのか? 動物権利団体に聞く、生き物を食べるということ
http://wotopi.jp/archives/2963(後編)

傾聴しなければならないところもあるけど・・・・。

残酷だからダメ、と言う意見は『残酷でも美味しく食べられればいいじゃんか?』と言う意見と交差することはないのだから、主張としてどうなのでしょう?
普通に殺して切って煮て焼いて食う・・・それだけでも残酷でしょう?
それも許せない・・・ならわかるけど、この記事の口ぶりならそれはOKなのでしょう。
結局、個人の主観の問題、線引きの問題でしかないわけで、自分の中の問題なのだから、自分の中だけで折り合いをつけるなり消化すればいい・・・としかならないわけで。

また、後半の動物の工場的な育て方を批判して、尊厳を守った食べ方としてのびのびと育てられているストレスフリーの家畜を食べるべきだ・・・・というのはねぇ。
・・・殺されることには変わりないのですが?
経済性的には難しいとしておきながらも、それでもそっちを選べって言われても。

でもこれ実現したとして、つまり、あれっすよね?

パンがなければお菓子を食べればいいじゃない?
  
by マリー・アントワネット
 

間違えました。

貧乏人は麦を喰え!!

by 池田勇人


ってことですよね。
そんな自然派のお肉なんてお高くて手が出ませんから。
昔はお肉というだけで『ごちそう』であって、手に入らなかったからなんです。
まさに、貧乏人は麦を喰え、肉を食べるなんて贅沢だ!!・・・・そういってるわけですね。

うーん・・・受け入れられない主張ですね。
安いお肉をおなか一杯じゃなく、少量でも美味しいお肉を食べよう・・・って言ったほうがいいんじゃない?
そっちの方が健康的でファッショナブルでしょう?

この問題って、どこまで行っても軽薄なファッション感覚の問題のようです。

注:マリー・アントワネット、池田勇人氏は上記のようなことは言ってません。特に池田氏のものは新聞社の捏造です。

待機児童の嘘

2014年03月22日 | 社会
個人ベビーシッターに子供を預け、子供が不審死していた・・・と言う事件がありました。
赤熊は亡くなった子供の名前を見て、ああ、うん、そうだね・・・と思ったし、
公開された亡くなった子供の写真の髪を見てさらに、ああ、うん、そうだね・・・としか思わなかったけれど。

そのあたりのことは置いておくけど、それで、母親には責任はあるとかないとかの議論があっている。
個人シッターとは初めてあった人で、そんな人物に2泊3日も預ける契約をしてとかで、母親の迂闊さに非難が集まってるんだとか。
責任が無いとか言う人は、それでも『仕方なかったんや』と言ってますが、最低限度の防衛はしてもらわないと同情する気持ちにはなれません。

さてさて、この事件、幼稚園に空きがなく個人シッターに預けざるをおえないから起きた問題で、待機児童などに絡めて行政に地域の保育環境を何とかしろって言う人がおりますが、それは無理です。
無理と言うより、論点が最初からずれた議論をしてるので無駄なのです。

というのも待機児童問題というものがそもそも嘘なんです。

待機児童というものが存在しない・・・という意味じゃありません。
この問題は日本全国で起こってる問題・・・ではなくて、一部地域の、特に都市に限った問題なのです。
逆に園児が集まらずに閉園に追い込まれている事例など地方にいくらでもあります。

この問題はニュータウン問題に近いのです。
ニュータウン・・・要は新しく造成された区画は手ごろな価格で土地が買えるので、そこに家を建て引っ越してくるわけですけど、そういうひとは若い夫婦であることが多く、そういう人たちが同一区画にかたまるわけです。
そうすると、同一世代でありますから時間と共に高齢化していき、年寄りだけの街になり、消費は減り、商店などが撤退、そうなると買い物難民がでたり、地域の行事ができなくなったり、独居老人の孤独死 等々な問題がおきているわけです。

要するに一気に人が集まることにより需要と供給のバランスが崩れている現象ですね。

待機児童も同じで、もともと保育園等が少ない地域なのですから、そこに大量の人が押し掛ければ待機児童が生まれるのは当然なのです。
ないことが解っていて引っ越してきてるんですから、本来なら自己責任なんですよ。
ですから、本来ならば無いはずの問題なのです。

