逆ギレ、というのは見苦しい。
自民党の高村正彦副総裁が、地方議会の自民党議員が、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を批判する意見書を提出、可決された件に関して、「地方議会であっても、日本人であれば慎重に勉強してもらいたい」と反論したのだという。
高村氏は、その根拠として、昭和47年の自衛権に関する政府見解に言及し、「この見解を出したときも与党の事前了承はなかった」と述べ、丁寧な議論を積み重ねているとアピールしたらしいのだ。
しかし、そもそもその見解がおかしいのですよ、と意見書を提出したのだから、勉強して欲しいのは、むしろ今の与党の方だろう。
様々な地方議会が、自民党議員が、集団的自衛権に関して抗議の意見を述べている。
それに対して、高村氏は「いまだかつて一つの閣議決定に当たり、これだけ慎重にやったことは私の経験では知らない」と強調していると言うが、それは、反対が多いという現実を見ていないから、言えることだ。
要するに、彼は、地方議会から批判されたことに対して、感情的に反発しているだけだろう。
議論を尽くした、というのは、高村氏たちの見解であって、地方議会は、そう思ってはいない。
そんな簡単なことに気づかない政治家に、「世論」を判断することはできるのだろうか。
結局は、自己都合の結論だけがあって、自己都合の結論を押しつけるために、強圧的に「議論を尽くした」と言い張っているるだけではないのか。
俺たちが出した結論に、地方議会ごときやペーペーの自民党議員が反発するなよ、ということだろう。
高村正彦副総裁は、かつて外相も経験なさった優秀な方だと思うが、彼は外交の場で、相手から自己の意見を否定されたとき、相手の外交官にどんな態度を取ったのだろうか。
円滑に外交を進められたのだろうか。
少し気になる。
話は飛躍するが、大分前のことだが、コンビニで不快な対応をされたことがある。
そのとき、私と同じような被害者を捜そうと、ネットを検索した。
これは、私とはケースが違うのだが、コンビニで店員に自分の買った商品をつまみ食いされて、不快な思いをした、という文章を見つけた。
そのとき、自分が頼んだファストフードを目の前で、袋に手を入れて「少しつまんで」食べている姿を見てしまったという文だった。
対応があまりにひどいので、抗議をしたら、店長が謝りに来ると言い、同じ商品をいただけることになったが、これに対してどう対応したらいいか、という話だった。
そして、そのことに対して、何か社会的な制裁を加えられないか、とも書いていた。
それに対してのコメントが、ひどかったので、驚いた。
「へ~そんなことあったんかい!!!
でもよ、謝り来るのにおまえは許してやらんのか
もう一度同じ商品作るっていってんだで!!!許してやれよ」
「とんだクレーマーですね・・・。
その店員がしたことは確かによくないと思います。
でも、それだけで犯罪に問われるわけがありませんよ」
確かに、金を払う前までは、その商品は店のものである。
だから、「味見」と称して、袋の中の商品を確かめる行為は、犯罪には問われないだろう。
しかし、モラル、というのがある。
そして、客商売で一番大事なのは、その「モラル」なのだ。
お互いがモラルを守ることによって、売り手と買い手の間で、信頼関係が生まれる。
その信頼関係なしでは、商売は成り立たない。
そのことを知らない人は、要するに、世間知らずだ。
世間知らずの人が、「謝るんだから許してやれよ」「とんだクレーマーだな」という意見を言う。
おそらく、何かに意見をする人に対して、彼らは、感情的に反発しているだけだろう。
意味は若干違うかもしれないが、それも逆ギレだ。
彼らは、正当な意見を述べる人を、「反体制の人」と思っているのかもしれない。
そうやって、持論を主張したり、権利を主張する人は、彼らにとって、きっと「怖い人」なのだろう。
だから、怖いが故に、本能的に、それを封殺したい願望が芽生える。
だから、感情的に反発する。
高村氏のように。
一昨日、中央線武蔵境駅のスーパーのレジで並んでいたときのことだ。
レジの女性が、見習いの方だった。
だから、不慣れなのは当たり前だろう。
経験が浅いのだから、わからないことは、たくさんある。
それを乗り越えて、彼女はプロになっていくのだと思う。
POSシステムに、お客の買った総菜が反応しなかった。
それに対処しようと、レジの若い子は、大声で熟年の女性に助けを求めた。
熟年の女性は、すぐに対応して10秒もかからずに、正確な値段を提示することができた。
その素早い流れは、プロとして流石だな、と私は思った。
しかし、客である70歳くらいの男の人は、「何やってるんだよ1」と怒りをあらわにしたのだ。
「こんなこともできないのかよ、おまえ! それで、よく、そこにいられるな! おまえには、給料をもらう資格なんかねえ! 早く消えろ!」
そう言い放ったのだ。
確かに、未熟だったもしれない。
しかし、未熟であっても、誰でも未熟な段階はある。
未熟ではない人間などいない。
誰だって、仕事を覚えた期間は、未熟だ。
彼らは、なぜ、その「未熟期間」を待てないのだろう。
その姿を見たとき、この精神的な未熟期間の長いご老人は、「未熟さ」ゆえに逆ギレという方法をとることしか知らなかった、と思った。
自分の考えと違う人を否定する人は、私も含めて「幼稚」なのだ。
そして、人を怖がっている。
その思考方法が、「逆ギレ」を生む。
これは、反省しなければいけない、と思った。
