リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

憂うつにさせるサクラ

2019-03-31 05:25:00 | オヤジの日記

桜咲く頃になると、大抵あいつらがやってくる。

 

「カラオケ行こうぜ」と誘われるのだ。

私はカラオケが好きではないのだが、新宿でいかがわしいコンサルタント業を営むオオクボと横浜で地味に行政書士事務所を営むシバタ(通称ハゲ)は、私が断ると、2人とも泣くのだ。

だから、人助けのために、年に1回は受けてやっている。

 

おおっぴらに言いますが、私はバラードが好きではない。

特に、思い入れたっぷりに歌う森山直太朗氏の「さくら」が苦手だ。

異論はございましょうが、とにかくダメ。

いい曲だと思ったことがない。

 

だが、カラオケに行くと、オオクボとハゲは、必ずこの曲を入れる。

しかも、かなり上手い。

ちゃんと仕事してるのかい?

 

しつこく言いますけどね、私はカラオケが好きではない。

特に、素人の過剰な感情移入のバラードが苦手だ。

 

その点、オオクボとハゲのバラードは過剰というほどではない。

昔は2人とも歌が上手いという印象はなかった。

きっと、凝り性で負けず嫌いのオオクボは、懸命に一人カラオケで練習したのだろう。そして、ハゲはカラオケ教室に通ってハゲんだに違いない。

 

しかし、バラード嫌いの私からしたら、その時間はとても苦痛だ。

ロードって長い歌だよね。時代? 地上の星? 乾杯? 時間よ止まれ? ツナミ? 純恋歌?

退屈なんですけど。

君たちは、本当に歌が上手い。尊敬するわ。そこまで正確に音程がとれるなんて、相当な才能だよね。

だけどね、俺はダメだな。「さくら」を歌われても、全然サクラの情景が浮かばないんだよね。もっと、アッサリ歌えないの?

たとえば、つじあやのさんの「桜の木の下で」みたいに、さらっと歌えないの?

俺は、この歌の方が、サクラが目の前に鮮やかに浮かぶんですけど。

 

感性の違いですよね。

あるいは、その歌が売れたか売れなかったか、で判断してるのか?

オオクボとハゲの歌うバラードは、上手いけど退屈だ。

 

そんな風に退屈なオオクボとハゲだが、必ず私が歌える曲を1曲入れてくれる。

それが、ありがたい。

「ウルトラソウル」だ。

そして、カラオケのメニューには、なかなかないのだが、サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」も一緒に歌ってくれる。

a hazy shade of winter を「冬の散歩道」と訳してしまうセンスのなさは絶望的だが、この歌自体は素晴らしい。

 

私は、最高の詩人はジョン・レノン氏だと思っている。

ビートルズ時代から、簡単な英語のフレーズを使った詩を書かせたら、彼を超える人はいないと今も思っている。

そして、その才能に一番近い人がポール・サイモン氏だとも思っている。

彼も簡単な英語表現しか使わない詩人だ。

a hazy shade of winter は、2分少しの短い曲だ。

ヒップホップが主流になって、言葉をこねくり回す歌が増えた最近は一曲が長くなった。

それはそれで、きっと言葉を大事にしている結果なのだとおもう。

 

ジョン・レノン氏やポール・サイモン氏の歌は短いものが多い。

短い中で、凝縮した情景を歌っている。

サイモン&ガーファンクルをご存じない方には、なんじゃそりゃ、だろうが、この曲は、彼らにとっては珍しくロック色の強い歌だ。そのビートと歌詞が私の心にドンピシャに突き刺さった。

だから、今も私は歌っている。

 

時間、時、いま

たくさんの時が経ってしまって 木々も枯れてしまって

空から射す光は冬の霞んだ影を映し出している

夢は諦めちゃダメだよ

必ず春はやってくるんだ 

草も育つ 作物も実をつける

木々も枯れてるけど 見渡せば ひとかけらの雪は残っているけど 

僕らには 必ず春がやって来るんだ

 

