リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

田中将大投手の肩の消耗度

2014-01-26 08:18:00 | オヤジの日記
田中将大氏が、高額の年俸でニューヨーク・ヤンキースと長期契約をした。

金額に関しては、あまりにも高額すぎて、かえって凄さが私には伝わらない。

わからないと言えば、私は高校野球に興味がないので、高校時代の田中氏のことを知らない。
日本のプロ野球のことも、ここ20年以上興味がないので、試合で田中氏が投げているところは、ニュース映像でしか知らない。

だから、正直、田中氏が、どれほど優れたピッチャーであるかということは、昨年の24勝0敗というマンガの世界のような成績で想像するしかない。

成績を見たら、彼が日本プロ野球の最優秀投手であることを認めざるを得ない。
ただ、メジャーでは、未知数である。
活躍して欲しいとは思うが、田中氏のことをよく知らないので、軽々しいことは言えない。


そこで、ここでは、メジャーリーグの視点からの田中氏のことを書いてみようかと思う。

少し前のことだが、メジャーリーグには、田中氏のように、25歳までに1300イニング以上を投げたピッチャーは、20年近く存在していないというアメリカ発の記事が出た。

つまり、田中氏は、若いのに、肩を酷使しているのではないかというのだ。

メジャーリーグでは、肩は消耗品という考えが定着している。
データ重視のメジャーリーグでは、過去の様々なデータから、そのような結論が出たのだと思う。

確かに、メジャーのピッチャーに関しては、「肩は消耗品」という考えは、合理的なのかもしれない。
そして、おそらく、日本でも。

肉体のすべてが消耗品だとしたら、肩だって、使えば消耗する。
その考えは、当たり前すぎるほど当たり前だ。

ただ、単純に、メジャーリーグのピッチャーと日本のプロ野球のピッチャーの肩の「消耗度」を同列に判断するのは、浅薄すぎるのではないか、と私は考えている。

まず、決定的に違うのは、バッターの能力の差だ。

こつこつと当てるのが上手な日本のバッター。
それに対して、筋肉サイボーグの太い腕で、ブンブン振り回すメジャーのバッター。

メジャーでの実績のなかった外国選手が、日本に来てホームランを量産するのは、珍しいことではない。
逆に、日本人のホームランバッターがメジャーに行って、ホームランを量産したという例はない。
松井秀喜氏でさえ、日本での実績の6掛けくらいの成績しか残せなかったのである。

根拠に乏しい計算だが、日本プロ野球のバッターは、メジャーのバッターの7掛けか8掛けの実力しかない、と私は思っている。

田中将大氏は、メジャーの8掛けの日本のバッターに対して、1300イニング以上を投げた。
しかし、その1300イニングは、メジャーの強打者相手に投げたものではない。

メジャーで1300イニング投げたピッチャーほどは、肩は消耗していないのではないだろうか。
ましてや、日本の場合、ローテーション投手は、中6日という過保護の中でシーズンを過ごすことが多い。
メジャーは、中4日が基本。

酷使の質が、日本とメジャーでは違う。

アメリカの専門家は、そのあたりのことを誤解しているのではないか。
それに、日本のピッチャーとメジャーのピッチャーでは、練習方法が違う。

投げ込みを重んじる日本と、消耗した肩の回復に重きを置くメジャー。
その違う環境から、同一データを導くのには無理がある。

要するに、田中氏の肩が消耗しているかどうかなど、メジャーの尺度からは、わからないということだ。

消耗しているかもしれないし、消耗していないかもしれない。


いずれにしても、今年から3年、田中将大氏のメジャーでの成績を見なければ、判断できないだろう。


BSやCSで中継されるメジャーリーグの中継で、私は初めて田中将大投手のピッチングを見ることになる。

高額契約のことは、どうでもいい。

田中将大氏には、怪我なく一年を消費していただき、ぜひ何らかのタイトルを取っていただきたいと思う。


切に思う。


非ステロイドのノモ

2014-01-19 08:49:00 | オヤジの日記
野茂英雄氏が、日本の野球殿堂入りを果たした。

メジャーリーグでの殿堂入りを逃したばかりだったので、これは嬉しいニュースだった。
今年のメジャーの殿堂入り資格者は、300勝投手が2人もいるなど高いレベルのものだった。
123勝の野茂氏が、いくら日米野球の架け橋になった、という事実があったとしても、投票資格者である米国記者たちにとって、その印象は薄かったに違いない。

