リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

復活しましたぞ

2018-09-30 08:04:33 | オヤジの日記

あっはっはっは

 

今輸血が終わりましたぞ。

 

これから私は何事もなかったごとく、国立の家に帰り、家族のメシを作るであろう。

 

あっはっは。

 

私は元気だ。

 

復活した。

 タカダくん、ありがとう。

日赤まで送ってくれて。

感謝感謝。

 

 


お休み中

2018-09-30 04:26:19 | オヤジの日記

夜中突然気持ち悪くなったので、杉並区荻窪のwebデザイナータカダくん(通称ダルマ)の事務所に逃げ込んだ。

まさかダルマはいないと思ったのに、なぜか仕事をしていた。

 

「あれ、師匠、どうしたんですか」

 

私は、無言でタカダくんの事務所のソファに横になり、寝た。

明るくなったら、タクシーで武蔵野日赤の救急外来で診てもらおう。

点滴と輸血。

日常茶飯事。

私は、家族には具合が悪いことは隠す変態体質だ。

なので今は休んでまっす。

早く明るくならないかな。

 

 


誕生日の贈りもの

2018-09-23 06:25:00 | オヤジの日記

前回の続き。

 

最近、ビール泥棒、チーズ泥棒に変身していなかった私は、京橋のウチダ氏の事務所に潜入することにした。

チョットなに言ってるかわからないという方は、申し訳ありませんが、前回のブログの後半をお読みください。

お手間をおかけいたします。

 

車内で、ススキダが、バカ丸出しのことを言った。

「いいのか、ウチダさんにことわらなくて」

大丈夫か、おまえ。泥棒が、これから泥棒に入りますって聞くか? 俺はルパン三世や怪盗キッドじゃないんだ。こっそり入る古典的な泥棒なんだ。

 

ウチダ氏の京橋の事務所は8階建てのビルの3階にあった。

車を近くのパーキングに停め、私たちは、ドアの前に立った。午後2時38分だった。

心配性のススキダがまた聞いてきた。

「ウチダさんがいたら、どうするつもりだ」

いいか、優秀な泥棒は、侵入先の主の行動原理を把握しているものだ。ウチダ氏は、月曜日以外は、午後事務所にいることはない。これは確定事項だ。

侵入した。

15畳ほどの事務所。ドアの対面にある窓は、大きめに作られていた。重厚な茶色のカーテンは閉められていた。その窓の近くに、ニトリで買ったのではない応接セットが一式。そして、右の壁際にはウチダ氏のデスクと書棚があった。

左側の壁には、IKEAで買ったのではないキャビネットがあって、ミニコンポと32インチの液晶テレビが乗っかっていた。

そして、ドア寄りの左角の凹んだ部分にミニキッチンがあった。その隣に300リットルの冷蔵庫。

冷蔵庫の中には、クリアアサヒとスーパードライの500缶が、50本以上格納されていた。チルドルームには、各種のチーズ。ドアポケットには、ミネラルウォーターが3本あった。飲みかけ食いかけのものは、なかった。

実に、整然とした冷蔵庫だ。その冷蔵庫から私はクリアアサヒを一本盗み、スモークチーズの袋を1つ盗んだ。そして、ミネラルウォーターをススキダに向かって、放り投げた。

運動神経の鈍いススキダは、それを取りそこねた。ドン臭い男だ。

 

やや硬めのソファに座って、スモークチーズを食いながら、クリアアサヒの500缶を半分喉に流した。私は、いつもの泥棒気分に浸りながら、解放感を存分に味わった。

酒の飲めないススキダは、哀れにもミネラルウォーターをチビチビと飲んで、居心地の悪い顔をしていた。まるで、借りてきたチャールズ(ススキダの猫)のようだった。

私は、ペース早く、2本目のクリアアサヒを開け、冷蔵庫の隣に無造作に置かれた段ボール箱を開けて、中から牡蠣の缶詰を取り出した。ススキダには、炙りサーモンの缶詰を分け与えた。