私のセンスのない意訳では伝わらないかもしれないが、素晴らしい詩人だと思う。

サイモン氏がこの歌に込めた思いを考えるとき、私はいつも、言葉というのはすごいな、と思う。

簡単な英語の詩の裏に、表現していない言葉が想像できるのだ。

冬があるから、春がやってくる。その過程を、サイモン氏は「冬の霞んだ影」と表現した。

たった2分の短い歌だけど、この詩を見るだけで私は感動してしまうのですよ。

 

話は違うが、私は、昔の歌は良かったよね、という意見が好きではない。

そう断定する人は、おそらく今の歌を聴いていないと思う。

聴いていないで、単なる反発で、今の新しい歌を否定する人だと思っている。

オオクボやハゲも今の歌を聴かないと言っている。

「だって、響いてこねえんだもん」

ONE OK ROCK を聴かないのか。Maroon5 やBuruno Mars は聴くに値するアーティストだと思うけど。

こう言うと、若がっている、と多くの人は反発するのだが、聴かないで反発する方が、オレには格好悪く見えるよ。

聴きもしないで、響くも響かないもないだろう、と私などは思う。

「昔の歌は良かったよね」

カラオケ好きの人たちは、そんな感覚でカラオケを歌っている。

 

カラオケの中では、時が止まっているから、彼らはカラオケが好きなのかな?

 

まあ、それはいい。

話を戻すが、そんなオオクボとハゲでも、カラオケの最後には、a hazy shade of winter をアカペラでハモってくれるのだ。

この星には70億人以上の人が、生息している。

しかし、カラオケの最後に、サイモン&ガーファンクルの a hazy shade of winter を一緒に歌ってくれるやつは珍しいのではないか。

 

I look around

Leaves are brown

There’s a patch of snow on the ground

この曲で、最後一緒に盛り上がるのが、私の幸せ。

 

その現実に触れるたびに、オレは友だちに恵まれたんだな、と思う。

 

本当に、そう思う。

 

 

(ところで、『ウルトラソウル』も『a hazy shade of winter』も古い歌だよね。あんたも結局、古い歌が好きなんだろ、という抗議に対しては、チョットなに言ってるかわからない。私だって、ONE OK ROCK やBuruno Mars が歌えたら歌ってますよ。歌が下手なんだもん!)

  

 


幸せな子どもたち

2019-03-26 08:22:01 | オヤジの日記

 

朝、中央区新川二丁目の得意先に行こうと、国立駅で電車を待っていた。

そのとき、30歳くらいのサラリーマンに話しかけられた。

「バイク事故で、顔をつぶしたのは、明石家さんまですか、ビートたけしですか」と聞かれた。

 

ああ、タケシでしょうかね、と答えた。

「あーーーー、タケシだったか!」と国立駅のホームで叫ばれた。

 

これって、新しいホラーですかね。

 

ホラーついでに、ブログを復活させます。

 

友人から「なんで削除したんだよ。バカかおまえ」と罵られたからだ。

 

・・・ということで

フッカーーーツ!

 

 

昨日、夜の2時半まで仕事をしていたんだよ。

そのあと、湯船に浸かって、湯上りにクリアアサヒを飲みながら亀田の柿ピーを食ったんだな。6個の小袋が入っている柿ピーだ。

俺は、これが好きでね、ついつい指が動いて、口に放り込んじまうんだ。6個なんて、あっという間さ。

そして、2杯目のクリアアサヒを飲んでいたとき、追加の柿ピーが欲しくなったんだな。

いつもは3個以上ストックしてあるから、安心していたんだが、いつもストックしてある竹カゴに柿ピーがなかったんだ。

え? ウソだろ? と慌てるよな。

人間ってさ、ないと思うと無性に食いたくなる生き物じゃん!

ちょっと寒かったけど、24時間営業の西友に行ったわさ。棚にあった8個の柿ピーを買い占めたわさ。

家に帰って、クリアアサヒを飲みながら、柿ピーを貪り食ったわさ。

まるで中毒だよな。

オレ、「ピラルク朱鷺」って名前で、音楽活動もしてるだろ。

マトリに、目をつけられていないかな。バレたらやばいよな。

どうしたらいい?