保育園を作れば良い・・・と軽々しく言う輩がいますが、これは難しい。
これほど『幼稚園が足りない』と言われているわけですが、裏を返せば、超ビジネスチャンスなのです。
なのに誰も幼稚園を作ろうしないのは、だれもが儲からないということを知っているからですよ。
若い夫婦が集まるので、当然それについてくるという形で一時的に子供が多いってだけで、その後、10年・20年経った時、幼稚園が必要かと問われれば・・・ねぇ?
容易に需要予測が立ちます。
少なくとも規制が厳しいからだけじゃないんですよ。(新規参入が不可ってほど厳しいわけではないのですから逆に狙い目でもあるわけです)

だからこの問題は解決しえないのです。

これを行政にやらせようというのは難しいでしょうね。
いえ、無理じゃないけど、相当のお金が必要で・・・・・そんなお金ないでしょう?
費用対効果も極めて悪いし。

というか、今の時代、ネットで調べれば幼稚園に空きがあるかどうかなんてすぐにわかる話で、幼稚園がある場所に住む場所が1つもないということはないでしょうし、仕事だって選ばなければあるのです。
ですから、親が幼稚園がある場所に引っ越せばすむ話です。
生活環境によって住居や職を変えなければならないなんて本来なら当たり前の話で、その場所に住み続けたいというのは持つべきものにだけ許された特権であり、誰にも彼にもできるわけじゃないのですよ。

人間が一カ所に集まらないように分散するように仕向けなければならないのは行政の怠慢だ、といわれれば否定はしませんが、引っ越したくないので、何とかしろというのも無茶な話なのです。

待機児童が問題ではなく、地方での職の問題だったり、交通状況の問題だったりといった1つの問題ではなく、要はパッケージングの問題なのですが・・・・そこに目を向けなければ解決しないのに、保育園の状況だけを語っても意味のない話ですね。

現実を見ないという低レベルな信仰

2014年03月06日 | 社会
集団的自衛権に反対する団体を作ったそうです。

戦争をさせない1000人委員会。の巻 ‐ 雨宮処凛
http://blogos.com/article/81684/

・・・・・・新手のお笑い集団?
いえいえ、昔からいましたね。

こういう人たちって、集団的自衛権だけじゃなく、憲法9条に関してもそうですけど、こういった物を失えば日本がすぐに戦争するんだ!!と思い込んでますが、戦争する理由がない限り戦争というものはしないんですけどね。
この人たちの中に『戦争をする理由がある』って自白しているように聞こえるのは気のせいでしょうかね?
好戦的な人たちですこと。

それはさておいて、
病気が嫌だといったところで病気になるし、火事が嫌だと言っても火事にあうんです。
それは避けられないことですけど、遭う確率を低くすることは、まぁ、可能なわけです。
ですが、完全に避ける方法はありません。

戦争も同じで、だからこそ、それらに備えなければならないわけです。
戦争をさせないために何をすべきか?ではなく、いつ戦争が起きても良いようにしなければならないのです。
『戦争の種』を確実に消す方法がない以上、何らかの手段を持って『対抗するしかない』という現実に屈するだけです。
病気があることを前提にしないと治せないし、火事があることを前提に防火対策をしないと徒に被害を増させるのと同じです。

そこを考えられないのならどんな主張をしても無駄。

というか、軍事を持って抑止をかけるほうが遥かに現実的で理屈になってますね。
単に嫌だという感情論で屁理屈を捏ねても現実は変わらないのです。

左翼の限界・・・ってところでしょうけど、世界を見渡すと軍事を軽視する左翼ってそうそうないよね?
むしろ左翼ほど積極的に軍事を握ろうとするんだけどね。

右派左派関係なく、軍事って現実なんだし現実を見ろ・・・と言っても日本の左翼の人らは受け入れないでしょうね。
そういう『現実を見ない』という低レベルの信仰を持っている・・・というだけです。
蹂躙されておいて『平和!!』と叫んでも時すでに遅しです。
それだけは事実ですね。

