リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ハリルって何ですのん?

2015-04-12 08:37:00 | オヤジの日記
ブラウザのホームをヤホー(ヤフー?)のトップページにしているので、ニュースの見出しが目に入ることが多い。

中身は読まない。
見出しだけだ。

読んでみて、ガッカリすることが多いので、おそらく3年以上、本文を読んでいないと思う。
プロが書いているはずなのに、誤字脱字があったり、比喩を間違えたり、引用記事の解釈を間違えたりなどが稀にあって、参考にならないときがある。

ほとんどの記事は正確に記されているのだが、性格がひねくれているので、少しでも理に叶わないものを読まされると、その記事が真実だとしても、内容そのものを疑う癖がある。
自分でも厄介な性格だと思う。

どうでもいいことだが。


最近、見出しを見て、何ですのん? と思ったものが、2つある。

「NHK クロ現 やらせか」

「NHK」と「やらせ」はわかるが、「クロ現」がわからない。
わからないなら、本文を読めばいいではないか、と言われそうだが、今まで読まなかったものを今更読むのも鬱陶しいので、想像するだけにした。

当然、「クロ現」は、何かの言葉を縮めたものだろう。
ヤフーの見出しには、文字制限があるから、縮めるのはわかる。
そこまで、目くじらを立てるつもりはない。

しかし、この「クロ現」を理解している方が、どの程度いらっしゃるだろうか。
試しに、二人の友人にメールでお伺いをたてたが、「知らない」「クロネコヤマトの現さんのことだろ」というお答えだった。

おそらく、後のは確実に間違っていると思う。

いろいろ考えてみたが、最終的に「クロアチアの現場監督」ということで落ち着いた。
NHKのドキュメンタリー番組で、クロアチアの現場監督が、やらせをしたのではないかと思ったのだ。

もちろん、不正解だとは思うが。

そして、不正解でも落胆はしないから、これは、M(エム)I(アイ)ということになる。

ちなみに、M(エム)I(アイ)とは「まあ、いっか」の略です。


もうひとつの「何ですのん?」は、「ハリル氏」のこと。

だいぶ前に、「サッカー日本代表監督の候補にハリル氏」という見出しが、ヤフーのトップページで頻繁に踊っていたことがあった。

それを見て、ああ、ハリル氏が監督になるんだな、と私は単純に受け止めた。

だが、監督になったのは「ハリルホジッチ」氏だった。

報道とは違う人がなったんだな、とサッカーに詳しい友人に聞いたら、「まあ、いろいろな名前が出てきたが、ハリルが適任じゃないか」と言われた。

ハリル?
いや、ハリルホジッチだろ?

友人に、完全に馬鹿にされた。
「ハリルホジッチを略してハリルだ! それくらい、わかるだろうが!」

嘘だろ、ハリル、ハリルと言われたら、普通はハリルだろうよ。
ホジッチ、が後につくなんて詐欺じゃないか。

「日本では、山本や山田を呼ぶとき、『ヤマちゃん』って呼ぶだろ。それと同じだよ」

そうか。
つまり、江頭さんを「エガちゃん」、蛍原さんを「ホトちゃん」というのと同じということか。

「例えがおかしいが、まあ、そういうことだな」


ハリルホジッチが、ハリル。

俳優のジョニー・デップ氏を「ジョニデ」と呼ぶより、遥かにセンスはいいかもしれない、と納得した。




ところで、話は劇的に変わるが、自民党が、ある特定のテレビ番組に関して、「中立の報道を」と申し入れたらしい。
要するに、政府の「圧力」だ。

これを聞いて、奢り高ぶりも甚だしいと思った。

与党は、批判されて当たり前。
たくさんの議席を持っているのだから、その数だけ批判はある。

自民党の小泉進次郎氏がかつて言っていた。
「総理大臣や政府与党は、批判されるのが当然。それにいちいち反論していたら、仕事にならない。もっと大人の対応を」

まったく、その通りだと思う。

批判も受け止めるのが、「大量の議席を持った政党の責任」というものだ。

やたら体制側意識が強く保守党寄りの報道をする読売系列や産経系列のテレビ局より、私はリベラルな報道をする番組を好む。

今の風潮として、特に若い世代や老年世代は盲目的に保守を支持する傾向にある。
その中で、政府与党を批判する媒体は、貴重な存在だ。

彼らが骨を抜かれてしまったら、日本人はかつてのように、みな同じ方向を向いてしまう。

自国の歴史を謙虚に振り返ると「自虐史観」と断ずる風潮には、私は馴染めない。

歴史には、色々な観点がある。
ナショナリズムは、どこの国にもあるから、私は否定しない。
いつの時代にも権力者に都合のいいよう利用され、強いものに迎合する「愛国心」に囚われた人々も私は否定しない。

