リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

お好きです

2018-12-30 04:50:00 | オヤジの日記

古い話で申し訳ないが、先々週の金曜日、神田のイベント会社に行って来た。

担当の中村獅童氏似が、仕事をくれると言うのだ。

 

獅童氏似には、最近プライベートで良きことがあった。11月にお子様が誕生したのだ。女の子だった。

パパに顔が似ていないことを祈る。

すぐにお祝いに行きたかったが、仕事もくれないのに、お祝いだけ渡すのは癪なので、呼ばれるまでお祝いはしないことにした。

1ヶ月待たされて、やっと仕事をくれると言うから、足を運んだ。

打ち合わせの後、プレゼントを渡した。

高いものを贈るのは、金がないし芸がない。ということを言い訳にして、赤ちゃん用食器セットを贈った。わざとらしく喜んでくれた。

 

そのあとで、最近徐々に私のバカが伝染って来た獅童氏似は、いきなりこんなことを言い出したのだ。

「今年、女性新入社員が僕らの部署に入って来たんですけど、小柄で可愛いんです。脚も綺麗で、その脚を見たら美脚フェチのMさんなら、持って帰りたくなると思いますよ」

何を言っているのだ、キミは。赤ちゃんが生まれたばかりなのに、不謹慎な。

「Mさん、お嫌いですか?」

お好きです。

 

「ただね、1つ不満があるんですよ。うちの会社は、服装自由なんで、比較的短いスカートを履いていたんですけど、寒くなったら、パンツオンリーでガッカリです。宝の持ち腐れとはこのことですよ」

そんなこと言っていると、いつか、セクハラで訴えられると思いますよ。新婚で、生まれたばかりの赤ちゃんのいる幸せな人が、言語道断。

「Mさん、ミニスカはお嫌いですか?」

お好きです。

 

ところで、いきなりセクハラまがいの発言をするより、真っ先にやることがあるでしょう。

「その子をいまここに連れて来ることですか」

ああ、それは嬉しい・・・・・じゃなくて、お子さんの写真を見せることですよ。

「ああ・・・・・確かに。わかりました、お見せしましょう」

スマートフォンをいじって、画像を見せてくれた。

おお可愛い。つぶらな目と低い鼻。短毛で覆われた全身。大きな耳。これ、チワワじゃん。

「奥さんが結婚前に飼っていた犬を連れて来たんですよ。これ、スムースコートです。名前をローラと言います」

娘さんよりもチワワが先ですか。もう、見なくていいです。スマートフォンをしまってください。

「Mさん、犬はお嫌いですか?」

お好きです。

 

もったいぶった後で、獅童氏似が、娘さんの写真を見せてくれた。

普通の赤ん坊だった。獅童氏似としては遊びがない。工夫して、ヒゲを付けるとかできなかったのか、と内心思いながら、おやまあ、なんとキュートな赤ちゃん、と褒めた。

自分の子どもを褒められて、気分が悪くなる親はいない。

獅童氏似も「デヘヘ」と、とろけた。

 

獅童さん、赤ちゃんはお嫌いですか!

「だーい好きです!」

 

こんなバカ話をして、会社を後にした。

 

いずれにしても、幸せな人を間近に見ると、こちらまで幸せな気分になる。

 

 

ところで、さらに私には幸せなことが、もう一つあった。

12月30日。つまり今日、娘の大親友ミーちゃんが、任務先の金沢から、正月休みで帰って来るのだ。1月3日まで我が家に泊まって、1月の4日に戻る。

さらに、今夜は私の大学時代の2年後輩・カネコが、かねてからの約束通り、私たち家族にご馳走してくれる、ありがたい日でもあった。

芋洗坂係長にしか見えないカネコが、コメ好きのミーちゃんのために、美味しいコメを食わせてくれる店を探し出してくれたのであーる。URでアール。

今晩、吉祥寺の店で、芋洗坂係長におもてなしを受ける。

 

楽しい年末年始になりそうだ。

 

 

みなさま よい お年を

 

 


仕事中

2018-12-23 04:41:00 | オヤジの日記

年末はありがたいことに、大変忙しい。

 

寝ていない自慢をすると嫌われるらしいが、寝ていない。

 

年始の仕事を前倒しでしてるので、年末なのか年始なのかわからない状態だ。

 

今週は、東京神田のイベント会社の中村獅童氏似とのアホな会話を書こうと思ったが、時間がないので、後日にします。

 