メジャーの殿堂や日本のプロ野球の殿堂が、プレーヤーにとって最大の名誉であり栄誉であることは、容易に想像がつく。
だから、ファン心理として、どちらの栄誉も得て欲しかったが、日本の殿堂入りだけでも、野茂氏にとって最高の栄誉であることは間違いない。

約20年前、野茂氏がバッファローズを任意引退選手になって、アメリカ野球に挑戦したとき、日本プロ野球機構は「自己中心的である」と批判し、それにマスメディアも追随して「アメリカで通用するわけがない」などとネガティブ・キャンペーンを展開したものである。

当時のバッファローズ監督の300勝投手・鈴木啓示氏に遠慮してか、投手出身の評論家のほとんどは、野茂氏の挑戦に関して否定的だった。
江川卓氏もその一人で、「あのストレートでは通用しない」と言っていた。
多くのスポーツキャスターの意見も否定的だった。
司会者の小倉智昭氏も否定的なことを言っていた記憶がある。

私の知っている限りでは、好意的だったのは、江夏豊氏が「環境に慣れれば、10勝はできる」と言っていたくらいだろうか。

つまり、何もかもを否定されて、日本に帰る道はない、という完全に退路を断たれた形でのメジャー挑戦だった。
まさしく「石もて追われる」という状況だった。


正直、私も最初の1年目は、マイナーで調整。
翌年から5勝以上あげれば上出来ではないか、と思っていた。

何のことはない。
私も野茂英雄氏の実力を過小評価していたのだ。

ここは、素直にお詫びしたいと思う。

それほど私の頭の中では、メジャーリーグというのは、レベルの高い世界であるとの認識が強かった。

たとえ日本一の投手だったとしても、そのハイレベルの世界で勝つのは容易ではない。
ましてや、ステロイド全盛時代のメジャーリーグだ。
筋肉の鎧で全身を固めた主軸打者が、どのチームにも数人はいたのだ。

明らかに異次元の世界である。

そして、その異次元の世界で、野茂氏は「勝利者」になった。

重ねて、野茂氏を過小評価していたことをお詫びしたい。


野茂氏の活躍によって、メジャーリーグは、アジアの野球選手への門戸を開くようになった。

それだけでも野茂氏の功績は、大きい。

ノーヒットノーラン2回と最多奪三振2回は、メジャーの歴史に大きく刻まれると思うが、アジアの選手たちにメジャーへの道を切り開いた功績は、他と比較できないほど大きい。

そのことも含めて、テキサス・レンジャースの秋信守選手が、「野茂選手は、もっと評価されてもいい」と言っているようだ。

私も、そう思う。

ステロイド全盛期の打者相手に、13勝以上を6度達成した野茂英雄氏。
現在と比較することがナンセンスだというのは承知だが、ステロイドが本塁打を飛躍的に増やしたことに対抗するように、投手もステロイドで球速をあげるという時代に、非ステロイド系の投手が勝ち星を積み重ねるのは、容易ではなかったはずだ。

挑戦に批判的だった日本球界、保守的な論理で批判を繰り広げたマスメディア、そして海を渡ったら、ステロイドに毒された筋肉世界。

ほとんど四面楚歌の状況で、123の勝ち星を積み上げたのだから、野茂氏は、本当にもっと尊敬、評価されてもいいと思う。


5勝できればいい、と思っていた私が、言うことではないかもしれないが………。



死ね、のちグータッチ

2014-01-12 08:07:00 | オヤジの日記
目くじらを立てることはないのかもしれない。
しかし、何となく気になったので書いてみた。

近所のパン屋に食パンを買いに行ったときのことだ。
ここでは、いつも焼きたての食パン1斤半を買うことにしている。
家族4人分の厚焼きトーストを作るのに最適だからだ。

週に2回程度は通っているかもしれない。
だから、馴染みと言っていい。

その日、間口の狭いパン屋のドアの真ん前に、自転車がドアを塞ぐように停められていた。
あまりにも見事に塞がっていたので、その光景を見た私は、店が定休日なのだと思った。

オーマイガーッと思ったが、一応中を覗いてみた。
明かりがついていて、店内にはパンが綺麗に陳列されているのが見えた。

つまり、開店しているということだ。
そこで、私は自転車越しにドアをトントンと叩いた。

店の従業員は、すぐにそれに気づいて、ドアを開けてくれた。
しかし、彼女は、それと同時にドアの前に堂々と停められた自転車に気づいて「あら」と声を出した。

そして、店内に一人だけいた客である、70過ぎの男性のご老人に声をかけた。
「あのー、店の前の自転車はお客様のものでしょうか?」

それに対して、ご老人は、「いま選んでいるんだから、待っとれ!」と命令口調で答えた。

「あの、でも自転車が……」
「選んどると言ってるだろうがぁ!」

相当個性の強いご老人らしいので、私が勝手に自転車をドアの前からどけて、歩道寄りに移動させた。

まだ選んでいるご老人を尻目に、いつものように食パン1斤半をレジに持っていった。
会計をしようとしたら、ご老人が真っ赤な顔で、「俺が先にきたんだから、俺が先だ!」と言った。
しかし、ご老人はまだ、パンを選んでいる最中だった。