本はただの紙媒体

2014年02月25日 | 社会
東京の多数の図書館でアンネの日記、またはそれ関連する本が合わせて300冊以上の書籍が破られているそうです。

ふーん・・・特に興味ないや。

この事件そのものにさほど興味を惹かれませんね。
公共物をワザと破損させるなど不逞野郎だな、警察はさっさと逮捕しろ!!くらいでしょうか?
そんなものです。

ただ気になるのが、この事件を持って右翼団体の台頭の顕われとか、左翼勢力の自作自演・・・だとか、もっというと、犯人は『ネトウヨ』だとか、『特定国の工作』だとかがあることです。
陰謀論程度の賑やかしくらいの話にすぎないのですが、それをテレビでまで真面目に取り上げてウダウダ言ってるのが笑えますね。
というか、ネトウヨの犯行と某科学教授が言ってるんです。(苦笑)
ネトウヨはネット右翼の略なのですが、ナチスは左翼(極左)なのですから今回の事件は左翼の犯行になりますよ。
アンネの日記も読んだことない、ナチスすら知らないのモロバレですね。
誰とは言いませんが知識人の専門外の知識なんてそんなものです。

ま、犯人が捕まるまで、いくら考えても憶測の域を出ないわけで、捕まえたとしても犯人が本当のことを自供するとは限らない・・・そんなどうでもいいものです。

正直、真面目に取り上げることこそが犯人の狙いでしょう。(ですので赤熊がこうやってブログで取り上げるのも本来は嫌なのですが)
ただの器物損壊の罪で捜査し逮捕すべきで、そしてそれでお終いにするべきことで、ことさら騒ぎ立てれば犯人の思う壺ですね。
これが有効だと思われれば類似犯罪が続くことになるわけですから、無視するのが一番なのです。

それに所詮、本なんてただの紙媒体です。

直筆の原本ならともかく、ただの写し、しかも印刷機で大量に複製した廉価品に過ぎないわけです。
それだけに過ぎない物をああだの、こうだの言って・・・まるでアンネ・フランクの魂でもこもっているような言い方ですよね。

もちろんそこに魂を見出すのも自由ですし、その気持ちもわかりますが、でも本は本。
どこまで行ってもただの紙の束に過ぎす、そこに『意味はない』のです。
そのことを忘れてはいけないのです。

これは頭の片隅にでも入れておくべきで、冷静な判断ができなくなることだけは避けるべきですね。
だってそのために犯行をおこなっているのでしょうから。
それに乗ってやる必要はどこにもないのです。

芸術がわかってないエセ芸術家の害毒

2014年02月20日 | 社会
こういうニュースがあった。

靖国参拝批判の作品、撤去要求 東京都美術館
http://blog.livedoor.jp/matuba96/archives/52129041.html

簡単に要約すると、
自らの作品に「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して、もっと知的な思慮深い政治を求めよう」という手書きの紙を貼っていたらしい。
で、当たり前ですが美術館は政治活動するところではないので撤去を求められたと。

・・・・・芸術家なら、自分の主張を『芸術』で勝負すべきでしょう。

反戦を訴えた作品といえば、・・・ピカソのゲルニカが有名でしょうか?





空襲を受けたスペインのゲルニカの街を見て書いたとされており、戦争の悲哀がでている作品と思います。
・・・・でも、それって本当でしょうか?

心の底なんて誰にもわからないので、もしかしたら反戦を訴えたほうが金になると思って書いただけかもしれないし、空襲を受けた様子にインスピレーションを感じたのを味を占めて『もっと空襲しろ』と思ってたかもしれません。
もちろん心から反戦を訴えたかったのかもしれませんが、そんなことは誰にもわかりません。
付随情報として反戦が大切かもしれませんが、仮に金のためだとか、もっと空襲しろと思っていたとしても、それでゲルニカの価値が変わるわけではないのです。
あくまでそれらは見る人間側の問題であって、描いた人間の心境なんてどうでもいいのです。
それが芸術なわけです。

