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意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
天佑自助が赤熊の基本理念です。

責任の取れという無責任

2015年09月10日 | 社会
東京オリンピックのロゴが撤回され、最初から作り直されるらしい。
赤熊的にはどうでもいいので、変えても良いし、変えなくても良い。
まぁ、特に興味がないからですが、そんなゴタゴタを見てテレビのコメンテータが紋きり型で同様の発言をするのである。

『選考の透明性』と『責任の所在をはっきりさせるべき』を、さも当たり前のように誰もがコメントしてるのだ。

絶対こいつら責任というものを解らずに喋ってるな、と呆れ果てましたよ・・・・。

選考の透明性・・・要するに、最終決定前にいくつかある候補案を国民に見せるべきだ、ということでしょう。
つまるところ、国民に候補を見せて、その『反応を見る』ということだ。
反応に関係なく決定を下すのなら、国民に見せる必要はありませんし。

でもそれ、責任ですか?

一番無難な選び方だと思いますが、それは誰がどう考えても『責任逃れ』でしょう。
それで責任の所在をはっきりさせるべき?
させてどうするの?
国民の反応を見て決めるだけですから、責任なんて発生しようがない。


そもそも、今回の騒ぎで誰も責任を取らないと言ってますが、本来、責任をハッキリさせるというのは、それに見合うコストを支払うべきなのです。
特に今回のようにから騒ぎで責任とれって言われてもね・・・・・誰がワザワザ、こんな面倒臭いどころか、命の危機まであることの責任者になるんでしょう?
ただの貧乏くじじゃんね。

なので、それに見合うコスト・・・今回の場合、報酬ですね、それを支払って就任してもらわなければならないわけですが、責任を取れっていう奴は、どれだけの報酬を支払うつもりなんでしょうかね?
多分こんなことを訊くと、黙るんだろうな・・・。(笑)

責任というものを軽視しすぎているのだと思います。
もう少し責任というものを考えてほしいものです。

左翼と進化論

2015年09月03日 | 社会
左翼の方の気持ち悪いブログを見た。

サヨクが語る自虐史観
http://blogos.com/article/131289/#top

内容を掻い摘んで言うと、左翼的に昔の戦争は技術の発展に寄与したから許せるけど、現在は戦争から脱却しなければならない、かな?
で、日本は自虐史観でその先頭に立つべきだ、とさ。

自虐史観云々は赤熊的には別の考えもあるけど、そのあたりは人それぞれだと思うのでとやかく言わないが、その戦争からの脱却のことを何と表現しているか?
「進化」と表現してるのである。
そこが気持ち悪いのである。

戦争を無くしたいとか、止めるべきだとか言ってるけど、要は自分の思い通りの姿にしたい、捻じ曲げたいっていてるだけです。
そして、その行為を何と呼ぶか?

品種改良と呼ぶのである。

そんなもの進化とは呼ばない。
進化とは自然に、あるがままに起こるもので、そこに作為があればただの人為選択の結果でしかないのである。

おそらく書いた本人はそういう意図はないと言うのでしょうけど、この考えの根底はナチス政権の優生学と同じなんです。
自分たちが「正しい」とするものだけ残し、「間違い」とするものを排除する。
そんなもの人間にはわからないのにね。

進化論的に言えば、それが正い姿なら、待てばいいのである。
最終的にそこに落ち着くはずですし、人為的な操作なんて必要ないんです。

そういう作為的なことをやりたいのでしょうけど、そういう意味ではこの方は正しく左翼なんでしょう。
真面目な方で、理想を信じていらっしゃるのだと思いますが、そこに進化論を持ち込まないでほしいものです。
人間が考えた「正しさ」なんて一方的なものでしかありませんし、見誤った科学なんてとんでもない破滅を招くだけですから。

核兵器とオオカミとニワトリの話

2015年08月06日 | 社会
そう言えば今日は広島に原爆が落とされた日ですね。
赤熊的にはどうでもいいけど。

で、核廃絶が叫ばれる日でもありますが、核がなくなる日なんてきませんよ。

そもそも現在の核保有国は、
アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国の五大国。
それからインド・パキスタン・北朝鮮です。
あとイスラエルも保有してるっぽい。

・・・・・核を持ってるからこそ発言力を確保してる国ばっかじゃん!!

