リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

えげつない額のメルヘン

2018-07-29 07:13:00 | オヤジの日記

5年ほど前から、ドクターの知り合いがいる。

 

主治医というわけではない。小金井公園でランニングをしたときに、知り合ったのだ。私がマックスの6割程度の力で走っているときだけ、同じペースで走っている人がいることに気づいた。そして、当然ながら、相手も気づいた。

4、5回目に遭遇したとき、向こうから話しかけてきた。相手が勝手に自己紹介してきたのだ。

「フリーランスの医者をしています」

(私は鞭なので、無知なので知らなかったのだが、日本には一万人以上のフリーランスの石が、医師がいると言う。居間は、今は医師もフリーランスの時代なんですね)。

ドクターの声は、安心感のある低音だった。歳は40前後に見えた。面長で、紳士の雰囲気が身についていた。

したくはなかったが、私も自己紹介をした。フリーランスのデザイナーです。

「ああ、同じフリーランスですか。奇遇ですね」

ちょっと、お待ちください。お医者さんと5流デザイナーを同じ「フリーランス」のくくりでカテゴライズしないでいただきたい。たとえば、「野球をやってます」と言っても、メジャーリーガーと草野球の選手を同じくくりにはしないでしょう。ここは、厳密に分けていただきたい。

「あはは、面白いことをおっしゃる」余裕の笑いである。

それ以来、小金井公園で出くわすと、必ず立ち話をするようになった。

そのあと、ドクターの身の上に、私には全く縁のないメルヘンの世界が展開した。

 

初めて話をしたとき、ドクターは独身だった。仕事が忙しすぎて、結婚どころではなかった。「ボク、一生、結婚できないかもしれません」と悲観的なことを言うドクターだった。

しかし、その一年後、ドクターは、10歳以上若い女性と結婚したのだ。東京世田谷で花の直売所を20代の若さで経営する人だった。

そして、この女性の父親は都内で輸入バッグの販売店をいくつか持つ人だった。金を持っている人だった。

父親は、一人娘がドクターと結婚するとき、ドクター曰く「えげつない額」の持参金を与えたという。ドクター夫妻は、その金で中央線武蔵境駅前のマンションを購入した。

翌年に子供が生まれると、奥さんの父親は、祝い金として、またも「えげつない額」をプレゼントした。

ビンボー人の私からしたら、それはメルヘン以外の何ものでもない。

だけど、そんなメルヘン、聞きたくないわ。

 

ドクターとは、年に7、8回小金井公園を走った。

だが、お別れのときがきた。私たち家族が、武蔵野から国立へ逃げ込むことになったからだ。

それは、小金井公園から遠ざかることを意味する。小金井公園で走ることはあったとしても、今までのように頻繁に走ることはできないだろう。

グッバイ、ドクター。

だが、我が家が国立に越してから4ヶ月経った頃、ドクターから電話がかかってきたのだ。

「Mさん、お元気ですか〜。実は、お願いがあるのですが、また、一緒に走りませんか。1人だと、どうしてもペースがつかめません。消化不良です。ボクが車で国立から小金井公園まで送り迎えをします。走ってくれませんか」

断る理由がないので、よいよい、と答えた。

ドクターは、アウディで迎えに来てくれた。

一緒に走った。10キロ。

「ああ、いいなあ、Mさんの安定したペースは、気持ちいいですね。最高のペースメーカーですよ」

ああ、そうですか。

国立に帰る途中で、昼メシを奢ってもらった。焼肉だった。

 

ドクターに、気になっていたことを聞いてみた。

手術の後で、肉って普通に食べられますか。

「もちろん食べますよ。だって、生きた人間と死んだ肉は違いますから。医師にとって、一番重要なのは、生きているか死んでいるかです。死んでいる肉に、ボクは心を動かされません。それは、ただの食材です」

そういうものですか。

 

さらに、話は進んで、先月のことだった。小金井公園を走った後で、ドクターが、恐ろしいことを言い出したのだ。

「車の送り迎えが面倒だというわけではありませんが、時間は確実にもったいないですよね。武蔵境から国立まで行って、小金井公園。そして、また国立。さらに、ボクはまた武蔵境に帰るわけです。この時間のロスは無駄です。いっそ、ボクが国立に越した方が効率的ではないですか」

