リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

異端のヒーロー(英雄)

2016-11-27 08:34:00 | オヤジの日記
日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏のことを書こうと思う。

野茂氏の前に、メジャーリーガーになった日本人がいたが、その人は自分の意志でなったのではなく、所属球団の意向で米国に野球留学していたとき、たまたまメジャーに昇格した。

だから、自分の意志でメジャーに挑戦した野茂氏とは、かなり様相が異なる。
どちらも先駆者ではあるが、確かな軌跡を後の人に残したのは野茂氏だ。

その野茂氏がメジャーに挑戦するとき、一悶着あった。
その詳しい事情は憶測としての記事は読んだが、本当の事情は知らない。

ただ、野茂氏が「任意引退」という形で、選手として日本球界に復帰する道を閉ざされた状態で海を渡ったことだけは知っていた。

そのとき、日本プロ野球機構や球団関係者、他球団が、野茂氏を批難した。
そして、それに追随する形で、マスコミも野茂氏を叩いた。

「あの程度で、メジャーリーグで通用するわけがない」

野球に詳しい著名人たちも「無謀だ」と野茂氏の挑戦を責めた。
野球ファンたちも野茂氏を責めた。

人の意見に流されない野茂氏のコアなファンだけが、野茂氏の挑戦を支持した。

当時の私の印象としては、後ろから大量の石を投げつけられるようにして、海を渡った思いが強い。

その後、野茂氏がマイナーリーグから這い上がって、メジャーでも通用することがわかったとき、あからさまな手のひら返しがあった。
しかし、それは感情論でしか事象を判断できない幼稚なスポーツマスコミの常態だから、想定通りというしかない。


だが、私はいつも思うのだ。

なぜ日本人はいつも「異端の人」を叩くのかと。

組織に反抗した人がいたとする。
その場合、当然、その組織は反抗者を叩く。
ただ、それは、組織のあり方としては理解できる。

もともと強固な組織などというものはない。
すべての組織が、もろいものだと私は思っている。

中国共産党が、人民を理不尽に締め付けるのは、組織が少しでも綻んだら、取り返しがつかなくなるからだ(人口が多すぎるからだろうか)。
軍隊なども、必要以上に規律を厳しくして、組織のもろい部分が表に出ないようにする。
そうしないと、戦場に立てないからだ。

その方法が正しいとは思えないが、組織を維持する人には、必要なことなのだろう。

ただ、私がいつも不思議に思うのは、その組織の一員でもないのに、外部の人間までが便乗して「異端の人」を叩くことだ。
その理屈が、私にはわからない。

組織に楯突く人を、自分が組織の一員だと感情移入して叩いているのだろうか。
しかし、外部の人に組織の内部のことなどわからないだろう。

わからないのに、なぜ叩く?


話は飛ぶが、江戸時代に「五人組制度」というのがあった。

江戸の街を5人一組ずつに組織して、その中の長(おさ)が、他の人を管理する。
その中の一人でも、御上(おかみ)に楯突く人を出したら、全員が「連帯責任」で処分される。

だから、そうならないように、お互いが監視をし合って、「不届きもの」を出さないようにする。
要するに、「監視社会」「スパイ社会」だ。

専門家などの意見によると、同時代の世界の都市より、江戸は住みやすかったという。
たしかに、自分は人と同じで構わない、何ものにも逆らわない、自己主張しないという協調性のある人には住みやすかったかもしれない。