そんな国に「廃絶しましょう」って言っても無意味ですね。
まぁ、コスト的に合わないから核軍縮はありえるかもしれませんが、核の廃絶なんて言わないでしょう。
言っても口先だけですね。

しょうもないなぁって思いますが、核の廃絶が正しいって論点で語られてますが、実のところそれが正しいかどうかというのは「怪しいもの」です。
なぜなら動物の世界を見渡すと強力な武器を持つ方がいいと思えるからです。

例えば、オオカミ同士で争うときは2匹で毛を逆立て合い、唸り合い、牙を見せ合って勝者を決めます。
儀礼的で実際に牙を突きたてたりはしません。
そんなことをすれば、よしんば勝てたとしても無事じゃ済みませんから。

これがニワトリとなると鋭くない嘴で何度も何度も突っつきあい、相手が逃げても追いかけまわし時には死んでしまうまで攻撃を止めないわけです。
ケガしても多少ならば、殺しておく方が後腐れないのでしょうね。

どちらが賢いかと言及はできませんが、抑止力というものがよくわかる話です。

核がなく小競り合いを繰り返すか、核がある方がいいか・・・おそらくある方が総合的には被害は少ないでしょう。
小競り合いだっていつまでも小競り合いで済むわけじゃありませんしね。

核の悲惨さを伝えなければならないとかいいますけど、それが却って核の威力の宣伝にもなってるわけで、廃絶なんて夢のまた夢で、核廃絶というのは結局、核の平和の中での出来事なんですよね・・・・。

無駄な校則も必要なのかもしれない

2015年07月30日 | 社会
変な記事があった。

部活動で日焼け止め禁止?! 積極的な使用への転換を!
http://blog.livedoor.jp/matuba96/archives/52240132.html

内容は表題通りで日焼け止め禁止の校則はおかしい・・・と言ったところでしょうか?
大した内容じゃないので読まなくていいです。

禁止されてるから塗れません?
余りにも馬鹿馬鹿しい。
そんなものはバレない様にこっそり塗るが正しいでしょう。
それ以外の答えなんてありません。

この手のルールというのは行き過ぎを防止するためにあるものです。
どこそこ構わずベタベタ塗りたくったりするを防ぐ・・・もっといえば化粧対策でしょうね。
化粧と一体となった日焼け止めなんかもありますから。

そんなもんを何をマジになって守るのかちょっと理解できません。
こいつらバカじゃねぇの?って思ったところで、気づいたことがある。

ルールだから守らなければいけない・・・ってやつがあまりにも多すぎるのである。

例えば、もう消されてしまったニュースだが、少し前に関西の私立中学が新設されて生徒を募ったのだが『同じ学区の私立からの転校を認めない』という決まり(あくまで近隣私学への配慮のための協定)があり、それで嘘をついて転入した親子がいるという記事があった。
ニュース自体はニュートラルに書かれていたが、そこに寄せられたコメントの多くが『ルールを守らない親子が悪い』のオンパレード。

はぁ?である。
おかしいのは明らかに学校側の取り決めであって親子側ではない。
学校側を糾弾するのならわかるけど、親子側を非難しても何も始まらない。(そもそも調べれば学校側だってわかるだろう)

なので、『なんでみんな頭のおかしいの?』と思っていたが、多分、こいつらってそういう思想なんだろうなって思う。

ルールを守る・・・それが至上であって、そこに何も疑問に思わない、つまり自分の頭で考えないのだろうと。
赤熊はルールというのはその意図があるからこそ、その意図を理解したうえで判断しなければならないと考えてるわけで・・・・多分、赤熊の理解の仕方というか、ありかたが全然違うのだろう。

で、こういう人たちがイジメ自殺とか、ブラック企業に重宝され使い潰されるんだろうな・・・って思ったんすよ。
ルールを墨守することに固執して逃げそびれるのでしょうね。

そういう意味で、こういう無駄な校則ってあった方が良いと思ってしまった。
もしこれを排除していけば、きっと自分で考えるということをせずに疑問にも思わずにブラック企業などに使い潰されるのが増えるのでしょうから。

安直な笑い

2015年06月25日 | 社会
だいぶ前の話ですけど、
ある高名な落語家が飛行機に乗ったところ、隣に政治家の方だったそうだ。
で、政治家が「あまり政治家の悪口を言うなよ」と言われたところ、
その落語家は「悪口言われるような政治家になるな」と返したらしい。