「本当に食べていいのか?」ススキダは、根が真面目だから泥棒になりきれない。私より泥棒顔のくせに。

私は、そんなススキダを無視して、書棚に近づいた。横2メートル高さ2メートルほどの木目が際立った品のいい書棚だ。大塚家具で買ったのかもしれない。

書棚に近づいたからといって、本を手に取ろうとしたわけではない。他人が読む本には興味がない。

私は、書棚の一番下の段に置いてあるものに、興味があったのだ。その段には、常時洋酒が7、8本置かれていた。そして、その洋酒は、封の切ってあるものは一本もなかった。

ということは、ウチダ氏は、その洋酒を飲むつもりはないということだ。

4年前に忍び込んだとき、私は考えた。飲むつもりがないのなら、それは私に「飲め」と言っていることにならないだろうか。

そう好意的に考えた私は、そのとき一番右端に置かれていたバランタインの30年ものをマイバッグに入れた。

つい出来心でやってしまいました。お許しください。

ただ、私にも泥棒としてのプライドがあった。この状態では、誰が盗んだかわからないではないか。真っ当な泥棒である私は、メッセージを残すことにした。

ウチダ氏のデスクの上に、「お宝はいただいた。イエス、高須クリニック」と書いたものを置いておいたのだ。

その日の夜、ウチダ氏から電話があった。

「やはり、高須さんは、右から盗んでいきましたね。僕が思った通りです」

ウチダ氏は、お見通しだったのだ。

 

それからの泥棒は、ランダムに盗むことにした。ウチダ氏は「まあ、想定内ですけどね」と余裕の笑いである。

今回の泥棒は、JIM BEAMを盗むことにした。理由は簡単。飲んだことがないから。

盗み終わったとき、ススキダが書棚の隣に不自然に置かれていたガラスケースを指差した。

「あれが噂のフィギュアだな」

ガラスケースの中には、何とも形容のできないガラクタが展示されていた。すべて私がウチダ氏への誕生日プレゼントとして贈呈したものである。

三国志が好きなウチダ氏のために、世界で2番目に不器用な私が、一体に1年の歳月をかけて制作したものだ。

左から古い順に、劉備玄徳(りゅうびげんとく)、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)、関羽雲長(かんううんちょう)、趙雲子龍(ちょううんしりゅう)、呂布奉天(りょふほうてん)、周瑜公瑾(しゅうゆこうきん)、孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)。

なぜ、こんな不細工なものを作ったかというと、7年前にウチダ氏から唐突に誕生日プレゼントをいただいたからだ。

「Mさん、料理が趣味でしたよね。合羽橋で、いい包丁をセットで見つけたんです。誕プレということで、貰ってもらえませんか」

わけがわからなかったが、くれるというものは拒まないのが私のポリシーなので、なかんずく感謝、と言っていただいた。しかし、あとで調べたら、総額10万円以上するものだとわかったとき、私は腰を抜かした。そのダメージで、それまでは簡単にグランドピアノを持ち上げることができたのに、それ以来持ち上げることできなくなったほどだ。

 

すごいものをいただいたのだから、お礼をしなくては、人間としての品格を疑われる。だが、超どビンボーの私に、10万円のものをプレゼントする余裕はない。

十月十日(とつきとおか)考えた私は、自分の誠意を10万円に変えようと姑息なことを考え、フィギュアを作るという現実逃避を選んだのである。

本体を木彫りで形作り、アクリル絵の具で着色した。そして、軍服を着せ、佩刀させ、不謹慎なほどブサイクなフィギュアを作って、ウチダ氏に、誕生日プレゼントだよー、と言って贈ったのだ。

ウチダ氏は、手を叩いて喜んでくれた。少しわざとらしかったが。

それが始まりだった。

いつのまにか、7体が揃った。

誰が見ても、誕生日プレゼントと言えるシロモノではない。

ススキダが言う。

「おまえの度胸には、呆れるよ。俺に、そんな度胸はない。普通だったら、絶交を言い渡されても文句は言えないレベルだ」

俺も、そう思う。

「でもな」とススキダ。

「あの軍服や刀は、よくできてるな。ホンモノっぽいもんな」

もっと、褒めてくれ。あれは俺のヨメが縫ってくれたんだ。ヨメは、とても手先が器用だ。手羽先も大好きだ。ヨメは、自分の結婚披露パーティーで着るドレスも自分で作ったんだ。器用だろ〜〜。

息子か娘のどちらか1人でもヨメの遺伝子を受け継いでくれたら、我が家は安泰だったのだろうが、神は残酷だ。2人とも私に似てしまった。かわいそうに。

 

ところで、もっと気持ちの悪いことを書こうと思う。

6年前、ウチダ氏と私が誕生日プレゼントをしあっているのを聞いたススキダが、「なあ、俺たちも交換しねえか」と言ったのだ。

おまえ、その顔のどの角度から見たら、誕生日プレゼントって言葉が浮き上がってくるんだ?