午前4時半を過ぎましたが、まだ眠れません。

 

「ボーッと生きてんじゃねえよ」と叱られないように、気合い入れて仕事します。

 

ハハハ。

 

 


ちょっとなに言ってるか

2018-12-16 05:32:00 | オヤジの日記

昨日は20時間以上、パソコン画面を見ていたような気がする。

晩めしを作りながら、パソコン画面を覗いていた。愚かですね。

年末は忙しいな、ハンパないな、と思いながら、色々なものを呪っているが、フリーランスは仕事があるうちが華なので、毎日四方八方に頭を下げて仕事をしております。

 

ありがとうございます。

 

そのあと突然話は飛んで、一昨日の午後4時ごろ、得意先との打ち合わせを終えて、吉祥寺から中央線に乗った。

 

隣に若いお母さんが、抱っこひもで6ヶ月くらいの赤ちゃんを抱えて座っていた。

自然に顔がほころんだ。お母さんがヨメの若い頃に似ていたというのもあったし、赤ちゃんも昔の泣き虫の長男に似ていたからだ。

泣いていいよ〜。赤ちゃんは泣くのが仕事だから、好きなだけ泣きなさいね。

 

その私の姿を見て、私の向かいで、お孫さんと2人で座っていた70年配の女性が、「赤ちゃんをとても優しい笑顔で見るんですね」と声をかけてきた。

 

ちょっとなに言ってるか、わからない。

 

俺の笑顔が、優しいわけはないだろう。

今回は、たまたま自分の家族の過去に似ていたので、笑っただけだ。

似ていなければ、笑いませんよ。

俺、そんなにいい人じゃないし。

赤ちゃんの泣き声には、私は寛容だが、酔っ払いの醜態には、いつも心の中で「死ね!」と思っている男だ。

冷酷なやつなのだ。

 

ここ2年間で、幸いにも自然消滅してしまったが、むかし埼玉時代の同業者と2ヶ月に一回吉祥寺で飲み会を開いていたことがあった。

そのとき、メンバーで最年長のオオサワさんに、「Mさんって、社交的ですよね。みんなの意見を平等に聞きますものね」と言われたことがあった。

 

ちょっとなに言ってるか、わからない。

 

人の話を平等に聞くのは、要するに、どの人にも興味がないということだ。興味があれば、1人の人にフォーカスして徹底的に掘り下げて聞く。多くの人は、絶対にそうすると思う。

でも、私は人に興味がないから、とりあえず皆さんの話を聞いて、お茶を濁しているだけですから。その方が楽ですし。

俺は、偽善者で腹黒いんですよ。

 

いま私が住んでいる国立は、犬を飼っている人が多い。色々な種類の犬が、道を行き交っている。

私は大型犬が好きなので、ハスキー犬やドーベルマン、秋田犬などが歩いていると、飼い主さんの迷惑も省みず、話しかけることがよくある。

おーい、君は男の子か女の子か? お父さん、お母さんの言うことを聞いてるか? メシ食えよ。歯磨けよ。長生きしろよ。

「犬がお好きなんですね」と飼い主さんに言われる。

 

ちょっとなに言ってるか、わからない。

 

私はいま自宅で、世界で2番目にブスな猫を飼っている。

そのブス猫にないものを絶えず求めているから、ハスキー犬などを見ると「お! 可愛いな! ヨーシヨシヨシ!」とかつてのムツゴロウ氏のようになってしまうだけの話だ。

 

つい最近、得意先の部長さんに言われた。

この会社は社員の8割が女性という(無能でも男なら優遇される)男社会の日本では珍しい会社だ。当然のことながら、部長も女性だ。

年齢は失礼になるから言いたくないが、ご本人は「アタシ、53歳」と宣言していた。

議員のレンポウさん、いや、蓮舫さんに似たキリッとしたボーイッシュな人だ。女性社員にとても慕われていた(ケツがでかいので、ヒップ母さんと呼ばれていた)。

その人が、私の目を覗き込むように見て言った。

「Mさんて、八方美人ですよね」

えー、美人とは言われたことないですね。美男はありますけど。

顔をしかめられた。

(いつも余計なことばかり言いやがって)そんな目だった。

 

「私は、思うんですけどね。八方美人って、結局は誰も尊重してないってことですよね。あっちこっち飛び回って媚を売ってますけど、自分を守るためだけに、愛想よくしているんじゃないんですか」