ただ、逆らわない、というのは、おのれの個性を殺すことだ。
それが、本当に住みやすい社会なのかどうかは、価値観の違いで変わってくるだろう。

私は、イヤだ。
だから、フリーランスの道を選んだ。

多くの江戸人は、監視されることに慣れた。
そして、そのDNAが「異端の人」を弾き出すシステムを作り、いまも「炎上」という形で引き継がれていると私は思っている。

それが、少しだけ違う空気を持った人をイジメる構図を作った。


野茂英雄氏は、組織に楯突いた結果、「監視社会」のDNAを持った人たちに叩かれた。

しかし、野茂氏は、違う文化を持った国で実績を残し、「異端の人」のまま成功した。
それは、画期的なことだったと思う。


神奈川県で、ある少年が同級生に虐められ、大金を強奪された。

虐める側の人間にとって、彼はきっと「異端の人」だったのだろう。
だから、絶えず監視し、虐めてもいい対象に彼を選んだ。

しかし、彼は「異端の人」だったがゆえに、死を選ばなかった。

どれほど成熟した社会でも、イジメは必ず起こる。
弱いものは、自分より弱いものを見つけ出して、自分を守ろうとするからだ。

ただ、今回のように、イジメを正面から受け止めて、くじけない「異端のヒーロー」もいる。
そんな人が増えてきたら、イジメはなくならなくとも、弱さを克服する人は増えるかもしれない、と私はささやかな希望を持っている。


日本球界やマスコミ、野球ファンから、露骨なイジメを受けた英雄は、海を渡って「ヒデオ ノモ」というヒーローになった。


挫折を怖がらなかったヒーローは、後に続く人のために、太い道筋を作った。

そして、その太い道をさらに太くしたヒーローは、何らかの批判を受けながらも異国で実力を見せつけたイチロー スズキ氏であり、ヒデキ マツイ氏、ヒロキ クロダ氏だった。


誰からも批判を受けない才能あふれる「異端の人」ではない「二刀流」が、いま日本の球界にいる。


その「二刀流」が、先人たちがつけた道を規格外の能力で太くしてくれたなら、「異端のヒーロー」の功績は、さらに大きなものとなるだろう。



言葉のチカラ文字のチカラ

2016-11-20 08:30:00 | オヤジの日記
渋谷行きの井の頭線に乗っていたときのことだ。

デカい声の言い争いが耳に届いた。
騒音の方を見ると、外人4人のうち2人が、顔を真っ赤にして怒鳴りあっていた。

あまりご存じないかもしれないが、アメリカのメジャーリーグでは、監督が審判に抗議するとき、腹を突き出してアピールする場面がある。
あれは、俺は腹は出しているが、手は出していないぞ。だから、これは暴力ではない、と言いたいのだと思う。

車内で怒鳴っている二人が、まさしくそれだった。
二人とも手は出さないが、腹で相手を押すようにしながら、罵り合っていた。

おそらく、ラテン語だ。

私は、残念にも、昨日まではラテン語を理解できたが、朝起きたら突然理解できなくなったので、何言ってるか、チョットわからない。

理解できないにしても、相当にうるさいのはわかる。
まわりの乗客も眉をひそめていた。
迷惑だ。

そんなとき、優先席にいた70歳過ぎのご老人が、立ち上がるのが見えた。
そして、大音量の「だまらっしゃーい!」。

車内いっぱいに響くほどの「だまらっしゃい」だった。
外人たちの怒鳴り声がやんだ。

ご老人は、そのあと、外人たちにゆっくりと近づいていった。
今度は、一転して穏やかな笑顔だった。

「あんたたち。マナーを知らんのかな。
見てごらん。日本人は皆大人しく乗っているだろ。
どこから来たのか知らないが、喧嘩なんかして、人様に迷惑をかけるより、日本を楽しむことを考えなさいよ。
神宮外苑前の紅葉でも見て、心を落ち着かせたら、どうだい」

一人一人の顔を見上げながら、ご老人は、語りかけていた。

外人さんたちには、何を言っているかわからなかったろうが、雰囲気は伝わったようだ。
4人のうちのひとりが、「ゴメンナサイ、ボス」と頭を軽く下げたのである。
他の3人もつられて、頭を下げた。

ご老人は、頷きながら優先席に帰っていった。
車内が、静かになった。


意味がわからなくとも、思いを込めれば伝わるのが言葉だ。

口から出た言霊は、邪念がなければ、相手の心に必ず届く。

それを実感した出来事だった。



ここからは、バカ親の話。

韓国留学中の娘から、手紙が来た。

内容は簡単なものだった。


父ちゃんへ。
ボクは、元気にやっているぞ。
でも、安心するなよ。
娘のことをもっともっと心配して、やせ細るくらい心配しろ。
(前から、やせ細ってたか)
12月3日から10日間の学期間休みに入る。
だから、帰国するぞ。
ハンバーグが食べたい。
カレーライス、餃子、豚しゃぶ、ほうとう、お好み焼き、もんじゃ焼き、トンカツが食べたい。