 

大学時代の同級生・オノが眉間にしわを寄せた。

完全に、バカにしたよな。

バッカじゃねえの! って目つきだった。

 

しかし、こんな話でとっかかりを作らないと、今回は話が進まないと思ったのだ。

オノに子どもが生まれた。

生まれたのは、昨年の10月だったが、出産祝いを送っただけでオノの家族に会うのを私はためらった。

会ったら、友として言わねばならないことがあったからだ。

それが憂鬱だった。

しかし、桜も咲こうかという時期、無視するわけにもいかず、オノ家族が住む葛飾の都営住宅に行ってきた。

 

昨年の10月に生まれたオノのガキは、カズキと名付けられた。

可愛いか可愛くないかと言ったら、きっと可愛い。

だいたい5ヶ月くらいのガキは、可愛いものだ。

そして、両親の幸せな顔。

まぶしすぎるよ。

 

だが、オレは余計なことを言わなければならない。

そのために来たのだ。

なあ、オノ、カズキはどうしようもなく可愛いよな。

 

オノが、幸せを100パーセント凝縮した笑顔で私の目を見た。

だが、笑顔の奥に、確固たる意思が見えた。

おまえの言いたいことは、わかっているよ。

簡単に言えば、そんな当たり前の笑顔だ。

 

「カズキが成人したとき、俺は80を過ぎてるんだよな」

そして、奥さんが話をつなげた。

「私は60ですよね。還暦です」

そうだ。現実を見たら、時は残酷だ。

カズキは、成長するのだ。

そして、オノたちは、確実に老いる。

おまえたちは、老いた両親として、カズキに責任が持てるのか。

 

余計なお世話だと自分でも思っている。

しかし、一つの尊い命なのだ。

カズキは、おまえたちが老いたとき、確実に何かを背負わされるのだ。

生まれたから、おめでとう、というのは綺麗事だ。

俺も一度は「おめでとう」と言うが、それは一度きりだ。

純粋な気持ちで、カズキの未来に、おめでとう、とは言えないんだよな。

悪いな、小言ジジイで。

 

「わかっているんだ、おまえの気持ちは」

オノの横で、オノの奥さんが大きくうなずいていた。

 

幸せな家族が、ここにいた。

新しい命を授かった幸せ絶頂の家族だ。

それをぶち壊すオレは、最低の男だ。

それは、わかっている。

でもな・・・オノ、二十歳のカズキは、確実に訪れるんだよ。

そして、おまえたちは残酷にも老いるんだ。

おまえたちに、その覚悟はあっても、カズキに、その現実はわかるかな。

まわりを見渡したら、明らかに若い両親だらけなんだ。

だが、自分の両親は・・・。

 

「それは、わかっている。子どもができたと知ったときから、俺はそのことをずっと心の奥に溜め込んでいたんだ。だけどな、マツ」

オノが私を見る目には、覚悟を背負った男の熱いほどのほとばしる怖さがあった。

「俺は、この子を守りたい。俺の一生は、この子と出会うためにあったと思えるほど、俺はいま充実しているんだよ」

「私も守ります」とオノの奥さんが圧の強い顔で言った。

 

「それにな」とオノ。

「俺には、29歳の娘と27歳の息子がいるよな」

前の奥さんとの間にできた子どもたちだ。

「意外だったんだが、その子どもたちが、弟の誕生をとても喜んでくれたんだよ。『こんなに年の離れた弟ができるなんて、最高のギフトだよね』って言ってくれたんだ」

オノの子どもたちは、「こんな宝物が貰えるなんて、夢みたいだよ」と喜んだという。

そして、「何かあったとき、父さんや義母さんのサポートは私たちがするから、カズキには苦労をさせないから」とまで言った。

 

オノ、おまえの子育ては、間違っていなかったようだな。

 

50歳前に、大病を患い、退院後に離婚したオノ。

東京錦糸町はずれの古びた四畳半のアパートに訪れたとき、驚いた。

生活必需品が乏しかったからだ。布団と電熱器、雪平鍋しかなかった。

それを見たとき、私は「ごめんな」と言って席を立った。

錦糸町駅近くのデスカウントストアで扇風機とホットカーペットを買って、オノの部屋に届けてもらった。

 

あとで、「相変わらず、カッコをつける男だよな、マツは」といわれた。

 