 

え? え? え?(三度見)

 

しかし、そう簡単には。

「簡単にはいかないでしょうけど、考察の余地はあると思います。我ながら、いいアイディアだと思いますけどね」

 

そして、今週の木曜日、またドクターと一緒に小金井公園を走った。走った後で、小金井公園の裏側にある「おふろの王様」で汗を流した。

じつは、前回のときも、ここで裸の付き合いをしたのだ。

ドクターは、ヒョロヒョロのガイコツの体には、まったく興味を示さなかった。患者さんの体にしか興味がないのかもしれない。

ドクターの体はムキムキではないが、贅肉が全くなく、シャープな感じだった。抱かれたいとは思わなかったが・・・。

 

風呂上がりに、店内のレストランで、メシを奢っていただいた。

そのとき、私は、ざるそばと枝豆、生ビールを頼んだ。

ドクターは、高価な弁当を頼み、生ビールを頼んだ。

え? 生ビール? ドクター、それは、いかんぞよ。だって、あんた、車じゃん。

「いえ、ボクも走って喉が渇いたあとは、やっぱり、ビールが飲みたいんですよ。でも、安心してください(履いてますよ)。今日は、弟を呼んでますので、帰りは、弟が運転します」

その弟さんは、どちらに。

「場所を教えておいたので、あとで、ここの入り口まで来てくれます」

 

そのあと、ドクターは、心底嬉しそうに、「国立でいいマンションを見つけたんです。中古ですけど、駅前で、作りも良くて広くて、駐車場も2台確保できるようです。妻も気に入っています。子どもが、まだ小さいので、転校という縛りがありません。引っ越しは楽ですよ。だから、そこに決めようと思います。楽になりますよね、ランニングが」と言った。

しかし、武蔵境のマンションは、売れたのですか。

「そっちの方は、気長に」

しかし、しかし、マンションが売れないと、資金の方が・・・というビンボー人のビンボーくさい発想。

「実はですね、私が国立に越したいと義父に言ったら、お義父さんが、マンションの代金、半分出してやろうか、と言ってくれたんです。だから、それに甘えまして」

 

メルヘンやん。けったくそ悪いやん(下品な表現で申し訳ありません。クソを蹴りたくなったものですから・・・もっと下品?)。

 

それを聞いて、やけくそで生ビールを3杯飲んでから、おふろの王様を出た。

エントランスの外に、ドクターに雰囲気が似た人が待っていた。ドクターよりも顔のパーツが、それぞれ大きくて、着ているものもオレンジ色のポロシャツ、トロピカルな半ズボンというけったクソ悪いものだった。まるでハリウッド映画から抜け出して来たような無駄にあか抜けた人だった。

型どおりの挨拶のあと、ドクターと並んで、後部座席に腰かけた。

弟さんもお医者さんですか、と聞いた。

「いや、ボクは、学校で用務員をやっています。

ガッコウ、ヨウムイン?

おお、今までのメルヘンに比べたら、なんと庶民的な響き。久しぶりに聞いたぞ、その庶民派のおことば。

 

「フランスの私立学校の用務員ですけど」とドクターの補足説明。

なんでっか? フランスの学校のヨウムインって。

「文字通り、フランスの学校の用務員ですけど」

それは何を? 日本の用務員さんと同じなんですか。

「雑用もします。あとは、スクールバスの運転ですとか、警備もします。大事なお子さんをガードしなければいけませんので」とドクターの弟。

「弟は、剣道2段、柔道3段なんです」というドクターの補足説明が続いた。

なんか、頭の全体を覆うモヤモヤ感が半端ない。なんで、唐突に用務員なのさ。なんで、フランスなのさ。いったい、フランスの私立学校で用務員をする必要性はあるのか。

日本の東京都品川区西小山あたりで、やってもいいじゃないか。

なんで、フランスなんだ。W杯で勝ったからか。シルビー・バルタンが、まだ頑張っているからか。それとも、異常にエスカルゴが好きだとか。

 

ああ、でも、「えげつない額」がないだけ、まだ庶民的かな、と私は思い直した。

だーーーが、最後にドクターが166キロの豪速球を投げてきたのである。

「彼の奥さんは、パリで弁護士をしています。もちろん、フランス人です。凄腕らしいですよ」

 

おい、そっちかーーーーい!