翻って、この撤去させられそうになっている芸術家はどうかと言えば・・・文字で自己主張をする、と。
およそ芸術家の発想じゃないわな。
もし、日本の右傾化を危惧するのなら、その危惧を表した作品を作るべきだろう。
その訴えたいことを芸術で表現できなければ、それは芸術家ではありません。
二流三流どころか、ただの一般人です。
もっと言うのならば芸術家気取りのゴミ製造家ですね。
ゲルニカという作品の中には『反戦』などとどこにも書かれていないと思いますよ。

しかも、この作者は

>「作家として思いを表現した。言論規制につながる怖さを感じる」

と発言してるそうで・・・。
このことを『言論』と思っているのなら『言論空間』でやればいいだろう。
美術館は芸術を見る空間であって、言論を振りかざす場所じゃないのです。
言論空間ならば誰も文句を・・・いえ、反論を受けたくないからこそ、こういう卑怯で下劣な手法に出るんでしょうね。

このようなうぬぼれ芸術家が、現在の芸術家のすごさとか偉大さといったものを酷く貶めてる要因で、こういう件で芸術家が不当に下に見せられる原因になるわけです。
即刻、排除したほうが他の芸術家のためになると思います。
学芸員は芸術家を守るために有無を言わせず撤去すべきですね。

それにしてもどうして、こう平等だとか右傾化とかをいう奴・・・まぁ、おおよそ左翼気取りですが、彼らは幼いのでしょうね。
もう少し大人になれ・・・いえいえ、いまどきTPOをわきまえない奴は子供でもいませんよ。
最低限の礼節とTPOくらいわきまえろと言いたいです。


2014.02.21   補記・訂正あり 

女の貧困と女の対策

2014年02月01日 | 社会
NHKのクローズアップ現代で女性の貧困が取り上げられていた。

「あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~」
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/178634.html

全部は見れなかったけど、要するに女性、特に10代20代のシングルマザーが公的なセーフティネットに頼れずに貧困のため風俗店側が住まいや託児所などを完備して、そこで働けるからやむなく風俗店で働くケースが増えているだとか。

ちなみに最終的な解決策としてはクローズアップ現代らしく『行政が~』だそうです。(苦笑)

ふーん・・・と思って見てたのですが、この問題って昨日今日に始まった話じゃないよね?
10年前どころか、100年前、1000年前からあったでしょうし、もしかしたら10000年前、それ以上前からある話なわけで。

当たり前ですけど、当時は今のようなセーフティネットなんて一切なかったけど生きていたわけです。
まさか、子供を抱えて生きるのが昔の方が遥かに楽だった・・・ということは絶対にないし、昔の方が今より厳しかったのは想像に難くないです。

では、セーフティネットに頼れなかったのにどうしていたのでしょう?
無為無策だった・・・なんてことはないわけです。
何かしら対策を施していたわけですよ。

例えば、結婚の際にきちんと仲人さんを立てる。
これはつまり、妻になる人間を蔑ろに扱ったりしては仲人さんの顔を潰すことになるわけです。
完全に防げるわけではないのでしょうけど、後ろ盾を作り、悪い扱いを受けないよう防いでいたわけです。

または、結納金を貰って、それから持参金を持って結婚してたわけです。
これなんて解りやすいよね。
要するに、ダメな相手だったらスパッとこのお金で逃げろってことですから(笑)
しかも妻に逃げられるなんて、ダメ男というレッテルを張られるという社会的圧力もあるわけで。

他にもいろいろあるでしょうけど、昔の人は女が不幸にならない対策を講じていたのです。
今は恋愛結婚が主流・・・ああ、なるほど、昔が恋愛結婚がご法度だった理由が垣間見えますね。
海のものとも山のものともどんな男かわからないうえ、後ろ盾になる仲人さんもつけられないなら、何かあった時、そんな状況を受け入れるしかない。
良い人ならめでたしめでたしでいいけど、そうそう上手くいかないのが人の世の常というもの。
大事な娘に人生を全部をかけてギャンブルをさせるわけにはいかないものね。

昔の方が素晴らしい・・・と言うつもりはないけれど、昔は昔できちんと対策をしていたのである。

翻って現在はどんな対策をしているのだろうか?
もっというなら、この貧困に陥った女性たちはどんな対策をしてたのだろうか?
おそらく九分九厘してないと思う。
不幸に不幸が重なってそうなった・・・というのなら助けたいという気もわくのでしょうが、行き当たりばったりに生きて失敗すれば貧困に陥るのは当たり前の話で、それは男であれ女であれ誰しも一緒なわけです。
多分に自業自得という面もあり、そんな人間どもを助けたいとはどうしても思えないのです。