それをテレビで得意がって話していたそうである。
時期は古賀氏が『政府から圧略が~』と騒いでいた時期ですね。

それはさておいて、これを聞いて思ったことは落語ってつまらないんだろうなである。

この返しのどこに落語家らしさがあるのだろう?
シャレが利いてるわけでもなく、皮肉めいたところもなく、機知に富んでるわけもなく、ただそのまま返してるだけである。
こんなの誰だって言えるだろう。
テレビで得意がって言わなければただの与太話で済ませることもできるが、何十年も落語に、芸に、身を奉げた人間の返しがこれだというのであればあんまりです。

しかしながら、こんな下らない返し1つを持って『落語がつまらない』と結論づけたいわけじゃない。
一番の問題は、彼らにプライドがないと感じることだ。

政治家を揶揄し、あげつらい、笑いものにする。
よくある光景ですが、そんなことをしても弾圧はおろか政治家はなに1つ言い返さないのである。

言い返しもしない奴を笑い者にするのはイジメと何が違うのでしょうか?

そもそも、本来は政府を揶揄するというのは命がけのことです。
例えば西洋でしたら宮廷道化師・・・主に楽しませたりしてたのですが、批判をさせるためにも雇ってもいたわけです。
基本的にはそういう人は取るにたらない存在として主人を批判したとしても無視するのが慣例なのでしょうけど、それでも度が過ぎれば殺されることもあったそうです。
日本でも忠臣蔵などの現実にあった演目は幕府から睨まれないようにするため、時代や名前を変えて講演してたわけです。

翻って現代ではどうかと言えば、弾圧はおろか何もない。
命かけて批判をしてた昔と比べれば、浅ましい笑いに成り下がってるわけです。

そんな状況なのに、なお笑いものにしてるのですから、プライドも何もなくただやってるのだろうな・・・と、そんな奴の芸が面白いとはとても思えないわけです。
そもそも政治家というものは我々の代表者であって、それをバカにするのは選んだ国民を馬鹿にしてるのですよね。

早くそれに気づいてほしいものです。

情報の流失よりも・・・

2015年06月04日 | 社会
年金情報が流出したそうです。

年金機構のずさんな管理と対応遅れ、国際的謀略説も 個人情報流出事件
http://blog.livedoor.jp/matuba96/archives/52229066.html

中国のサイバー攻撃ねぇ・・・。
ことの顛末を言えば、年金機構の職員がメールを不用意にあけ、コンピューターウイルスに感染して情報が流出したらしい。
杜撰と言えば杜撰な管理だけど・・・・・正直、だからどうしたの?って感じの話ですね。
人とコンピューターが管理をする以上、情報の流失は避けては通れないのでそれほど驚くような話ではありません。

そんなことよりも赤熊は気になることがあるわけです。
情報を流失させているだけなのかな?
年金の記録の改竄もされてるんじゃない?

年金を納めた情報が納めてないってなってたり、その逆だったり・・・おそらく、中身を書き換えくらいできるでしょう。
難易度の問題で起きてないのか、起きてるけど判らないから表に出てないのか解りませんが・・・こちらの方を憂慮すべき問題ではないか?と思うのです。
しかし、そういう話題は一切出てこない。
別にないならないでいいのですが、問題視するならそっちだと思います。

だから情報流失自体にはあまり興味はありませんでしたが・・・・繁体字があったから中国のサイバー攻撃ねぇ。
中国のサイバー攻撃って言っても、中国政府がやるにしてはショボイです。

個人なのば、個人情報の売り買いはそれなりの金額になるでしょうから個人的な犯行でしょう。
こういう場合は個人情報の売り買いをしたら犯罪になるように法律を作り、売買しにくくする対策をするべきですね。

議論なんて何もしていない

2015年04月16日 | 社会
先日、お昼の番組で夫婦別姓問題を取り上げていた。
お昼の番組だし、それほど深く掘り下げないだろうと思ってたけど、芸能人が訳もわからず印象論だけを語って終始していたのを見て、失望と言うべきか・・・まぁ、この程度だよねと思いました。
適切な人間をきちんと配置しなければ社会問題を語るのは辞めた方が良いなと感じました。

たとえば、番組内では夫婦別姓のメリットに、結婚しても仕事の業績の連続性が失われない、名前の書き換え(名義変更)をしなくて済む・・・としてましたが、これらはメリットではない。
『デメリットが無くなる』だけである。
これをメリットだと無邪気に信じてるのですから馬鹿馬鹿しい。