「そういうことは、企業の人事担当者にはお見通しなんですよ。Mさんは、絶対に面接には受からないタイプですね。フリーランスを選んで正解だったと思います」

「ご自分のことをよく知っているという点だけは、尊敬します」

 

 

ちょっとなに言ってるか、わかるような気がする。

 

 

 


牡蠣グラタン

2018-12-09 02:42:00 | オヤジの日記

今週の金曜日のことだった。

世田谷区下馬二丁目に住む従姉妹から電話があった。

 

「サトルちゃん、お母さんが歩けるようになったの!」

 

下馬に住む従姉妹は、59歳。その母親である伯母は、もうすぐ87歳になる。糖尿病が悪化して、足の血行障害を起こし、79歳から車椅子の生活を余儀なくされていた。

しかし、徹底した食事療法とリハビリによって、8年かけて歩けるようになったのだ。

奇跡だ。

杖は必要だが、自力で歩けるようになった。

だから、見に来てくれ、という従姉妹からの電話だった。

 

伯母は、私にとって母のような存在だった。

私の実の母は、一流企業に勤めていながら、家に帰らず稼ぎを家に入れない人間失格の夫に代わって、月曜から土曜まで懸命に働いて、私を育ててくれた。

病弱な母は、日曜日は朝から夜まで、ずっと横になっていた。そうしなければ、次の1週間を乗り越えられなかったからだ。

姉と私の食い物は、母が姉に500円を渡して、「好きなものを買ってね」と、申し訳なさそうに毎回頭を下げた。

しかし、今にして思えば発達障害が疑われた姉は、空気を読めず他者への思いやりに欠けていた。だから、母から与えられた金が私のところに降りてくることはなかった。

平日は、祖母がメシを作ってくれたが、日曜日、祖母はボランティアで近所の小学生、中学生に勉強を教えていた。つまり、朝メシ、昼メシを作る余裕がなかった。

母も祖母も私の食い物までは、目が届かなかった。

 

そんなとき、助けてくれたのが、世田谷区下馬の叔父だった。

叔父は、貸本専門の漫画を描いていた人だった。

儲かっていたのかはわからないが、戦後すぐに、世田谷区下馬に150坪の土地を買い、母屋と離れの平屋を自分で建てた。

それは、高度経済成長時に建てられた切り売りの一軒家とは明らかに違って、余裕のある建物だった。

その主人である叔父に、「サトル、おまえ、痩せてるよな。まともに食べてないだろ。俺んちでメシを食っていけ」と言われた。

伯母の作る料理は、洋食だった。私は、叔父の家で、初めての料理を何十種類も味わった。

カレーライス、ハヤシライス、グラタン、ハンバーグ、オムレツ、ポークジンジャー、ビーフストロガノフなど。

本当に美味しかった。

日曜日が来るのが、楽しみだった。

 

「サトル、たくさん食えよ」と叔父に笑顔で言われた。

「サトルちゃん、たくさん食べてね」と伯母に言われた。

今にして思えば、私は叔父伯母の家で家庭を感じていたのだと思う。私の中で、家庭を思い出すのは、叔父伯母の家だった。居心地が良かった。

叔父叔母には、3人の娘がいた。その3人は、いつでも心地よく私を受け入れてくれた。

私の方が年上だったが、「サトルちゃん、サトルちゃん」と呼んで、私を兄弟のように扱ってくれた。

特に、長女が懐いてくれた。「サトルちゃんのお嫁さんになる」とまで言ってくれた。

 

しかし、一家に不幸が襲うのだ。

叔父が46歳の若さで、脳溢血で亡くなったのである。

39歳で突然未亡人になった叔母。長女も10歳で父親を亡くした。

「ねえ、サトルちゃん。運命って残酷だよね」

「運命」という言葉を、初めて知った1日だった。そして、伯母の泣き崩れる姿を初めて見た日。

美しい叔母。この世にこんな美しい人がいるのか、と毎回思っていた。その人が、我を忘れて泣き続ける姿。

それは、私を凍らせた。

俺は、この人を守りたい、と12歳の俺は思った。

だが、口には出せなかった。

 

そのあと、年に数回、伯母の様子を見に行った。

伯母は、犬を飼った。愛情をすべて犬に注いでいるように見えた。夫がいなくなったことを、まるで犬で補うかのような溺愛だった。

「でもね」と伯母は言った。

「満たされたことはないの」

伯母の作る牡蠣のグラタンを食いながら、目の前の寂しげな伯母を見たとき、大好きな牡蠣のグラタンが味気なく思えた。

 