大学時代の友人で、オノと共通の友人がいた。

「フジ」という。

フジは、たまにオノの情報を私に教えてくれた。

大病を患ったあととか、オノの暮らしぶりを教えてくれたありがたい存在だった。

 

「オノがさあ・・・マツに会いたいなって言ってるんだよな」

10年以上前のことだった。

大学時代、オノと私の接点は、まったくなかった。

オノは、テニス部やテニス同好会に入っていたわけでもないのに、毎日ラケットを持って大学に来たのだ。

バカじゃねえか。

オノはオノで、「二十歳にもならない若造が落ち着きはらって、みんなに指図してるこいつは何者だ」と私のことを嫌っていたらしいのだ。

 

しかし、共通の友だちのフジから昔の詳しい真実を聞いた。

大分から出てきたオノは、都会に馴染まなかった。

馴染もうとして考えたことが、何かを触ることだった。

大分に暮らしていたころ、弟がテニスをしていた。だから、テニスラケットが身近にあった。東京のスポーツショップでテニスラケットを見たとき、オノは、これだ! と思ったらしい。

これがあれば、俺は都会で生きていける。

その結果、毎日テニスラケットを持って、大学に通うようになった。

ラケットを握っていれば、俺には居場所がある。

オノはそう思った。

それは、わからなくもない。

 

私は、と言えば決して落ち着いていたわけではない。

子どものときから、イタズラ好きだった

絶えず誰かをイタズラしようと思っていた。

そのターゲットを探していただけなのだ。

それが、オノには落ち着いているように見えたようなのだ。

 

「なあ、マツ」とオノが言った。「宝物が目に前にあるって、幸せだよな」

「俺の子どもが目の前にいて、俺の子どもの誕生を喜ぶ子どももいる。

それが幸せって言うんだよな」

 

そして、親の笑顔がある。

うん? いま・・・カズキが笑った?

 

君も幸せなんだよね。

 

 

カズキ。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

君を守るのが、俺たち大人の使命なんだよな。

 

俺も・・・君を守りたい。

 

  



電話にはでん

2019-03-17 05:58:00 | オヤジの日記

「電」という字は、なぜアメカンムリなのだろう。

いつも疑問に思っていた。

諸説あるようだが、「カミナリ」が由来、というのが一番わかりやすかった。フランクリン博士がカミナリを発見したかなりあとで、雨が降ると平らな場所にカミナリが落ちることがあるから、雨の下に田をつけて「雷」と読ませた。

では、電は?

雷は自然現象だ。それに対して、人が作ったエネルギーと雷を分ける必要があった。だから雷に尻尾をつけて「電」としたのかもしれない。

後半は、私の推理だから、きっと間違っていると思う。

 

・・・という長い前振りのあとに、今回も、誰からもあまり共感されない話を。

 

同業者に、人類史上最も馬に激似の「お馬さん」がいる。

馬の年はわかりづらいのだが、おそらく私より10歳近く下だと思う。

お馬さんとは、15年以上の付き合いになる。埼玉のメガ団地に住んでいた頃からの付き合いだ。

ただ、この馬は金持ちだ。私は賃貸に住んでいたが、お馬さんは、分譲マンションに住んでいた。車は、ボルボとフォルクスワーゲンを持っていた。ワーゲンは、もっぱらお馬さんの奥さんが運転し、お馬さんはボルボに乗っていた。

お馬さんは、極度の潔癖症だ。電車に乗れないのだ。吊り革に掴まれないし、誰が座ったかもわからないシートにも座れない。

だから、移動はいつもボルボだ。

お馬さんは、トイレも自宅のものしか受け付けない。外では用が足せないのである。催してもひたすら我慢する。

体に悪いよ、と言っても、「だって、無理ですもん」と、鼻息荒くいななくのだ。

 

お馬さんとは、仕事をシェアすることがある。打ち合わせは、ファミリーレストランが多い。そこで、お馬さんは、携帯用除菌スプレーをひたすら自分の身の回りにシュッシュしまくるのだ。

私には、その行為は病的に映るが、お馬さんにとって、それは心を落ち着かせるためには、なくてはならない儀式なのだろう。

だから、それはいい。気がすむまで、どうぞ、と言うしかない。

 