 

結局、メルヘンじゃないか。

 

 

私は、このとき完全に悟った。

ブス猫のウンチの処理を毎日している私には、永遠にメルヘンは舞い降りてこないってことを。

 


サンドイッチ

2018-07-22 06:50:00 | オヤジの日記

墓参りは物悲しい。

 

墓参りに行く目的とは。

お世話になった方へ、生前のご厚意に対して、感謝の意を表すこと。いい思い出をたくさんいただいたことに対して、感謝すること。

 

私は、罰当たりなので、墓参りの頻度はたいへん少ない。

私が一番尊敬する祖母の墓参りさえ4回しか行ったことがない。ただ、これはお墓が島根県出雲市にあるから、物理的に頻繁に足を運べないということもある。

あとは、大学時代の友人の父親で、私が「おやっさん」と呼んで父親のように慕っていた人の墓参りも4回。

しかし、先週墓参りに行った大学時代のおんな友だちの墓参りは、8回も行っているのだ。今年で連続して8回目だ。

最初の1回は、1人で行った。2回目からは、今回も一緒の大学時代の友人の妹の養女と行った。

友人の妹は、墓の中にいた。

東日本大震災のあと、過労による心不全で死んだのだ。被災した仙台支社、石巻倉庫を立て直すために、不眠不休で働いた結果だった。

長谷川の妹の養女と初めて墓参りをしたとき、私は養女の七恵に宣言した。

俺は、罰当たりだから、墓参りで手を合わせることはしないから。

「え? どうしてですか」

当時の七恵は、私に対して、敬語を使っていた。遠慮をしていたのだ。初々しい時代だった。しかし、今は容赦のないタメ語だ。

いつからか、「こいつは敬語を使う価値のない男だ」と気付いてしまったようだ。

 

俺の尊敬する祖母が言ったんだ。

「人間は、死んだら無になるのだから、無になるものに手を合わせても意味はありません。だから、私が死んでも手を合わせなくてもいいです」

私は、祖母の言いつけを今も守っていた。ただ、いくら私が罰当たりでも人さまの弔いのときは手を合わせた。それくらいの常識は持っていた。

 

「無になるんですか、人間は死ぬと」

肉体も魂も無になると俺は思っている。

「それって寂しいですよね。じゃあ、母ももう無なんですか」

とは言っても、肉体や魂が無になったとしても、思い出は消えない。たとえば、俺が、君の母さんの墓の前で目を閉じたとしよう。その途端、俺の頭には、君の母さんの大学時代の思い出が、溢れるくらいに甦るんだ。

手を合わせるだけが、供養じゃない。思い出すことも供養だと俺は思っている。

 

「ねえ、マッチん。今年は何を思い出した?」と目をつぶり、手を合わせたままで、七恵がタメ語全開で聞いてきた。

大学3年のときの東京都の陸上大会、と私は答えた。

1学年下の長谷川の妹は、欠かさず私のレースを見に来ていた。

その大会のとき、ウォーミングアップ中の私に、長谷川の妹が近づいてきて、「マツ、いい記録を期待してるよ」と励ました。

私が「頑張れ」という言い方が嫌いなので、そういう表現をいつも長谷川の妹は使った。

(いつもマックスで頑張っている俺が、何で他人に「頑張れ」と命令されなきゃいけないんだ。言った人からすれば、ただの言いがかりに聞こえるだろうが)。

 

わかった。ベストをクリアするさー。

 

すると、長谷川の妹は、突然、私に向かって敬礼をしたのだ。それも、真剣な表情で。

居心地の悪さを心に残しながら、スタートラインに向かって、ゆっくりと駆けながら後ろを振り返ると、長谷川の妹は、まだ敬礼をしていた。まるで戦地に赴く恋人を見送るように。