父ちゃんの作る料理を楽しみにしているなりー。


娘から「父ちゃん」と言われたことはない。
二人のときは「おまえ」、まわりに人がいるときは「パピー」だ。

手紙では「父ちゃん」のほうが伝えやすかったのかもしれない。

ほぼ毎日Skypeのビデオ電話で話をしているから、リアルタイムで近況は把握している。

しかし、文字になると、こころ沸き立つものがある。
目から脳に、直接文字の形が入ってくるからかもしれない。

特に「父ちゃん」がいい。
さらに距離が縮まった感じがする。

読みながら、文字は生きているんだな、と思った。


娘からの手紙は、同封されていた2枚の写真とともにラミネート加工をし、額にいれて飾ってある。

その「父ちゃんへ」の文字を見るたびに、毎回泣いているガイコツであった。


父ちゃんも、娘の一時帰国を楽しみにしているなりー。



たった一度に負ける

2016-11-13 08:27:00 | オヤジの日記
少し前のエントリーで、私のヨメが私を信用していないと書いた。

それを読んだ友人が、「信用していないというのではないだろう。誤解を招くから表現に気をつけた方がいい」と忠告してくれた。

だから、表現を変えたい。
信用していないのではなく、「私の言葉」に関心がない・・・と。


私は昔から、家族にこんなことを言っていた。

風邪や体の痛みは、俺は風邪を引かない、体なんて痛くないと思えば耐えしのげる・・・と。
息子や娘は、私の方式を実践して、風邪をひかない体、痛みに強い体を作った。

しかし、ヨメだけは、「それって、あなたの嫌いな精神論じゃないの?」と懐疑的だった。

いや、これは精神論ではなく、脳科学の分野だ。
脳から自分の体を騙すように全身に暗示をかければ、体内のナチャラルキラー細胞が増えて、免疫力がアップする。

ナチュラルキラー細胞を活性化しておけば、風邪を引くことは少なくなるし、病気にかかる確率も低くなり、痛みも誤魔化せる。
気合いだー! の精神論とはわけが違うのだ。

しかし、私の言葉に、ヨメはまったく関心を持たない。

だが、先日、まるでコントのような出来事があった。

ヨメは、物心ついたころから、ある宗教の信者だった。
両親の影響を強く受けていたようだ。

その信者同士の会合が、定期的に開かれているのだが、そのなかに今回は医師がいたのである。

その医師が、まわりの信者さんたちに向かって言ったという。
「気持ちは大事です。たとえば、風邪を引かないと毎日念じたら、体の細胞が活性化してきて、風邪をひかない体になるのです。『病は気から』と言うではないですか。だから、みなさんも、毎日念じてください。必ず、健康な体になりますから」

家に帰ったヨメは、興奮した面持ちで、「ためになることを聞いたわあ。やっぱり人間は気持ちなのよね。今日から、実践しようと思うの!」とみんなに宣言したのである。

家族一同唖然。

私が、20年以上訴え続けたことは、たった一度の医師の言葉に負けるという楽しいお話でした。


他にも、昨日、こんな楽しいことがあった。

我が家では、昔、日曜日の晩メシは必ずカレーを食うことを習慣としていた。
我々は、それを「サンデー・カレー」と言っていた。

しかし、ヨメが、自分のお友だちの家が土曜日に必ずカレーを作ることを知ってから、「うちも土曜日にして」とゴリ押しをしてきたのである。
その結果、我が家は、5年前から「サタデー・カレー」になった。

毎回同じ味では、作っていてつまらないので、毎回味は変える。
20種類以上のカレーをローテーションして、家族に食わせていた。

その中に、厚揚げを使ったものがあった。
しかし、ヨメは「カレーに厚揚げは、おかしい。だいいち、ビンボー臭い」と怒るのである。

とは言っても、ビンボー人がビンボー臭いのは、当たり前ではないか。
だから、私は批判に屈せずに、厚揚げ入りカレーをたびたび作った。
息子と娘が、「うめえ」と言って食ってくれたからだ。

