リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

なくても困らないもの

2013-08-25 08:31:24 | オヤジの日記
いまは、恒例の24時間テレビ(日本テレビ)を放映している最中のようだ。

この番組に関しては、否定的な意見も多い。
私もかつては、否定的だった。

365日のうち、男性アイドル目当てに、たった1日だけチャリティに関わったつもりになっても、それを継続的に続けなければ意味がないだろう、と思っていたからだ。

しかし、自分のことを顧みたら、その一日さえもチャリティに背を向けて、偉そうなことを言えるか、と思い至ったとき、彼ら彼女らの関わり方もチャリティの一つだと認めるようになった。

「あんなのは時間の無駄だよ」と友人は言う。
無駄ではない。
少なくとも、誰かが、それによって助かっている以上、それは意義のあることだ。

番組に莫大な制作費をかけるなら、その制作費を丸ごと寄付した方が、民間人に寄付を募るより遥かに実効的であり現実的である。
そういう考え方もある。
しかし、その場合は、誰の目にも留まらないチャリティになってしまう。

「でも、なくなっても問題はないだろ。あれくらいの寄付だったら、他のやり方でも集まるだろうし」

そうではあるが、単純に「季節の行事」としてとらえれば、あってもいいのではないか、と最近の私は思うのである。

もともと興味はないし。


その話の流れで、「なくても困らないものって何だろうな」という話になった。

友人は、真っ先に「テレビ」と答えた。
彼は「インターネットが、テレビの代わりになるから」という考えのようだ。

私も仕事が忙しいときは一週間くらいテレビを見ないときがあるが、ほとんど困らない。
そして、気がついたら二週間くらいインターネットをしないときもあるのだが、これも困らない。

本や雑誌は、一ヶ月以上読まないときがある。
新聞はとっていないので、元々なくてもいいものだ。

仕事部屋では、J-WAVEを流しているのだが、たまに流すのを忘れるときがある。
だが、流しても流さなくても、仕事の効率に差はない。
どうやら、私は音楽がなくても大丈夫な人間らしい。

野球、サッカーなどを見なくても、不満はない。
映画は好きだが、半年くらい見ないときがある。
見なくてもどうということはない。

ただ、ランニングは、しないと欲求不満が徐々に渦のように巻いてきて脳を浸食し、平静でいられなくなるときがある。
3週間は我慢できるが、それを超えると、イライラが募る。

朝4時に起きて、暗い中を公園まで走り、公園内を駆け回ることで、なんとか気を鎮めることができる。
だから、ランニングだけは、私にとって必需品だ。


「食べることも欠かせないよな」と友人が言う。

そうかな………と思う。

以前、仕事が忙しくて、1日半食わなかったことがあった。

6回食事を抜いた後で、カップ麺を食った。
まだ食えそうだと思って、ナポリタンの大盛りを作って食った。
まだまだ…と思い、生姜焼きを作って食った。

まだまだ。

冷凍の焼きおにぎりが2個あったので、食った。

まだまだ。

冷凍ごはんがあったので、チンして、卵を二つ落とし、醤油をかけて、かき込んだ。

かき込んでいる最中に、突然「浅ましいな」と思った。

一応、最後まで食ったが、食っている間「浅ましいな」という思いが消えなかった。


いまも仕事が忙しいときは、たまに2食抜くことがあるが、食事を抜いた後でも、最近は、ご飯にフリカケ、味噌汁くらいで済ましている。

メシを食わなければ生きていけないから、食うことをやめることはできないが、もし食うことをやめても生きていけるなら、私はメシを食う時間を他のことに使うと思う。


180センチ。
57キロ。


この体重が維持できるなら、別に食わなくてもいい。


クワタさん

2013-08-18 08:25:23 | オヤジの日記
最近同業者との飲み会の話題に、クワタマスミという名前がよく出てくる。

私以外の同業者6人は、ジャイアンツファンということもあって、日本のプロ野球が好きだ。
飲み会での会話の6割以上が、野球の話題だ。

プロ野球、高校野球の話が主流で、メジャーリーグが少々。

その中で、クワタマスミ氏の名前が出る回数が増えた。

選手目線の解説がわかりやすくて、野球に対しての大きな愛を感じるというのである。

クワタマスミ氏。
名前は聞いたことがあるが、私は彼のことをまったく知らない。
顔は、おそらく「あれ」ではないか、というイメージは浮かんでいるのだが、ネットで調べるほどのことでもないと思って、知らないままにしている。