その日のレースで、私は、中高大学を通じて、東京都の大会で初めて決勝に残った。タイムも自己ベストだった。

それから、次の大会のとき、長谷川の妹に、またあの敬礼をしてくれないか。決勝に残りたいんだ、とお願いした。

しかし、「ダメだよ、そういうのって、マツが一番嫌いなことだろ。あれはマツの実力で残ったんだ。自信を持とうよ」と、長谷川の妹に諭された。

「それで、結果は」と七恵。

かろうじて、決勝に残った。8位だったけどな。

 

七恵が、呆れるほど青い空を見上げながら言った。

「手を合わせたら、私の目の前にも沢山の思い出が出てきたよ。でも、泣いちゃうから、言わないけどね」

今日は、泣いてもいい日じゃないのか。

「いや、泣かないと決めた日だから」

目に涙はたまっているように見えたが。

 

そんな七恵に、私は唐突に言った。

ところで、生きている人が、死んだ人に唯一できることって何だかわかるかい。

「唯一?」

忘れないことだ。たまに、思い出すことだ。そうすれば、その人は、いつも我々と一緒にいる。

 

私がそう言うと、泣きそうになった自分の気持ちを誤魔化すように、七恵が「へへへ」と笑った。

なぜ、笑う。

「だって、マッチん、ずいぶん真面目なんだもん。いつもなら、そろそろ、話にオチがつくはずだなと思って」

完全にバカにしておるな。

では、最後に、こんな大学時代の思い出をもう一つ。

ある日、君のお母さんと大学の学食で昼メシを食ったんだ。君のお母さんは、俺の右隣でサンドイッチを食っていた。俺は、大好物の天丼を食った。そのとき、空いた左の席に、長谷川がきて座ったんだ。長谷川もサンドイッチを持っていた。

 

あれー、長谷川兄妹に、サンドイッチにされてしまった!

 

「ちぇっ、やっぱりバカか・・・」絶対零度の目で、七恵に見られた。

 

 

7月16日、七恵は仙台に帰った。

そのとき、新幹線の中で、お弁当が食べたいから、作って持ってきて、と命令された。

それは、いつものことだから、七恵の好きな鳥そぼろ弁当を呪いをかけながら、作った(俺をもっと尊敬しろー!)。

16日は、世田谷から国立まで、わざわざ長谷川が迎えにきてくれた。ただ、長谷川の運転ではない。生意気にも運転手さんに運転させてきたのだ。

まあ、運転手さんだから、運転するのが当たり前だとも言えるが。

長谷川は、ベンツの後部座席の端に座っていた。隣に七恵。

私が、乗り込もうとすると、七恵が出てきて、「マッチんは、真ん中に座って」と真ん中を開けてくれた。

座った。

 

あれー、また、長谷川にサンドイッチにされてしまった!

 

すると、右から「バカか」の声、左からは「バーカ」。

 

 

まさかの「バカ」のサンドイッチ攻撃。

 

  


キレイごとのシンちゃん

2018-07-15 06:23:00 | オヤジの日記

世田谷区羽根木の長谷川の家に行ってきた。

 

大学時代の同級生だ。

さすが3年前まで、中堅商社の社長様だった男の家だ。豪邸である。

部屋が何部屋あるかは、聞いていない。

もし10部屋あるなどと言われたら、火をつけてしまうかもしれないからだ。

その豪邸のリビングに備え付けられたバーカウンターで接待を受けた。

「昼間から酒を飲めるなんて、ついこの間までは、考えられなかったよ」

午後1時過ぎ。私は一番搾りを飲み、長谷川はカティサークのロックを飲んだ。

つまみは、チーズの盛り合わせだ。

 