通常なら、こう考えるべきです。
デメリットがあるとするならば、夫婦同姓を選ぼうと夫婦別姓を選ぼうと不利益を受けてはならない。
なぜ、そんな姑息な抜け道を作らなければならないのか?
なにやら別の思惑が働いてるとしか考えられません。
そんな胡散臭いことに関わりたくもない。
少なくともメリット・デメリットの区別さえつかない人間の意見に賛成したいとは思いませんね。

そもそもこの問題の根幹は姓 = 苗字とは何か?でしょう。

苗字を個人をあらわすものとするのならば別姓が正しいし、
または血筋をあらわすものとするのならば別姓が正しいわけです。
逆に家族をあらわすものとするのならば同姓が正しくなるわけです。

これらのどれを取るかによって変わってくると思いますが、赤熊はどう考えるかと言えば、現在の法的な主旨や家制度の否定と言ったものを考えると、苗字とはその夫婦という共同体を表すものだと思います。(どちらかのものではなく2人のもの)
ですので、夫婦は同姓であるべきです。
共同体の名前であるのに複数の呼称があるのは変ですから。

ちなみに歴史的な経緯というのは赤熊は重視しません。
変えなければいけないときは変えるべきだし、それ以上に、苗字の歴史って面倒臭いんですよね。
氏を「うじ」と読むときと「し」と読むときでは意味が違いますし、姓も「せい」と読むときと「かばね」と読むときでは意味が違うし、苗字にしても地名だったり、職業・役職名だったり、屋号と言ったお店の名前だったり、渾名だったり、それらの合成だったり、極端な話「権助さんちの太郎君」というときの権助だって苗字なわけです。
加えて、公的に認められた姓が本物だとかそうじゃない私称も苗字だとかそうじゃないとか、面倒臭さは匙を投げるレベルです。
そんなの絶対纏まるはずないから、無視した方が良いです。

これが正しいかどうかは置いといて、こういう議論を経ないで法律を改正しよう、というのは可笑しいというか、それ以前に議論の俎上にも達していません。
何年たっても変わらない・・・と賛成派はこぼしてますが、そりゃ変わるわけないわな!!
議論なんて何もしていないのですから。


2015.04.17  訂正・補記あり

生活保護が叩かれる理由

2015年03月26日 | 社会
ブロゴスを見てたら、生活保護が叩かれるのは『弱者が弱者を叩く。嫉妬が正義になる。』と書かれてました。

「弱者の正義」が蔓延する日本:生活保護バッシングに見る、日本の不思議な国民性
http://blogos.com/article/108171/

・・・・・・ないわ~。
弱者に何で嫉妬せんとあかんのよ・・・。

嫉妬と言うのは自分より恵まれた人間に抱く感情で、より弱い者に対して抱くものじゃありません。
記事内容は書評なんですけど、見当はずれも甚だしくて、この書評では読む気はしませんね。

では、なぜ生活保護が叩かれるのか?
それは怠惰だからでしょう。

よく生活保護受給者の『不正受給』に対してバッシングしてるんだ・・・と言う意見がありますけど、これは間違いですね。
なぜなら、年金だって不正受給はありますがバッシングは起きてません。
もちろん多少はありますけど、執拗に叩かれる・・・少なくとも年金と言う制度の批判はあっても、年金受給者へのバッシングはきいたことありません。

と言うことは、別の要因があるということです。
では、その要因は・・・簡単ですね。

通常、真っ当に生活を送っていれば生活保護とは縁などありません。
病気や怪我など不幸があったとしても、貯金や保険といった事前の備えや親類縁者・友人知人からの支援などで大よそ何とかなる・・・いえ、何とかするものです。
にもかかわらず、生活保護を貰わざるをおえない状況に陥るなんて『今まで何してたの?遊んでたの?』と思うのは当然のことだと思いますし、そういう人を救う気にもならないものです。

ここがバッシングの大元だと思いますね。
年金だと逆ですからね。(細かくいえば違いますけど)

つまるところ生活保護が怠惰の象徴だということですね。
真面目に生きている人が怠惰な人間を嫌うのは仕方ないですし。
でも、これって結構問題ですよね。
生活保護を貰うよりホームレスがマシ・・・ってなるわけで、誇り高い人はもらえないわけです。
・・・ん~、多分このあたりも受給者がバッシングされる理由になるんでしょうね。
誇りも何もない薄汚い人間扱いされるようになるわけですから。