そして、いつしか身近で残酷にも美しく老いていく伯母を見たとき、伯母の姿が遠くなった。

自然と中目黒から下馬に行く回数が減った。

それは、私の勝手な考えだが、私にとって美しすぎるがゆえ、伯母の晩年を受け入れたくなかったのだと思う。

 

伯母の長女が言う。

「サトルちゃんが来ることをお母さんは、いつでも待ち望んでいるんだよね」

その言葉も私には重かった。

 

今まで私の中に蓄積されたそんな後ろめたさから、今回はすぐに「これから行くから」と長女に答えた。

私が下馬の家に行ったとき、焦げ茶色の門の前で、長女と伯母が出迎えてくれた。

伯母が杖を放り投げて、私に抱きついてきた。

伯母を初めて抱き上げた。

とても軽かった。

私の顔を見ながら、伯母は「夜ご飯は何?」と聞いた。

「牡蠣のグラタン」と答えた。

 

私は、家族のために毎日料理を作る。

作っている最中に、私はいつも思うのだ。

俺は、「おふくろの味」を知らない。

だが、「伯母の味」は知っているのだと。

私が作る料理は、知らないうちに、伯母の味をなぞっていた。

俺にとって、料理は伯母だった。子供のころ、助けてくれた伯母の料理だった。

 

「牡蠣のグラタン」を食べながら、伯母の長女が言った。

「本当に、サトルちゃんの料理は、お母さんの味に似てるよね」

それは、私にとって最高の褒め言葉だ。

それを聞くと、とても幸せな気持ちになった。

 

グラタンを食べながら、「あと何年生きられるかしら」と伯母が言った。

 

ずっと生きてよ。シズコさんは、俺が死なせないから。俺が守るから。

 

48年前、言えなかった言葉をやっと言えた。

 

 

俺がシズコさんを守るから・・・これからも。

 

 

 

 


太ります記念日

2018-12-02 05:28:00 | オヤジの日記

先週の日曜日、午後4時半に来客があった。

長年の友人の尾崎だった。尾崎が一家を引き連れて殴り込みをかけて来たのだ。

 

先月は、私が一人で尾崎一家に殴り込みをかけ、料理を作って、尾崎の誕生日を祝った。

今回は、尾崎一家が、私のために「殴り込みバースデー」をしてくれるようだ。

尾崎のときは、魚料理をメインに作った。2年くらい前の尾崎は肉ばかり食って、魚と野菜はこの世に存在しないかのような毎日を送っていた。

しかし、最近は「魚のうまさに目覚めたんだよ」と方向が179度変わった。

近頃の尾崎一家はアウトドアがお気に入りで、一月に最低一回はキャンプに行く。そこで釣り上げた魚を食ったことによって、尾崎は「魚ファースト」の男になった。

だから、尾崎の誕生日には、魚料理を作った。

伊勢海老のグラタン。伊勢海老の魚介スープ。鮭づくしのオードブル。ハマグリの酒蒸。パエリア。

魚オールスターズや〜〜ー。

みなサンマ、お世辞丸出しで、「おいしイワナ」と喜んでくれた。

 

4時27分に、尾崎一家がやってきた。

尾崎と我が一家は面識があった。5回は会っていると思う。だが、尾崎の妻の恵実と3人のガキとは、私以外は初対面だ。

3人のガキは、恵実の教育がいいのか、口々に「お邪魔します」と頭を下げ、靴も揃えて入場してきた。百点満点のガキどもだ。

尾崎は、家に上がるなり、「母さんに挨拶したいんだ」と私を見上げた。

私は、仏壇の置いてあるヨメの部屋に、尾崎一家を案内した。

 

この仏壇について、ひとこと意見を申し述べるのをお許しいただきたい。

以前、ヨメの部屋の仏壇は、とても質素でこじんまりしたものだった。

しかし、母が死んで1週間経ったころ、ヨメの部屋の仏壇が、突然膨張したのだ。得意先との打ち合わせから帰ってきたとき、ヨメが「ねえねえ見て」と私をヨメの部屋に引っ張り込んだのである。