3年前に、突然長谷川から電話があった。

「社長を退任しようと思うんだけど、どう思う?」

そんなの知るか、お前の勝手だろうが。

「なんとなくマツに聞いてみたくなってな」

それは、奥さんに医療現場に戻ってもらいたいってことか。

長谷川の奥さんはもともと医師をしていた。しかし、長谷川が社長を継ぐにあたって、医師を休業して長谷川のサポートに回ったのだ。

長谷川は、そのことに、いつも負い目を持っていた。

「だって、俺の代わりはいくらでもいるけど、医師は代わりがいたとしても足りることはないだろう。俺は、俺より有能な女房を社会に返してあげたいんだ。命を救える人は何人いてもいい」

 

さすがに「キレイごとのシンちゃん」だ。

私は、大学時代、いちいちまともなことや純粋なことを言う長谷川のことを「キレイごとのシンちゃん」と呼んでいた。

飲み会の席でも、四方八方に気を配り、キレイごとを言う男。

私が、そんな長谷川に皮肉の言葉をあびせると「さすがマツだな。皮肉にも愛情がこもっているな」という長谷川。

それを聞く度に、私は、鼻毛をペンチで抜いてやろうかと思った。

御坊ちゃまだと思った。

 

その御坊ちゃまは、大学を卒業すると、スポーツ用品メーカーに就職した。

そして、32歳のとき、女医と結婚した。

子どもも立て続けに生まれた。

その後、人生が、急転直下した。

長谷川が35歳のとき、父親が病に倒れ、半身不随になったのだ。

長谷川の父親は、中堅商社の創業者だった。その時点で会社の経営は、まだ磐石と言える状態ではなかった。

社長が倒れたことで社員が動揺して、会社を辞めるものも出てきたという。

そのとき、病室に長谷川は呼ばれて、父に頭を下げられた。

「俺の会社を助けてくれないか」

長谷川の一歳下の妹も呼ばれた。

「トライアングルの体制で、今の危機を乗り切りたい。頼む」

父親の鬼気迫る姿に、長谷川と妹は、頷くしかなかったという。

 

その後、創業者の「血の結束」が入ったことにより、社内の動揺は徐々に収まり、業績は持ち直した。

その業績を確認した父親は2年後に息を引き取った。

37歳で、長谷川は会社を継いだ。とても若い社長だ。

「でもな」と長谷川は言う。

「あの会社は、親父が作った『親父の会社」だ。つまり、俺が作ったものではない。だから、俺のものではない。世襲は、俺の代で終わらせたい」

そう言って、自分の2人の息子には、別の会社に入るように提案した。

息子たちも会社を継ぐ気はなかったようだ。

その結果、3年前、長谷川は部下に社長の座を譲った。

 

どこまでも「キレイごとのシンちゃん」。

 

社長を辞めたと言っても、長谷川は筆頭株主であり、オーナーなのだ。

したたかだな、おまえ。

私が、そう言うと、長谷川は、「オーナーとしての権限は、行使するときが来るかもしれない。社員の生活がかかっているときだけな」とカティサークの3杯目を飲みながら、高らかに笑った。

経営に携わる者とは、そういうものなのかもしれない。

俺が、甘いのだろうな。

「いや、マツは、こんな世界とは違うところで生きて欲しいと俺は願っているんだ。どこまでも、あるいは何歳まで、俺たちの現実世界を笑って生きていけるか、俺はおまえにそれを期待しているんだ」

 

所詮は「キレイごとのシンちゃん」。

俺をバカにしてるんじゃないか。

4本目の一番搾りを空にしたとき、長谷川が、「あー、そう言えば、言ってなかったよな」と酔いの回った目で私を見た。

「七恵が、三連休に東京に来てるんだ」

はあ? 早く言えよ、この家に今いるのか。

「いや、ちょっとした買い物を頼んだから、もう少し時間がかかるかもな」

「帰ってきたら、マツを引き連れて、邦子の墓参りに行くって言ってたぞ」

墓参り、おまえはしたのか、と長谷川に聞いたら、「とっくにな」と、まるで人を落とし穴に陥れるような邪悪な笑顔で、答えた。

 

七恵は、長谷川の妹の養女だ。今年28歳になるお転婆娘だ。ふざけたことに、私のことを「マッチん」と呼んでいた。

たまに、「ヒョロヒョロ」と呼ぶこともある。お茶目なガイコツを何だと思っているのだ。

 

