リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

大御所タモリ論

2011-01-31 15:17:04 | オヤジの日記
「大御所」というのを避けている。

それは、私が、ひねくれものだから。

たとえば、歌手でいえば、松任谷由実、小田和正、矢沢永吉、長渕剛、井上陽水、中島みゆき。
ドラマに彼らの歌が挿入歌として使われていたり、CMで流れたりしたら、すぐに「ミュート」にする。

理由はない。
おそらく、性に合わないからだ。

俳優も、高倉健の映画は見たことがない。
亡き渥美清の「男はつらいよ」はテレビで2回見たが、最初の20分くらいで、こちらがつらくなって、観るのをやめた。

作家でいえば、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、松本清張、西村京太郎、内田康夫、山村美沙、横溝正史は読まない。
村上春樹も敬遠している。

芸能人の場合、みのもんた、和田アキ子が画面に出たら、すぐにチャンネルを変える。

お笑い芸人では、ビートたけし、島田紳助は見ない。
子分を引き連れて、身内だけで盛り上がる馴れ合いの芸を私は見たくない。

ダウンタウン、明石家さんまは、子分はいないようだが、仲間内の話題で笑いをとる手法が、性に合わない。


ただ、大御所の中では、タモリだけは別だ。

特別好きではないが、見ていて、嫌ではない。

おそらく徒党を組まない、というところがいいのだと思う。

適度な自己顕示欲と、どれをとっても一流とはいえない芸とのバランスがいい。

芸人にとっての生命線である目の動きを見せず、笑いを取る特異さ。
ほとんどがアドリブと思われる、自己中心的で行き当たりばったりなトーク。
随所に見せるマニアックなこだわり。
相手を立てず、自分をよく見せようともしない、ある意味投げやりな存在感。

彼の芸は、少数派の芸だ。

そして、それは決してナンバーワンではない。
オンリーワンでもない。

ただ、多数派でいることを拒む、流行に左右されない異端の芸である。

その流行に左右されないというところが、彼の武器だろう。
流行の波を受け止めることもせず、乗ることもせず、眺めることもしない。
たとえ眺めていたとしても、興味を持って眺めているわけではない。
無関心に眺めているだけなのだ。

少数派である自分を、決してその枠から、はみ出させることはない。

それが、きっと彼が長いことテレビに出続けている理由だ。



アジア杯

2011-01-30 09:19:24 | オヤジの日記
サッカー通を尊敬する。

アジア杯で、日本が優勝した。
嬉しい。

嬉しいが、アジア杯なるものが、どれほど価値のある大会なのか、私は知らないのだ。
サッカーに詳しい友人に聞くと、それは歴史のある大きな大会だという。
日本は、アジア杯で、何度か優勝しているとも言っていた。

知らなかった。

知らないといえば、選手。
私は日本代表の選手も、Jリーグの選手も、ほとんど知らない。

顔と名前が一致するのは、本田、香川、遠藤、川島、キング・カズくらいだ。


ところで、ネットで話題になった韓国選手の「猿マネ・パフォーマンス」だが、あれは、どういうことだろう?

あれは、誰が日本を侮辱していると言い出したのだろうか。

無知な私には、サッパリわからないのだ。

私には、ただ頬っぺたを膨らませて、頬を手で掻いている仕草にしか見えなかった。
あの仕草が、特別なものだということを未だに理解できないでいる。

あれは、猿だったのか、というマヌケな感想しかない。

サッカーでは、何か決まりごとがあって、あのポーズをすると、相手チームを侮辱したことになるのか。

まったく、ピント外れのことを言っているというのは、自覚しているのだが、スミマセン、よくわからないのです。

あれは、本人が、そう言ったのか。

ツィッターに何か説明かいい訳らしいことを書いていたらしいが、その全文を読んでいないので、断片的なネットの説明では、私の死滅した脳細胞は理解できないようだ。


要するに、サッカーのことは、何もわからないということだ。

ただ、自慢するわけではないが、ルールだけは良く知っている。
それは、スポーツを観戦するときの最低限のマナーだと思うからだ。


しかし、サッカーに詳しい友人は、選手のことやチームの事情には、呆れるくらい詳しいのに、ルールをあまりよく知らないようだ。

それは、車の運転が好きで、車についてならいくらでも語れるのに、メカニックなことはよく知らないという状況に似ている。
あるいは、パソコンやネットのことに関しては、うるさいくらい詳しいのに、機械の内部のことは全然知らなくて、パソコンが不調になると、慌てふためく様に、どこか似ている。