だから、そのご老人の主張は、完全に理不尽なものだったが、ご老人と言い争いをしても仕方がないので、ご老人がパンを選ぶまで私は待った。

しかし………、世の中には、厄介すぎるほど厄介なご老人がいるという現実に、私は直面した。

私が、おとなしくご老人の買い物を待っている姿を見て、ご老人が言ったのである。
「目障りで、落ち着いて選べんのだがなあ! さっさと買って、出て行け!」

言われた通り、さっさと金を払って、店を出た。

申し訳ないが、「死ね!」と小さく呟いた。


昨日のことだが、タクシーに乗った。

私は貧乏なので、タクシーに乗るのは年に一回あるかないかだ。
しかし、昨日は急ぎの仕事があったので、財布が軽くなる恐怖と戦いながら、タクシーに乗った。

目的地まで、あと500メートルほどの場所の一方通行。

後ろ姿で判断すると70代の男性のご老人が、タクシーの前20メートルのところで自転車をこいでいる場面に遭遇した。

ご老人が自転車をこぐスピードは、一般人が歩く速度より遅いものだった。
要するに、歩いた方が早い。
しかし、ご老人にとっては、自転車の方が楽なのだろう。
フラフラしながらも、一方通行の道を、ご老人が自転車を走らせていた。

タクシーの運転手さんが、一度クラクションを鳴らした。
この亀のような自転車に付き合っていたら、前に進めない。
だから、この場合のクラクションは、許されるものだったと思う。

しかし、ご老人は聞こえないのか、相変わらずフラフラと右左に方向を大胆に変えながら、一方通行の道を占領していた。

右でも左でもいいから、少しでも自転車を寄せてくれたら、タクシーは横をすり抜けることができた。
だが、ご老人の乗った自転車は、うまい具合に、右にふらつき左にふらつきながら、タクシーの進路を塞ぐように、走行していたのである。

しびれを切らしたタクシーの運転手さんが、クラクションを長いトーンで鳴らした。

その音に驚いて、道路に出てきたのは、道路脇に建っていた古びた日本家屋の住民らしき人だった。
その方も、70過ぎの男性のご老人。

眉間に皺を寄せて、タクシーに近づくと、タクシーの運転席側の窓ガラスを叩いた。
そして、怒鳴った。

「うるさいぞ! 住宅街でクラクションは迷惑だ! どこのタクシーだ、会社に抗議してやる!」

面倒くさい展開になった。
目的地までの500メートルが、とても遠く感じられた。

運転手さんが、窓ガラスをあげ、頭を下げながら「申し訳ありません。前を塞ぐ自転車がいて、車が進めなかったので」と、ご老人に説明した。

その短い間に、タクシーの後ろには、6、7台の車が列をなしていた。
そして、事情を知らないドライバーの何人かが、クラクションを鳴らした。

その状態を見て、ご老人が、「ほら! おまえがクラクションを鳴らすから、みんなが真似をするだろうが! 早く行けよ! 何とかしろ!」と怒鳴った。

早く行け、と言っても、前では、相変わらず自転車に乗ったご老人が、フラフラと自転車のダンスを踊っていた。
前に進めるわけがない。

しかし、このご老人も、たいへん個性の強い方だった。
前を行くフラフラ自転車ダンスのことは無視して、運転手さんに鬼のような顔を作って、こう言ったのである。

「警察呼ぶぞ! いいのか、おまえ!」

それに対して、運転手さんは、待ってましたとばかりに「いいですよ。呼びましょう。俺が呼びますから」と、自分で携帯電話を取り出した。

慌てたのは、ご老人の方である。
「いや、警察は嘘だ。呼ばなくていい。とにかく早く走らせろ。クラクションは鳴らすな。早く行け!」

何の解決にもならないことを言って、自分の家に入っていった。

その間も、自転車は、右にフラフラ左にフラフラ。

しかし、ここで救世主が現れたのである。
列の一番後ろで待っていたドライバーが、ご老人フラフラ自転車のところまで駈けていって、ご老人の自転車のハンドルをつかみ、バランスを崩さないように気を配りつつ、自転車を左に寄せたのだ。