七恵にとって、俺は何なんだろうな、と当然の疑問を長谷川にぶつけた。

 

「七恵にとって、マツは、ものすごく細い糸で繋がれた赤の他人だ、と言っていたな」

「細い糸だけど・・・他人だけど、切りたくない糸だとさ」

 

すぐにも、ちぎれそうなほどの細い糸だが、ないよりはましってことか。

「いや、ないよりは、絶対にあった方がいい糸だ」

そんな感動的な話をしていたとき、お転婆娘が帰ってきた。

 

「マッチん、墓参りに行くぞーーー」

 

この話、次回に続く。

 

 


とんでもない娘ふたり

2018-07-08 06:48:00 | オヤジの日記

3月末から我が家に居候中だった娘のお友だちミーちゃんは、ちょっとしたアクシデントがあって、金沢へのお引越しが、1週間伸びた。

 

だから、その間に、自炊希望のミーちゃんに料理の手ほどきをした。

そのとき、私はミーちゃんにとって「パピー」から「シッショー」に昇格した。そのあと、シッショーは考えた。ミーちゃんを快く金沢に送ってあげようではないか、と。

それには、「食べ放題」だ。食べ放題こそ、ミーちゃんに相応しい。

そこで、私は、新宿でいかがわしいコンサルタント業を営むオオクボにトラップをかけた。

娘が金沢に転勤するんだ。その歓送会をしたいと思ってる。スポンサーになってくれないか、という内容のLINEを送った。

単純なオオクボは、「わかった、木曜日の夜が空いている」とトラップにかかった。

 

木曜日の夜。国立駅前で、トラップ・オオクボと合流した。

今回、オオクボは車ではなく電車で来た。いつもなら偉そうにBMWで来るオオクボだったが、今日は、飲みたいと思ったそうだ。

オオクボの会社は新宿。自宅は市ヶ谷だから、国立に来るのは、苦ではないはずだ。

国立で我が家族に会った。

こんにちは。

ミーちゃんを見たオオクボは、「おまえ、娘が増えたのか」と金持ち特有の余裕のある笑い顔で、肩をすくめた。

言ってなかったか。俺の娘が双子だったってことを。

「確かに似てるな」とオオクボ。

ミーちゃんが、頭を下げた。

「ゴチになります」

 

豚シャブと寿司の食べ放題にゴーだ。

ミーちゃんが食べ始めて1分17秒後、オオクボの口があんぐりした。

わかったか、オオクボ、俺がお前に仕掛けたトラップを。

だが、食べ放題で良かっただろう。これが、食べ放題でなければ、お前は破産だ。

 

食っているとき、ミーちゃんが金沢に転勤することをオオクボに告げた。

すると、オオクボは「ちょっとトイレに」と言って席を外した。

帰って来たとき、オオクボの手には、ちょっと大きめのポチ袋があった。

それをミーちゃんの前に差し出しながら、オオクボが言った。

「初めて会ったのに餞別というのも変だけど、受け取ってくれるかな」

空けてみな、ミーちゃん、きっと3万円が入っていると思うぞ。

ミーちゃんがポチ袋から札を取り出すと、三つ折りにした3万円が出て来た。

「なんで、わかったんですか」

簡単な推理だよ。1万円だと少ないって思うだろう。かと言って、5万円以上だと負担に感じてしまう。この場合、3万円が丁度いいんだ。オオクボは、常識的な男だ。3万円しかありえない。つまり、オオクボは、つまらない男だってことだ。

ミーちゃんは、立ち上がってオオクボのそばに行った。そして、頭を深く下げた。さらに、オオクボにハグをした。

オオクボは、嬉しそうだった。

 

そのあと、オオクボが私の娘の前に、2枚の名刺を置いた。

見ると、1枚目の名刺は、立川の美容室のものだった。

「遅くなったけど、夏帆ちゃんの就職祝いだ。これは、俺のクライアントの店だ。来年の3月までの無料パスだ。何度行っても無料でやってくれる。オーナーには、話を通しているから、この名刺を持っていけば、君はフリーパスだ」