自民党の高村正彦副総裁が、地方議会の自民党議員が、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を批判する意見書を提出、可決された件に関して、「地方議会であっても、日本人であれば慎重に勉強してもらいたい」と反論したのだという。
高村氏は、その根拠として、昭和47年の自衛権に関する政府見解に言及し、「この見解を出したときも与党の事前了承はなかった」と述べ、丁寧な議論を積み重ねているとアピールしたらしいのだ。
しかし、そもそもその見解がおかしいのですよ、と意見書を提出したのだから、勉強して欲しいのは、むしろ今の与党の方だろう。
様々な地方議会が、自民党議員が、集団的自衛権に関して抗議の意見を述べている。
それに対して、高村氏は「いまだかつて一つの閣議決定に当たり、これだけ慎重にやったことは私の経験では知らない」と強調していると言うが、それは、反対が多いという現実を見ていないから、言えることだ。
要するに、彼は、地方議会から批判されたことに対して、感情的に反発しているだけだろう。
議論を尽くした、というのは、高村氏たちの見解であって、地方議会は、そう思ってはいない。
そんな簡単なことに気づかない政治家に、「世論」を判断することはできるのだろうか。
結局は、自己都合の結論だけがあって、自己都合の結論を押しつけるために、強圧的に「議論を尽くした」と言い張っているるだけではないのか。
俺たちが出した結論に、地方議会ごときやペーペーの自民党議員が反発するなよ、ということだろう。
高村正彦副総裁は、かつて外相も経験なさった優秀な方だと思うが、彼は外交の場で、相手から自己の意見を否定されたとき、相手の外交官にどんな態度を取ったのだろうか。
円滑に外交を進められたのだろうか。
少し気になる。
話は飛躍するが、大分前のことだが、コンビニで不快な対応をされたことがある。
そのとき、私と同じような被害者を捜そうと、ネットを検索した。
これは、私とはケースが違うのだが、コンビニで店員に自分の買った商品をつまみ食いされて、不快な思いをした、という文章を見つけた。
そのとき、自分が頼んだファストフードを目の前で、袋に手を入れて「少しつまんで」食べている姿を見てしまったという文だった。
対応があまりにひどいので、抗議をしたら、店長が謝りに来ると言い、同じ商品をいただけることになったが、これに対してどう対応したらいいか、という話だった。
そして、そのことに対して、何か社会的な制裁を加えられないか、とも書いていた。
それに対してのコメントが、ひどかったので、驚いた。
「へ~そんなことあったんかい!!!
でもよ、謝り来るのにおまえは許してやらんのか
もう一度同じ商品作るっていってんだで!!!許してやれよ」
「とんだクレーマーですね・・・。
その店員がしたことは確かによくないと思います。
でも、それだけで犯罪に問われるわけがありませんよ」
確かに、金を払う前までは、その商品は店のものである。
だから、「味見」と称して、袋の中の商品を確かめる行為は、犯罪には問われないだろう。
しかし、モラル、というのがある。
そして、客商売で一番大事なのは、その「モラル」なのだ。
お互いがモラルを守ることによって、売り手と買い手の間で、信頼関係が生まれる。
その信頼関係なしでは、商売は成り立たない。
そのことを知らない人は、要するに、世間知らずだ。
世間知らずの人が、「謝るんだから許してやれよ」「とんだクレーマーだな」という意見を言う。
おそらく、何かに意見をする人に対して、彼らは、感情的に反発しているだけだろう。
意味は若干違うかもしれないが、それも逆ギレだ。
彼らは、正当な意見を述べる人を、「反体制の人」と思っているのかもしれない。
そうやって、持論を主張したり、権利を主張する人は、彼らにとって、きっと「怖い人」なのだろう。
だから、怖いが故に、本能的に、それを封殺したい願望が芽生える。
だから、感情的に反発する。
高村氏のように。
一昨日、中央線武蔵境駅のスーパーのレジで並んでいたときのことだ。
レジの女性が、見習いの方だった。
だから、不慣れなのは当たり前だろう。
経験が浅いのだから、わからないことは、たくさんある。
それを乗り越えて、彼女はプロになっていくのだと思う。
POSシステムに、お客の買った総菜が反応しなかった。
それに対処しようと、レジの若い子は、大声で熟年の女性に助けを求めた。
熟年の女性は、すぐに対応して10秒もかからずに、正確な値段を提示することができた。
その素早い流れは、プロとして流石だな、と私は思った。
しかし、客である70歳くらいの男の人は、「何やってるんだよ1」と怒りをあらわにしたのだ。
「こんなこともできないのかよ、おまえ! それで、よく、そこにいられるな! おまえには、給料をもらう資格なんかねえ! 早く消えろ!」
そう言い放ったのだ。
確かに、未熟だったもしれない。
しかし、未熟であっても、誰でも未熟な段階はある。
未熟ではない人間などいない。
誰だって、仕事を覚えた期間は、未熟だ。
彼らは、なぜ、その「未熟期間」を待てないのだろう。
その姿を見たとき、この精神的な未熟期間の長いご老人は、「未熟さ」ゆえに逆ギレという方法をとることしか知らなかった、と思った。
自分の考えと違う人を否定する人は、私も含めて「幼稚」なのだ。
そして、人を怖がっている。
その思考方法が、「逆ギレ」を生む。
これは、反省しなければいけない、と思った。