そして、昨日の土曜日、友人のスガ君から電話があった。

スガ君は、静岡で駐車場やレストラン、レンタルボックスなどを多角的に経営している社長様だ。
彼は、昨年から東京に進出して、日比谷線神谷町駅近くに事務所を構えていた。

「ちょっと、お願いしたい仕事があるので、来ていただけないかと」

いや、いま俺は猛烈に忙しいので、そちらから来てくれると助かる。
そう言ったら、社長様は、タクシーで武蔵野のオンボロアパートまでやってきた。

スガ君とは10年以上の長い付き合いになるが、私の家に来るのは初めてだ。

オンボロで、ビックリしたろと聞いたら、スガ君が言った。
「いや、兄貴が言うほど、オンボロじゃないですよ。ただ、相当に古いですけど」

いや、スガ君、それを世間では「オンボロ」というのではないだろうか。

ちなみに、14歳年下のスガ君は、私を「兄貴」と呼んで、慕ってくれていた。
175センチ120キロの大型デブ。
そのデブが180センチ56キロのガイコツを慕うなんて、なんかとてもミスマッチ。

そのスガ君は、むかし静岡でラーメン店を経営していたが、4年半でつぶした。
その後、離婚をしたり、大病をしたりの波乱爆笑の人生を送ったが、今は立派に社長業をこなしていた。

仕事の打ち合わせが終わったのは、5時過ぎ。
だから、スガ君にメシを食っていけ、と命令した。

今日は、サタデー・カレーの日だ。

私が、そう言うと、デブは、目を輝かせて「ゴッツァンです」と言った。
私が作ったのは、厚揚げ入りカレーだった。

ベースは、玉ネギ、ジャガイモ、ニンジン、チキン。
そして、一口大に切った厚揚げを表面をカリカリに炒めたのち、カレー粉でからませたものを別皿に盛る。

厚揚げをトッピングするかしないかは自由だ。
ヨメ以外は、必ずのせる。

スガ君に、ビンボーカレーを出した。
すると、「兄貴、斬新ですね。でも厚揚げもありですね。食感がすごくいいですよ。俺も家でやってみましょう。いいものを食べさせてもらいました」と言って、3杯も食いやがった。

スガ君が食っているときに、ヨメに「スガ君は調理師免許を持ったプロだからね」というと、スガ君の食いっぷりにつられて、ヨメが初めて厚揚げをトッピングした。

「あら、おいしいじゃない!」

10年以上、拒んできたビンボーカレーも、調理師免許を持ったデブが3杯食ったら、たった一度で「おいしい」に変わる。


関心がないというのは、とても楽しいことだというお話でした。



   ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



トランプ氏が大統領候補になったときは、驚いた。

ビジネスの世界では、トランプ氏は債務不履行と訴訟を繰り返す実業家にすぎなかった。

さらに、理性的でない話を大声で吠えては、人種差別的な中傷を口にした。
政治経験がなく、トリッキーな政策を掲げていた。

そして、あらゆる角度からの批判も無視して、自身と会社の納税額を公開することを拒んだ。

そんな人が、唯一の超大国であるアメリカの大統領になった。

アメリカの民主主義というのは、面白い。
「異端児」を受け入れる懐の深さを持っている。

かれらは、実はヒール(悪役)が好きなのかもしれない。

ただ、数ヶ月後、ヒールを大将にしたアメリカが、世界中のヒールになっている可能性がないとは言えない。


それを喜ぶのは、ロシア? 中国? 北朝鮮?


1989年に、地中深く葬られた東西冷戦が、ゾンビのように蘇らなければいいのだが。



徹夜明けの罵倒

2016-11-06 08:27:00 | オヤジの日記
娘が半年間の留学に旅立ってから、2か月以上が経った。

来年の2月末まで待っていられないので、私はパスポートを取得し、LCC系の往復チケットを予約した。
ホテルもかなり安い部類のものを予約した。
仕事を何とか都合して、韓国に行こうと思ったのだ。