ま、それらはさておいて、
では、生活保護が怠惰の象徴を覆す方法があるかと言えば・・・・・・。
ないですね。

結局、不幸に不幸が重なって生活保護を貰わなければどうしようもなかった・・・と言う印象をもたれればいいのですが、それなら困窮に対する備えをどのくらいしていたか?などを公表する必要があるわけですが、できないでしょう。
できたとしても信用されるとも思えませんし。

無理ですね。

となると、生活保護はこのままで、生活保護の前段階の生活保護に似たものを新たに作って、怠け者は生活保護、そうじゃなく困窮した人は新しい制度・・・とするべきかな?
それはそれで新たなカースト作りみたいでちょっとねぇ・・・。
逆に、何にでも生活保護と言う名前を与えて、誤魔化す方向に進むべきか・・・・?

いづれにせよ、生活保護のバッシングはなくなくならないと思いますね。

根本解決にならない反原発の主張

2015年02月19日 | 社会
最近、また原発が議論されるようになってきてますね。

で、最近よくある反原発の主張として『ガスタービンコンバインドサイクル(GTCC)を使えば高効率で発電することができ、原子力発電量は賄える』というものがある。

確かに、高効率で発電できるのは素晴らしいことです。
でもそれは原子力発電所を減らす理由にはなっても、無くす理由にはならないのです。

というのも、原子力発電はオイルショックを受けて建てられるようになったもので、原油依存からの脱却のためのもので、どんなに効率的な発電が出来ようとも原油や天然ガスを使ってる以上、その対策にはなりえてません。

その時点で理由としては失格ですね。

赤熊としては原子力に思い入れがあるわけじゃなし、最終的には無くしてもいいかとも思いますが、原油依存し続ける・・・というのもそれはそれで極めて危険な状況です。
オイルショックが再来した時に対処できませんし。
他にも南のシーレーンを封鎖された場合、どうするか?
中国が南進した場合、起こりうる事態です。

その場合、日本の備蓄されてある原油がどのくらいあるのかは詳しくは知りませんが、確か3ヶ月分ほどは賄えるようにはされてたはずです。
となれば・・・・3ヶ月以内に何らかの方法で打開せざるをおえないわけです。
ですが、交渉で何とかなるのなら、そういう状況に陥ってないでしょうから、残る手は戦争しかないでしょうね。
しかも3ヶ月ですから、即座に短期決戦をしかけないとならないわけです。

・・・・・無茶ですな。
それに。その状況は第二次世界大戦と同じ状況になるわけで、これで良いとするのなら戦争の反省が足りないってことになりますね。

もちろん杞憂だとすることもできるでしょう。
そんなこと起きないと、見做すこともできると思います。
また、原子力発電が有っても同様なことは起こりうる、と考えることもできます。

でも、相手に運命を握られる、選択権を委ねる、戦争を起こさざるをおえない状況に追い込まれるというのは悪手です。
そうならないための対策、なったとしてもその余裕は確保しておくべきです。

それが原子力発電である必要はありませんが、そこまで考えた末での決断ならいいのですが・・・ほとんどの人はそこまで考えてないんですよね。
原子力があれば核兵器への転用もできますから、抑止としても十分な理由にもなるわけですしね。

1つの物事はすべてにつながってるんですよね・・・・・。
本当に、政治って面倒臭いですね。
こういう微妙な塩梅をしてる人たちがたくさんいて平和が維持され生活できてるわけで、本当に頭が下がります。

人質事件 煽動罪ってなかったっけ?

2015年01月28日 | 社会
イスラム・ステイトに2人の日本人が人質に取られる事件が起こっています。
盛んに報道されてますが、赤熊は正直、興味ありません。

というのも、この問題の最終的な討論対象が『報復をどうするか?』以外ないからです。

テロを誘発させないためにも、身代金を払うなどの要求に応じるわけにはいきません。
要求を撥ねつけるわけですから、助けることを諦める以外にないのです。

となると、残るは『報復をどうするか?』以外になくなるわけです。
赤熊的には爆撃するべきだと思いますけど。
まぁ、さすがに過激すぎますからやらなくていいですけど、テロリストの本拠地がシリアですからシリア政府や周辺国に任せる以外ないですし。

だから興味ないんだよね・・・。
打つ手のない、どうしようもないことですから。

そもそもイスラム・ステート側は交渉する気なんて最初からないみたいですよね。
ネット公開にしろ、古式ゆかしい(?)効果的な脅し方をしてない時点で本気じゃないでしょう。

