リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

選べる人選べない人

2014-07-27 10:29:01 | オヤジの日記
中国で生産された鶏肉に、期限切れの肉が混入されていたというニュース。

中国で、とは言うが、会社自体は外資系だから、中国側に落ち度はない、という論理で、これから中国共産党の毎度おなじみの「外資たたき」が始まるかもしれない。

働いているのは中国人だとしても、管理するのは、資本を出した側だから、我が国は悪くない、という中華思想は、千年近く不変のものである。

中華料理は、世界最高の料理の一つだというのは、世界的に認知されている。
私は、本格中華を食ったことがないので、それが本当かどうかは判断できない。

日本製の焼き餃子はおいしいし、日本製の炒飯もおいしい。
日本製の麻婆豆腐や日本製の八宝菜も好きだ。

日本の材料で作ったものは、味付けが中華だとしても、私は中華料理だと思って食ったことがない。
日本料理の中華味付け、だと思って食っている。

食材としては、メンマのすべては中国産だ。
だから食わなくなった。
私はザーサイが好きだったのだが、これも中国産がほとんどなので、もう20年近く食っていない。

たとえば、マルハチニチロなどは、中国に工場を持っていて、中国産の冷凍食品をそこから日本に配送している。
それは、日本で採れたものではなく、中国で採れたものを中国の工場で生産しているから、私は決して買わない。

何か問題が起きたとき、「中華思想の主たち」は、きっと「あれは、我が国のものではない」から、我が国は悪くない、と必ず言い出すと思っているからだ。

中国の方の中には、管理意識が優れた方、責任感の強い方も、多くおられるだろう。
自分を律して、強いリーダーとして、作業システムに絶えず目を配っている方も多いと思う。

だが、現実問題として、共産党幹部でなければ、人にあらず的な支配下の中で働く末端労働者には、よほど徹底した教育を施さなければ、モチベーションが保たれないような気がする。

成果主義、というのは、賛否両論あるようだが、評価する側のバイアスがマイナス側に振れなければ、労働者のモチベーションは、上がると私は思っている。

成果主義で評価されなかった人、あるいは、そもそも成果主義を機能させない国家が、労働者の「やる気」を奪うのだと思う。

真面目に働いても評価されないなら、その時々で、一番楽な作業を選ぶのが、「評価されない人」の行動原理だ。


今回、期限切れの肉を混入した人も「評価されない人」たちなのではないか、と私は思っている。

外資系企業の中で評価されないのか、中国のシステムの中で評価されないのかは、それぞれの人に聞いてみないとわからない。

食品の不備、に関して、ニュースになる割合は、中国が圧倒的に多い。
その報道は意図的なもので、実際は、世界各地で色々な国が、食品の不備を抱えていて、中国だけが突出しているわけではないかもしれない。

おそらく、顕在していないだけで、日本にも頻発しているのかもしれない。
選ばれたニュースしか我々は目にできないので、真実はわからない。


私は、料理の食材として、日本産を優先するのだが、日本産が安心だ、というのは実は幻想なのかもしれないとも思っている。

日本にも「評価されない人」は、たくさんいると思う。

その人たちのモチベーションが下がりきったときには、日本の食材も危ないと思うし、海外の食材も安心できない、と思うのだ。


では、何を信じればいいのか?


私は、とりあえずは、中国産の食材は拒否するというスタンスを貫いている。

それが、正しいかどうかは、わからない。

日本産が安全である、という根拠も、実はないのだ。

安全だとは思うが、バイアスが違う方に振れたら、日本産が安全ではない、という結論に至ることもありうる。


ただ、人間は、日々、メシを食わなければ生きていけない動物である、という現実がある。

だから、自己満足でも何でも、自分が「安全だ」と思える食い物を食い続けるしかない。

「食の安全」は、一番大事だが、すべての安全を掌握するのは、個人では無理だ。
それは、メーカーに委ねるしかない。

だから、どのメーカーを選ぶかによって、その人の健康は左右される。


つまり、これから先、健康を維持できる人は、「食品の安全」を選べる人か選べない人か、ということになる。


私は、選んでいるだろうか?