だが、その対として、「愛国心」に付随する「憂国」にもいろいろな形があることを認めて欲しい。

権力者のアジテートに踊らされない「憂国」が、ときに辛辣な政権批判をしたとしても、保守党シンパが、それを感情論だけで両断したら、それは権力者の思う壺だ。

批判を受け入れられない政権を、「独裁」という。


日本は、「独裁国家」ではなかったはずだ。


まさか、知らぬ間に「独裁国家」になっていたとか………。




男社会が判断する資質

2015-04-08 08:23:12 | オヤジの日記
最近のネットを賑わしたのは、上西議員だったが、これもきっとすぐに静かになることでしょう。

病気を理由に本会議を欠席して、大阪に帰った上西氏は、職場放棄である、議員失格だ、という非難を受けているが、それはまさに正論だとしても、では、他に本会議を欠席する国会議員の方々はいないのか、という疑問は誰も持たないのだろうか。

今回の騒動のネタ元は、週刊文春らしいが、文春の記者の方は、そのほかの事例に関しても調べたのだろうか。

というような疑問を持ったので調べてみたら、本会議では個別の議員に対して、出欠は取らないのだという。
ようするに、出席者の総数はカウントされるが、誰が休んだのかは、外部にはわからない仕組みになっているらしい。

そうなると、同じ党の人なら、欠席者は特定できるだろうが、よその党の議員が欠席したとしても気づかない場合もあるかもしれない。
本会議の出席率は90パーセントを越えているとはいうが、その数字は正式な発表ではないので、判断しづらい。
ただ確かに言えることは、欠席する人が少なからずいるということだ。

欠席届のようなものは提出するらしいから、事務方などは把握しているようだが、それが表に出ることはないようだ。

だから、私が推測するに、今回の騒動は、文春側がピンポイントで上西氏に網を張って、上西氏の行動が、うまい具合に、その網に引っかかった結果と言えるかもしれない。
人海戦術ができるほど記者を抱えている出版社なら、全員に網を張ることもできるが、それができるほど規模の大きい出版社は、この日本にはない(と思う)。

上西氏としては、欠席届を出したことで、それに安心して欠席以降の防御が甘くなったのかもしれない。
つまり、ディフェンスがザルだった。

アジアカップで、ベスト8にも入れなかった日本サッカー代表以下のディフェンス能力しかなかった。
ようするに、「策士」ではない。


話変わって、男社会では、妻子ある男性議員が不倫をしても追及が緩いが、不倫相手の女性議員は、徹底的に叩かれる傾向にある。

男は、不祥事があると、社会が協力して、その不祥事を揉み消してくれることが多々ある。
だが、女が不祥事を起こすと、不祥事が表に出て、異性からも同姓からも叩かれる。

そんなことが積み重なって、「女だから…」「女は仕事ができない」という空気が生まれて、女性議員の比率が世界で134位という、見事なまでの男社会が出来上がったのが、いまの日本だ。

上西氏の議員としての資質がどうの、と批判する記事を目にしたが、それを読んで、一人の国会議員の資質がわかるほど、皆さんが議員の資質に興味を持っていることを知って、私は驚いた。

私は、恥ずかしながら、今回の騒動で初めて上西氏を知ったから、今回のことだけで、氏の資質云々を言えるほど優秀な判断能力を持っていない。

氏の根本的な性格が、稚拙で自分勝手だったとしても、そんな国会議員は、過去何人もいたと思うのは、私の記憶違いだろうか。

国会議員としての退き際は綺麗な方がいいのは、もちろんだが、引き際を誤った国会議員も過去たくさんいた。

政治家の利益誘導や選挙の風向きにしか興味がない有権者に選ばれた国会議員の何人かは、これからも今回と同じようなことをするかもしれない。


だから、そんなことがないように、週刊文春さんには、これからも精々頑張っていただいて、本会議を欠席した国会議員さんがいて、その人がもしモラルに反することをしたら、男女にかかわらず、叩いてほしいと思っております。


期待しています。