「俺は、女房と娘以外から誕生日プレゼントをもらった記憶がねえんだよな。だから、少し興味があるんだ」

悲しいな、ススキダ。わかった。誕生日ごっこをしようじゃないか。

 

5年前から、気持ち悪い風習が始まった。

最初のススキダへの誕生日プレゼントは、絵本を選んだ。ススキダは、怖い顔を裏切る趣味を持っていた。絵本を集めていたのだ。300冊以上持っているという。

「絵本は、簡単な言葉と簡単な描写で構成されている。すべてがキャッチコピーのような簡潔な言葉で表現されている。俺みたいなコピーライターにとって、絵本は教科書なんだよ。すごく参考になる。何度読んでも飽きない。いつも新しい発見があるんだ。絵本はいいぞお!」

そこまで絵本にこだわるススキダへの誕生日プレゼントは、ベタな話だが、やはり絵本がいいと思った。

だが、コレクターのススキダは、日本の主だった絵本は、とっくに所蔵しているはずだ。だから私は、外国の絵本を送ることにした。

最初は、トルコの絵本にした。都内の洋書屋さんを訪ね、「ナスレディンのはなし」という絵本を見つけた。それを贈った。

ススキダは、「ああ、洋書かあ。これは盲点だったな。絵本は、何も日本語でなくてもいいんだもんな」と両膝を叩いた。「トルコ語、勉強してみるか」。

その後、チェコやメキシコ、ハンガリーなどの絵本を贈った。ススキダは、気持ち悪い顔で喜んでくれた。

 

私の誕生日が近づいてきたとき、ススキダが「プレゼント、何がいい?」と白痴的なことを聞いてきた。

贈られるものが何かわからないから、プレゼントはワクワクするんだろうが。わかっちまったら、ちっともワクワクしないぜ。私がそう言うと、誕生日プレゼント初心者のススキダは、フリーズした。

その姿を見て、哀れに思った私は、バカでもわかるヒントをススキダに与えた。

俺には、物欲と食欲がない。しかし、この世界で3つだけ大好物の食い物がある。1つは牡蠣。2つ目は納豆、そして、3つ目はスパゲッティ・ナポリタンだ。

牡蠣はおまえも含めて、色々な人からご馳走になる。そして、納豆は、いくらビンボーな私でも自分で買うことができる。だから、誕生日プレゼントに、ナポリタンを食わせろ。

ただし、高級レストランや有名な洋食屋のナポリタンはダメだ。そんなのは、美味いに決まっている。

俺は、何でこんなところに洋食屋があるんだよ、という場末の店のナポリタンが食いたい。

たとえば、看板に「スパゲッティの店」と書いたつもりが、「ゲ」の字が経年変化とともに消えて、「スパ  ッティの店」となっているような店が俺は好きだ。

そんな店を探してきてくれ。

 

真面目なススキダは、本気でそんな店を探し出してきて、私にナポリタンを食わせてくれた。

南武線沿線の矢野口駅から、調布方面に車で10分ほど行ったところにある、小さな洋食屋だった。

場末という雰囲気ではないが、10階建てのマンション群に挟まれた、こじんまりした店だった。ナポリタンとコーヒーのセットが880円。

ススキダは、私の性格を熟知していた。

千円超えたら、ナポリタンとは言えねえからな、と私が罵倒するのを見越して、安い洋食屋を探し出したのだ。

ケチャップの甘み旨みが、麺に絶妙にからんで、舌が喜んだぜよ。ピーマンとウインナーの量が少ないのもよかった。麺とケチャップが主役だというのを、明確に主張したナポリタンだった。素晴らしかったぜよ。

それから毎年、ススキダは、意表をつくような洋食屋さんを探してきて、私を楽しませてくれた。

ススキダは、この歳になっても、誕生日が楽しいものだと私に教えてくれた恩人と言っていい。

 

京橋のウチダ氏も恩人だが、ウチダ氏は、何でもカネで解決しようとする嫌いがあった。最初から金にモノを言わせて、高価なものを贈ってくるのだ。

その内容に関しては、以前ほかのところで書いたら、読者の方から、「なに自慢してんだよ、調子にのるなよ」というお叱りを受けたので、ここでは書かない。

「Mさんは、僕の心のカウンセラーですから」というウチダ氏の純粋な気持ちから来ているのだということは、わかってはいても少し気がひける部分はある。

だから、私はウチダ氏の心にブレーキをかけるためにも、ブッサイクなフィギュアをプレゼントすることでバランスを保っているのである。

 

今年も、ウチダ氏は今ごろ、あのビンボー人に何を恵んでやろうかと忙しい仕事の合間に、思いを巡らせているに違いない。

 

そんなことを思っていたら、ススキダが、無神経にも言ったのだ。

 

「ああ、今年は、天体望遠鏡を贈るって言ってたな。それも、でっかいやつを」

 

