リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

魔法のキッス

2017-06-25 07:21:00 | オヤジの日記

お笑い芸人の芋洗坂係長にとてもよく似た友人がいる。

紅の豚、と言ってもいい。

大学陸上部の2年後輩だ。

姓をカネコという。

こいつは、2年後輩のくせに、私のことを「おまえ」と呼ぶのだ。

それには、理由があった。

大学1年のときのカネコは、とても繊細で人見知りだった。

私が大学3年のときに、陸上部に入部してきたカネコは、陸上部の雰囲気に馴染めず、そのせいで半年で部を辞めた。

しかし、同じように人見知りの私は、途中で辞めたカネコのことが気にかかり、キャンパスで見かけたら、必ず声をかけたし、友人たちとの飲み会の席に連れて行ったりもした。(おまえは、未成年に酒を飲ませたのか、という罵倒には黙秘権で答えることにします)

そんなことがあった後に、私は、当たり前のように4年で卒業することになった。

 

卒業式の前夜、2年後輩のカネコから電話があった。

カネコは、自分で電話をかけてきたにもかかわらず、2分ほど沈黙を貫いた。

そして、そのあと、衝撃の告白を叫んだのだ。

「Mさんが卒業しても会いたい!」

それに対して、私は、わかった、先輩後輩としてではなく友だちとして会おう、と恰好をつけた。

最初は遠慮して、私のことを「Mさん」と呼んだカネコだったが、5年もすると、コイツは先輩としてたてる価値のないやつだと悟ったのか、「おまえ」と呼ぶようになった。

 

芋洗坂係長のくせに。

紅の豚のくせに。

 

飛べない豚は、ただの豚だ。

偉そうに、ブヒブヒ言うな!

 

 

ただ、今回は、この醜い豚の話ではない。

いまのは、ただの前フリだ。

今回の話は、カネコの娘のショウコのことだ。

 

だが、ショウコとカネコの間に、血の繋がりはない。

ショウコは、カネコの奥さんの連れ子だった。

カネコの娘になったとき、ショウコは6歳だった。

私の前に現れたときもショウコは6歳だった。

ショウコは、ハッキリとものを言う子で、聡明だった。

 

ショウコには、勉強を教えた。

テニスも教えた。

速く走るコツも教えた。

一緒に風呂に入ったこともある。

遊園地やプールにも行った。

旅行にも行った。

娘のようなものだった。

そして、ショウコは、1歳下の私の息子の面倒を見、5歳下の私の娘の面倒も見てくれた。

 

ショウコは、大学1年のときに結婚した。

大学3年で、女の子を産んだ。

23歳で男の子を産んだ。

旦那は、中学の英語教師だった(二人とも私の大学の後輩だ)。

今のショウコは、子育てをしながら、自宅で翻訳の仕事をしていた。

子どもの名は、「ホノカ」「ユウホ」と言った。

どちらも「帆」の字がついた。

私の娘と同じだ。

なぜ、ショウコが自分の子どもの名に、その文字を使ったのかは、聞いたことがない。

ただの偶然かもしれない。

 

娘のような存在のショウコだが、一つだけ困ったことがあった。

ショウコは、7歳のときから合気道を習っていた。

つまり、20年のキャリアがあった。

私は、29歳のときに、体の衰えを感じて、ボクシングジムに1年1ヶ月通ったことがあった。

しかし、20年と1年1ヶ月の差は大きい。

ショウコは、子どものときから技を覚えるたびに、私を練習台にして関節技をかけた。

本気でかけるから、私の骨と関節は、いつも悲鳴をあげた。

ガイコツの骨と関節は強いから、致命的な損傷はしなかったが、普通の人だったら骨が折れていたに違いない。

そのトラウマが今も残っていて、私はショウコに抵抗することができない。

 

27歳になるショウコは、いまだに私にお年玉を要求する。

子どもの分も要求する。

子どもはわかるが、なぜ私が27歳の人妻のショウコにお年玉を毎年渡さなければならないのか。

そう言いたいのだが、私は怖くて言えない。

 