正直、自ら対策も打たない人間を助けても無駄に終わる気もするし。
そういえば、イギリスでシングルマザーを手厚く保障したらシングルマザーが職業化してしまった・・・という話も聞きますね。
それだけならよかった(?)のでしょうが、その後その娘たちも職業:シングルマザーになったり、そんな子供たちが良い教育を受けるわけもなく不良化し意味もなく暴動を起こしたりしたそうで政策として間違いだったと認識されてるそうですね。

何はともあれ、昔の人間は対策をしていましたが、今の人間はどのような対策を打つべきでしょうね?
女性の貧困対策を考える必要もあるかもしれませんが、女性自身も事前に貧困に陥らないように対策を打たなくてはならないのです。
対策ができるのを待ってもしょうもないのですから。

沖縄の基地負担というのが解らない

2014年01月28日 | 社会
普天間基地が辺野古に移すという問題が難航してます。
なんでも基地移設の反対派の町長が当選したとか?
普天間基地が危険だから、危険性が少ない辺野古に移すのが反対と言われましても・・・。

もう普天間固定でいい気がしてきた。
てか、普天間基地の住民が何人いるか知らないけど、もうそいつらをどっか余所にやったほうが安くて手っ取り早いんじゃね?


ま、そこはおくとして、沖縄が大きく基地を負担している・・・という人がいる。
赤熊はこの考えが解らない。

・・・・沖縄に基地を作るのは当たり前だろう、国境付近なんだから。

国境に砦を築く。
そうしなければ守れないのですから当然のことです。
なければ、他国に攻められて焼き尽くされ、殺されるだけだろう。
そうなりたいのだろうか?
そうならないためにも、逆にあって安心する施設だろう。

どうしてこんな呑気なこと言えるのだかわからない。

また、訓練場だけでも全国に散らばせて軽減をはかるべき・・・とかいう人もいるけど、訓練する機体で防衛するんですよ。
違ったら訓練にならないじゃないか?
つまり訓練場を別の遠隔地に置くということは、それだけ防御が手薄になるということだ。
本末転倒だろうに。

それに沖縄だけが基地負担してるなどといわれるのがおかしいのである。
今でも負担しているのである。
税金の面だけで言ってるわけじゃない。

例えば城下町。

細く曲がりくねった道にわざとしてあるのだ。
大勢で攻められないように、である。
だから今でも細く曲がりくねっている。
・・・ここに住むのがどれくらい大変か住んでる人しかわからないと思うけど不便なのである。
狭いから事故だって多いしね。
赤熊の住む地域じゃないけど、家を道に沿って建てるのが、斜めに建てて道を鋸の刃のようにジグザグにして有事の際に物陰に隠れられるようにしてるるところもあるそうだ。
それを聞いて、赤熊の地域がそうなってなくて良かったなと思うのと同時に、生活の不便さよりも他国の人間が攻めてくること・・・つまり生活をおぼやかされることに注意していたわけだ。

今はもう誰も攻めてこないのだけれども、そのことを今の人間が不便という形で『負担』しているのである。
しかもこれ、何百年も前の軍事の跡なんですよ!!
いやいや、お金を貰えないのだから負担し損なのですよ。
もし、それをしかたがないというのならば、沖縄の状況も仕方がないで済ませるべきだ。
いえ、まだお金がもらえる、基地という経済に貢献する施設があるだけましだと思えてくるんですよね・・・。

軍事なんてそんなものです。

あ、もしそれでも減らしたいのなら一番いいのは国境に接していなければいいわけですから、積極的に侵攻して国境線を変えるように主張したらいいと思いますね。
手間暇を考えると現実的では無いのですけど、1つの手ではあります。
ま、そんなことは主張しないと思いますけど国境に住んでいるということをどうとらえるか?それだけは考えるべきだと思います。