 

おまえ、いま、それを言うなよ〜〜〜〜〜(涙目)。

 

 

 


セキトラー

2018-09-16 05:58:00 | オヤジの日記

3ヶ月前のことだった。

極道コピーライター・ススキダが、偉そうに仕事を持って、私の仕事場にやってきた。

そのとき、我が家のブス猫セキトリとススキダが、初めて出会った。

いくら温厚なセキトリでも、さすがにススキダの顔を見たら、恐怖でオシッコを漏らすに違いない。

・・・と思っていたら、いきなり体をススキダの足にスリスリし始めた。そして、5分後には、ススキダの膝に乗っていた。これには、ススキダも驚いたようだ。

「おい、こいつは誰にでもこうなのか」

そうだな。特に犯罪者が好きなようだ。そして、ブスな男も好きだ。その証拠に、イケメンの俺には、まったく近づかない。

私のジョークを無視して、ススキダは、セキトリの体をさすりまくっていた。セクハラだ。

 

その2週間後、今度は、仕事場にススキダが奥さんを連れてやってきた。

ススキダの奥さんは、小柄で小顔だった。「小柄で小顔の女性は若く見える」理論を唱える私の意見に賛同する人は少ないが、今年52歳になるとは思えないという意見は、横浜市界隈でツィートされているようだ。

当然のことだが、セキトリはススキダよりも奥さんを好んで、すぐに膝に乗った。私も乗りたかったが、ススキダから殺されるのが確実なので、想像だけでやめた。

セキトリを膝に乗せながら、満面の笑みで「可愛いですねえ」と、ススキダの奥さんが、不思議なことを言った。

可愛いですか、この顔面が。まあ、比較対象として、ススギダと比べれば確かに可愛いでしょうが、一般論としては、その表現は「可愛い」の概念をぶち壊すものです。訂正した方がいいと思います。

「いえ、可愛いですよ。この子は、性格も含めてトータルで可愛いです。とても尊い猫ちゃんです」

ススキダを夫に選んだ時点で、奥さんの趣味が非常に特殊だという事実から察すると、奥さんの言うことには説得力がなかった。だから、私は、そのご意見は忘れることにした。

 

しかし、さらに1週間経って、事態は変な方向に進展していった。

「なあ、保護猫を譲り受けようと思うんだ。保護猫ハウスに行きたいんだが、最初だけついてきてくれないか」

ことわる!

「帰りに伊勢佐木町の料理屋で、牡蠣を奢るつもりだ」

行く! 一生ついていく!

 

ススキダのところは犬を飼っていた。ドーベルマンだ。しかし、4年前に天に召された。それ以来、アニマルは飼っていない。

なんで、突然保護猫なんだ、とブス男に聞いてみた。

「セキトリに触発されたんだよ、俺も女房も。あんな猫を育ててみたい」

セキトリは、世界に1人しかいない。世界に安室奈美恵が1人しかいないのと同じだ。唯一無二の存在なんだ。誰も安室奈美恵にはなれない。それと同じで、セキトリにもなれないんだ。諦めろ。

「それは、俺もわかっている。セキトリには勝てない。だが、セキトラーには、なれるかもしれない。俺たちは、それでいいんだ」

 

セキトラーか、面白いな。なんとなく納得してしまった。

 

43日前、横浜の保護猫ハウスに、ススキダ夫妻と行ってきた。

10畳ほどの空間に、上下3段横5列のケージが積まれていた。ただ、全部のケージが埋まっていたわけではなく、ケージの中にいたのは、8人の猫ちゃんだけだった。

係の方は、30代の縁なし眼鏡の女性と、いかにも「わたし猫が好きです」というオーラを持った体型だけ近藤春菜さんに似た60歳前後の女性だった。シュレックじゃねえよ!

「おまえがまず様子を見てくれ」とススキダが、偉そうに土下座をしたので、8人をじっくりと観察した。当たり前だが、警戒心を露わにした猫が多かった。

名前を呼んでも、まったく反応しない猫が6人。少しでも反応したのは、灰色の猫と白黒の猫の2人だけだった。

あとで聞くと、ここを訪れる人のほとんどが、この2人がお目当らしい。つまり、競争率が高い。

常識的に考えて、人に懐きやすいのは、この2人だけだろう。だが、私は、呼んでも反応はなかったが、手と足が太くて、首の後ろに大きな傷痕のある白黒の猫が気になった。模様が、我がセキトリに似ていたこともあるが、他の猫よりも目に力があるように見えたからだ。