私は、そんな人を見ると、ホッとする。




サワジリエリカ

2011-01-29 14:56:10 | オヤジの日記
沢尻エリカさんを密かに応援している。

いい女優さんだと思うからだ。

「パッチギ!」は観た。
ドラマの「一リットルの涙」も観た。

いい表情をする女優さんだという印象を持っている。

それが、ただ一度の不貞腐れた「別に」だけで非難されることに、納得のいかないものを感じている。

横柄なことを言ったから、干されたのか。
しかし、人を小馬鹿にした答弁をする政治家はいくらでもいるし、無神経に暴言を吐く大御所芸人もいる。
自称評論家の討論などでは、収拾がつかないほど、他人を貶める言動を吐く程度の低い人間もいる。

「別に」くらい、いいではないか、と私は思うのだ。

彼女がどのようにして、マスコミのスケープゴートになったのか、ネットでの報道でしか想像することはできないが、強面の政治家やタレントには卑屈になるメディアは、「女優なら」叩きやすいと思ったのではないか、と私は勝手に思っている。

思うのは自由だ。
そして、ブログに書くのも自由だ。
誹謗中傷でない限り、ブログだったら、思ったことを書いてもいいと思う。

マスコミというのは、基本的に「口舌の徒(言葉は達者であるが実行力の伴わない人)」である。
「口舌」によって、責任を追及するマスコミは、その弁論による責任を決して引き受けようとしない。
つまり、「書いたもん勝ち」なのである。

彼らは、恣意的に世論を誘導し、自分好みのストーリーを作る。

たとえば、ニュースで道行く人のインタビューを取るが、それはリアルタイムではない。
かならず「編集」という工程を踏む。
その工程をとると、いくらでも彼らにとって都合のいい「大衆の」言動を選んで、彼らの思惑に添った言動だけを電波にのせることができるのである。

ニュースは、どんなときもリアルタイムであるべきだが、「編集」が入ることにより、ニュースの信憑性は明らかに損なわれるのだが、見る側は、なぜかそれに気づかないで、画面に映ったものを簡単に受け入れてしまうのだ。

その構図では、誰がスケープゴートになるかは、メディア側のシナリオのままである。
彼らがスケープゴートと思い定めた人が、哀れな標的になる。

だから、沢尻エリカは、被害者である、と私は勝手に思っている。

ネットの世界で彼女を叩く人は、かなり多いようだ。
それは自由だし、私はそれを否定しない。

ただ、私は彼女を応援する。




美人だし・・・・・・・。




睡眠不足

2011-01-28 08:32:00 | オヤジの日記
寝不足である。

人の睡眠時間は、8時間がベストらしいということは、よく耳にする。
しかし、私の周りで、8時間の睡眠を毎日取っている人というのは、聞いたことがない。

「俺は、5時間だよ」「6時間かな」「7時間寝たら、体がだるくて」などと言っている。

子どものときは、連続して8時間寝るのは、簡単だった。
しかし、それは、成長ホルモンの働きによるのではないか、と私は勝手に思っている。

ある程度、年齢を重ねていくと、眠らなくてもいいように体が変化していくらしく、平均睡眠時間が5時間でも、とりあえず生活や仕事に支障はない。

今さら成長ホルモンが大量に出るわけではないし・・・・・。

私の中学3年の娘は、ときに16時間寝ることがある。
感心する。

私など、徹夜明けで、体も心も疲れきっていたとしても、連続して寝られるのは、せいぜい7時間くらいだ。

睡眠が足りていないと思っても、それくらいの時間で目が覚めてしまう。
そして、15分くらい布団の中でボーッとしていたら、生活のスイッチが入って、疲れを感じながらも、仕事に取りかかるというのが、当たり前になっている。

それは、睡眠時間が3時間であろうが、7時間であろうが、そのリズムが確立されているから、眠くても耐えられる。
医者や専門家に言わせると、それは「睡眠のリズムが狂っている」ということになるのだろうが、狂ったリズムでもリズムはリズムである。