2枚目の名刺は、オーダーメイドの靴屋さんのものだった。

「これも俺のクライアントだ。一足だけで悪いが、オーダーメイドで靴を作ってくれる。会社勤めには、靴は必需品だと思うんだ。あって損はないと思うよ」

娘もオオクボにハグをした。

 

オオクボ、おまえ突然いい人になったな。まさか賞味期限が・・・・・。

「食ってねえよ!」

およ、食い気味に来ましたね、オオクボ社長。

しかし、そんなコミカルな情景の中でも、ひたすらシャブシャブを食い、白米を食い続けるミーちゃんを目にし、さらに飲み放題でチューハイを何杯も重ねる酒豪の娘を見て、オオクボが言った。

 

「おまえの2人の娘は、とんでもないな」

 

 

いえいえ、豚シャブですので、トン(豚)でございます。オオクボ社長さま。

 

「あ、それ、全然面白くねえな」

 

確かに。

 

 

そんな、とんでもない娘は、昨日金沢に旅立った。

 


イチゴ大福

2018-07-01 06:43:01 | オヤジの日記

新宿で、いかがわしいコンサルタント会社を営むオオクボに、会社近くの海鮮居酒屋に連れ込まれた。

 

「年のせいか、肉が苦手になってな」とマグロの中トロ丼と冷奴を頼んだオオクボ。

ストイックなオオクボは90キロあった体重を72キロまでに絞った。2年前のことだ。それ以来、体重をキープしていた。

デブだった頃は貫禄があったが、細くなると顔のデカさだけが、やたら目立って不気味だ。どなたか妖怪として、アニメのキャラで出演させてくれないだろうか。名前は「カオアリ」でお願いします。

そのカオアリが、珍しく優しい声で、「すまんな」と言った。

いま謝ったのか、おまえが。賞味期限が36年過ぎたイチゴ大福でも食ったか(オオクボはイチゴ大福が大好物だ)。

「いや、おまえには上質なクライアントを4人も紹介してもらっただろ。それなのに、月に一回の居酒屋ランチとビールがお礼なんて、申し訳ないってことだ」

おまえ、忘れっぽくなったな。2年前の年末に、「スーツ貧乏」の俺にスーツとワイシャツの仕立て仕立て仕立て券を20万円分くれたじゃないか。ありがありがありがたいと俺は思ったぞ。そのときだけは、おまえのこと、できる社長だと思ったな。

「しかしなあ、あれだけでは、俺が納得しないんだよ」

オオクボ、おまえ、1975年もののロマネ・コンティでも飲んだか。急に、いい人になったじゃないか。アジフライが、急にマズくなったぞ。

 

オオクボに、初めて人を紹介したのは、中央区京橋でイベント会社を運営しているイケメンのウチダ氏だった。

彼とは15年近い付き合いになる。最初は、会社勤めをしていたウチダ氏。その会社に勤めていたとき、私は、その会社から仕事を頂いていた。そのときの担当者が、ウチダ氏だったのだ。

しかし、その会社は、まもなく倒産し、ウチダ氏は途方に暮れた。

だが、ウチダ氏の奥さんは、できる人だった。株で大きな利益を上げていたのだ。それを元手にして、ウチダ氏は会社を立ち上げた。11年前のことだった。

それから、ウチダ氏の事業は、順調に進んだ。

そんな順調なウチダ氏は、あまり私に仕事を回さない。その理由をウチダ氏は、こう言って説明するのだ。

「僕は、本当に仕事ができる人にしか、仕事を出さないんですよ」

面白いことを言う人だ。

 

しかし、私はウチダ氏の愛人でもないのに、ウチダ氏の事務所の合鍵を持っているのだ。いつでも潜入して、冷蔵庫の中のクリアアサヒと一番搾り、チーズ各種を消費できるフリーパスを持っていた。