名前はチャールズ、推定2歳と書いてあった。

縁なし眼鏡さんに聞いてみた。

去勢手術は、こちらに来てからしたんですか。

「いえ、すでにしてありました」

つまり、飼い猫だったということですね。

首の傷跡を見て、これは虐待でしょうか、と聞いた。100%ではないが、その可能性は高いと言われた。化膿する寸前の状態で、このハウスに来た。しかし、病院で縫ってもらい、薬を飲んだら、2週間で治ったという。

 

来たとき、怯えてましたか。

「怯えてましたね。でも、怪我が治って、ご飯が食べられるようになったら、私たちには怯えなくなりました。意外と図太いみたいです」

しかし、初めての人には、興味を持たない。それは、虐待というトラウマが、そうさせるのかもしれない。

とはいっても、ほとんどの猫は、初めての人に興味を持つことはない。猫は、それほどフレンドリーな生き物ではない。だから、チャールズは、多くの猫と一緒だ。

触ってもいいですか、と縁なし眼鏡さんに聞いた。

「やめた方がいいと思います。噛みつきはしないでしょうけど、初めての人は無理です」

では、あなたと一緒に触るというのはいかがでしょうか。警戒したら、すぐ手を引っ込めます。

「警戒するのが、当たり前ですけど」と言いながら、苦笑いでうなずいてくれた。

縁なし眼鏡さんは、お尻あたりを撫でた。キャッ、エッチ!

私は鼻筋から額にかけて撫でた。撫でている間、目をつぶっていた。コラボレーションは、成功した。

そこで、私は、ススキダの奥さんを呼んだ。今の俺と同じように撫でてみてください。

撫でた。

チャールズは、同じように目をつぶっていた。

ススキダ、気が早いが、この子が俺はいいと思う。

「しかし、虐待のトラウマがあるんだろ。俺たちで大丈夫か」

俺は、おまえの顔がトラウマだ。俺は繊細だから、死ぬまでトラウマを引きずるが、この子は図太い。現に、いま何ごともなかったように、ご飯を食べているではないか。きっと生命力も強い。俺のお薦めは、この子だ。

 

ススキダの奥さんは、乗り気だった。

どこの家庭でもそうだが、決定権は女性にある。奥さんは、譲渡のためのシステムを縁なし眼鏡さんに聞いた。

気に入ったからといって、即譲渡とはいかないようだ。猫が人間に慣れ、人間が猫に慣れるのを見極めてから、決定が下される。

それまでは、何度もハウスに足を運ばなければならない。できますか、と聞かれた。ススキダの奥さんと私が即座に、できますと答えた。ドン臭いススキダは、置いてきぼりだった。

だが、帰り際に、ススキダが縁なし眼鏡さんに、寄付金らしきものを差し出したことで、ススキダの株が1パーセント上がった。

ススキダは、ケチくさい顔をしていたが、出すときは出す男だ。

4年ほど前、横浜から武蔵野までススキダのエスティマで送ってもらったとき、ススキダが言った。

「さっきから腹の具合がおかしくてな。悪いが屁をしてもいいか」

勝手にしろ。

「嘘だろぉ、中身まで出てしまったぁ!」

ススキダは、中身まで出す男なのだ。

 

私は、ススキダの奥さんに1つだけアドバイスした。猫の目は見ないでください。信頼関係ができたと確信が持てるまで、目を合わせないように。それが保護猫に対するときの鉄則です。

奥さんは、神妙な顔でうなずいた。

その後、ススキダの奥さんは、週に2、3回ハウスを訪れ、自分を認識させる努力を積み重ねた。ススキダは、何の役にも立たなかった。

今週の水曜日の昼、ススキダから唐突に電話があった。まるで、自分の手柄を誇るように、「譲渡が決まった。明日だ! ついて来てくれないか!」と電話口で叫ばれた。

ことわる!

「伊勢佐木町で牡蠣を」

行く! 行きたいと思う。 いますぐ行きたい!

 

譲渡当日、チャールズは、ススキダの奥さんの持ってきたキャリーバッグに、素直に入った。奥さんの言うことは聞くようだ。賢い子だ。

車で、大きなペットショップに立ち寄った。

ススキダをキャリーバッグに詰めて放置し、私はチャールズとペットショップに入った。チャールズの日用品を買うためだ。残ったススキダの世話は、奥さんが見てくれていた。

ひと通り歩き回って、まずケージを買った。これは、我が家のケージと同じものにした。トイレと猫砂も同じものだ。キャットタワーも買った。我が家のキャットタワーは手作りだが、ススキダにそんな芸はない。だから、出来合いで済ませた。あとは、ハンモック、ご飯用の皿、水を飲む皿、ご飯は、缶詰を1週間分、固形の総合栄養食、チャオチュール、オヤツ、猫の遊び道具、爪切り、ブラッシング用のブラシ、歯ブラシ。セキトリは、嫌がらずに磨かせてくれるが、嫌がる猫も多いと聞く。だから、予防のためのマウスクリーナーも買った。口の中は雑菌だらけだ。ここを気をつけるだけで、病気はかなり防げる。