今年の2月まで、私たち家族は中央線武蔵境駅の近くに住んでいた。

今は、中央線国立駅だ。

ショウコの家は、中央線八王子駅の近くである。

困ったことに、八王子と国立は、結構近い。

武蔵境駅近くに住んでいたときは、年に2回程度しか会わなかったが、国立に越してきてからは、毎月呼び出されることになった。

ショウコが、子ども二人を連れて、いきなりやってくるのだ。

会うのは、国立駅近くのファミリーレストランだった。

私は、お安いガストやサイゼリアが好きなのだが、いつもショウコはランクが上のロイヤルホストを指名する。

お高いハンバーグやお子様ハンバーグなどを注文なさる。

結構な出費だ。

しかし私は、ショウコの関節技が怖いので、いつもそれを拒むことができない。

言いなりである。

 

今週の木曜日。

ロイヤルホストで、ランチを奢らされた後で、ショウコが言った。

「蚊取り線香が欲しいの」

(何で蚊取り線香? と思ったのだが、怖いので言い返すことができない)

「今までプッシュ型の蚊取りを使っていたけど、八王子の蚊には効かないみたいなの」

(そんなことはないだろうと思ったが、怖くて言い返せなかった)

圧力ある言葉で、「蚊取り線香、買って」と命令された。

ビビりながら、わかりました、と答えた。

 

「あとね」と続けてショウコが言う。

「蚊取り線香と言えば、豚の陶器よね」

(まあ、確かにそうだが、そこにこだわる必要はないだろう、と思ったが、怖くて言えなかった。君のお父さんは紅の豚だから、お父さんに買ってもらえばいいのに、と思ったが、怖くて私には言えなかった)

そんな風に思う心に反して、私は、近所に大型の雑貨店があるから、そこに行けば売ってるかもな、と答えた。

行ってみたら、確かに売っていた。

「買って」と笑顔で命令された。

買いました。

 

ドラッグストアで金鳥の大型の蚊取り線香3パックを買わされ、雑貨店で買った豚の形の陶器をショウコが車を停めた駐車場まで運ばされた。

結局は、蚊取り線香と豚の陶器を買わせるために、国立に来たのだな、と思ったが、それも怖くて言い出せなかった。

車の助手席に、買ったものを置いたあとで、ショウコが、ホノカとユウホに、「シラガジイジに、お礼を言いなさい」と言った。

ホノカとユウホは、「ありがとう」と言ったあとで、「シラガジイジ、しゃがんで」と言った。

私がしゃがむと、7歳と4歳の子どもたちは両側から、私のほっぺにチューをしてくれた。

 

子どものキスは魔法だ。

そのチューのおかげで、私のショウコに対する恐怖心が消えた。

だから、私は調子に乗って、「働きながらの子育ては大変だろうが、君ならできる」と偉そうに励ました。

しかし、「おまえが言うな」というような目で、睨まれた。

ビビった。

 

だが、子どもたちの魔法のキスが効いていた私は、恐怖心を半分しか感じなかった。

 

 

子どものキスは魔法だ、とそのとき強く思った。

 

 


オノ連作 その2

2017-06-18 06:36:00 | オヤジの日記

 

今回は、いつもとは違うパターンの導入部になります。

お手数ですが、オノ連作 その1を先に読んでいただけたら、話が繋がると思います。

 

大学時代の同級生オノが、突然「この人と結婚しようと思うんだ」と言って、私を驚かせた。

女性の名前はシズコさんと言った。

どういう経緯で、そうなったかは、聞かない。

私は週刊文春ではない。

私は、人様の個人情報には興味がない。

ただ、相手が積極的に話してきた場合は聞く。

 

オノが照れながら説明してくれた。

昨年末、錦糸町のフリーマーケットを覗いたら、自転車が500円で売られているのを見つけた。

まだ、乗れそうなのに500円。

出店者に「本当に500円で売ってくれるんですか?」と聞いたら、「両方のブレーキが甘いので、乗りにくいですけど」と相手は答えた。

それが、シズコさんだった。

その後、オノがかつて入院し、いまは小児病棟で読みきかせをしている病院で、偶然にも再会したのだという。

シズコさんは、ケアマネージャーをしていて、時々その病院を訪問していた。

それが出会いだった。

 