話は、全く飛ぶのだが、ジブリ映画の「思い出のマーニー」が、全国各地で放映されている。
ただ、ジブリ映画としては、初速が弱い。
それほど、爆発的に、ヒットしているわけではないようだ。

それは、それで現実なのだからいいのだが、結果論で作品の内容を判断する「専門家」がいるのが、私には理解できない。

映画批評家の前田有一氏が、「アナと雪の女王」と比較して、「思い出のマーニー」を「今回は完全に“宮崎カラー”からの脱却を試みているので、よけいに地味な作品になってしまった」と批評している記事を見た。

映画評論家というなら、試写を観ているはずだろう。
その試写を観ていたときには、明確な批評は行わずに、一般公開してから、観客の反応が鈍い現象を前提において批判するのは、プロとして恥ずかしくないか、と私は思ってしまうのである。

もし試写を観ていないなら、それは映画評論家としての怠慢であり、一般公開したあとで初めて観た感想だとしたら、それは、時間差で評価した「一般人の空気を読んだ感想」でしかない。

もちろん、なぜ、観客動員数が上がらなかったのか、という検証は専門家の必要事項かもしれないが、マイナスから評価する検証は、公平なものと言えるだろうか。


私の大学1年の娘は、公開2日目に観に行って、震えるほど感動したという。


もちろん、私の娘の感性がおかしいのかもしれないが、私は彼女の感性を信じたいと思う。


もしこれから、ロングヒットを続けたとしたら、その映画評論家は、どんな風に、自分の中で整合性を調整するのだろうか。

「実は、あれは、深いストーリーだったのですよ」と適当な感想で、逃げることを選ぶのだろうか。

気になる。


(ただ私は決してジブリファンではありません)


慣れないこと

2014-07-20 11:23:00 | オヤジの日記
ワールドカップが終わった。

ワールドカップの試合は、日本の予選3試合と決勝を録画して観た。

決勝戦を観るとドイツ、アルゼンチンの代表選手の動きは、連携が取れていて流石だなと思った。
ただ、私はサッカーファンではないので、高度な技術や戦略はわからない。

単純に、すごいなあ、という感想しかない。

他の感想として、中継時のアナウンサーと解説者の「内容の薄さ」というのがある。

NHKの中継は、まだ落ち着いていた方だが、民放はすべてにおいて、まとまりがなかった。
娯楽色を出そうとしていたのだろうが、にぎやかなだけで終わった。

臨場感は演出できていたが、解説と中継アナウンスは、居酒屋での会話と変わらないものに思えた。
あるいは、スポーツ・バーにいるような感覚と言っていいかもしれない。

それが好きな人には、満足できるものだったかもしれないが、私は、安っぽい祭りを観るために中継を観たのではない。
世界トップの選手たちの躍動を観たかったのだ。

中継では、それぞれの言葉が軽すぎて、興ざめした。

それは、最近のどのスポーツ中継にも言えることなので、慣れてしまった。
慣らされてしまった。


ただ、いまだに慣れないのが、大手男性アイドル事務所のタレントさんや大阪の大手お笑い事務所の人たちが、スポーツ中継の分野で多用されることである。

もちろん、業界の力関係として、強い方になびくというのは、どこにでもあることだから、その仕組みは、わかる。
だが、私は慣れない。

彼らの中には、そのスポーツの知識を極めている人がいるのかもしれないが、偏見を承知で、「私のような素人より少し上」としか思えないのだ。

つまり、その人たちのファンにしか、その言葉は伝わらない。

テレビ局としては、「視聴率」という結果を求められるから、手軽な演出で数字をとるのが、上からの至上命令なのだろう。
しかし、その仕組みに、いまだに私は慣れない。


たとえば、男性アイドル事務所の若いアイドルは、若い頃から、他の人より数多くのチャンスを与えられているのに、なぜあれほど歌が下手で演技が下手なのだろう。
なぜ、こもったような滑舌の悪い幼い声で喋り続けるのだろう。