チャールズは、これをすべてクレジットカードで支払った。

たくさん買ったニャー。

買ったものは、すべて店の人が、エスティマの後部座席に運んでくれた。

ススキダは、車の中で、大人しくしていたようだ。

 

ススキダの家で、すべてをセッティングした。レイアウトは、あらかじめススキダが考えていたので、20分もかからなかった。

チャールズを解放した。チャールズは、やや腰が引け気味に、ノソノソと歩き回った。ときどき、奥さんの顔を確かめるように見上げて、ニャーと鳴いた。思いのほか、慣れるのが早い。

1時間近く部屋を探検したあと、ニャーーーと長く鳴いて、キャットタワーのてっぺんまで上った。そして、丸くなった。目をつぶったから、寝るつもりなのかもしれない。

私は、奥さんに向かって、サムズアップした。奥さんは、嬉しそうにうなずいた。

 

チャールズ、たっぷり可愛がってもらえよ。たっぷり甘えろよ。

 

さあ、待ちに待った牡蠣タイムだ。

伊勢佐木町へゴー!

 

走り出すなり、ススキダが言った。

「そう言えば、ウチダさんが言ってたぞ。最近、ビール泥棒、チーズ泥棒が来ないってな」

ウチダ氏は、中央区京橋でイベント会社を営む私より5歳下のイケメンだ。私はウチダ氏の愛人でもないのに、彼の事務所の合鍵を持っていた。

私は、その合鍵を使って、ウチダ氏のいないときに忍び込み、ビールを盗み飲み、チーズを盗み食うのである。

4年前までは、月に1度程度侵入したが、今は、年に2回程度だ。

今年は、6月のウチダ氏の誕生日にプレゼントを置きに侵入しただけだ。

久しぶりに行ってみるかイルカ。

 

ススキダ、伊勢佐木町は次の機会だ。

 

京橋に行こうぜ。

横羽線に舵を取れ!

ただ飲み、ただ食いだぁ!

 

この続きは、次回に。

 

 

 

 


ひっくり返る大恩人

2018-09-09 07:06:00 | オヤジの日記

大恩人が何人もいる。

 

8年前、埼玉から東京に帰ってきたとき、仕事が激減した。生活費が足りないこともあった。そんなとき助けていただいたのが、前回のブログで書いた杉並区在住のオーナーだった。

そして、ほぼ同時期に助けていただいたのが、東京稲城市の同業者だった。当時29歳だったと思う。

稲城市の同業者は、超人見知りだった。だから、仕事を外部に出せずに、一人で仕事を抱えこんで、疲労が蓄積していた。それを心配した彼の11歳上の奥さんが、私の長年の友人の京橋のウチダ氏に、「誰か主人をサポートしてくれる人をご存知ないですか」と相談したのだ。

ウチダ氏は、お節介にも、「かなりの変人ですが、丁度いい人をご紹介できます」と私をドラフト1位で選択したのである。

 

ウチダ氏に言われた。

「本当に筋金入りの超人見知りですので、それだけは心してください」

そのとき、仕事が乏しかった私は、ウチダ氏に言った。

超人見知りでも、超美尻でも仕事ならありがたくいただく。だが、超美尻は私に仕事をくれないが、超人見知りなら私に仕事をくれるだろう。だから、オレ、超人見知り好き、と言って、私はその仕事をひきうけた。

それに、俺も超人見知りだから、超人見知りの気持ちはわかる、とウチダ氏に言ったら「ハハハハハハハ」と手を叩いて爆笑された。

なんでだ?