それは、なぜかと言うと、ウチダ氏は仕事は出さないが、私を話し相手として欲していたからである。その報酬が、合鍵でフリーパスということだ。

かつては、1ヶ月に一回は必ず事務所に呼ばれて3時間以上、話を聞かされた。仕事の話もあったが、お子さんのことや趣味のドラムのことなどを熱く聞かされた。

そんなことが続いているとき、私は、ALFEE突然気がついたのだ。話を聞くだけなら、オオクボの方が適任ではないのか。

だてに、コンサルタント業をやっているわけではない。だてに顔がでかいわけでもない。これは、話の引き出しの多いオオクボに丸投げすべきだ。私は、そう思って、オオクボにウチダ氏を放り投げた。それが、7年前のことだった。

ウチダ氏とオオクボは意気投合して今に至る。私の肩の荷は、3インチほど降りた。

 

次に、紹介したのは、極道コピーライターのススキダだ。

ススキダには弟がいて、ススキダの父親が所有していた新宿歌舞伎町のビルを一人で管理していた。しかし、その弟が突然死んだ。

そこで、ススキダが管理をうけついたのだが、所詮は極道だから、テナントとの言い争いがたえなかった。

その結果、私に泣きを見せたのだ。

「おまえが極端に顔の狭い男だと知ってて聞くが(超小顔だと言われる)、管理会社の知り合いくらいいるだろ?」

そう泣かれた私は、オオクボのクライアントにビル管理会社があったのを思い出した。そこでまたオオクボにススキダを放り投げた。

それ以来、ススキダとオオクボは、仲良く極道ごっこをしているようだ。

 

リブロース・デブのスガ君が、3年前に、東京進出したとき、オオクボに紹介した。

静岡在住のスガ君は、静岡では、レストラン、駐車場、レンタルボックス、カラオケボックスなどを経営して、デブになっていた。

そのデブが、東京で介護業界に参入する意欲を持っていたのを知った私は、スガ君をオオクボに放り投げた。

さすがにこの時は、重さに耐えかねて腰を痛めた。

 

大学時代に特許で大儲けをしたミズシマさんも、オオクボに紹介した。3年前のことだった。

大学時代に、特大のホームランを2本飛ばしたミズシマさんは、その後もいくつか特許をとっていた。ただ、ホームランにまでは至らず、ヒットか内野安打、悪いときは、ファウル、空振りというスランプ状態だった。

そのとき、私は素人のくせに、ミズシマさんにアドバイスをした。企業のニーズを先回りして、これから何が必要なのか、戦略を練った方が、効率がいいのではないでしょうか。怪しいコンサルタントを知っていますので、ご紹介しましょうか。

ミズシマさんは、「ぜひ」と私に向かって、薄くなった頭を下げた。

つまり、このときもオオクボに、ミズシマさんを放り投げたのだ。ミズシマさんは軽いので、楽だった。

 

「みんないいクライアントだよ。本当に、おまえには感謝している」とオオクボ。

 

おまえ、日韓W杯でヘディングを14回したのに、ことごとく外した後遺症が、今ごろ出てきたんじゃないか。さっきから、おかしいぞ。

 

「おまえにしては、たとえがつまらなかったな。疲れてるんじゃないか」

 

たしかに、そうかもしれない。小学2年のとき、ロウソクの灯りで三日三晩寝ずに「ターヘルアナトミア」を読んだ疲れが、今ごろ出たのかもしれない。

 

そんな私のお茶目なジョークを無視して、オオクボが言った。

「ミズシマさんに聞いたんだが、ミズシマさんは、おまえとたまに寿司を食いに行くらしいな」

ああ、回転寿司もあるが、大抵は、高級寿司店で奢っていただく。

「ミズシマさんが言ってたぞ。あんなに気を使わないで話ができるのは、Mさんが初めてだって。それが、嬉しかったんだそうだ。まあ、バカ相手に気を使うのは無駄ですからって答えておいたがな」

 

正解です!

 

「だったらな」とオオクボが言った。「国立にも寿司屋は当然あるよな」

ありんす。

「今度から、国立の寿司屋でご馳走するってプランはどうだ?」

家族も一緒ってのはダメかい?

「もちろんオッケーだ」

 

 

オオクボ、おまえ、やっぱり賞味期限が36年過ぎたイチゴ大福を食ったんじゃないか。