体が、一度それを覚えてしまえば、徹夜も辛くない。


実は、今週の初めに、義母が死んだ。
義母は、私たちが住むアパートから1.5キロ離れたところに住んでいたから、何かと面倒を見てきた。
軽い認知症もあったので。

義母には、長男、次男がいるが、少し遠いところに住んでいるのと、性格的に折り合いが悪いので、疎遠になっていた。
そういうこともあって、葬儀などもろもろのことを、私とヨメが取り仕切った。

それは、仕事をこなしながらの作業だったから、睡眠時間が犠牲になった。

おそらく、この5日間、平均したら1日2時間程度しか眠っていない。

疲れている。
しかし、仕事は、ミスなく終えることができた。
葬儀も無事済ませた。

人が死ぬと他にも手続き上のことで、処理しなければいけないことがたくさん出てくる。
だから、おそらくしばらくは、睡眠不足が続くであろう。

昨日は、晩メシの最中に、チーズフォンデュを食いながら眠るというコントを演じた。


きっと、これからも、そんなコントが、いくつか繰り返されるに違いない。


しかし、疲れて浴槽で眠るというコントだけは、演じないようにしようと思う。




そばかうどんか

2011-01-27 08:51:06 | オヤジの日記
饂飩がいいか蕎麦がいいかと聞かれたら、蕎麦と答える。

ただ、本当に美味い蕎麦を食ったことは、2回しかない。
ヨメと結婚する前、年末年始を高山で過ごしたことがある。
そのとき、旅館で出た年越し蕎麦は、美味かった。

麺にはコシがあり、艶々していて、そばつゆは、完璧な味だった。
薬味で出た葱、そして、わさびも最高だった。

結婚して2、3年たってから行った斑尾高原のペンションで食った蕎麦も百点だった。
オーナー自らが、国産の蕎麦粉を使って打ってくれたものだったが、やはり麺、そばつゆ共に、完璧だった。

それ以来、美味しい蕎麦を食ったことがない。
滅多に蕎麦屋に入らないせいもあるし、出前を頼むことも、ほとんどないせいかもしれない。

立ち食いそば屋には、よく入る。
安いからだ。

しかし、これはこの業界の方には悪いが、「安かろう、悪かろう」の典型である。
麺はフニャフニャで、蕎麦の香りはしないし、そばつゆは市販のそばつゆの方が、はるかに美味いと言っていい味だ。
かき揚げなども、安い油を使っているのか、素材の味が死んでしまっている。
だから、これは厳密に言えば、そばとは言えない。

私には、蕎麦の色をした、フニャフニャのうどんにしか見えない(小麦粉の味しかしないから)。

ごくごく稀に頼む蕎麦の出前も、麺が伸びているから、老人食としか思えない。
さすがに、そばつゆだけは、市販のものよりは美味いが、主役の蕎麦が柔らかすぎると、そばつゆが全く生きないから、「なにこれ?」ということになる。

それに対して、饂飩は、安いうどん屋さんが一種のブームになっているから、安い店でも、コシの強い「プロの味」が楽しめる。
つゆも、立ち食いそば屋のものより、明らかに3ランクは、上だ。
トッピングする天ぷらなども、素材の味が生きていて、美味い。

また、饂飩は、強力粉と中力粉があれば、自分で作ることもできる。
捏ね、足で踏み、一定時間、寝かせて伸ばし、適当に切れば、それなりに満足する麺が完成する。
出汁つゆは、鰹節と昆布、煮干を煮込んで、つゆを作り、「返し」とあわせれば、少なくとも立ち食いそば屋の出汁つゆよりも、はるかにプロの味のするものが出来上がる。


つまり、饂飩は、それなりに近いところに美味いものが存在する。

しかし、蕎麦は、美味い蕎麦、本当のプロの蕎麦屋を見つけるのに、苦労する。

だから、私は、饂飩よりも蕎麦なのだ。

死ぬまでに、もう一度くらい美味い蕎麦を食えたら。

滅多にお目にかかれない絶世の美女に遭遇する機会を切望するのと同じ気持ちで、私は美味しい蕎麦を切望している。


変だろうか。