甲子園のスターから東京ジャイアンツへ。
この流れの場合、私の興味に触れるものは何もない。
まったく自慢にならないが、私は松井秀喜氏の日本でのプレーさえ目にしたことがないのだから、クワタ氏のことを知らなくても当然だと思う。

同業者によると、クワタ氏は、高校時代は「スゴい投手」で、プロに入ってからも「スゴい投手」だったと言う。

年は? と聞くと「45か6」ということだ。
ということは、私がちょうど野球に興味がなくなった頃に出てきた選手ということになる。


同業者たちが言う。
「いま一番いい解説者だよね」
「野球の知識が深くてスゴいよね。メジャーリーグにも詳しいし」
「選手のいいところをちゃんと見ているから、言っていることに説得力がある」
「表現がわかりやすいね」

相当高い評価と言っていい。

私がプロ野球中継を見るのをやめた20数年の間に、解説者のレベルは上がったのだろうか。

私が見ていた頃の解説者は、滑舌が悪く、ボキャブラリィが貧困、そして、結果論、精神論が多く、戦術を論理的に語ることができない人がほとんどだった。

選手時代の名声だけで、ありがたがられた存在。
さらに、指導者としての能力がないから、コーチや監督の声がかからない人が多かった。
(三千本安打の人とか参議院議員だった人とか?)

監督やコーチを経験して解説者になった人も多くいたが、その人たちの解説も結果論、精神論に支配されていた。
現場で指導者になった人でも、戦術論を語れないのか、とガッカリしたものだ。


たとえば、フジテレビのプロ野球ニュースを見たときのことだ。
谷沢健一氏が、梨田昌孝氏の打撃について語っていた。
その場面では、梨田氏が、チャンスで高めの速球を振って三振したと記憶している。

谷沢氏の解説。
「梨田君は、バットのグリップを下に構えるから、グリップが下から出てくるんで打てないんです」

極めて当たり前のことを言っていた。
私の感覚では、これを解説とは言わない。

「梨田君は、バットのグリップの位置が低いからアッパースイングになって、高めの速球が打てない。バットのグリップの位置を高くして上から叩くようにすれば、高めの速球を打てるようになる」
私が解説者なら、そう言う。

目の前のことを感覚だけで言うから、ただの現象説明に終わってしまうのだ。
これは、聞く側のことを意識しない、ただのおしゃべりである。

繰り返すが、これは、解説ではない。


当時、名解説者として有名だった野村克也氏の解説をテレビで一度だけ聞いたことがある。

おそらくタイガースがらみの試合だったと思う。

川藤幸三選手が代打で出てきたときのことだ。
アナウンサーが唐突に、関係のない門田博光選手の話を持ち出したのである。

そのとき、野村氏は「門田は、一流選手として足りないものがある」というニュアンスのことを言った。

門田博光氏と言えば、打撃の通算記録が、ほとんど歴代5位以内に入る強打者だった。

自他ともに「超一流選手」と認める野村克也氏ほどではないが、少なくとも「一流選手」の範疇に間違いなく入るスラッガーだったと記憶している。

その門田氏を評して、「一流選手として足りないものがある」というのは、どういう意味かと思った。
しかし、テレビの場面では、川藤氏の打席が進行していたので、その詳しい理由に関しては触れられないままだった。

結果的に、川藤氏は四球を選んだのだが、そのとき野村氏は、こう言ったのである。
「ボクが監督だったら、川藤選手の方が選手として使いやすいね」

その理由を聞きたいものだったが、試合の進行に妨げられて、話はそれだけで終わった。

結局、それらの話は理論的なものに発展することなく、野村氏の感想を聞かされただけ、という形で終わった。

門田氏には一流選手として足りないものがある。
川藤選手の方が、選手として使いやすい。

その理由を、ぜひ聞きたいものだと思った。

理由があってこその評論なのに、その理由が提示されないのは、制約のあるテレビ解説とはいえ、中途半端の感は免れない。
(実況アナウンサーのテクニックの問題もある)