日本の左翼が北朝鮮にシンパシーを感じる理由

2014年01月21日 | 社会
田原総一朗のブログを見ての感想。

今年どうする安倍首相、経済と安全保障はどうなるか?
http://blogos.com/article/78064/

>もちろん、僕も争を知る世代として、断固として戦争には反対だ。ただし、国家の安全保障を考えねばならないということも、一方ではよくわかっている。
>緊迫するアジア情勢を考えても、安全保障体制の再構築は必要だろう。ただし、ひとつ確実に言えることがある。日本を戦争をする国にしてはいけない、ということだ。

安全保障を考えたら戦争をする国にしてはいけない???
安全保障を考えたら戦争が『できる国』にすべきじゃないのか?
なら賛成というべきだろう。

戦争はなるべく避けるべきだ、最終手段にしなければならない・・・という意見なら理解できるが、戦争をする国にしてはいけないでは意味が通じない。
安全保障を考えたら戦争を常にできる国にしておかなければ抑止にはならないのである。

理想と現実の乖離における苦悩・・・それがこのポエマーな文章になるんでしょうね。
赤熊的には苦笑いなんですけど。

この記事で一番強く言いたかったことはおそらくここであろう。

>日本を戦争をする国にしてはいけない、ということだ

この人・・・というより日本の左翼という妄想集団の頭の中には『 戦争 = 悪 』という構図があるのでしょうね。
それが間違いの元なのである。
ここを取り違えるから、文章がグダグダになるのである。

戦争は正しいのである。
なぜか?
それは戦争をすると『決断した』ことが正しいからである。

戦争とはあくまで手段であり、そこに正邪善悪なんてものはない。
というか、そんなものを決めれる根拠は誰も持ち合わせていない。
だからこそ、特に民主主義において正当な手続きで決められたことはすべて正しいとされるのである。
そういうルールなのである。

もっと言うのならば『しない』と決めても正しいし、『する』と決めても正しい。
もちろん将来、振り返った時、結果的に良かったかどうかは別だが、どんな決断をしようと『決断する』ことこそが正しいのである。
例えそれで破滅したとしても、です。

逆に言えば、何の決断しないことこそが間違えであり悪なのである。
例えそれで結果的に良かったとしても、です。

決断こそが正しいのであり、戦争をすると決めたのであるのならばそれは『常に正しい』のである。

そしてもうひとつ・・・民主主義は全責任を全員で負う。
それが求められるのである。
これが理解できないのならば、民主主義なんてやめたほうがいい。

そういう意味では民主主義って苛烈だよね。
責任放棄なんて誰一人として許されずに決断を迫るのですから。
それなのに戦争が悪、だからしてはいけない・・・という考えを持つ人がいるんですよね・・・。
それを許させるという考えてる時点で甘っちょろい。
甘っちょろいというより、判断を国民に委ねないということは民主主義の否定であり、独裁と同じ思考ですね。

と、ここまで考えてこの世代の人間ってなんで北朝鮮にシンパシーを感じるだろうと昔々からの疑問(だって社会主義・共産主義のくせに身分差があるわけだよ!!)だったのですが・・・民主主義という不確かなものではなく、彼らは絶対の指導者が欲しかったのでしょうね。
その人に自分の考えを正しいとして肯定してほしいわけだ。
そういう存在を神様というのだと思うのですけど、そういう彼らは背中を押してくれる便利な神様を求めているのでしょうね。
なるほど、だからこそ彼らは北朝鮮が理想、少なくとも理想としていたわけですね。
偉大なる指導者がいて間違えずに導いてくれる・・・。

そんなものは存在しないのに。

不確かな王というものを追放して、民主主義を獲得しておきながら、それでそれを捨てる。

一体何がしたんでしょう?
はてさて。

昔は甘っちょろいことを言ってごまかしていたのでしょうが、インターネットが台頭してきてこういう甘っちょろい考えが許されなくなっている時代です。
その残滓が今もくすぶっているのが、上のわけの解らないブログになるわけですね。
この人、その時代を経た人だものね・・・。

日本が大人になった・・・とみるべきか、彼らが見捨てられたとみるべきか・・・・・。
いずれにしても(日本の)左翼の時代は終わったのでしょうね。


2014.01.25 訂正・補記