いやいや、我々はそんな関係ではございませぬ。何を考えておられるのですか、と言おうとしたとき、荘厳な装いの木の塊が目に入った。

どこから見ても、それは、ぶっつだ〜〜ん! だった。

今のマツコデラックス氏は無理かもしれないが、マツコ氏がRIZAPで3ヶ月間結果にコミットしたら格納できるくらいのビッグでゴージャスな入れ物だった。

私は思った。これ、安くはないよな。でも、イクラ? なんて聞けないぞ。高いに決まってマス。

私は思った。仏壇のハセガワに行って、同じサイズの仏壇の値段を調べるのは、イカがかと。いや、インターネットで調べた方が早イカ・・・などと考えてみたが、みっともないので、やめタラコ。

世の中には、知らない方がいいことが沢山ある。今回の仏壇の値段は、知らない方がいい部類に入ると私は判断シタビラメ。

 

その圧倒されるほど厳かな仏壇の前で、尾崎一家がお行儀よく正座をして、頭を下げ、手を合わせた。

私は目に見えるもの以外は信じないという罰当たりものなので、仏壇の前で手を合わせたことはない。

忘れないこと、絶えず思い出すことが供養だと思っているからだ。

しかし、尾崎はともかく、尾崎の妻や子どもたちが手を合わせている姿を見て、何も感じないほど私は鈍感な人間ではない。

鼻の奥がツンとしてきて、目から水っぽいものが流れてきた。

そんなとき、尾崎が祈りを終えて、私の方を振り返り見た。尾崎の目も潤んでいるように見えた。

立ち上がって私のそばに来た尾崎の左肩を私は右手で叩いた。尾崎も私の肩を叩いた。二人うなずいた。

「母さんは、安らかなようだな」

尾崎のその声の後ろで、恵実とヨメ、息子、娘のすすり泣きが聞こえた。

 

おやおや、誕生日って、こんなに湿っぽいものでしたっけ。

まるで、俺が黄泉の世界に向かったみたいじゃないか。

 

そんな空気を一変させるように、尾崎のガキども、ハヤテ、アスカ、カゲトラ(全部私が名前をつけた。センスのない名前にも尾崎は文句を言うことをせず、そのまま使った)が、「腹減ったなー」と叫んだ。

それを合図に、恵実が、クーラーボックスに入れて持ってきたご馳走を我が家の直径1メートル20センチの円卓に並べ始めた。

 

昔話になるが、18年前、尾崎と同棲し始めた頃の恵実は、料理がまったくできない女だった。

親からも誰からも料理を教えてもらったことがなかったという。自分からも積極的に料理をしたいとも思わなかったようだ。

尾崎と同棲し始めたのは、恵実28歳のときだった。朝は永谷園のお茶漬け。昼は出前。夜は中野のレストランで外食。それが尾崎と恵実が一緒に暮らし始めた一年目のルーティンだった。

尾崎も食い物にこだわる方ではなかったので、文句は言わなかった。

だが、私が文句を言った(モンクの叫び)。

同棲2年目の雪の降る八月の真夏日に、私は尾崎のマンションを訪問して、恵実と初めて会った。

そのときの恵実は、目力が際立った気の強そうな女に見えた。黒くて長い髪、姿勢のいいキリッとした佇まいは、周りを圧倒する鋭さがあった。

私がたじろいでいると、恵実は「私、料理は不得意ですけど、今日は尾崎の親友のために、おもてなしをします」と妖艶に笑った。

そして、「カレーお好きですか? 初めて作るので覚悟してください」と言って、キッチンの方に体を翻した。

 

そのカレーは、凄まじいものだった。覚悟がぶっ飛んだ。

恵実は肉、タマネギ、ニンジン、ジャガイモを炒めることをせずに、沸騰した鍋に投げ入れたのだ。カレールーも一緒にぶち込んだ。

煮込んだら灰汁が必ず出る。しかし、恵実は灰汁を取ろうともせず煮込みっぱなしなのだ。味見もしない。

そして、味見をしていないカレーが、尾崎と私の前に出された。要するに、我々二人が毒味役ということだ。

一口食って、私たちは死んだ。

「マズい」という言葉さえ控えめに思えるほど、それは確実に「毒」だった。煮込んだわりには、肉も野菜も異常に硬くて、噛むのが容易ではなかった。

さらに、味が殺人的にひどかった。カレーというのは、誰が作ってもそれなりの味になるものだ。つまり、平均点を取りやすい料理だ。

しかし、恵実の作ったものは一口目はカレーの味がしたが、二口目からは生臭さしか感じなかった。口の中に生臭さが充満し、鼻にもその生臭さが侵入してきて、喉が飲み込むことを拒否するくらいのゴミ料理だった。

 