それでは、居酒屋でオヤジたちが、好き勝手に感想を述べるのと変わらないではないか。

理論派解説者と言っても、その程度のものか。

そのとき、テレビの前で悪態をついたのを憶えている。


クワタマスミ氏は、どうなのだろうか。

戦術を語れる人なのだろうか。

解説を聞いてみたい気はする。


だが、聞いてみたいと思っているうちに、メジャーリーグのポストシーズンが始まり、ワールドシリーズ、そして、ボクシングのタイトルマッチ、さらにサッカーのワールドカップが近づいてくるという展開になると、そんなことはすぐに忘れそうだ。



ロンドン五輪ボクシング金メダリストの村田諒太氏のプロとしてのデビュー戦も近いし。


店側のルール

2013-08-11 07:20:48 | オヤジの日記
スターバックスの注文の仕方が難しいらしい。

だが、私は難しい注文の仕方はしない。

温かいコーヒーをください、と注文する。
すると、「本日のコーヒーでよろしいですか」という答えが返ってくる。
この場合は、コーヒーを飲むことができる。

しかし、稀にだが、レジの人に「はあ?」という顔をされるときがある。
そんなときは、ごめんなさい、他を探します、と言って店を出る。

コンビニを探して、ホットコーヒーを飲む。
味は、それほど変わらない。
ただ、立って飲むか座って飲むかの違いだけである。


「CoCo壱番屋」の注文の仕方も、極めれば面倒くさいらしいのだが、私はいつもハーフポークゆで卵乗せ、辛さ普通、で通している。
困ったことはない。


一度、友人に「ラーメン二郎」に連れて行ってもらったことがあった。
「注文が面倒くさいんだよね」と言って教えを受けたが、普通のラーメンをください、と言ったら普通にラーメンが出てきたから、別に面倒でも何でもなかった。

友人は、面倒くさい頼み方をしていたが、具の量を除けば、私の前に置かれたラーメンとそれほど違いはなかったから、ああ、自己満足なんだな、と思った。

ただ、麺もスープも叉焼も私好みの味ではなかったので、ラーメン二郎には、それ以来行っていない。


店側のルール。

それは、煩わしいこともあるが、どうでもいいことでもある。
嫌なら行かなければいいだけのことだ。

しかし、何気なく店のドアを開け、店側の情報を何も知らずに入った場合、ルールを知らないと、とんでもなく嫌な思いをすることがある。

昨日の昼間、得意先との打ち合わせの帰りに、腹が減ったので蕎麦屋に入った。
他にも店は色々あったのだが、ソバが食いたくなったので、欲望のままに入った。
それが、失敗だった。

まず、値段が高かった。
ほとんどが千円以上の食い物ばかりだったのだ。
私が知らない間に、ソバは高級食になっていたようだ。

安いのは、かけそば600円。もり、ざるそば700円。かき揚げせいろが750円。

コストパフォーマンスを考えて、かき揚げせいろを頼んだ。
(コストパフォーマンスを考えても、私の感覚では750円は高級食だが、かけそばよりは、いいだろうと思ったのだ)

その名の通り、かき揚げとせいろのセット。
思った通りのルックスだった。

かき揚げを食う。

私は、天ぷらは、塩で食うことにしている。
ツユにつけたら、揚げ物がシナシナとしてしまう。
その歯触りが気に入らないから、私は塩で食う。

だが、その店に塩は置いてなかった。
だから、何もつけないで食った。

当たり前のことだが、ソバはツユをつけて食った。

その方式に、間違いはないと私は思っていた。
確信していた。

しかし、40歳くらいの店主らしき人が厨房から出てきて、「お客さん、天ぷらはソバツユをつけて食べるもんだよ」と言うではないか。
(私はバカではないので、そんなことは知っている。ただツユをつけて食べたくないだけなのだ)

いや、俺は、天ぷらがシナシナするのが嫌だから、ツユはつけないんですよ、と答えた。

店主の眉間に皺が寄った。
「うちの店の天ぷらはソバツユをつけて食べるように作ってる。だから、ソバツユをつけた方が美味しいんだよ」

ああ、そうですか。
しかし、そうすると、ツユをつけた部分はシナシナしますよね。

「水分を吸っても美味しいんだ」

塩は、ありませんか?