ですから、これはプロパガンダの類なんですよね。

一番危惧すべきことは、それに乗っかかって政府批判をする人間が国内にいるということです。
こうやって政府批判なりをさせるのもテロリストの狙いなわけでしょうから、それにのっかる時点でどれだけ日本人を危険に晒しているのかわかっていないクズが多いのが恐ろしいことです。

赤熊的にはそいつらもテロリストの仲間だとしか思えませんね。
こういう国内のテロリストの排除しないといけないのですけど・・・・。

日本に煽動罪ってなかったかな?
今は破壊活動防止法だっけ?
それらで逮捕すべきですね。

左翼の衰退理由

2014年11月06日 | 社会
左翼の衰退。
しかも世界的に左翼が凋落しております。
その理由を探ることが、ここ最近の赤熊のテーマです。

とはいえ、それを探るのは難しいよね。
それにどちらかと言えば、近年は排除・嫌悪されている節が見られます。
これらとも連動してるでしょうから、今回はそちらから考えてみようと思う。

思想が非現実的でお花畑過ぎて話にならないから。
特に日本の場合そうですね。
それに尽きると思います。

・・・でもまぁ、問題はなぜ「お花畑過ぎる」のか?ってことですよね。
そこがよくわからない。
諦めてパラパラと名言集でも読んでいたら、これが出てきました。

国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために何が出来るかを問うて欲しい

有名なジョン・F・ケネディの大統領就任式の演説の一節ですね。
そして多分これが、左翼が嫌われる理由でしょうね。

例えば、平和論だったら、平和を求めるのですから、当然、平和を維持するために何を支払うか?が問われるわけで、非武装中立なぞありえないわけです。
とどのつまり、平等論にしても平和論にしても自由論にしても、左翼は権利を求めるだけにしかなってないわけですね。
権利には義務が生じるわけですから、新たな権利を得るというのは新たな義務を負うということにほかならず、それにもかかわらず義務を負うとは言わない、または考えてないわけです。

権利を得て、社会に何を還元するのか?
ここで「何も還元しません」では、支持も共感を得られませんわな。
関係の無い人には、全く関係ないのですから。
せいぜい当たり障りのないことしか言えなくなるわけです。

保守派の場合は、現行のシステムの肯定・・・つまり義務があることを最初に認識した上での権利主張ですからそれほど変な主張をしないし、一定の支持者を確保できるのでしょう。
左翼の場合は、現行の否定・・・義務の否定から入るというか、そもそも義務の否定から入る以上、それ以上の義務を負うては本末転倒になりかねないんですよね・・・。
おそらく、ここが左翼の限界なんだと思います。

もちろん、ちゃんとした左翼はここも踏まえて主張するのでしょうけどね。
日本の左翼は、ここを履き違えているから、総スカン喰らうんでしょう。

おそらく、今一度この部分を考えないと左翼はこのまま消滅するのではないかと思います。
今さら考え直しても手遅れの感も強いですが・・・・・・。

西洋的階層主義

2014年10月08日 | 社会
気になる記事があったので、西洋の階層主義に関して考察してみた。

人種差別主義(レイシズム)という情念と文明からの退行    小野 昌弘(イギリス在住の免疫学者・医師)
http://blogos.com/article/95556/

内容自体に読む価値はありません。
嘲笑されるために書きました、と言われたら納得する内容です。
ですので、どうでもいいのですけど、冒頭に気になる一節があるのです。

>人間も他の動物と同様、自らと異なるものを排除しようとする傾向があるが、これは動物的で未熟な部分である。

これが動物的で、人間として慎むべきだ・・・くらいの表現なら深く思わなかったでしょうが、動物的で未熟・・・つまるところ、この人は動物を格下の存在だと言ってるわけです。
万物の霊長である人間様が偉いと。

・・・傲慢不遜すぎますね。

赤熊は動物が未熟だなんて思ったことはありません。
犬は犬だし、猫は猫、人間は人間だとしか思いませんので。
生き方に優劣などないし、どれが素晴らしいとかも感じませんから、そういう意識がどこから来るものなのか、不思議に思ったのです。

で、思い至ったのは、人間、動物、植物とピラミッドがあって、一昔前だと、白人だけが人間様で、他の黒人や黄色人種などの有色人種は劣った動物だというクズい考えかたがあったわけです。
おそらくこれの延長戦の考えなんだと思います。