悪いけど、これは、おもてなしではないですね。おもてではなく裏。裏切りの料理ですよ。

俺が作り直します。俺の手順をよく見て覚えてください。

私がきついことを言っても恵実はふてくされることなく、台所の引き出しからメモ用紙を出し、私の目を真っ直ぐ見ながらうなづいた。

その姿を見て、気の強さが、いい方向に作用している人だな、と思った。気は強いが、我は強くない。

 

それからのち私は、一月に一度の頻度で尾崎の家を訪れ、恵実に料理を伝授した。

まずは、様々なソースを教えた。たとえばホワイトソース。グラタン、クリームシチュー、チーズフォンデュ、クリームコロッケ、パイ生地を使ったつぼ焼き、ドリア、ラザニアなどに応用できる。

デミグラスソース。ハンバーグ、ビーフシチュー、オムライス、ハヤシライス、パスタなどに応用できる。

昆布ダシ、かつおダシ、煮干ダシ、あごダシ。味噌汁、煮物、うどん、ソバ、おでん、カレーなどに応用できる。

鶏ガラと長ネギを煮込んでとった中華スープ。ラーメン、チャーハン、麻婆豆腐、ニラ玉あんかけなどに使える。

さらに、食材を焼く、煮る、炒めるなどの基本。千切り、みじん切り、短冊切り、いちょう切りなどの切る基本。電子レンジを使っての時短の仕込み。調味料を使う順番。肉を柔らかくするための下準備。揚げ物の衣をサクッと揚げる方法。

これらを応用すれば、料理のバリエーションが何十倍にも増える。料理は応用化学だ。その楽しさを知れば、料理が必ず好きになる。

 

尾崎の妻の恵実は、応用が利く人だったようだ。私が教えたのは5ヶ月、5回だけだったが、瞬く間に料理の腕が上達した。

5ヶ月前までは生臭いカレーしか作れなかった人が、プロに負けないくらいのスパイスが程よく効いた春野菜のスープカレーを作ったのだ。

「まるで別人じゃないか」と尾崎が驚いた。

 

今回作ってくれたのは、イカめし9人前。タコのマリネ。油ものが好きな私のために、カキフライ、野菜の天ぷら、アジフライ、メンチカツ、唐揚げだ。

恵実の作るイカめしは絶品だ。私もイカめしを作るが、完成度は恵実のものには敵わない。おそらく名物のイカめしといい勝負なのではないだろうか。

このイカめしは、今回唯一私がリクエストしたものだった。私は、これを5人前は食える自信がある。

イカ好きの娘は、食って感激し、恵実に早速レシピを聞いていた。

 

イカめしに食らいついているとき、尾崎のガキどもが突然立ち上がって、ハッピバースデーの歌を歌い出した。しかも3度3度でハモってるではないか。恐るべし、9歳、6歳、4歳のガキども。

歌い終わって、ガキどもがラッピングされた紙袋をくれた。

「サトル、おめでとう」パチパチパチ。

尾崎のガキどもは、自分の親を「リュウイチ」「メグミ」と呼んだ。そして、親しみを感じた人をファーストネームで呼んだ。つまり、私に親しみを感じているようなのだ。照れますな。

紙袋を開けてみた。ザバスのプロテインが入っていた。ココア味だ。バースデーカードも入っていた。

「これのんでふとれ。やせすぎなんだよ」

おそらくカゲトラが書いたと思われる。字がニョロニョロしていた。

ありがとう、と頭を下げた。

 

しかし、そのプレゼントを見て、頭を抱えた二人がいた。

私の息子と娘だ。

「かぶった〜〜!」

「かぶっちまったよ〜」と泣き真似をした娘が、綺麗にラッピングした袋を私に放り投げた。

開けてみたら、ザバスのプロテインが入っていた。ヨーグルト味だ。バースデーカードも。

「緊急指令  太るんじゃ!」

そんなに俺って、痩せてる?

全員が、高速でうなずいた。

 

しかし、プロテインだけで太りますかね。

「人並みに食えば太るんだよ」と尾崎(おまえも痩せてるけどな)。

そして、大皿に盛った天ぷらを私の前に押し出した。

「これは、おまえのものだ。全部食え。そのあと、俺たちの目の前でザバスを2杯飲め。今日はお前の『太ります記念日』だ。これだけの人が、おまえを心配してるんだ。怠けるんじゃねえぞ」

 

 

誕生日に、太れ、と命令される。

 

思いもよらないことザバス。