ご老人は抵抗していたが、ドライバーが屈強な体格をしていたため、その抵抗は弱々しいものだった。

ただ、口だけは、罵るようなことを言っていたように聞こえた。

機転を利かせたドライバーさんのおかげで、タクシーは目的地まで無事到着することができた。


金を払って降りるとき、運転手さんが、苦笑いしながら言った。
「いけないことかもしれませんけどね。俺、心の中で2回『死ね』って呟きましたよ」


いや、運転手さん、俺も同じですから、と言ったら、グータッチを求められた。


もちろん、グータッチをした。


2014年の元旦

2014-01-05 08:50:00 | オヤジの日記
オンボロアパートの庭の段ボールに、野良猫が住み着いている。

勝手に、セキトリと名付けた。

頭のてっぺんの模様がマゲに似ていたからだ。
体格も良くて、ふてぶてしい面構えが、昭和の大横綱、北の湖に似ていた。

我ながら、いい命名だと感心している。

そのセキトリが、庭の段ボールに住み着いて4年が経つ。
つまり、4回目の正月だ。

東日本大震災のときは、18日間行方がわからなかったが、19日目の朝、日課のように段ボールの中をのぞいたら、セキトリが寝ていた。
起こしては悪いと思って声はかけなかったが、その寝姿を見て涙が出た。

野良猫でも、彼は家族だ。


セキトリが住み着いている段ボールには、夏仕様と冬仕様がある。
夏仕様は、普通の段ボールに、小さいビーチパラソルを刺してある。
これで、夏の日差しを遮っている。

猛暑のときは、それなりに暑いとは思うが、完璧に日差しを遮っているので、たまに温度計で気温を測ってみても、滅多に30度を超えることはない。
避暑地ほど快適ではないだろうが、段ボール内で、茹で上がることはないはずだ。

冬は、大きめの段ボールとやや小さめの段ボールを重ねて、段ボールの間に層を作っている。
この空気の層が、温かい空気を溜めて、段ボール内を暖かくしている。
さらに、ブルーシートを段ボールサイズに切って、まわりに貼ってあるから、冬の冷気が入りにくい構造になっている。

段ボールといえども、侮れない住まいだ。

昨年一月の大雪のときは、屋根に大量の雪が積もっていたが、雪に押しつぶされることなく、セキトリは中に敷き詰めた毛布の上で、快適な眠りを楽しんでいたようだ。

私が様子を見に行くと、「なんだよ、おまえ、起こすなよ。せっかくいい眠りを貪っていたのによお」というような目で、私を見上げた。

悪かったな、と言って、昼メシのハンペンのバター焼きを皿の上に置いた。
これは、セキトリの大好物なのである。


今年の正月の献立は、カマボコとハンペンのバター焼きの上に鮭のそぼろを乗せたもの。

これをセキトリは、1分強で食う。
食べ終わると、「ご馳走になったな」というように私を見上げ、その視線を一秒ほど停止させる。
おそらく、感謝の意を表しているのだと思う。

オンボロアパートの2階からは、富士山が見える。
東京武蔵野の外れだが、富士山の稜線が綺麗に見て取れる。

しかし、今年の元旦は、富士山が見えなかった。
それほど悪い天気ではなかったのだが、なぜか見えなかった。

毎年見えるので、損をした気分だ。

セキトリに話しかけてみた。

今年は富士山が見えなかったんだよ。
せっかく世界遺産に登録されたというのにな。

セキトリが「ナー」と鳴いた。

セキトリは、いつも「ニャー」ではなく「ナー」と鳴く。

今回の「ナー」は、おそらく、「そんなこともあるさ」の意味だと思う。
あるいは、「毎回見えていたら、ありがたみがないよ」の「ナー」かもしれない。

もう一度、セキトリが私を見上げて、短い時間見つめた。
目が合った。

今年もよろしくな、と私が言うと、セキトリは目をすぐにそらして、まるで猫のように背を丸め、段ボールの我が家に帰っていった。

お互い、照れ屋だ。
改まったことが嫌いなタチだ。
だから、どうしてもぶっきら棒になる。

まあ、新年の挨拶もしたことだし、よしとするか。
そう思って、私も家に入ろうとした。

すると、段ボールの中から「ナー」という声が聞こえた。

言い忘れた「おめでとう」を言ったのかもしれない。


これで、新年の儀式は終わった。



セキトリにとって、今年がいい年でありますように。