これが近代になり有色人種が人間の階層に繰り上げられたわけです。
これで一応、人種同士の優劣はなくなったのでしょう(現実的にはどこまで浸透してるかは謎ですけどね)けど、依然として動物は下層の劣った愚かな存在だと考えてるわけです。
だからこそ、未熟で恥だとか非礼なことを言えるわけですね。

そんな上下の階層なんて存在しないのに。

おそらく捕鯨問題もこういう認識から来るのでしょう。
なぜ捕鯨にあれほど反対するのか?
それはおそらく、クジラを人間と同じ階層に入れて考えてるからではないか?と思うわけです。
人間と同じ階層の生き物だから、クジラにも知性がある、だから可哀想・・・という理解不能なことを言うのでしょう。

ヨーロッパ系でベジタリアンが多いのも同じ理由なんでしょうね。
動物そのものを人間と同じ階層にいれて考えてるから可哀想で食べられない・・・というわけです。

あってるかどうかは確かめようがないのですけど、多分、そんなに外れていないと思う。

日本というかアジア系がそうなんでしょうけど、こちらは縦ではなく横の関係性・・・自分との血縁とか同郷とか、同じ国民とかそういう関係を重視する考えなんだと思います。
これは味方、あれは敵、それは食料・・・といった相対的な考えですね。

だから動物を馬鹿にした考えなんて流行らないのでしょうけど、これはこれですごくドライな考え方ですよね。
人間じゃなくても関係があるから助ける、人間であったとしても見ず知らずの他人なら、どうでもいい、なのですから。
欧米系でしたら人類愛を発揮して、寄付とかボランティアなどが広まるのでしょうし。

ですから一概にどちらが優れてる劣ってるということではないのでしょうし、実際はある程度混交もしてるのでしょうが、根本が異なる考えなのですから、欧米人とのわかり合うのは難しい気がします。

少なくとも相互に認識しておかなければ、行き違いが起きますね。
それだけは避けるべきだと思います。

フェミニズムの終焉を感じたスピーチ

2014年09月27日 | 社会
エマ・ワトソン氏がフェミニズムについて国連でスピーチしたそうです。

エマ・ワトソンが挑戦する“新しいフェミニズム”の取り組み [via: UN Women 2014]
http://blogos.com/article/95137/(ブロゴス)

・・・要約すれば、フェミニズムってイメージ悪くなったから別の手法(男性にも協力を)でやらなきゃいけない・・・かな?

別に反発するほど悪いことを言ってるわけもなく、むしろ常識的というよりは穏当で無難な内容といったところですね。
ただ・・・今さら感がものすごくする。

そもそもフェミニズムがイメージが悪くなったのは自業自得なわけです。

どう考えても、あんなに男を敵視しておいて好かれるわけがないのです。
そのせいか日本だと、フェミニズムが当の女性からの支持がないという体たらくなわけで、おそらく海外でもこのようなスピーチをしないといけないのですから、同じようなお寒い状況なんでしょうね。

こういう運動は最初期は不満も大きくて支持されるのでしょうが、ある程度 不満が解消されてしまうと、あとはどうでも良くなってくるわけです。
だって完璧な男女平等・・・・・それはつまり男の義務と女の義務の両方を背負うということなのですから。
男は男の義務を負ってるから優遇されることがあり、女も女の義務を負ってるから優遇されることがあるのです。
優遇面を無くしたからと言っても義務は残るのですよ。
平等だというのなら男女両方とも負う必要があるのです。
しかも優遇がなくなった分、さらに重くなってるわけで・・・。

そんなキツイことなど大半の人間は望んでいないのです。
片っぽでいいんですよ、片っぽで!!

それでも権力に酔ったのか使命感に駆られたのかは知りませんが、支持を失えば失うほど、こんなはずじゃないと・・・苛烈なことをいって耳目を集めなくては存在価値を高めようとして、さらに支持を失う悪循環を繰り返してるわけです。

・・・・・ジリ貧の宗教に近い感じがします。
こういうことってフェミニズムに限らないのでしょうが。

いずれにせよ今回のスピーチは硬軟織り交ぜての戦略に舌を巻くこともなく、胡散臭さの方が鼻につくだけで、今後、この路線で悪いイメージが覆るかといえば難しいでしょう。
完全な誤解からきている類のものではないし、過去の所業の結果なんですから。

正直言えば、これが許されたのはマスメディアが言論や思想を抑え込んでいた・・・・正確にはキレイゴトしか言わなかった時代の思想なのだと思います。
今はキレイゴト以外のことも犇めき合っている・・・赤熊的には面白い世界なんですが、今後、時代遅れの思想として残りそうですが、だんだんと衰退していき、盛り返すこともないでしょうね。

そういう意味で、今回のフェミニズムの路線変更のスピーチはフェミニズムの終焉を象徴してるように感じました。


2014.10.3  訂正あり

氷バケツ 新たな不幸の手紙なのでは?