そして、大阪の大手お笑い事務所のタレントも早口で滑舌が悪い。
私には、伝わらない。
その語りは、自己満足にしか思えない。


彼らは、ゼロから始めた一般の演者より、遥かにたくさんのチャンスを与えられているのに、なぜ歌や演技、語りの下手なタレントでいられるのだろう。

たとえば、ファンが発する「誰それの演技がうまい」という、ほとんど冗談のようなデマで、演技が上手いと言われているアイドルも、プロの役者さんたちに混じれば、それが、「ファン目線の応援」にしか過ぎないことは、冷静に考えればわかる。

おそらく、中にはエンターテインメントとして、人を魅了する能力を持ったタレントさんも、いらっしゃるだろう。

だが、スポーツ中継を観る限り、そこで起用されたタレントさんたちは、「にぎやかし」でしかない。

祭りの中継で、その祭りを盛り上げるのが彼らの仕事だとしても、その盛り上げ方は、そのスポーツのファンに対してのものではなく、「自分のファン限定」に、思えてしまうのだ。(もちろん、偏見)


にぎやかに、祭りを飾りたい結果、大手男性アイドル事務所や大阪のお笑い事務所の方を使用するのは許容するとしても、「ファン目線」だけだったら、誰でも意見は吐ける。

それ以外の、それ以上の切り口で、試合を表現できるのが、プロではないか、と私は思っている。


ただ、ファンが盲目的に応援するだけの「にぎやかし」は、いらないのではないだろうか。



普通の人たち

2014-07-13 08:53:00 | オヤジの日記
集団的自衛権の拡大解釈は、間違いなく日本を戦争に導くものである。

どれほどの綺麗事を並べようが、集団的自衛権を認めなければ、自衛隊が参戦することはない。
日本国が、他国に宣戦布告をすることもない。

しかし、アメリカからの圧力に屈して、簡単に認めてしまった以上、70年前の戦場に逆戻りすることを想定しなければいけない。

一国の軍隊が、70年近く、殺しもせず殺されなかった例は、人類史上珍しいことなのに、たった一人の指導者の「同盟国(アメリカ)への恐怖」から、認めてしまったのである。

日本を敵視し、蔑ろにする中韓鮮にとっては、平和憲法を持ってこその日本だから、強腰でいられたのだと思う。
しかし、集団的自衛権を行使する権利を得た国に対しては、これからの方針は確実に変わるだろう。

中韓鮮が弱腰になることはあり得ないが、間違いなく日本を「軍事国家」と見做して、最後は戦争を念頭に置いて、外交をしてくるはずである。

それが、集団的自衛権を持った、当たり前の国家の交渉だからだ。
(同盟や条約は、戦争の前には反古にされる)

集団的自衛権を平和のために使う、などという戯れ言は、通用しない。

中国は、核を持っているのだ。
そして、おそらく、北朝鮮も持っている。

韓国は持っていないが、米韓相互防衛条約を考えたら、米国の核が、日本に影響を及ぼすことがゼロとは言えない。

日本とアメリカが同盟しているからと言って、その時点の利益を考えたら、アメリカという唯一の超大国は、自己の利益を優先して、日本に不利益になることを選ぶかもしれないことは、第2次世界大戦後の地域的紛争の際に、選んだアメリカの政策を考えれば、簡単にわかる。


政治家や保守主義の人は、何故わざわざ、自分の国を危ない場所に置きたがるのだろうか。


最近では、若い人の中にも、「昔はよかった」という愚かな意見を述べる人が多くいる。

昔の教育に戻し、愛国心を植え付ける教育を徹底すべきではないか、という意見もある。

昔がよかったのなら、絶対に負ける戦争に若者を導いたことも、いいことになる。
(日本を戦争に導いたアメリカは、戦争中もメジャーリーグを開催し、ハリウッドでは大作を制作していたのだ。それくらいの情報は、指導者なら簡単に把握できたはずである。………愚かだ)