ただ、お馬さんの生真面目さと几帳面さは、なんとかならないものか、と私は思う。

私は、「生」という言葉は好きだが、「真面目」と「几帳面」は好きではない。

この部分だけは、うまく調教したいと思っていた。

 

世の中には、電話が鳴ると「すぐ出る派」と「出ない派」がいると思う。

お馬さんは、すぐ出る派だ。打ち合わせの最中に電話が鳴ると、「ちょっとすみません」と言って必ず出る。

それを見て、俺との打ち合わせは、後回しかよ、と私はいつも思う。

電話が終わって、急ぎの用だったの? と聞くと「いえ、急ぎと言うほどでは・・・」といつもお馬さんは答える。

 

でしょ。

私の長いフリーランスとしての経験上、99%の電話は緊急性がない、と断言できる。

リアルタイムで出なくても、留守番電話を聞いて内容を吟味してからでも事足りる電話ばかりだ。

場合によっては、留守番電話を聞いたとしても折り返し電話する価値のないものも多くある。

なんで、そんなに電話に出たがるの?

私は、打ち合わせ中にiPhoneが震えたとしても絶対に出ない。だって、目の前の打ち合わせの方が大事だから。

時に相手が気を使って、「電話鳴ってますよ、遠慮しないで出てください」と言われることがあるが、遠慮なんかしてませんから。どうせ緊急性なんかないんだから。

 

ただ、大学時代の友人カネコの娘のショウコのときだけは必ず出る。

あとが怖いから。

スマートフォンのディスプレイを見て、直感的に出ることも稀にあるが、多くは、放っておく。

 

留守番電話で「修正があります。今日中になんとかなりますか」と切羽詰まった声を聞いて、折り返して詳しく話を聞くと、大した修正ではないし、校了まで5時間以上もある。全然、緊急性がない。

心配性にもほどがある。

 

そもそも私は、時と所構わず、勝手に鳴る電話が好きではない。

俺、仕事中なんだけど。晩メシを作っている最中なんだよね。電車に乗ってるのよ。自転車漕いでますけど。トイレの最中だわさ。仕事がひと段落して脱力してるんですけど。

そんなとき、そっちの都合で電話かけてきても、俺は出ないよ。

どうせ、大した用事じゃないんだから。

 

留守番電話が吹き込まれていたら、必ず聞く。その中で、折り返しが必要だと思ったら、メールかLINEを送る。

今は手が離せませんが、何時何分にこちらから連絡します。時間の都合が悪い時だけ返信ください。

そのように送ると、お馬さんは、こちらが指定した時間を無視して、こちらがメールやLINEを送った1分後に電話をかけてくるのである。

メールやLINEで時間指定した意味が、まったく分かっていない。

「だって、忘れてしまうかもしれないでしょ」

長い付き合いなのに、お馬さんは、私という人間が理解できていない。

俺のメールやLINEなんて、忘れてくれたっていいんだよ。相手から返信がなかったり、電話に出なかったとしても、俺は、そんな小さなことは気にしないから。

忘れているのかな、と判断したら、また翌日にメールやLINEを送るから。それで、いいではないか。

 

この私の方式が、なかなか理解できなかった生真面目なお馬さんだったが、2年くらい前から突然「ヒヒン(わかりました)」と馬格(人格?)が変わった。

実は、お馬さんにはお孫さんがいた。馬二世が22歳で結婚し、子供が生まれた。しかし、すぐに離婚。子どもの親権は馬二世が持ち、お馬さんと同居した。お馬さんは40代でおじいちゃんになったのだ。

孫が3歳後半の頃、公園でお馬さんは孫と遊んでいた。そのとき、電話がかかってきた。馬の習性として、すぐに電話に出た。

しかし、電話を終えたあと、孫がお馬さんに対して怒ったのだ。

「なんで、僕と遊んでるのに、電話に出るの! 僕と電話、どっちが大事なの!」

孫の抗議にショックを受けたお馬さんは、それ以来、孫の前では電話を受けないようになった。

 

さらに、お馬さんは「ながら馬」だった。

メシを食いながら、テレビを見たり、新聞を読んだり、スマートフォンをいじるのは当たり前。それが、日常生活にこびりついていた。

我が家では、「ながら」は、ありえない。メシのときに、テレビをつけたり、スマートフォンをいじることはない。メシのときは、会話がオカズだ。

しかし、お馬さんは、平気で「ながら」をする。愚かなことに、ファミリーレストランで打ち合わせをしたとき、「ご飯を食べながら、打ち合わせしませんか。その方が効率的ですよね」と提案してきたことがあった。

効率的? は? 何を根拠に?