 

会ってみて、稲城市の同業者が、人見知りだということは、0,2秒でわかった。目を合わせないのだ。そして、話してもいないのに、絶えず唇が震えていた。指先も震えていた。

しかし「歩くメンタルクリニック」と呼ばれている私は、会話をなるべく放棄することで、彼とのコミュニケーションを取ることにした。

仕事の段取りは、箇条書きで文章にしてもらった。わからない部分だけ、私が稲城市の同業者に質問する形式をとった。ただ、そのときも、しつこく聞くことはしない。「これは、こういうことなのかな〜」と別の表現で聞き直した。

時間はかかったが、その方式は確実に成果を上げて、5ヶ月もすると、稲城市の同業者の表情が変わってきた。最初は私のことを「おたく」と震える声で呼んでいた同業者が、私を「Mさん」と呼び始めたのである。

それからの仕事はスムーズにいって、私は稲城市の同業者から毎月一定の仕事をいただき、家計が安定するようになった。

 

つまり、大恩人。

 

だが、3年前から、同業者の仕事が半減することになった。

同業者の仕事は、恵比寿で文具店と看板広告を営む奥さん経由で入っていた。しかし、そのうちの大口の取引先の1つが有明に引っ越したために、その仕事がなくなったのだ。それは大きな痛手だった。

こんなときこそ、恩を受けた私が、それを返す番だと思った。その頃には、安定して仕事が入っていた私は、溢れた仕事のいくつかを稲城市の同業者に回した。

しかし、坂道を転がる速度は速い。ボブ・ディランも「ライク ア ローリング ストーン」と歌っているではないか。

昨年の暮れには、同業者の仕事は、全盛期の10分の1に減ってしまったのである。

なぜ、そんなに減ってしまったのか。奥さんが言うには、今まで出していた仕事を企業が外部に出さず内部で賄ったため、こちらまで回ってこなくなったのが原因としか考えられない、とのことだった。

結局は、デザイナーなんて、よほどの才能がある人以外は、そんな運命を辿るものなのかもしれない。

私の身にも半年後には、同じことが怒る興る起こるかもしれない。

 

そして、今年の春、稲城市の同業者に呼ばれた。

「僕、仕事をやめようと思っているんです」

唐突だね。煙突だね。

「唐突ではないです。仕事がなければ、それはフリーランスではないです。プー太郎です。僕にもプライドがあります。家で仕事をしていない姿を子どもたちに見せたくはないですから」

でも、奥さんの仕事は順調なんだよね。だったら、今の低迷期を黙ってやり過ごして、また新しい波が来るのをゆっくりと待てばいいのでは。

私がそう言うと同業者は「Mさんは、楽観論者ですよね」と初めて見せる強い意志のこもった目で、私を見た。

「でも、僕は悲観論者なんです。先の見えない現実に、身を置くことはできません」

「デザインしかできない僕ですけど、それに醜くしがみつくのは嫌なんです」

俺は、醜くしがみついてるけどな。

同業者が言う。

「初めて子どもができたとき、僕の世界が変わったんですよ。僕のほかに命がある。これは、感動でした。自分が守らなければいけないもの。自分が生涯見届けなければいけないもの。それが、こんなにも身近にある。僕は、子どもたちにも家内にも働いている姿を見せ続けたい」

超人見知りの同業者は、このときだけは雄弁だった。

「僕は、どんな仕事をしてでも、父親と夫の顔を見せなければ、『人間失格』だと思ってるんです」

 

その感情は、正直私にはわかりにくい。

だって、父親と夫が、人間失格であるかは自分だけで決めるものじゃない。

子どもと奥さんが決めることだ。

彼が勝手に決めるのは、私には自己満足に思える。

 

「だけどもう、僕は決めてしまったんですよね。来月からコンビニと牛丼屋で働きます」

 

超人見知りの同業者は、アルバイトの範囲が限られていた。

美術の専門学校に通っていたとき、同業者は生きていくためにアルバイトをすることになった。しかし、濃厚なコミュニケーションをとる職場は敬遠した。

いろいろ考えたあげく、マニュアル通りの接客をすればいいコンビニエンスストアと牛丼屋さんを彼は選択したのである。

確かに、コンビニエンスストアや牛丼屋さんでは、濃厚なコミュニケーションは、必要ないかもしれない。

刹那の時間を過ごすだけだからだ。

「だから、僕、またコンビニと牛丼屋で働くことにしました」

昼はコンビニエンスストアで働き、夕方から牛丼屋さんで働くというのだ。

 

奥さんの恵比寿の店には、細々とまだ仕事が入ってくる。

結果的に、その細々とした仕事は私が受け継ぐことになった。仕事が増えるのは嬉しい。

私は、嬉々として、春から月に2〜3回、恵比寿の奥さんの事務所に顔を出した。

元同業者の奥さんの年齢は、元同業者から推測すると40代後半だと思われる。しかし、お世辞抜きで、40歳前後にしか見えない。

奥さんは、歯並びが綺麗だ。歯並びが綺麗な人は若く見える、という「歯並び綺麗な人は若い」理論を唱える私の理論に賛同する人は少ないが、奥さんは間違いなく若く見えた。

若い人はご存じないだろうが、むかし酒井和歌子さんという女優さんがいた。可愛い中にもキリッとした強さを持っているように見えた。今で言えば、北川景子さんに近いかもしれない。奥さんは、その酒井さんに63%似ていた(わかりづらい?)