2014年08月27日 | 社会
なんか、氷水を頭からかぶるのが流行ってるっポイ。
元々はアメリカでALS(筋萎縮性側索硬化症)を支援のために氷水バケツをかぶる運動、だそうです。
何でも、指名された人は氷水を被るか100ドル寄付するか選んで、被ったら3人を指名してどちらか選んでもらうのだとか。

・・・・・不幸の手紙じゃね?

完全にチェーンメールですよね。
不幸な手紙は犯罪・・・というかイタズラ・迷惑行為ですけど、善意が絡めばOKなんでしょうね。
・・・幸福の手紙ならいいのだろうかね?

この行為自体は馬鹿馬鹿しいで済ませられますし、それでも友人間で終われば、それほど問題はないでしょう。
所詮、指名されたのに無視して問題が起きても、そいつらの問題だしね。

でも、それを超えた場合、問題が発生します。
例えば、政治家、特に総理大臣を指名したり、企業広告に使ったり、あとは怪我人や死者が出たり?したら問題・・・・調べたら、全部起こってましたよ!!
おいおい・・・・。

結局、人間の善意なんて伝わるうちに容易に無視され踏み躙られ、悪意に染まっていくってわけですね。
正直、ALSや寄付行為よりもこの部分の方に興味ありますね。
今後どうやって、ブームが去り、消えていくのか?
似たようなものがまたムーブメントを起こすのか?
それとも嫌悪されて終わるのか?

それともう1つ気になるのは・・・この運動で有名人やセレブリティたちが嬉々として参加してることです。
別にやるのは良いんだけど、こういう人たちが率先して障碍者支援や啓蒙をしていくものじゃねぇの?
こういう運動に乗ろうというのではなく、素でです。
それが役割だと思うけどね・・・。

ま、いずれにしても興味は尽きませんね。
そうそうチェーンメールは無視するのが一番の対策だそうです。

情報の海に沈める以外ないのでは?

2014年07月14日 | 社会
ちょっと気になる記事。

グーグルに7万件の削除要請--「忘れられる権利」判決で
http://blog.livedoor.jp/matuba96/archives/52152430.html

忘れられる権利というのは、要するに検索エンジンなどに昔の検索記事や画像などをヒットさせないようにするものらしい。
それがヨーロッパで認められたと。

確かに他の人間に調べられたりして、就職とかその後の人生で何かと検索されて過去を掘り返される・・・と。
特にマスメディアなどに載って、しかもそれが誤認逮捕だったり、誤報だったりした時は消してほしいですよね。
マスメディアって訂正しないし。
みんなが記事内容をきちんと読んでから判断してくれればいいでしょうけど、大抵は記事の見出しを読んだだけで終わるでしょうから。
加えて言うなら刑期が終わった犯罪者の記事をいつまでも残すわけにはいかない。

そういうわけで、一番いいのは名前を変えることなのでしょうけどね。
ただ、顔を成形するわけにもいかないので・・・なかなか難しいところです。

とはいえ、取り消すのも難しいでしょう。
ベネッセの大量個人情報流出でも思いましたが、デジタルデータ社会において一度広まってしまったら全て消すことはできないでしょうし、記事には7万件とあるけど、おそらく、今後増え続けるでしょう。
それらを一件一件精査するのは・・・・難しいでしょう。
それにあくまでヒットしないだけで、個人個人のホームページやブログの内容を介していけば調べられるわけで・・・・。

いっそのこと、フェイク情報を大量に流して真偽不能にしてしまったほうが早い気がする。

たとえば、特定の人物名などを検索すれば、どうでもいいノイズ情報で占める様になれば、そんな情報を調べようとも思わなくなる。
そうやって信憑性を下げていくしかないのではないか?
それはそれで不便なのでしょうけど、結局、検索できないってそういうことなのだから同じですよね。

・・・そういう商売が成り立ちそうですね。