一応、お馬さんの顔を立てて、食いながら打ち合わせをしてみた。

1時間以上かかった。しかも、メシは冷めて不味くなっているし。

他の日。

メシを食ったあとで、打ち合わせをしてみた。メシで15分。打ち合わせで25分。40分で終わった。さあ、どっちが効率的ですかね。お馬さん。

世の中の会社には、ブレックファースト会議なるものがあると聞く。

みんなで朝メシを食いながら会議をするというのだ。

アホじゃないか。

普段だって、いいアイディアが浮かばないのに、朝メシを食っただけで、いいアイディアが浮かぶという考えが愚かだ。

そんなことを考えるやつは、きっと新宿でいかがわしいコンサルタント業を営む白痴的な男と同類に違いない。

 

ある日、孫と2人で晩メシを食っていたお馬さん。

いつもながら、メシの間中、テレビがつけっぱなしだった。ニュースが流れていた。お馬さんの目と耳はテレビの方に向いていた。

孫は、そんなお馬さんに真剣に語りかけていた。だが、お馬さんはうわの空。

「なんで、おじいちゃんは、僕の話を聞いてくれないの! 僕より、テレビが好きなの!」

孫がキレた。

それ以来、お馬さんは、孫の前で「ながら」をやめた。

 

お馬さんが言う。

「Mさんには、色々と教わりました。携帯に振り回されてはいけませんよね。テレビ見ながら食事もダメですよね」

そうですよ。馬には馬のマナーというものがあります。

そうしないと、ウマくいくものもウマくいきませんから。

 

「ところで、もう一つ教えてもらえませんか」

ガストのチーズINハンバーグはウマいね。

ウマウマ。

「ボク、最近、衰えを感じてきましてね」

もう年なんだから、レースは引退した方がいいと思いますよ。牧場で、ノンビリ過ごしたらいかがですか。

「だから、ランニングを始めようかと思ってるんですよ」

まだ、走るつもりですか。地方競馬?

「Mさんは、ずっと走っているじゃないですか。10キロくらいは、平気で走れるんですよね」

いや、平気ではないですよ。まず、右足と左足をなるべく早く動かして、重心を前に移動させないと早く走ることはできません。

そして、呼吸。吸うだけではダメなんですよ。吐かないと息が続かないんです。息が続かないと心臓が止まって死んでしまいます。

さらに、ランニングにはランニングシューズが必要です。ランニングウエアもあった方がいいでしょう。それと、できればストップウォッチ付きの腕時計があればベターですね。

つまり、結構カネがかかるんですよ。

 

でもね、お馬さん、それよりも重要なことがあります。何かわかりますか?

「重要なこと?」

 

そうです。

これが、一番重要なのですが、市民マラソンでは、人間と盲導犬以外は走れないんですよ。

わかりますか? 走れるのは、人間と盲導犬だけなんです!

 

ヒヒン?

 

 


ワカちゃまの男気

2019-03-10 05:50:00 | オヤジの日記

前回の続きを書きます。

 

娘の友だち・大食いのミーちゃんがプロポーズされた。そこで、カレシに会って欲しい、と頼まれたという話。

イヤ、と言えればいいが、言ったらミーちゃんが可哀想だ。

だから、昨日の土曜日の午後1時半に会った。

 

実は、つい最近、娘のカレシともご面会を果たしたたたたたー。

殴りたくなるような男ではなかったので、安心したたたたたー。

 

ミーちゃんのカレシを殴りたくなったら、どうしよう。そう思ったら、心配で、前の日は5時間も眠れた。

娘のときは、我がホームにカレシを招くのは可哀想だと思ったので、国立のバーミヤンで会った。

今回も、そうしようと提案した。

しかし、ミーちゃんのカレシは、電話口で、ぜひお宅でお会いしたい、と低姿勢で頼んできた。

なぜ、と聞いたら、「プロポーズですから、正座でお話ししたい」と言うではないか。

私の星座は射手座だが、君は、と聞いたら「射手座です。11月25日です」と答えた。

偶然にも、誕生日が同じ。アララ、なんか、仕組まれた感じ。

「椎名林檎と同じです」とも言った。

椎名林檎様、と言いなさい。殴ったほうがいいかもしれない。

ところで、何で星座の話になったんだ?