高度経済成長の頃、日本人が外国に行くと。我が物顔でブランドを買い漁り、行く先々で「エコノミック・アニマル」と蔑まれたことも、肯定していいことになる。

バカバカしすぎる話だ。


それらを反省して、日本という国を見つめなおし、「日本」を一つのブランドとして、品位を上げた人が、私たちのまわりにいくらでもいる「普通の人」なのである。

それは、決して、「昔はよかった」式の教育を受けた人ではないだろう。

「普通の人」たちが、大震災でも節度を保ち、お互いを尊重して、境遇を分かち合おうとした結果、日本人の「民度」を世界に示すことができた。

それは、「ゆとり世代」などというふざけた批判とは、関係ないものだ。

誰もが、「普通の人」として、当たり前のように生きてきて、傲り高ぶった「エコノミック・アニマル」世代の下衆の行いを修正したから成し遂げられたものだ。

高度成長時代の、ご立派な教育を受けた方々の「下衆な行い」より、今の日本人の民度の方が高いのは、自明なことである。


70年前、50年前、30年前より、今の日本人は、遥かに、「まともな道」を歩いている。

その「まともな道」をねじ曲げる政治家は、政治家として、日本の将来に何を見ているのだろうか。


集団的自衛権の拡大解釈は、自衛隊を確実に、戦地に赴くことになるだろう。

可愛い子どもたちが、戦火に倒れることを、彼らの親は納得するだろうか。

私は、2人の子どもの親だが、それは、断固として拒否する。

そんなことが、あっていいわけがない。


政治家は、いつも安全な場所にいるが、安全ではない場所に行かされるのは、「普通の人」なのだ。

「愛国心」などという、いつの時代にも権力者に都合のいいように使われる言葉は、私は信じない。

「国」は大事だが、「人」より大事ではない。

おそらく、子どもを持つ親の何割かは、私の意見に賛成してくれると思う。


いつ戦争に連れて行かれるかわからないのに、親は、自分の子を自衛隊に預けるだろうか。


自衛隊の隊員は、これからは、減っていくのではないだろうか。


そうなったら、やがて………チョウヘイセイ?


愚かな政治家たちは、そこまで考えていることもありうる。



もしかしたら、政治家は、「普通の人」の持つパワーを恐れているのかもしれない。

「普通の人」のパワーを封じ込めることが、彼らの「明日の票」に繋がる、と政治家独特の下衆な「票読み」を下衆な脳の電卓でしているのかもしれない。



今の日本の基礎を築いた「普通の人」たちの中には、戦争を望んでいる人はいるかもしれないが、今の「美しい景色のままの日本」を望んでいる人も多くいるはずだ。


私は、そんな「普通の人」が多くいることを信じたい。



歪んだ優越感

2014-07-06 09:44:00 | オヤジの日記
新宿御苑のお得意先で、同業者と鉢合わせをした。

丁度、2人とも違う仕事をいただいて、帰るところだった。

2時を過ぎていたが、私は昼メシを食っていなかった。
お昼食いましたか、と聞いたら、「まだなんですよ」と30代半ばの女性の同業者が、答えた。

「近くの定食屋さんで、たべましょうか」と言われたので、腹をすかせた憐れな男は、即座に頷いた。

カウンターだけのこじんまりした店だった。
2時を過ぎていたせいか、客は他にいなかった。

アリマさん(同業者)は、「サバの味噌煮定食」を頼み、私は「肉じゃが定食」を頼んだ。
出来上がるまで、話をしようと思った。

私はお客様以外とは、仕事の話をしないようにしているので、「最近は、どこに行きましたか?」と聞いた。
以前、一度だけ、旅行が趣味だというのを聞いたことがあったから、一番、答えやすそうなことを話題にしたのだ。

アリマさんが、何かを言おうとしたとき、新しい客が入ってきた。
でかい声の男だ。
定連さんらしい。

「鯛茶漬け、ちょうだいよ」と大音量で言った。

私は突発性難聴の影響で、右耳が聞こえないので、大きな声で話してくれると有り難いのだが、世の中には限度というものがある。
限度を超えた声は、「騒音」でしかない。

その「騒音男」が、カウンター席側にいた店の女性に、「もう8ヶ月だっけ」と聞いた。

私は、女性のお腹を見る趣味がないので、女性が妊娠していることには気づかなかった。
8ヶ月と言えば、出っ張りが、かなり目立ってきていると思うが、見る趣味がないので、確認することはしなかった。