それから半年で結婚を考えるとは、その期間は、男女の付き合いとしては、短いのか長いのか。

いずれにしても、相性が良かったということだろうか。

「でも、この人の両親には、まだ挨拶に行っていないんだ」と申し訳なさそうにシズコさんを見るオノ。

シズコさんは、柔らかい笑顔で頷いた。

私には、その姿は、そんなことは気にしない、と言っているように見えた。

 

ただ、どちらにしても、今日は目出たい。

お祝いをしようじゃないか。

俺にご馳走させてくれ。

ただし、外ではなく、この家でな。

 

「料理道具が何もない、この家でか」

だから、それを今から買いにいく。

私は、二人を部屋に残して、都営アパートを出た。

そして、まずフライパンや鍋、まな板、包丁、ザルやボウルなどを買って帰ってきた。

2回目は、食材だ。

目出たいと言えば、鯛。他にナス、ニンジン、インゲン、豚ひき肉、豆腐、油揚げ、片栗粉、油、ゆず、味噌などの調味料を買って帰ってきた(オノの自転車を借りた)。

それで、鯛めし、ナスとニンジン、インゲン、豚ひき肉の甘辛煮、揚げ出し豆腐、そして、鯛のアラを使った味噌汁を作った。

オノは飲まないと思ったが、一応クリアアサヒも6本買った。

 

きっと、外で食った方が安上がりだったと思う。だが、料理道具や調味料は、お祝い代わりだ。これからの二人の生活に役立つに違いない。

3人で乾杯をした。

オノは、乾杯の後、クリアアサヒをひと口だけ飲んで、残りを私にくれた。

その姿を見て、オノはまだ病と闘っているのだな、と思った。

 

オノと私が、昔話があまり好きではないこともあって、食いながらの話題は、シズコさんが専門の介護のことだった。

高齢化社会での介護の未来は、決して明るいものではないことをシズコさんは嘆いていた。

介護職の需要は増えているが、短期間で辞める確率が、どの業種よりも高い。介護職の待遇面、環境面が改善されないから、働きがいがない、とこぼす介護士をシズコさんは、多く知っていた。

そして、その人たちの多くは、まったく違う業種に転職していくという。

 

「半病人の俺が言うのはおこがましいが、俺は介護の資格を取りたいと思っているんだ。それが社会への恩返しに繋がるんじゃないかと俺は思っている」

隣で、シズコさんんが何度も頷いていた。

二人を結びつけたのは、もしかしたら「福祉」かもしれない。

 

そんな崇高な二人に対して、心が薄汚いガイコツが言うことは何もない。

本当に、何もない。

 

頑張れよ、という気もない。

いま精一杯頑張っている人間に、頑張れよ、というほど、私は思い上がってはいない。

応援させてもらう、と言うしかない。

そのあと、俺は君たちを尊敬するよ、という言わなくてもいい安っぽい綺麗事を言って、私は自己嫌悪に陥った。

そんなことを言ったって、この二人の清さに勝てるはずがないのに。

 

オノに「俺たち結婚してもいいと思うか」と聞かれた。

それを決めるのは、俺じゃないな、と答えた。

俺は、祝福することしかできない。本当に、俺には、それしかできないんだ、と言った。

 

そんな薄っぺらな答えを返して、二人と別れた。

 

今度、オノからのハガキがいつ来るかは、わからない。

 

幸せな報告だったら、私はいつでも歓迎する。

 

 

私は、それを心待ちにしている。

 


闇から生まれた闇太郎

2017-06-11 06:41:00 | オヤジの日記

先週の日曜日、事情があって、非常識にも朝の7時過ぎに、極道コピーライターの横浜大倉山の事務所に押し掛けた。

 

ススキダは、すでに事務所にいてくれて、事務所のソファを私に貸してくれた。

毛布も貸してくれた。

そして、気持ち悪いことに、「まあ、ゆっくりと寝ろや」と言ってくれたのだ。

殴ってやろうか、と思ったが、すぐに眠りに落ちた。

起きたのは、12時半頃だった。

テーブルの上には、すでにカツサンドが置いてあった。

「食うか」と聞かれたので、クゥー、と答えた。

いつもならいるはずの実際の年より10歳は若く見える奥さんは、スポーツジムに行っていて不在だった。

極道顔を正面に見てカツサンドを食うのは、私の趣味ではないので、少し席をずらして食いはじめた。

クリアアサヒも用意してくれたので、豪華な昼メシと言ってよかった。

 

食っているとき、ススキダが「今年もベイが頑張っているから嬉しいよ」と意味不明のことを言った。

ベイ? ベイマックスのことか?