ちなみに我が娘は、乃木坂46のナントカさんに66%似ていた(どうでもいい?)。

 

今週の水曜日、仕事をいただきに恵比寿の店に行った。

看板広告用のカッティングシートの文字作りだった。仕事の打ち合わせはすぐに終わって、店備え付けのパソコンで文字を打った。クライアントもそばにいたので、修正を繰り返したのち、1時間程度で仕事は終わった。

終わったので帰ろうと思ったそのとき、元同業者の奥さんが、「ビールがあるので、飲みませんか」と言ってきた。

え? 営業中なのに、いいのですか。

「もう6時を過ぎてます。うちは6時終了ですから」

では、いただきましょう。アサヒのスーパードライだった。奥さんは、酒が弱いので炭酸水だった。

乾杯。

すると、いきなり奥さんが聞いてきた。

「あんなに、人見知りの主人が、私と結婚したのはなぜだと思いますか」

そう聞かれても、私は他人の恋話には興味がないので、首を傾げた。

ただ、相手が話すというのなら、聞く用意はできている。

「17年前、主人は、この近くの牛丼屋でアルバイトをしていたんです。そのとき、ここで商売を始めたばかりの私は、店を閉めたあと、家に帰って食事を作るのが面倒だったので、よく牛丼を買って持ち帰ったんです」

その店で、今のご主人が働いていたというのだ。

「牛丼を1つください、と私が言うと、主人は『はい、お持ち帰り、1つですね』って、いつも言うのですが、毎回声がひっくり返るんですよね」

毎回声がひっくり返るのが、気になって、つい通ってしまったんだという。そんなことって、あります? あったんでしょうね。

「この人は、いつ声がひっくり返らなくなるんだろうって思って、週に3、4回は通ってましたね。いま思うと、よく飽きなかったなと思います」

 

ある日、また牛丼を買って帰ろうと店に寄ったとき、お客さんが突然気分が悪くなった場面に出くわしたという。

そのとき、意外なことに、元同業者は、素早い動きでお客さんを床に横たえさせ、シャツのボタンとズボンを緩め、靴を脱がせながら、救急車を呼んだ。そして、そのときの状態を的確に伝えた。

声は、ひっくり返っていなかった。それが、印象に残った。ひっくり返らないのを初めて見たからだ。

しかし、お客さんが、救急車で運ばれたあと、奥さんが、お取り込み中、申し訳ありませんが、牛丼を1つくださいと言うと、帰ってきた元同業者の声は、またひっくり返っていた。

相手は、おそらく学生。しかし、自分はもう30歳を過ぎていた。恋愛対象にはならない。だが、なぜか、そのあとも頻繁に通った。

それから、しばらくして、奥さんの店に、元同業者がやってきた。元同業者は、奥さんが、そこにいることに驚き、回れ右で帰ろうとした。

奥さんは、咄嗟に元同業者の腕を掴み、引っ張った。元同業者は、「あのー、離してください」と声をひっくり返らせた。

奥さんは、すぐに手を離した。すると元同業者は、走って出て行ってしまったのである。

なぜ、腕を掴んでしまったのか。自分の行為が恥ずかしくなった奥さんは、それ以来、牛丼屋さんに寄るのはやめたという。

だが、思いがけないことに、その3週間後に、元同業者がまた店にやってきた。

元同業者は、コピー用紙を無言で買って帰っていった。それから、同業者は、1ヶ月に1度来て、コピー用紙を買って帰るようになった。

 

あのー、申し訳ありませんが、この話まだまだ続きますか。

「あ、ごめんなさい、長かったですね。こんな話つまらないですよね。人の馴れ初めなんて」

続きを聞きたい気持ちもあったが、ビール2本飲んでしまったし、帰って家族の晩メシも作らないといけないし、申し訳ないですねえ。

晩メシか。今日は楽をしたいな。

そうだ。帰りに元同業者の働く牛丼屋さんで、牛丼を4人前買って帰ろうか。10年くらい食っていないから、たまにはいいかもしれない。

 

国分寺の牛丼屋さんに入った。

目の前に立った私の顔を見て、元同業者は、目を見開いた。

そして、反射的に言った。

 

「いらっしゃいませ〜」

 

声が、ひっくり返っていた。

 

大恩人は、牛丼屋さんでは、声がひっくり返るようだ。