「あるけど、調理用の塩だから、天ぷらにつけてたべるほどの旨味はないな。ソバツユの方がおいしい。当店自慢のソバツユだから」

ああ、そうですか。
それがルールなら、従わないといけないでしょうね。

ソバツユをつけて食べてみた。
水分を吸って、私の一番嫌いな歯触りになった。
だから、少しだけソバツユをつけて、一気にかき揚げを口の中に押し込んだ。

そのあとに、ソバを食った。
かき揚げとソバが、ちっともコラボレーションしていなかった。

塩で食いたかった、と思った。

欲求不満の私は、帰りに最寄り駅の立ち食いソバ屋に入った。

ザルソバとエビ天を頼んだ。
ついでに、塩も、と注文した。
アジ塩をつけてくれた。

アジ塩をエビ天にまぶし、ひと口エビ天を食っては、ザルソバをすすった。

うまかった。

最初から、こうすればよかった、と思った。



自分でも面倒くさいやつだと思っている。


騒動の妄想

2013-08-04 08:41:01 | オヤジの日記
あのフジテレビの騒ぎは、どうなったのだろうか。

一部の人は、まだ大声で「フジテレビはけしからん!」と言っているのだろうか。

もうニュースバリューがないからか、メディアは何も伝えてくれない。
特別知りたいわけではないが、突然気になった。


騒動の表層的な部分をネットで見ただけなので、詳しいことはわからないが、あれは要するに「韓流がけしからん」ということだったのだろうか。
もちろん、それほど単純なことではないと思うが、「きっかけは韓流」だった、と私は勝手に解釈しているのだが。

しかし、そうなると腑に落ちない点が出てくるのだ。

フジテレビはフジ・サンケイグループの中に存在している。
さらに、系列に産經新聞社というのがある。

この産經新聞は、記事の論調が、一貫して反韓、反中である。
そして、系列の産經新聞出版が出している「正論」という雑誌の記事も、親米、反韓、反中が基本だ。

フジテレビのニュース解説に出る論説委員などの論調も、多少ソフトな語り口ではあるが、暗に韓国、中国を批判していると取れるものが少なからずある。

要するに、フジ・サンケイグループは、他国(特に韓国、中国、北朝鮮)に対して批判的、憂国的、排他的、そして基本は頑迷なほど保守的な主義主張を持ったメディアグループなのである。

「韓流押し」の部分は、微塵もない。

反韓を旗印にしたメディアは、ネットで排他的なことを語る人たちにとって、力強い味方、同士と言っていい。
しかし、そのメディアグループの一つであるフジテレビが、「韓流押し」と言って非難されているという現実。

これは、いったいどういうことだろうか。

私は、そのことを疑問に思ってきた。

韓流ドラマやK-POPを流したからか?
しかし、それはどの放送局でもやっていることだ。
民放、NHK、CS放送、BS放送。
どの局も、韓流ドラマを少なからず流している。

それは、おそらく制作費削減のためだろう。
一から番組を作るより、それよりも安い価格で海外の番組を買い取って流した方が、経費削減になる。
その方式は、きっとスポンサーも喜ばせることになるだろう。

それは、つまり企業努力ということ。

「韓流」を流したからといって、俺たちは魂までも売ってはいない。
経済原則に則ってやっているに過ぎない。
なぜなら、企業は、儲けなければいけないから。

彼らは、そう思っているのではないか、というのが、私の推測。

しかし、事態は、彼らにとって思わぬ方向に流れて行く。

番組の穴埋めと経費削減のために流した韓流ドラマが、思いのほか当たって、付随的にK-POPの人気も出てしまった。
それは、予想外のことだったに違いない。

まして、そのことで叩かれることになるなんて。

俺たちは、反韓、嫌韓を主張しているメディアだ。
仕事と割り切って「韓流」を流しているにすぎない。
まして、「韓流押し」など、とんでもない。
どこで、どう間違ったんだ!

彼らは、そんな風に、面食らっていたのではないか。


反韓を標榜するメディアグループを「韓流押し」と言って叩く図式は、いったい誰が考えたものなのだろう。
私には、ボタンを掛け違えたとしか思えないのだが。

あるいは、まさかとは思うが、相手が嫌韓を標榜するメディアだということを知らないで、拳を振り上げていたとか。
それは、ない……かな。


きっと、そのことによって、誰か得をした人がいるのだろうな、という下世話なことも考えてみた。


ただ、これはあくまでも私の推測。

というより、妄想に近い。



妄想は、けっこう楽しいものです。