男が、カウンターの大将に「結婚して6年だろ?」と言った。

詮索するのは好みではないが、この場合、大将と妊婦さんは、ご夫婦だろう、と推測するのが自然だ。

「やっとできたんだもんなあ。俺なんか同じ6年前に結婚して、子ども3人だよ。これで、大将もやっと一人前だよな。遅すぎたけどな」

好意的にとれば、男は大将のことをずっと心配していて、子どもができたことを無条件に喜んでいる、ということになる。

だが、男は、「俺とは大分差がついちまったなあ。3対1じゃあ、勝負にならないもんな。俺の方が上等だってことだ」と続けたのである。
そして、命令口調で「茶漬け遅いな。客が少ないんだから、早く出せないかね」と、カウンターを叩いたのだ。
冗談の口調では、なかった。

「奥さん、あんたも遅すぎ。子どもは、もっと早く産むもんだよ。35で初めてなんて、世間に申し訳ないだろ!」

大将は、きっと、この歪んだ優越感を持った男に、毎回のように言われて慣れていたのだろう。
「お待たせしました」
笑顔で、私たちの前に、定食を置いた。

だが、男は、くどかった。
「茶漬け、まだ? 仕込みは遅い。ガキも遅い。大丈夫かねえ、心配だよ」
相変わらず、大きな声だった。


結婚して、子どもができて一人前、という考え方の人は多い。

だから、政治家などが「つい本音で」その種のことを議場で言い放つのだろう。

今回のように、ヤジが問題視されて、それに対する批判の声が大きくなったが、裏を返せば、ヤジ騒動がなければ、いまだに「結婚して、子どもができて一人前」が、まかり通っていたのではないだろうか。


20年前に結婚した私の友人は、不妊治療をしたが、子どもに恵まれなかった。
彼ら夫婦は、実家に帰る度に、周囲から「子どもはまだ」の総攻撃を受けたらしい。

「不妊治療している」というと、まるで悪いことをしているかのように、「なんで? そんなことをしなくても、普通ならできるだろう」と白痴的な非難を浴びたのだという。

会社の上司などからは、酒の席で「こいつは、種なしだから」と無神経なことを言われたこともあったらしい。


「子どもができて一人前」という男社会のルールは、「跡継ぎ」を前提としたもので、「人間の幸福」を前提としたものではない。

要するに、武家社会の「お世継ぎ」意識から、何も変わっていない。


男の前に、鯛茶漬けが運ばれてきた。

また何か余計なことを言いそうな空気を察したのか、アリマさんが、大きな声で言った。
「あーあー、私も今年36かあ。独身だし、子どもはいないし、日本では私みたいなのは、人間扱いしてもらえないから、外国で暮らそうかなぁ」
そして、私の方を見て「アメリカ、イギリス、カナダ、イタリア。どこがいいですかねえ。そうだ! 私、大学時代、第2外国語がイタリア語だったから、イタリアがいいかも」と声を張り上げた。

その大声に、圧倒された私は、ああ、イタリアは、俺も好きだなあ。毎日、イタリアンが食えるなんて最高ですよ。でも、ここの肉じゃがも最高だけどね、と訳の分からないことを言った。

「確かに、このサバもうまいわ」
そして、大将に、「イタリアンでも、サバ料理ってありますよね」と話を振った。

「はい、香草を使った料理はうまいですよ」と、大将。
「トマト煮もいいと思いますよ」と奥さん。

話に乗り遅れないように、私も、サバのペペロンチーノは、作ったことあります、と割り込んだ。

10分以上、イタリアンの話題で盛り上がった。


さすがに、どんなに無神経な男でも、ここで「ヤジ」は、飛ばせなかったようだ。

無言で鯛茶漬けを食い終わると、すぐに店を出ていった。



ただ、次の日もまたやってきて、「歪んだ優越感」をまき散らすかもしれないが。