リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

時間の無駄

2011-06-03 06:31:06 | オヤジの日記
自民党というのは、面白い集団だ。

菅総理が辞めるなら、協力する。
しかし、辞めたあとの確かなビジョンは持っていない、のだと。

反旗を掲げた小沢一郎も、新党をつくる、と予測されていたが、いつもながら感情だけが先走りする虚構の政治家に、確かなビジョンあったとは思えない。
本人とその子分たちだけはあると思っていたかもしれないが、今はただのピエロでしかない。


例えば、メジャーリーグで、文句ばかり言っている選手がいるとする。

「俺は、やろうと思えばできるプレーヤーなんだよ。内野も外野もこなせるから、ポジションを与えられたら、絶対活躍する自信はあるよ。
でもな、監督があれじゃ、やる気が起きないね。だから、監督、代えてよ。そうしたら、活躍するからさ。
ポジション? どこでもいいよ。任せるよ。とにかく、お願いだから、監督だけ、代えて。
あの監督以外だったら、俺はやる気が出るから。まあ、他の選手をまとめろ、と言われたらまとめる努力はするよ。
どうやってまとめる? それは、わからないな。監督が代わってから、考えるよ」

あるいは、中学校のガキ大将。

「俺さあ、小学校までは、成績良かったんだよね。やれば、出来る子なんだよ。でも、セン公があれじゃあ、どうしようもないね。
クラスは違うけど、オザワ? あいつは、捉えどころがないやつだけど、セン公に刃向かう根性は買うよ。
だから、密かに、あいつと組んで、セン公を懲らしめようと思っているんだよね。
うまくいったら、あいつ、クビだぜ。セン公が辞めたら? ああ、そこまでは、考えていなかったな。
まあ、そうなったら、そうなったで、そのときに考えるよ。まだ、よくわかんねえけどな」


監督が、代わったら活躍する選手は、確かにいる。
イチローが、そうだった。

イチローの新人時代の監督は、土井正三監督。
土井監督は、イチローの個性を認めようとせず、彼のフォームを改造しようとしたらしい。
新人といえども、独特のバッティング理論を持つイチローは、自分のスタイルを守ったため、レギュラーを勝ち取ることができなかった。

しかし、監督が仰木氏に代わったとたん、彼は本来の能力を発揮して、今に至る。
仰木氏は、イチローを一人前のプロとして扱い、彼のバッティング理論を尊重して、無理に手を加えることはしなかったという。


では、先生が代わったら、子どもは、変わるか?
私の息子の場合は、変わった。

小学4年までは、担任から「マイペースすぎる」というお小言ばかりいただいていたが、5年で担任が代わると「それもマッちゃんの個性。個性が違うのは当たり前。だって、マッちゃんは、誰からも嫌われていないじゃない」と言われて、息子は伸び伸びした小学校生活を送ることができた。

6年の時の担任も、5年時の担任からの引継ぎが上手くいったせいか、息子を「ひとつの確立した個性を持つ児童」として扱ってくれたから、彼の独特の個性が否定されることはなかった。

そして、伸び伸びとした個性のまま、息子は、成長した。
(すみません。完全に親バカ目線の話題でした)


自民党の総裁や小沢氏が、イチローになれるか、という話は、もちろん非現実的すぎて、比較するのも恥ずかしい話だ。
小沢氏は、名前だけはイチローだが、彼が政界に、かろうじて名を残すのは「デストロイヤー」というヒールの存在としてだけだ。


感情だけが肥大して、ビジョンのない政治家を崇め奉る風潮が否定された今回の結末は、極めて理性的であると言える。

小沢が「僕のことを忘れないでー」と言えば、鳩山も「僕もいたんだよー」、谷垣は「茶番」と知りつつ「僕だって、党首なんだからー」とアピール。

公明党とたちあがれ日本の存在は、クラス委員の陰に隠れて、印象が薄い。

要するに、小学校のホームルームの光景と同じだ。


結局は、意外でもなんでもない小学校の教室と同じことが、永田町で起こったということ。


小学校的茶番劇を見せられた国民こそ、いい迷惑。

そして、時間の無駄。