「正座と星座をかけたのでは?」という生真面目な声が、スマートフォンの向こう側から聞こえた。

殴っても、効かないタイプと見た。

 

では、我がホームで会いましょう、と言ったら、本当に咋日の午後1時半に、やって来やがった。

スーツを着てきたら殴ってやろうかと思ったが、釣りにでも行きそうなラフなスタイルだったので、見直した。

堅苦しい挨拶は無しだよ、と仕事場兼寝室兼応接室に、いきなり案内をした。

円卓の向こう側で、ミーちゃんがカレシの名前を言った(もう知ってたけどね。電話がかかってきたんだから)。

カレシは、星座を正座したまま、自分の名前を繰り返しながら頭を下げた。選挙の宣伝カーじゃないんだから、名前の連呼はイランテヘラン。

しかも「カトリシンゴ」をパクったような名前だし。

 

足を崩さないと話聞かないもんね、と言ったら、素直に崩してくれた。聞き分けのいい子たちだね。

ここで、私は今回のご対面に関して、これだけは徹底するということを、密かに心に決めていた。

それは、私は、ミーちゃんのことが大好きだが、親ではない、ということだ。

「プロポーズされたんだ」「もちろん、受けたよ」

そんな事後報告でも良かったのではないだろうか。

それなのに、「プロポーズされたから会って」という筋違いの儀式が目の前にある。

聞くところによると、ミーちゃんの母親からは、会うことを拒否されたらしい。父親は、新しい妻と子どもに遠慮して、「幸せになれよ」とだけ言ったという。結婚式にも出ないそうだ。2人で、これからも根気よく説得するらしいが。

それは、確実に私の価値観とは違うものだが、それに文句を言う権利が私にはない。

 

私の価値観の中では、2人に対して親身でありたい。

だが、他人なのだ。

逸るミーちゃんの心を制して、私は昼メシを食うことを優先させた。

私がLINEを送ると、あらかじめ用意してあった昼メシが、娘の部屋から運ばれてきた。

肉巻きおにぎり20個。小籠包30個。鶏団子と青梗菜、春雨の中華スープ。そして、親子丼だ。ミーちゃんの前には、皆よりでかい丼が二つ置かれていた。ミーちゃんの場合、それでも足りないと思うので、足りなかったら明太子で白メシを食ってもらうつもりだ。

 

食う前に、簡単に我が家族の自己紹介をした。

まずブス猫を紹介した。次に、松坂大輔氏似の息子。花粉症でハクション大魔王のヨメ。車の免許取りたての娘。シラガのガイコツが頭を下げた。

ミーちゃんは、世界のインスタントラーメン研究家、と自分のことを紹介した。

そして、ミーちゃんのカレシは・・・・・・。

生真面目なことを言ったら殴ってやろう、と私は身構えた。

 

「ワカちゃまです」とカレシは言った。

 

ワカちゃま?

 

ワカちゃまの実家は、石川県内に中小のスーパーマーケット2店舗と八百屋さん1店舗、野菜畑を持っていた。

そのうちスーパーマーケットの方の責任者が、ワカちゃまだった。

ワカちゃまは、従業員や業者さん、お客さんから「若大将」と呼ばれて親しまれていた。

去年の夏から、たまたま、そのスーパーマーケットの担当になったミーちゃんは、親しみを込めて、彼のことをいきなり「ワカちゃま」と呼んだというのだ。

それが、始まりだった。

いきなり「ワカちゃま」と呼ぶミーちゃんもすごいが、「おう、俺がワカちゃまだ」とすぐに受け入れたワカちゃまも、いいやつじゃないか。

 