水曜日に行く予定だった。
しかし、行けなかった。

仙台在住の同業者から、緊急の仕事を頼まれたのだ。
オートバイに乗っていたら転倒して、全治5日間の打撲を負った。
だから、ヘルプ! という依頼だ。

仙台の同業者のイトウくんには、忙しいときに過去2度助けてもらったことがあった。
つまり、断るわけにはいかない。

2日間で商品画像270個の切り抜き。
泣きながら承諾した。

しかし、航空会社のチケットを無駄にするわけにはいかない。
ヨメは、パスポートを持っていない。

そこで私は、娘の中学時代からのお友だちの子に、「韓国まで様子を見に行ってほしい」とお願いした。

その子は、事情があって、中学3年のとき、我が家に一年間居候をしていたことがあった。
お互いがお互いの分身ではないかと思うほど、外見も性格もよく似た子で、二人はいまも姉妹のように仲良くしていた。
私も、お友だちのことを我が子のように思っていた。

お友だちは、快く承諾してくれた。

安いホテルでは申し訳ないので、それなりのクラスのホテルを予約しなおした。

二人は明洞で再会し、なぜか韓国料理ではなく、唐揚げで乾杯したようだ。
お友だちは、外国語系の大学に行っているので、英語力が高い。
どのお店でも英語で通じたようだ。

娘も英語クラスなのだが、まだお友だちには適わないと言っていた。
3年近く専門で学んだものと、まだ2か月程度のものでは、差があるのは当然。
親としては、二人とも頑張っているなあ、と感心するだけだ。

娘はもう慣れたが、お友だちが驚いたのが、中国人の声がデカいことと、平気で街中にゴミを捨てていくこと。
そして、並ぶ順番を守らないこと。

それを見るたびに、お友だちは「おまえら、どんな教育を受けているんだ」と、日本語で毒づいたという。

お友だちは、アメリカとオーストラリアに短期留学の経験があったが、米豪では、中国人観光客は、それほど傍若無人ではなかったという。

白人コンプレックスの裏返しで、同じアジアでは傍若無人に振る舞うということだろうか。
軽々しく断定はできないので、この件は、保留ということで・・・。

その後、娘が暮らす寮に行ったお友だちは、また驚くことになる。
廊下にゴミが散乱していたのだ。

娘いわく「あの人たちの仕業だよ。日常の風景だ」。

「あの人たち」が、誰かは、ご想像にお任せいたします。

娘は、ルームメイトのジンちゃんをお友だちに紹介した。

ジンちゃんは中国人。
気配りのできるいい子らしい。
声のボリュームは、日本人と同じ。
つまり、慎ましやかな喋り方をする。

娘は、ルームメイトに恵まれたと思う。

ただ、ジンちゃんの友だちの中国人が、娘には受け入れられない。
週に2回程度、夜3、4人で部屋に入ってきて、大声で喋り、規則で禁止の酒を飲み、11時過ぎまで居座るというのだ。
(その子たちは、いつも娘のことは無視である)
彼女たちが帰ったあと、毎回ジンちゃんが「ゴメンね、本当に」と謝ってくれるのだが、その無礼が改善されることはないという。

そこで、娘は決心した。
12月1日から別の寮に移ることを。

英語クラスの同級生で、とても仲良くなったブルガリア人がいた。
その子のいる寮で、2月末まで一緒に暮らすというのだ。
もちろん、相部屋だ。

画像を見せてもらったが、妖精かと思うほど可愛い子だった。
娘より1つ年下だ。

娘がお友だちにブルガリア人を紹介したところ、3人はすぐに意気投合した。
そこで、2月末に留学が終わったら、娘と一緒に日本に来ることになった。

3人でディズニーランドに行く約束をしたというから、仲良くなるのに時間と国籍は関係ないということだろう。


その話に乗って、俺も妖精に会いたいとお願いしたら、娘とお友だちから「ダメ」と拒絶された。

「ブルガリアには、日本のいい思い出を持って帰ってもらいたい。おまえが来たら日本とブルガリアの友好が台無しだ。おのれを知れ、バカたれが!」と、二人にskypeのビデオ電話で罵倒された。


徹夜して仕事を仕上げたあとの達成感が、一瞬で吹っ飛んだ。



だが、娘たちの成長を実感している今が、きっと一番楽しい。