「ベイスターズだ!」

ススキダは、以前は私と同じアンチ・ジャイアンツで特定の球団のファンではなかったが、横須賀から横浜に越してきて、ベイスターズのファンになった。

しかし、それは、プロ野球に興味のない私には、どーでもいいことだった。

だが、無神経なススキダは、勝手に話を進めるのだ。

「去年久しぶりにAクラスに入って、クライマックスシリーズに出たときは興奮したぜ.レイコ(ススキダの奥さん)と一緒に、応援に行ったからな」

クライマッックスシリーズ? はあ?

詳しく説明してくれたが、モンゴル語を聞いているようで、私には理解不能だった。

だから、なに?

「だからさ、トーナメントに勝ち抜けば、3位でも日本シリーズに行けることがあるってことだ」

ほう、ベイスターズは、そんなに強かったのか。

「結局は負けたけどな。惜しかったよ」

3位か。ということはそれなりに勝ったってことだな・・・とススキダの分のカツサンドを横取りしながら、話に付き合ってやった。

 

「いや、負け越したんだ」

 

はあ? 負け越したのに、クライなんとかに出られるのか?

負け越したってことは、弱いチームってことだろ。弱いチームが、クライなんとかに出ちゃダメだろ。

「Aクラスは、出られるんだよ。そういうルールだ」

だが、それはおかしくないか。負け越した弱いチームが、もし何らかの奇跡が起きて日本一になったら、ペナントレースを大きく勝ち越して優勝したチームとファンは納得しないだろう。

「それがルールだから仕方がない」

つまり、そのルールを考えた人は、頭が悪いってことだな。小さな可能性を考える頭がなかったのだな。

「しかし、結局は負けたんだから、問題ないだろう。だが、Aクラスに入ったってことは、監督にも選手にも自信がついたと俺は思うぞ。だから、今年が楽しみなんだ。絶対に今年は、いい成績を残すと俺は思っている」

じゃあ、今年は勝ち越しているんだな。

「いや、負け越している」

 

はあ?

 

「でも、3位だからな、いま立派なAクラスだ。このままいってくれたら最高だ」

ススキダ。

「なんだ?」

野球ファンって、お気楽だな、平和だな、ノーテンキだな。

 

「いや、俺には、お前の方が、ノーテンキに見えるぞ」

 

おまえは、人を見る目がない。

俺は、フォースの暗黒面から生まれた男だ。

俺は、「闇から生まれた闇太郎」なんだよ。

ノーテンキな闇太郎などいないんだ。

・・・と、薄い胸を張った。

 

ススキダに、鼻で笑われた。

あご髭を毟り取ってやろうかと思ったが、「クリアアサヒ、もう一本飲むだろ?」と言われたので、はい、アリガトウゴザイマス、喜んで、と答えた。

 

そのあと、ススキダのパソコンを借りて、仕事をした。

帰りは、ススキダの奥さんの運転で、横浜大倉山から東京国立まで送ってもらった。

車内では、ずっと眠っていた。南武線谷保駅のそばまで来たときに目覚めた。

「夏帆ちゃんに連絡しておきましたから、マンションの前で待っているはずですよ」とススキダの奥さんが言った。

マンションの前。

確かに、娘が待っていた。

手を振る姿を見て、目が潤んだ。

 

ススキダの奥さんに礼を言い、頭を深々と下げた。

娘も下げた。

 

 

それから、闇太郎は、家に帰って、普通のお父さんになった。

 

(娘のツッコミ・・・おまえ、普通じゃないだろ!)

 


横浜大倉山へ

2017-06-04 04:54:00 | オヤジの日記

極道コピーライターのススキダにLINEをした。

 

俺は今から、プチ家出をする。午前中はおまえの事務所のソファで爆睡する。そして、午後はパソコンを貸せ。昼メシはカツサンドとクリアアサヒを用意しろ。帰りはおまえのエスティマで家まで送ってくれ。ヨロシク。

 

「OK牧場」という返事が来た。

 

だから、これから行ってくる。

 

その理由についてはコチラをご覧ください。

 

 

行って参りまする。