メシを食いながら、ミーちゃんが、ワカちゃまのことでノロケた。

「ワカちゃまの友だちが大学2年のとき、ピンチになったの」

お友だちの父親が、仕事中の事故で大怪我を負ったという。もしかしたら、働けなくなるかもしれないと医者に言われた。

その友だちは、大学を中退して働くことを決めて、ワカちゃまに報告した。しかし、ワカちゃまは、待てよ、早まるな、と止めた。

友だちは、子どもの頃から独学でピアノを弾いていて、ジャズピアノはかなりの腕前だった。それを思い出したワカちゃまは、ツテを頼って小ぶりのライブハウスを貸してもらえるように段取りをつけた。

キャパシティ70名くらいの小さな会場。素人のライブとしては2500円のチケット代は高かったが、ワカちゃまの人脈で会場は、ほぼ満員になった。

友だちは、大学卒業まで、2ヶ月に一回程度ライブをし、ワカちゃまの店でアルバイトをすることで、学費と父親の治療費を稼いだ。

そして今、その友だちは、ワカちゃまのスーパーマーケットと野菜畑で働き、ワカちゃまに恩を返していた。

 

「パピー、ワカちゃまってすごいでしょ、男気あるでしょ!」

鼻息荒く、ミーちゃんがワカちゃまの顔を尊敬の目で見つめた。

しかしね、ミーちゃん。鏡を見てごらん。歯が明太子で真っ赤っかだよ。

笑ったら、棒でケツを叩かれると思ったから、我慢したけど。

 

そんなミーちゃんを優しい目で見守りながら、ワカちゃまが言った。

ブス猫、息子、ヨメ、娘の顔を一人一人確認するように見てから、ワカちゃまがガイコツに視線を止めた。

 

「ボク、こんなミーちゃんと結婚したいんです。2人で幸せになりますから・・・。いいですか」

 

いいよ。

あれ? 何で、いま、俺、答えちまったんだ?

父親でもないのに。

 

(私としては、ミーちゃんが、嫁ぎ先のスーパーマーケットの商品を片っ端から食い漁り、畑の野菜を食い尽くさないことを祈るしかない)

 

 

ミーちゃんは、昨晩は我が家に泊まった。

ワカちゃまは、杉並区永福町の親戚の家に泊まった。

そして、午前中の新幹線で金沢に帰る。

 

夜、寝る前に、娘とミーちゃんと私で、ワカちゃまがくれたシーバス・リーガルを飲んだ。

ミーちゃんは、飲みながら、まるで寝言のように、「パピー、ありがとう」を何度も繰り返した。

 

ミーちゃんが、初めて我が家に泊まりにきたとき、「夏帆のお父さん。しばらく泊めてください。迷惑はかけません」と言いながら、預金通帳と印鑑、クレジットカードを差し出したときは驚いた。それは今も預かっていたが、中身は見ていない。

気を使って下着類を我々と分けて洗っていたら、「パピー、一緒に洗ってくださいよ。その方が楽でしょ」と言ったミーちゃん。

私が夏パンツ一丁で、家をうろちょろしていると、真似をして、娘と2人、下着姿で歩き回っていたミーちゃん。

メシを食うといつも「パピーの作る料理は、どストライクですぅ」と笑顔を弾けさせたミーちゃん。

 

結婚するんだね。

 

私の側で寝ているブス猫の顔が、視界がボヤけて、とても可愛く見えた。酔ったのかもしれない。

 

昨晩、ワカちゃまに、朝8時半に、我が家の朝メシを食いに来い、と命令した。

 

白メシは八合炊く。

昨日、昼メシも晩メシも、ワカちゃまは、気持ちいいくらい食ってくれた。

我が家の土曜の夜は、恒例のサタデー・カレーだ。

ワカちゃまは、コロッケカレーと豚の角煮カレーを食ってくれた。

ミーちゃんの半分以下だったが、それはシャチとバンドウイルカを比較するようなものだ(わかりづらい?)。

 

さて、シャチとバンドウイルカのために、これから朝メシを作ることにするか。

新幹線車内で食えるように、お昼のお弁当も作らなくっちゃ。

 

 

おや? 俺、なんで、こんなに、張り切っているんだろう。